こんにちは。ダイエットセラピストの山田貴子です。雪の降らない瀬戸内海沿岸から山形に嫁いできて13年目を迎えました。
山形に嫁いで来て孤独を抱えていた過去の経験から(参照:ずっと地元・UIターン・転勤族・…いろんなママが混ざり合えば、より豊かに育児を楽しむ環境づくりができる!)、同じく県外から山形にやってくることに不安を抱えている女性や現在進行形で不安を抱えている女性に安心してもらえたらと思って、こちらでコラムを書いています。
仕事と子育ての両立に悩み、独立するという選択をした私ですが(参考:山形での女性の働き方 仕事・家庭・育児の両立 ~私が“起業”を選択した理由~)、県外から嫁いで、抱えてしまった困難の解消法の一つとして、ママ起業って有効かもと思っています。
ですので、今回は、同じく山形県外から嫁ぎ、起業したママをご紹介したいと思います。
今回のやまがたで働く人
鈴木千恵さん(ベビーマッサージインストラクター)
東京生まれ東京育ちの鈴木さん。
山形県生まれのご主人は、東京で勤めていた総合商社の元上司。
結婚をキッカケに27歳の秋に山形に嫁いできました。
7年後転勤のため、長女(当時2歳)と家族三人で兵庫県へ。そこで第二子を授かり、ベビーマッサージインストラクターの資格を習得。
3年前の2014年3月、再び山形へ戻り、ベビーマッサージ教室を主宰。現在に至ります。
“結婚=山形”はチャレンジャー精神で
「山形を知りすぎてなかったから、来られたんでしょうね。新緑の頃とか、気候の良いときにしか遊びに来てなかったんですよね。今思えば、彼の作戦だったのかなぁ。
東北には親戚もいないし、頼れる人が誰もいない土地の“田舎の長男”に嫁ぐことを、両親も友人も、心配していたようです。
でも、反対されるとやってみたくなる性分なんですね。どんな土地柄なのか、どうせ分からないんだから、とりあえずチャレンジしてみようって。
結局、プロポーズを受けてから、山形に行くって決めるまで一年近くかかったかなぁ。決めるまでの間に、かなり痩せましたね(笑)」
初めての山形暮らしは、無いものばかりで衝撃的だった
「山形に来て、フレックスの仕事に就きました。仲の良い同僚もできたけど、東京でのバリバリ系の働き方しか知らなかったから、やっぱりどうしても比べちゃう。
結婚と同時に、子どもを産むことへの周囲からのプレッシャーも大きかったと思います。
将来の子どもの教育について考えてみても、東京にはたくさんの選択肢があるのに対し、山形には受けさせたいものの選択肢が少ない…など、東京にいる友人たちと現在の自分の環境を比較して、悲観したりもした。
結婚するまで、自分の好きなことを好きなようにやってきたし、現実を受け止めるしかないのかなぁ…と、諦めのような気持ちもありました。
長女が産まれるまでの4年半を振り返ってみると、いわゆる“うつ”だったんだろうなぁ、と思います。本来の私なら絶対にしないような思考パターンに陥り、自分が自分でないような感覚で生活していました。」
山形暮らしの転機は、第一子出産
「そんな状況が、長女が産まれて変わったかな。
産院でやっていたベビーマッサージ教室に“行けた”ことが、大きかったです。
参加者の多くが、地元のママでした。お互いに初めての育児で、なんだかんだとアタフタしながら情報交換するうちに、山形のいろんなことを教えてもらいました。
元々、出歩きたい性分なので、そんな自分に戻れたことが嬉しかったなぁ。
そして、このときのインストラクターが県外出身者だったんですね。
地元から遠く離れた場所でも、こうやって自分のやりたいことを仕事にして、活き活きと働いている人もいるんだなぁ、って感じていました。」
第二子出産を経て、ベビーマッサージインストラクターに
「ようやく本来の自分で、山形での暮らしを楽しめるようになってきた頃、夫が兵庫県に転勤することになりました。
正直行きたくなくて、「パパ、一人で行くでしょ?」って。
なんで自分ばっかりこんな苦労をすることになるのかと悩んだりもしたけど、一緒に行くことにしました。やっぱり、家族は一緒に居た方がいいよねって思い直して。
転勤先の兵庫県で、次女を授かりました。
そして、出産後、ベビーマッサージ教室に通って、資格を取ることにしたんです。
元々、子ども好きなわけでもなかったので、いずれまた仕事に就くだろうと考えていました。
でも長女が産まれてみると、自分の子どもはやっぱり可愛い。このまま、子育てに没頭する日々も悪くないのかなぁ…、と思うように。
だけど次女が産まれたとき、ふっと感じたのは、子ども達は成長と共に、然るべき場所に進んでいく。そのとき、自分はどうなるんだろう…?ということ。
元々、仕事が好きだったけど、それを諦めて家庭に収まるのか?
