山形で働く20代のリアルな姿を伝えるこのコーナー。
みんな、どんな仕事をして、どんなことで悩んで、どんな夢を持っているの?
社会人としてのこれからが楽しみな20代に、突撃インタビュー!!

ヤマガタ未来ラボ編集部では、山形で働く20代を“ミライさん”と呼んで、応援していきます!

今月のミライさん★

dano_ito

伊藤大貴(いとう ひろたか)さん

職業:合同会社danomokke(一般社団法人化予定) 代表
年齢:25歳
出身:旧東田川郡朝日村(現鶴岡市)
社会人歴:4年目
好きな言葉:仲間

――東京の会社を辞めて、山形に戻ってきたそうですね。

大学卒業後、東京のITベンチャーに就職したのですが、もともと「いずれは山形に戻ってふるさとに貢献したい」と思っていたので、「5年以内に辞めます」とは伝えていたんです。予定よりだいぶ早まったんですけど…(笑)。

2年目ぐらいでなんとなく先が見えてきて、東京でやっている仕事を将来、山形に還元できるのかと考えたときに、僕の中でうまくつながらなかったんですよね。

――東京での社会人生活はどうでしたか?

入社してすぐに配属された部署はめちゃくちゃ大変で、とにかく必死だったので、そこにいた半年間の記憶はほとんどないです。まわりは東大卒や京大卒の優秀な人たちばかりで、大学時代からインターンとしてそこで働いていた同期はプロジェクトリーダーの仕事をしているのに、自分はwebの知識もなくビジネス的なコミュニケーションもできない状態で、「結論から先に」と言われて結論がわからなくなって黙りこんでしまったり…。

伊藤くんアップ

 

――えーっ!?意外です。今の姿からは想像できませんね。

当時は『自分、全然ダメだな』って思っていました。闇の時代でしたね(笑)。でも、おかげで自分のできないことに対して良い意味であきらめがついたというか、ものすごく頭のキレる奴と同じ量の仕事をこなすことができないなら、せめて自分は気持ちよく仕事をまわせるようにコミュニケーションをしっかりとろうとか、できないなりにどうしたらうまくやれるかを考えるいいきっかけになりました。

――でも、仕事が嫌で辞めたわけではないんですよね?

そうですね。山形でふるさとに貢献できる仕事をしたいと思ったのが一番の理由です。東京での仕事は大変だったけど、上司や同僚に恵まれたので腐らずにやれました。上司はいつでも面談の時間をきちんと取って相談に乗ってくれたし、同僚もみんないい奴だったので、会社を辞めるときはすごく辛かったですね。自分のふるさとに対する想いや、東京で感じていた違和感を上手く伝えることができなくて…。会社を辞めるって、こんなに大変なんだと思いました。

 

1.東京にいたころの写真 (2017年10月:奥多摩開催 イモニケーション)

東京で仲間を集めて開いた芋煮会

――辞める決心をするまで相当悩んだのでは?

いろいろ悩んだり落ち込んだりもしましたけど、会社以外のコミュニティや仲間に助けられた部分が大きかったなと思います。学生の頃から関わっているコミュニティでは「なぜその仕事をやるのか?」という核に触れるような問いを投げかけてくる仲間がいたので、自分にとって大事なことは何なのかを再確認することができました。会社の同僚にも相談はしていましたが、違う視点からの意見を聞くことで、意思決定しやすくなったというのはあると思います。

――山形に戻ってきて悔いはない?

もちろん、あのまま東京の会社で働き続けていれば、大きな仕事もできただろうし、続けることで見えた景色もあったと思うので、辞めて良かったかどうか今はわからないですね。でも、とことん考え抜いたうえで、山形に戻ってやってみることに賭けてみたいと思ったので、後悔はしていません。

――東京に出て働いてみて良かったですか?

一度は大きいところで自分の力を試してみたいと思っていたので、良い経験になりましたね。東京と地方では市場規模がまったく違うので、仕事の仕方も異なりますが、どちらが良いとか悪いとかではなく、これからビジネスをしていく上で、マクロな視点とミクロな視点の両方が必要だということに気がつけたのも良かったです。

向こうで頑張っている仲間もいるし、いつでも遊びに行けるので、東京はもう心理的に遠い場所ではなくなりました。かつての同僚とは今でもつながっていて、ときどき飲みに行ったり泊まりに行ったりしています。

 

――山形で起業したと聞きましたが、どんなお仕事をしているんですか?

