私が子どもを産んで、育児をしている間に、同期は、どんどんスキルもキャリアも積み上げていく。
後輩にも、追いつかれそう。私だって、自分の好きな仕事をもっともっと頑張りたいのに!
じゃあ、この子の面倒は、誰に見てもらうの?
頼れる祖父母も近くにいないし、保育園だって夜中まで預かってくれるわけじゃないし。
夫の帰宅も、毎日遅くて、会話だってまともに交わしてないくらい。
だけど、仕事にばかり一生懸命なダメなママ、可哀想な子ども、ってレッテルを貼られるのもイヤ!
やっぱり、やりがいのある仕事は、諦めなきゃいけないのかな。
ママとして、子どものための人生を歩まなきゃダメなのかな…

仕事を持つ女性なら、一度は葛藤したことがあるのではないでしょうか。

3人の子育てをしながら《自分にしかできない仕事》を模索し、キャリアを積み上げてきたシングルマザー女性医師が語る、子育てと仕事の両立の大変さを緩和するヒントをお届けします。

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Guest Profile

神村裕子さん

医療法人三圭会「川越医院」(山形市宮町)副院長・内科医師/株式会社「わーく」代表取締役・労働衛生コンサルタント・産業医/山形県総合政策審議会委員。(開催日現在)

1955年岩手県生まれ。37歳長女、35歳長男、32歳次女の3人きょうだいの母で、次女が1歳のとき、シングルマザーになる。現在、孫が5人。

自身が、保育ママや近所等、まわりに助けられ、仕事と育児を両立してきたことや、2人の娘達もワーキングマザーであることから、「活躍しようと頑張っているママ達がつらい思いをしている、なんとかしてあげたい」と、ワーキングマザーを応援している。

※この記事は、2017年11月5日、山形市七日町やまがた育児サークルランド『あ~べ』隣接のコミュニティカフェPont tree cafeにて開催された【第1回Wignal(山形ワーキングマザーの会)仕事も育児も楽しみたいママたちの交流会】の「先輩ワーキングマザーからのエール(トークセッション)」を書き起こしたもの(一部省略)です。

これを読んだ女性が、子育てをしながら、自分らしいキャリアを実現させていく勇気を、手にしてくださったら嬉しいです。

 

 

エール1:困っていることを声にしてみよう

主催者:「では、神村先生から自己紹介をお願いしたいと思います。」

神村裕子(以下:神村):「はい。私は、皆さんの年齢と近い、30代の子どもが3人おります。皆、山形から離れて暮らしているので、なかなか会うこともないんですね。

一番上の孫が、今度小学校入学なので、『ランドセルを買ってくれないかなぁ』と言われたのが、やっと8月くらいのことで、『あ、そうだ!お祝いしなきゃ!』と慌てたりするような、おばあちゃんなんですけれども。

私は、子どもを3人引き連れて、シングルマザーになりました。

ひと世代上でいろいろな経験をしておりますので、上から目線にならないように。でも、仕事を通して繋がってる若いお母さんたちの声を、世の中の人に届けるという役割を担えるかなと思っております。」

主催者:「ありがとうございます。」

~会場:拍手~

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主催者:「事前に皆さんからいただいた質問も踏まえながら、先生からお話いただきたいと思います。

先生は、お嬢さんが、お2人ともワーキングマザー(以下ワーママ)でいらっしゃるということですけれども、今のワーママは、どのように見えていらっしゃるんですか?」

神村:「情報をたくさん集めて、一生懸命にやってはいるんだけど、その情報の海の中で溺れちゃいそうっていう感じですよね。“アレもイイな、これもイイな”って。

でも、進める道は一つなので、自分で考えて、選ぶことが必要ですよね。

娘達からも、悩みの電話をもらったりもするんです。一番びっくりしたのは、孫がインフルエンザに罹ったときに、お世話になってる保育園が『どうせ流行ってるし、預かります』って言ってくださったそうで。」

~会場:どよめき~

神村:「『A型?B型?』くらいは聞かれたらしいですけど、皆A型っていうことで預かってくださったそうなんですよね。それで、娘は会社を休まずに乗り切れたっていうことがあったそうで、『やればできるじゃない!』って感心しましたよね。」