自分に妥協した働き方をするのか?
やりがいのある仕事をするために、家庭をおろそかにしてしまうのか?
子育てにも、手抜きはしたくない。
様々な葛藤の中、“自分自身の育児経験やそのときの気持ちを活かせる仕事をしたい。周囲に助けてもらったことを還していきたい。”と、自然と結びついていったのが、ベビーマッサージインストラクターという仕事でした。」
ベビーマッサージ教室は、交流の場所
「“先生”と呼ばれたくないんです。近所のおばちゃんみたいな感じに思ってもらえたらいいんです。
夜泣きや離乳食などの困ったことがあったときや、小児科に行くほどじゃないし…とか、ママ友に言うのは恥ずかしいし…とか、そんなときにフッと「鈴木さんに相談してみようかな」って、思い出してもらえる存在になれたらと思っています。
初めてのレッスン参加は、皆、一人で。“ママ友と一緒に”というケースは、稀なことです。
“初めて”は誰もが経験することだから、何度か通ってくれているママが、自然と場を盛り上げてくれ、『和』が生まれます。
『焦らなくていいよ。今のままで、大丈夫だよ。』と、安心できる場づくりをすること。また、一方通行ではないコミュニケーションの場づくりを心がけています。」
今は、子どもと関わる時間が最優先
「この仕事にやりがいや生きがいを感じているけれど、今の自分にとって、第一の優先事項は、家庭であり、子ども達と関わる時間。
大好きな仕事の時間も大切だけれど、そのために子どもを学童に預けることもしたくなかったんです。
学校から帰って来る子ども達を迎えて、また、友達と遊びに行く時間の中に、子どもの成長にとって大事な要素がたくさん詰まっていると思うから。」
「その時間を優先させるために、週に何回か開催する“教室”というスタンスが、今の私に合っているんだと思います。ストレスなく仕事も、家庭も、充実させることができる最適のバランスなんです。
そのバランスも、子どもの成長と共に変化しながらやっていけるかな。」
産後のママへ伝えたいこと ~もともと自分の持っていた力に自信を持って!~
「誰かと繋がったり、関わっていく力を、女性達は本来持っています。
育休中に孤独を感じることなく、子育ての知識と経験を仲間との輪とサポートのなかで受けることができたなら、復職する頃には元々自分自身の持っている力で、乗り越えていける状態になっているはず。
産後、その力が薄まって発揮できずにいる状態のときの一つ目として立ち寄れる場所が、この教室でありたいと思います。
誰かに「大丈夫!」って言ってもらえたら、自信を持って子育てしていけるんです。
私も、周りに助けてもらいながらやってきたし。
バリバリ働いてきた人に限って、不安になっちゃう。完璧を求めて、誰にも相談できなくなっちゃう。
そのときに、ママが安心して立ち寄れる場所がいろいろとあればいいと思う。
それが必ずしも、ベビーマッサージじゃなくてもいいんです。子どもと触れ合うための手段の一つだから。
いろんな選択肢の中から、ママ自身が選んで行動することができたら、産後うつも虐待も減らしていくことができると思うんです。
母としてたくましく自信を取り戻して、自分のやり方で大丈夫だよ!って、子どもと一緒の暮らしを楽しんでいってくださいね。」
編集後記
“山形に嫁ぐ”ことや、“初めて雪国で暮らす”ことに、戸惑ったり葛藤したりするのは、私だけの経験ではなかったんだなぁとしみじみ感じました。
そして、それを解消するための方法として“ママ起業”という働き方が、効果的なのかな…と。
県外から山形にやって来て、妊娠・出産・育児に不安を感じてしまったら…。いえ、感じてしまう前に、ぜひ鈴木さんに会ってみてください。
URL http://ameblo.jp/arch-mam/
*寒河江教室 (カフェ クルミーノhttp://cafeculmino.com/)
*山形西教室 (スナップハウス山形西バイパス店 http://221616.com/shop/blog/p_06/SN0002/)
*山形嶋教室 (TUY次世代住宅展示場 シマカラ センターハウス http://www.shimakara.net/centerhouse/)
Profile
鈴木千恵さん
東京都荒川区出身。小学生と年長児の女の子のママ。
一人で頑張りすぎない!子育てが楽しくなる『ベビーマッサージ教室arch』インストラクター