こんにちは。スマイルトレーナー®の山田貴子です。雪の降らない瀬戸内海沿岸から山形に嫁いできて、もうすぐ14年目を迎えます。
山形に嫁いで来て孤独を抱えていた過去の経験から(参照:ずっと地元・UIターン・転勤族・…いろんなママが混ざり合えば、より豊かに育児を楽しむ環境づくりができる!https://mirailab.info/column/10213)、同じく県外から山形にやってくることに不安を抱えている女性や現在進行形で不安を抱えている女性に、その不安を解消してもらいたくて、こちらでコラムを書かせていただいています。
さて、慣れない土地での子育てママライフを楽しむためには、地元出身者との繋がりが必須です。しかし、“山形弁の壁”などを前に、心折れてしまう女性も少なくありません。
そんなとき心強い存在となるのが、山形を一旦外から見たことのある人。通訳してくれたり、雪道の歩き方を教えてくれたり…と、私自身もずいぶん助けてもらいました。
今回の仕事図鑑では、首都圏に住みながら、山形と関わって働く女性をご紹介します。
今回は、”やまがたと関わって”働く人
金田睦さん(プランニングディレクター)
山形出身横浜在住の睦さん。
1996年、山形の短期大学を卒業後、東京の服飾系専門学校に進学するため上京。
専門学校を卒業後、モデル事務所にマネージャーとして就職。スキルアップのため広告業界に転身し、約10年間広告制作に携わる。2007年、同じ広告会社に勤めるご主人と結婚。子育て支援の企画会社への転職を経て、2013年に独立、【funfair】を起ち上げる。イベントや広告のプランニング、空間デコレーション、広告撮影のテーブルスタイリング等、首都圏を中心に幅広く活動している。また、高校時代の同級生とのユニット【nicotto】として女性向けイベントを企画開催している。
ファッション誌編集者になる夢を抱いて東京へ
「服飾系の専門学校なんだけど、お洋服を作る科ではなくて、ファッション情報科に入りました。ファッション誌の編集者になるのが、中学生からの夢だったけど、今みたいにネットの情報もなかったから、漠然となれたらなぁって思ってるだけで、どうすればそれになれるのか全くわからなくて。とりあえず山形の短大に進学してから、お洋服に関係することをいろいろと調べて、東京の専門学校への進学を決めました。それから、ずっと東京にいます。
専門学校の在学中には、アルバイトを2つ掛け持ちしてました。1つは、先生の紹介で、モデル事務所でのマネージャー見習いを。もう1つは、夢だった雑誌の編集プロダクションで。本来だったらそのまま編集の道に進むんでしょうけど、モデル事務所での仕事が楽しくなっちゃって。
だけど、“ここに就職するのも、なんか違うなぁ?”って思って。そのとき、たまたま目にした転職情報誌に載ってた別のモデル事務所に、新卒募集でもないにも関わらず応募してみたんです。そしたら、受かっちゃって。専門学校を卒業した春から、マネージャーとして働き始めたんです。全然、編集者でもなんでもなくなっちゃいました。」
ステップアップのため、広告業界に転身
「3年半くらいマネージャーをやってたのかな。所属していたモデルは、10代とか20代前半の学生さんが多くて、モデルの仕事は朝が早いから、時間の管理が大変でした。
それでも、その子たちをプロデュースしていくのが、本当に楽しくて。この子には、この雑誌が合う!とか、このCMにイケそう!とか考えて、エントリーしたオーディションに合格して、モデルとしての仕事がうまく進み始めると、まるで別人のようにその子が輝いていって。それがやりがいだったし、私に向いてるなぁって思ってました。」
「だけどその反面、同じことの繰り返しで先が見えなかったんですよね。人を育ててはいけるけど、自分自身のステップアップがないなぁって感じて。それを楽しみながらやっていくのもひとつだけど、自分自身で何かを創る側になりたいと。