~会場:笑い~

神村:「今までの制度の中で考えちゃうと『どうしよう!? 私、これは大変だわ』って悲観するかもしれないですけど、『こうしてほしい』って要望すれば、希望するようになっていくんじゃないでしょうかね。その『こうしてほしい』っていう声がまとまって届かないから何も変わらないっていうのは、どうなんでしょうね?」

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(編集部談:インフルエンザ児でも保育園が預かってくれたエピソードは、今回のセッションの中で、最も興味を引きました。

私自身、パート勤めをしていた数年間のうちに、息子がインフルエンザ等に罹った際、預け先がないために、1週間の欠勤をしたことが何度かありました。それは、フリーランスになる大きな理由のひとつとなりました。

わずかな体調の変化で保育園から呼び出しの電話がかかってきて、退社しなくてはならないことで、上司や同僚に対し罪悪感を覚えるのは、全てのワーママに共通の感情だと思います。

子どもの些細な変化にも気づき、対応してくれる保育園に対する感謝もあります。他のお子さんにうつしてはいけないことも、受診のため病院に連れて行くのは親の役割であることも、理解しています。辛く心細い思いをしている我が子に、もっとしっかりと寄り添いたい気持ちもあります。

そんな様々な葛藤から、自分の生きがいと取り組んできた仕事を諦めてきた女性も、少なくはないのではないでしょうか。

病児保育や、看病のための休暇等の制度の充実によって、ワーママの負担や不安も、軽減されていくんじゃないかなと思います。 )

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エール2:困っているママ達に寄り添いたい

主催者:「皆さんは、世代が上の方の話ってなかなか素直に聞き入れられない部分ってないですか?『私達のときはすごく大変だったけれど、今は、すごく恵まれてるでしょう』って叱られてるように感じてしまうことが多いのですが。

先生は、どうして、私達世代の気持ちに寄り添って、理解してくださるんですか?」

神村:「お子さんを診察する機会があるんですけれど。私の子ども達が小学生になって、これからバリバリ働くぞって頃に、あるママが、お子さんを2人連れてきたんです。

具合が悪いのは上のお子さんなんだけど、抱っこしてた赤ちゃんのご機嫌が悪くてギャンギャン泣いちゃうわけですよね。診察室でも、ママはお兄ちゃんに構えなくて、赤ちゃんをあやしてる状態。

『具合はどうですか?』って聞いても、答えられない程で、『誰かに、赤ちゃんを預けて来られなかったの?』って、私、つい言っちゃったんです。

そうするとママは、ポロポロっと泣き出しちゃって。『そんなことできるわけないでしょう、子どもの面倒を見てくれる人なんて、誰もいません』って。

そのときに、“あぁ、傷つけちゃった。病気の子どもを抱えてるママの気持ちに、もっと寄り添ってあげなきゃ”って。私が傷つけてしまった人から得た、大きな経験です。

もしかしたら、あのママは今も、私を恨んでるかもしれません。

あの場で『あっ、ごめんなさいね』って繕えなかったから、今もずっと、私の中に残ってます。

そのときから、ママ達を支援する立場でもいたいなと思ってます。」

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エール3:ワーママならではの視点を活かし、《自分にしかできない仕事》を探そう

主催者:「先生ご自身は、小さいお子さんがいらっしゃって大変な中で、お仕事に対して、どんな風に向き合ってこられましたか?」

神村:「今、どの仕事も同じでしょうけど、医者の世界でも、専門医になってキャリアアップしていくっていう考え方なんですね。

だけど、世の中には、ストレートにキャリアを積み上げていくだけじゃなくて、そのすき間すき間に必要な仕事があるんですよね。ストレートにキャリアを積み上げていくことを目指す人にとっては、あまり関心のないようなところに目を向けると、するべき仕事って、実はたくさんあるんです。

私の同級生には、学位を取ったり、留学をしたり、上を目指してた人もいました。

私自身も、『さぁ!子どもを3人産み終わったから、キャリアアップのために大学院に行くわよ!』って思ってました。なのに、離婚によって、そのチャンスを奪われたなっていう想いがあったんですよね。

だけど、『それなら、他の医者はやらないけど、私にはできることをやっていこう』って、思い直したんです。そうすると、今のようになっていました。

若い頃に『こういう風になりたい』って思い描いた通りには、なかなかいかないですよね。でも、経験を積むと、世の中が違った角度で見えてくるんですね。こんな仕事もあるんだってことが、皆さんにも、きっと見えてると思います。