小学校からの幼馴染と二人で立ち上げた【合同会社dano】では、おもにwebマーケティング支援・プロモーション支援を行っています。

4.竜次との写真(2015年:朝日中旧校舎解体前イベント・壁への落書き)

現共同代表(左)と母校朝日中の旧校舎にて(2015年時 現在解体済)

コンセプトは「“伝える”を、おもしろく。」です。伝えることに苦手意識があったり、伝えても意味がない、効果がないと思っている人や企業の力になれればと。webマーケティングは、データ分析によってユーザーの行動や心理情報を推測できるので、そこをうまく活用していきたいですね。

もう一つの会社【mokke(一般社団法人化予定)】では、おもに教育や地域活動をやっていきたいと考えていて、ふるさと庄内の文化や風土を通じて、ゆっくり豊かさを感じたり、自分自身と向き合ったりできる機会を提供していけたらと思っています。

2.地元_羽黒山_爺杉

世界に誇る庄内の文化遺産『羽黒山五重塔』と爺杉

――なぜ2つの会社を?

danoとmokkeを分けた理由は、会社として経済的にまわすことも必要だけれど、経済やお金とは違う軸で世の中に提供すべき大事なこともあるんじゃないかと思ったから。それを一つの会社で同時にやろうとすると、今の僕ではうまくできない気がしたので、あえて分けることにしました。

今の視点で見れば、お金やエネルギーが循環することが持続可能な社会ということになるのかもしれないけど、100年後の世の中の仕組みや価値観がどうなっているのかはわからないし、もしかしたら価値をお金以外のもので換算する世界になっているかもしれない。

danoは現代の価値観の中でお金を循環させる仕事で、mokkeは未来の新しい価値観の中で豊かさを循環させる仕事という感じですかね。

2.地元_酒田よくいく浜辺2

――そもそも起業しようと思ったきっかけは?

地元(庄内)がどんどん寂しくなっていくのが嫌で、だったら自分たちでなんとかしようと。若い子たちが僕らを見て「早く大人になって一緒に何かしたい」と思ってもらえるように、10年後は今よりも関わっている人が多くて、どんどん楽しくなっていく地域にしたいなと思ったんですよね。

僕にとって『仲間』というのは人生を楽しくする大事なキーワード。想いを次の世代につないでいくためには、仲間が必要だし、隣に仲間がいて一緒にチャレンジできるというのが僕にとっての楽しいことなので、そういうことができる地域にしていきたいですね。

4.竜次との写真(2018年11月) (1)

――地元に対する強い想いを感じます。

小学校6年生のときに平成の大合併があって、自分が住んでいた朝日村が鶴岡市に合併して村がなくなったんですよ。そのときに、「地域ってこういうふうになくなっていくんだ」ということを感じて…。当時はまだ小学生だったこともあってよくわからなかったけど、成長するにつれて、そのときに起きたことの意味や地域の行く末というのがだんだんわかってきて、自分が生まれ育った地域をもっと大事にしたいと考えるようになりましたね。

2.地元_酒田よくいく浜辺

――それがmokkeとdanoをつくった理由であり、想いの核にあるわけですね。

そうですね。mokkedanoPJT(もっけだのプロジェクト)として『10年後の、仲間をつくる。100年後へ、念い(おもい)をつむぐ。』というコンセプトを掲げていますが、地域に仲間がたくさんいる楽しい未来をつくっていきたいという想いと、もう一つは、ふるさと(庄内)の価値を表現できるようになりたいという想いがあります。

東京にいた頃、友人に自分が生まれ育った地域の価値をうまく説明できないのがすごく悔しかったんですよ。だから、庄内には未来に残すべき大きな価値があるということを証明したいし、田舎に生まれたから言えることや、田舎だからこその価値を、「好きだから。」という感情とは別の部分でも説明できるようになりたい。

未来の人たちに「庄内があって良かった」と思ってもらえるように、先人たちが大事に紡いできた文化や想いを100年後にもつないでいきたいと思っています。

 ――地域の未来をこんなに真剣に考えている若者がいるなんて頼もしいですね!!これからの庄内が楽しみです。
仕事も人生も楽しんでね、ミライさん☆
ヤマガタ未来ラボは、山形のミライさんを応援しています。

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