25・6歳のときに、20代のうちに思い切って転職してみようって決意して、モデル事務所を辞めました。制作やデザインをやりたいと思ったけど、全然まだその当時はなんのスキルもなくて。でも、人のスケジュールを管理したりとか、何か調整して人をうまく回すっていうのが得意だったので、マネージャーとして雇ってもらえる会社を探して、デザイン事務所に転職しました。そこでマネージャーとして働きながら、デザインや制作の仕事を勉強して覚えていきました。それから、もっと深く制作に携わっていけるように、何度か転職したんです。ちょっとずつ知識や経験や実績を積み重ねて行って、トータルで約10年、広告の仕事をやってきました。」
地元山形に恩返しのできる仕事をしたい
「上京した頃は、“山形では仕事がないし…”とか思っていたし、たまに帰省するくらいがちょうど良くて、山形に居ても楽しいことはないなぁって思ってたんです。でもだんだん年齢や仕事を重ねるにつれて、何か山形と関わりたいっていう想いが出てきたんですね。山形に恩返しって言ったら恩着せがましいですけど…。私が東京で経験したことで、山形の方がまだ知らないことをお伝えできたりしたらいいなぁって思って。
ちょうど自分の周りで子育てが始まった時期で、苦労してる友達もいっぱいいたから、同世代の女性達が楽しめる何かをしたいなぁって。世の中を変えたい!なんて大それたことは考えていないけど、私と同じようなモヤモヤを抱える女性達の心の負担を軽減してあげられるお手伝いができたらなって。
広く情報を提供するために広告をやってきたけど、それよりもうちょっと凝縮して、ママや女性のための仕事をやりたいって思うようになって。そのタイミングで、同僚が子育て支援の企画会社を起こすことになったので、社員として雇ってもらって2人で新しく始めたんです。
同じ頃、東京に住んでいる高校時代の同級生と2人で女性のためのイベント活動を【nicotto】というユニットで始めるのと同時に、ヤマガタ未来ラボ編集長の田中さんとの出逢いがあったんですよね。それが、山形でイベントを企画する仕事へと繋がっていきました。」
当サイトの編集長と偶然出会ったことをキッカケに、子育て支援企画の会社員だった2012年頃、様々な人脈やタイミングが重なり、現在山形ママ達の人気を博すイベント【山形ママがつながる「シマカラワークショップ」】(https://www.facebook.com/shimakara.linkisland/)の企画を担当することになりました。
▲友人と3名で企画運営する【まちのピクニック】http://machinopicnic.wixsite.com/machi-picnic は、東京都世田谷区にて毎秋開催し、女性達の“好き”を発信しています。“お弁当のおかずや、おやつを交換し合うように、自分の好きなこと、誰かの好きなことを見て、体験して、仲間をみつけるイベント”
ワークライフバランスを整えるために独立
「フリーになった動機の1つに、ワークライフバランスを整えることがあったんです。会社員のときは、ほんとにずっと仕事してたんですよ。1日が仕事中心でしかなくて、お掃除ができない、ご飯が作れない…、出来ない自分にすごくストレスを感じていて。精神的にも、プライベートにも余裕がなくて、それでもずっと仕事してました。でもそれって、生きていることが全然楽しめてないなって感じて、独立を考え始めました。他人の分まで頑張っちゃうところがあるので、ひとりでやったほうが、きっと仕事と家庭のバランスをうまくとれるんじゃないかなって。
フリーになってからは、基本的に家の中で仕事しているので、仕事しながらでも洗濯機は回せるし、打ち合わせに行った帰りに夕飯の買い物もして来れるし。仕事が溜まってても、ご飯を作ってからやればいいし。自宅で仕事することで、出来るようになったことが増えて、ストレスに感じることが少なくなりました。」
▲「部屋にお花を飾ったり出来るようになったのも、フリーになってから。それまでは、飾ったところで、お水をかえる余裕もないくらい仕事に没頭してたので。」
「それから、もう1つの動機は、子どもが欲しいと思ったこと。当時の私の働き方では、とても子育てできないと思ったんですね。
“出社した途端に、保育園から呼び出しの電話が入って、同僚に申し訳ないと思いながら退社する…”とか、そんな話をいっぱい聞くんです。もし私が同じ立場だったら、その申し訳なさで潰れてしまいそうだと思ったんですよね。