子どもを産んで育ててるからこそ、わかってくる世界を探していくっていうのも良いですよ。」

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エール4:“好きなこと”と“求められていること”は別。ニーズを把握しよう

主催者:「そうですね。あるべき姿をガチガチに固めちゃうと、そこから外れたときにすごく動揺しちゃいますよね。」

神村:「皆さんはそれぞれの個性で、自分の周りで見つけられるものが違いますので、ぜひ探してみてください。

“自分が求めるもの”じゃなくて、“自分に求められていること”を。

どんなところに、どういうニーズがあるんだろうということを把握して、やっていくのが仕事です。収入は、その対価として得るものですよね。

もし、何か好きでやりたいことがあるのなら、それは趣味として、仕事とは切り分けて考えるといいんじゃないかなと思います。」

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エール5:まわりの人を信頼して、助けてもらおう

神村:「私自身は、3人の子育てをどんな風にやってきたかって思い出してみたんですけど。

仕事柄、勤務時間も不規則だったので、保育園じゃなく、保育ママさんに預けてたんです。

保育ママさんは、熱があっても預かってくれてたんだけど、そのときに、子どもが熱性けいれんを起こしたことがあるんですね。具合が悪くなってるのに寝かせたままで、かなり時間が経過してから、意識がないまま見つかって。その後、入院騒ぎになって大変な思いをしたこともあるんです。

でも、お願いするからには信頼して任せるしかないですよね。自分が見てたとしても同じようなことになったかもしれない。隣の部屋でおとなしく寝てるなって、体調の変化に気がつかないでいたかもしれないから。

そういう、“子育ては大変だなぁ”っていう経験もしました。だけど、まわりの人に助けてもらってきたんですよね。

当時住んでいたマンションの、同じ年頃の子を持つママ達と集まって、子ども達を遊ばせながらおしゃべりしたりっていうような楽しみもあったし。

近くのお店に買い物に行って、子どもが何か粗相しても『いいよ。大丈夫だよ』とお店の人も笑ってくれたり。

それから職場では、同じ世代の看護師さん達にも、同じ年頃の子どもがいましたから、いろんな情報交換ができました。それは、私には悩みを吐き出せる、とてもいい場所でした。

皆さんも、欲しいですよね。そういう場が。

職場内にそれを求めなくても、Wignalのようなサークルに参加するっていうのも、いいですよね。」

主催者:「そうですね。私自身も、社外のママと繋がれたのが、良かったですね。

第1子の育休復帰のとき、部署に《ママ》は、私一人だったんですね。

上司も、私をどう扱ったらいいかわからないし、私も、どれだけ仕事ができるかわからないし。で、マミートラックになったんですが。

その後、元の仕事に戻してもらって、社内だけじゃなく社外のワーママと会って、“こういうやり方もあるんだ!この人すごく良いやり方してるな”とか、情報を得られたんです。」

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エール6:先輩ワーママ達が勝ち取ってきた権利・制度を使いこなそう

主催者:「神村先生は、ご自身の苦労話をしてもしょうがないとおっしゃいますが。そうは言っても、仕事と育児を両立するにあたって、大変なこともたくさんありましたよね?」

神村:「今は、きちんと権利として、産休・育休がありますよね。でも、私の頃はまだ、『妊娠すれば、あとは退職ね』っていうのが当たり前の時代。それは、医者でもですよ。」

~会場:どよめき~

神村:「もう、3回の妊娠とも、退職。今更ながら、“辞めずに、続けられなかったのかしらね?”と思うけれども。

当時は、“そういうものなんだな”って思ってましたから、揉めることもなく、『はい、わかりました。今まで、ありがとうございました』と言って、皆さんにお菓子など振る舞って、産休に入るわけです。それで、そこでの勤務は終わり。

そういう、困ってた人達の声から、いろんな制度をいろんな人の努力で、作ってきたっていう歴史があるんですよね。だから今、当然の権利と言われるように、皆さんの先輩たちが勝ち取ってきた制度を、充分に活用してください。

制度を知らないで損してる人には、ちゃんと教えてあげたいですしね。」

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エール7:子ども自身の社会適応能力を信じよう

主催者:「妊娠のたびに退職されて、その都度、再就職活動なわけですよね。」

神村:「医者なので、幸い、パートの募集はよくあるんですよ。『週に1回とか2回とか、パートで来てちょうだい』っていうところはたくさんあるので、そこをなんとかゲットして。今働いている川越医院も、そうでした。週1回午後だけのパートから、少しずつ増やしていって、毎日居座るようになって(笑)」

主催者:「一番大変だったのは、お子さん達がおいくつの頃ですか?」

神村:「小学生の頃ですね。一番下の娘が幼稚園に入ったときから、当直をするようにしたんです。幼稚園児になると、なんとか我慢できるようになるので。

『今日は、ピザの宅配取ってもいいわよ』って、たまに喜ぶようなことを言ってあげたり。家の中には、私の知らない隠し場所があって、大掃除のときにゲームソフトをいっぱい見つけました。『あなたたち、こんなことしてたの?』って(笑)

3人で役割分担して、頑張っていたようです。子どもでも、3人いると社会になるんですね。」

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エール8:何があっても「ありがとうございます」と感謝を伝えよう

主催者:「お医者さんの不規則な勤務時間帯での仕事をしながら、小さいお子さん3人を育てるっていうのは、どんな生活だったんですか?」

神村:「一番忙しいときのことは、あんまり記憶がないんですけれども(笑)

まず、保育ママさんのお宅のすぐそばに引っ越しました。私以外に送り迎えできる人はいないから。

夜中に病院から緊急の呼び出しがあるときは、一番上のお姉ちゃんにだけ『行ってくるからね』って囁いて、出掛けてました。

その時は、子供だけで寝てるわけですが、仕事が終わって家に戻ってみたら、一番下の娘がいない!っていう事件もありました。『おかあさんがいなーい!』って、真夜中に保育ママさんのところに行って、寝てたようなんですけれど。

恥ずかしながら、そういうことが3回くらいあったんです。性懲りもなく繰り返して、保育ママさんには随分叱られましたけど。

だけど、たとえ叱られても、ともかく『ありがとうございました』って言うしかないと思って、乗り切ってきました

その時期には、《朝ごはんを作りに帰って、子ども達を学校に送り出したら仕事に戻って。夕方にまた、一旦ご飯を作りに帰って、『みんなでちゃんと寝ててね』って言って、また当直に戻る》っていうのを、毎日、繰り返してたんですけれども。

そうすると看護師さん達が、おかずを作って差し入れてくれたり、自宅に帰るとおでんの鍋が届いていたりとか、見るに見かねて助けてくれる友達がいたんですね。

ですから、自分でできないことを自分で頑張るんじゃなくて、『できない。助けてくれて、ありがとう』って言えたのが、私の救いだったなぁと思います。」

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エール9:ママじゃなくても、大人のちゃんとした愛情があれば、子どもは育つ

参加者:「3人のお子さんだけで寝てたっていうのは、今の時代には、あまりないことかなと思いますが。

お子さん達が成長されてから、『お母さんはいつも仕事で、淋しい思いをしてたんだ』っていうような恨み節を言われたことはありませんか?」

神村:「それは、あんまりないです。当然、『お母さんはいつも仕事してて…』ってことはありましたけど、3人とも平等に、『卒業式や入学式は行くけれど、他の行事には行けないよ』と、ずばり言ってましたし、そういうものだと割り切ってくれてたと思います。

今だったら、子どもだけを置いて出掛けてたら虐待になっちゃいますよね。でも、本当にそうなのかなぁと思うんですけど。」

主催者:「一番上のお子さんが5年生くらいですか?」

神村:「そうですね。でも、当時の私は、そうせざるを得なかったから。

お互いに、生きていける方法を選んだっていう感じかなぁ。でも必ずしも、私の体験がみなさんの参考になるわけじゃないですから。

だけど、『これはダメなんだ』っていう既存のルールに囚われるんじゃなくて、この会のテーマだと思いますが、『私はこうしたい、こうした方がやりやすい』って、声を上げて良いんじゃないですかね。」

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神村:「とても参考になった本があるんです。恵泉女学園大学の学長の大日向雅美さんという、ママに寄り添った子育て論を展開してくださる方の本なんですけれども。