自分の自由な時間の中で働きながらの子育ての方が、きっと自分には向いてると思って。子どもができるかどうかはわからないけれども、もし出来るんだったらそういう環境で育てたいなって。
その面では、山形での子育ては、恵まれてるなぁと思います。それぞれの親御さんが近くに住んでる方が多いから、共働き率も高いんだろうなと思うし。近いからこその悩みや問題もあるけれども、育児をサポートをしてくれる祖父母が身近にいてくれるのは、心強いことですよね。」
▲『としまミュージアム』(2016年3月、豊島区池袋で開催)にて、睦さんが手掛けた会場装飾。
女性の“ワクワク”を持ち運んで、東京⇔山形を自由に飛び回る
「屋号のfunfairは、“移動遊園地”っていう意味。楽しいことをいろんなところに持っていきたいなって想いで仕事してます。“なんかあの人楽しそうなことをやってて、いろんなところに飛び回ってるな”っていう風に見てもらえたらいいなって。
夫は職種は違うけど、同じ広告会社にいたからどんな仕事内容なのかはざっくり理解してくれています。あんまり仕事の深いところまでをお互い干渉しないので、“イベントあるから山形いってくるね”って感じで。まだ子どもがいないので、割と自由にやってます。」
慣れない山形へのIターンでモヤモヤする人へ
「山形県外から来られて活躍してる方達と、コミュニケーションを取られたらいいんじゃないかな。山形のいろんな側面を知ってる県外から来られた方達と関わってみることで、“じゃ、自分はどうしたらいいのかな”って見えてくると思います。もっと外に出られてみて、自分が気になった方に会ってみると何かの手掛かりになると思いますよ。
【シマカラワークショップ】は、その一歩として捉えてもらえたら。『人に会える』っていうのが、良いかなって思います。」
▲【第1回しましま市】(2016年10月山形市にて、睦さん企画による)http://shimashima-yamagata.wixsite.com/shimaにて。東京や山形で活動する人々の展示販売・飲食ブースやワークショップなどを展開。写真は、東京出身山形在住のベビーマッサージインストラクター鈴木千恵さん。(関連記事:https://mirailab.info/column/12488
山形へのUターンでモヤモヤする人へ
「帰ろうかなって思ったんなら、帰ってみたらいいですよ。一旦思ってしまったなら、それが、今やるべきことだと思うので。誰かに相談してる時点で、もう心は決まってるじゃないですか。だから、一回帰ってみて暮らしてみて、もし合わなかったなら、また東京に出ればいいし。
年齢とか、現状とか関係なく、何度でもやり直しは出来るって思ってます。フリーになってから、いつでもなんでも始められるってことを、本当に実感したので。『思ったときが、行動するとき』って。
家庭があったりすると難しいこともあるかもしれないですけど、でも本当に帰りたいんだったら、その気持ちを伝えるしかないですよね。私の身近にも、そんな方は何人もいます。
気持ちがあれば、なんでもできるんだって、思いますよ。」
▲『シマカラワークショップ』にてnicottoで講師を務めたときのもの。テーブルスタイリングは睦さん。誰もが知っている企業広告のテーブルスタイリングも手掛けています。特別に資格を保有してはいないけれど、広告撮影に携わるうち、自然にスタイリストとしての依頼を受けるようになったのだそう。
取材後記
「資格はなくても、自分次第で仕事にできる。“○○じゃなきゃ出来ない”とかに縛られることなくやっていたら、どこに住んでいても、何歳でも、やりたいことは叶えられると思う。」
真っすぐに語る大きな瞳が、とても印象的でした。
結婚や出産によって女性の働き方は、変化せざるを得ないこともあります。もし、そんな状況に思い悩むことがあるなら、睦さんの企画するイベントに参加してみてください。
何かを変えていくためのヒントが、きっと見つかると思います。
【 funfair 】
Facebookページ:https://www.facebook.com/funfair.fun/
Instagram:https://www.instagram.com/funfair_9/
Profile
金田睦さん
山形市出身。横浜市在住。
プランニングディレクター、funfair代表