3歳児神話といって、『3歳まではママが子育てしなきゃいけない』という考えがあるけれども、それは間違いなんだ、という内容の本を読んだときに、本当にそうだなと思ったんですね。

例えば、不幸にして出産のときにママを亡くした子どもが、育たないなんてことはないですよね。ちゃんと愛情をもって守ってくれる大人の手があれば、完全母乳じゃなくても、子どもはちゃんと育つんだっていうことです。

『母親が育てるのが一番よ』って言われるのを信じてたら、子どもを預けて働くなんて辛くて、とてもできないけれど、そうじゃないんですよ。

本当の母親の役割っていうのは、妊娠中の自分の身体を、頑張って大事にすることです。“出産ギリギリまで、お仕事しよう”って、そんな無理をすることじゃなく。

『小さく産んで、大きく育てよ』って言い方がありますけど、あれは間違いですよね。医学的にも、低体重で産まれて標準まで育つ場合、発育の段階で、その子は無理をしているので、糖尿病とか、生活習慣病とかになる確率が高くなるっていう学術論文とかも出ています。

だから、妊娠中はゆったりと休養を取って、自分が太っちゃってもいいから、お子さんのためにしっかりと栄養を摂ってあげるのが、大事なこと。

そして、出産したら『私はママなんだから、頑張らなきゃ』って思い詰めないでほしい。ちゃんと大切に愛情を与えてくれる保育者がいれば、子どもはちゃんと育ちます。それは、ママっていう特定の人じゃなくても、男性でも。

失敗したら、『ごめんね』って抱っこして。『お母さん、抱っこすれば済むと思ってるでしょ』って、子ども達は思ってたかもしれないですけど。

それでも、最終的には『あなたを愛してる』って言って抱きしめるのが、自分にできることですから。」

4あーべ

エール10:子どもを育てることも、働くことも、楽しめる世の中に

主催者:「それでは、先生。最後に、私達世代の働くママにメッセージをいただけますでしょうか。」

神村:「昨日まで日本にいらしてたイバンカ(アメリカ大統領補佐官)さんが、『5年後、10年後には、働いてるお母さんとか、働いていないお母さんとか、そんな区別する言葉がなくなるような時代になればいいですね』っていうようなことを言ってましたね。

私も同じように思います。働いてる、働いていないに関わらず、女性は子どもを産んで育てることができます。辛いこともあるけど、楽しんで育てましょう!仕事も、もちろん。

皆さんが、それをできる世の中になるよう手助けするのが、私の仕事。そのために、皆さんの声を世の中に届けていきたいと思います。」

主催者:「ありがとうございました。」

~会場:拍手~

1あーべ

取材後記

もしかしたら、今回のお話は、神村先生の不在時に、お子さん達が大きなトラブルに遭わなかったから、言えることなのかもしれませんし、先生はおっしゃいませんでしたが、当時、先生の働き方を非難する言葉を投げかけられたことも、きっとあったのだろうと推察します。

ですが、子どもにとって、母親以外のたくさんの人に愛され、自分は社会にとって必要な人間なんだと感じさせてくれる環境に触れることは、必要で大切な経験です。

今回のイベントを通し、ワーママの気持ちを代弁し、よりよい環境で仕事にも育児にも取り組める社会にするため働きかけようとしてくださることを、本当に有難く思います。

様々な仕事があり、働き方も多様化しているにもかかわらず、子どもを持ったなら母としての道を選ぶべき…と、不本意なのに自分を抑圧し続ける人生では、あまりに悲しすぎます。

社会の変化に応じて、子どもと母親を取り巻く環境や認識も、柔軟に対応させて行けると、女性達はもっと生きやすくなるのではないかなと思います。

待機児童問題をはじめとした、働くママと子ども達を取り巻く環境が、いち早く整い、充実することを願います。そして、その環境を作っていくのは自分たちです。

誰かが何を施してくれるのを待つだけでなく、助けてと声をあげたり、欲しいもの・環境を手に入れるために自分から掛け合っていくことで、きっとより良い環境が充実することに繋がります。

小さな雨粒の一滴が、やがて大河になる。

出来ることから、自分の欲しい未来は自分で作っていきたいですね。

子ども達が、不幸な出来事に巻き込まれないためにも。

女性達が、母になることも、キャリアを実現させることも、自分らしい選択を可能にするために。

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