今回のやまがたで働く人

白田孝人さん

NPO法人 エコプロ代表

白田孝人

966年西川町沼山生まれ。NPO法人エコプロ代表。2児の父。2002年より、西川町弓張平在住。自宅は事務所を兼ねている。 高校卒業後、東京の大学に進学。大学卒業後、東京で2年、実家にUターンして約5年のサラリーマン生活を送る。 1995年、サラリーマン生活にピリオドを打ち、山形県立自然博物園のスタッフとして働き始める。2年後の1997年には、スタッフとして働く傍ら、自然体験を提供するツアー企画を個人で打ち出し、集客を始める。2002年には組織化しNPO法人として活動を始め、2008年より博物園の管理・運営を県より受託。今に至る。

 

偶然の巡り合わせ

あれは10歳くらいの頃だったかな。冬が始まろうとする10月の終わり頃、ここ弓張平で見た真っ青な空と、初雪の積もった真っ白い山。当時の僕に強烈なインパクトを与えたその映像は、30数年の月日が経った今でも僕の脳裏にくっきりと焼きついています。

折にふれて、その映像はフラッシュバックしてきていたんですけどね。自分がその場所に家を建てて暮らしているという未来までは想像しなかったです。 あとは、学生時代。仲間としょっちゅう旅行していた先は、いわゆるリゾート地。意識してなのか無意識なのか、旅行先は全部山だったんですね、海ではなくて。だから何というか、不思議ですよね。

 

学生時代からあった、漠とした思い

まだ将来の夢がなかった高校生の僕が、つぶしが効くからという理由で選んだ道は、東京の大学の経済学部への進学。そんな気持ちで入った大学での4年間は無為に過ごしてしまったなという思いはありますね。大学卒業後は、東京で約2年間、実家に戻って約5年間の一般企業でのサラリーマン生活を送りました。 実家に帰ったのは、「長男だから帰らないといけない」という思いが心のどこかにあったからなんでしょうね。小さい頃からそういう風に言われて育ってきていましたし。いずれにせよ、それぞれの場面においての選択が自分の意志に基づいたものでなかったことは確かですね。

一方で、学生時代からもやもやと胸中にあったのは「一般的なサラリーマン生活ではなくて、やりたいことを仕事にしたい」という思い。山に囲まれた自然豊かな環境で育ったからこそ、自然と関わる仕事をしたいという漠然とした思いはあったんですよね。だけど、当時は自然と関わりながら生活の糧を得ていくための具体的な方法が思い浮かばなくて。

 

独立への足がかり

そんなもやもやを吹っ切ったのは、1995年。「自分で何かをやりながら収入を確保して、いずれは独立しよう」と、のべ約7年間のサラリーマン生活にきっぱりと別れを告げました。

もちろん辞めてすぐに何かをやって稼いでいくのは無理だから、紹介してもらった自然博物園のスタッフとしての仕事を始めました。でも、そこは半年間だけの雇用だったし、それだけでは食っていけない。だから、1年間を通して自然と関わりながら生活できるような方法を編み出そうとは思っていたんですね。

だけど、周りはみんな言うんです。「自然の中で、身一つで仕事をしていくことはできない。自然と関わる仕事をするなら、雇われてサラリーをもらってやるのが一番だ」って。確かに的を得たアドバイスだったと思います。でも、独立したいという思いが強かったから、自然博物園のスタッフとして働いていた期間は独立までの準備期間として充てさせてもらいました。

そして1997年。勤めと並行して、参加者に自然体験を提供する企画ものを打ち出して、お客さんを集め始めました。全国紙の新聞社に記事掲載の依頼文書を送っていたら、始めて半年過ぎたくらいの時に、運良く朝日新聞社が取り上げてくれたんですよ。それで、20人くらい関東の方からお客さんが来てくれて。それまでは、さっぱりでしたけどね。ひと冬で3回した企画を全部取り上げてもらったから、合計で100人くらいのお客さんが来てくれたんですよ。そしてリピーターになってくれたその人たちが、2泊3日のツアーを年間で8回行うプログラムに、四季を通して来てくれるようになって。最初の3年くらいはそうやって回していましたね。

 

「環境教育」への挑戦

プログラムを始めた当初、1997年。銘打った宣伝文句は、「環境教育」。だけど、その言葉に内容が追いついてなかったところはありましたね、正直なところ。背伸びして使っていたというか、目標だったというか。ようやくこの言葉を堂々と使えるようになったのは始めて10年くらい、自然博物園の事業を受託するようになったあたりの時こと。(博物園の受託は、エコプロにとって一つの大きな節目。組織を発展させていくためには必要なステップでしたね。)それまでは使うことが恥ずかしかったですね。仕事として確立する上では、対外的に大義名分が必要だったっていうのもありますけど。

「自然と人とをつなぐ仕事をしたい」と漠然とした思いで始めていた当初、何か周りに訴えかけていくものは必要だったんです。それで、自分が何を伝えていきたいんだろうって考えているうちに、「自然体験を通して少しでもライフスタイルを変えてみませんか、自然に触れる生活をしていきませんか」そういう投げかけが自分の軸というか、最も伝えたいことなんだと気づいたんですよ。

でも、その自分の言葉が説得力を持つためには、自分自身の生活自体を変える、つまりできるだけシンプルな生活に近づけていくことが必要だな、と。だから、より現場(月山)に近いところで暮らそうと、生活する場所としてここ(弓張平)を選んで家を建てて、2002年からここで暮らしています。現実に暮らしていくのは大変ですけどね。4メートル近く雪が積もる冬は特に。一方で、春が来たときの喜びは大きいし、その待ち遠しさといったらないですね。やっぱり、春夏秋冬、それぞれの自己主張が強い四季の移ろいの中で感じる季節感や出逢う風景はすごくいい。その現実の大変さと、感覚的な喜びのバランスが大事ですかね、ここで暮らしていくには。

そうして、目指していたものが少しずつ形になってゆく中で、そろそろ「環境教育」という言葉を使ってもいいかなという感覚になってきたんですよね。

 

「2泊3日」へのこだわり

「2泊3日のツアーを年間で8回行うプログラム」のこの“2泊3日”っていうのは、こだわっていたところなんですよ。長時間人と自然と接することができる企画をやりたかったから、2泊3日っていうのは最低条件だった。参加者同士、参加者と主催者の間で心の交流ができて、信頼関係を結べるんですよね、時間をかけてやると。ツアーの最終日にみんなで振り返って話し合う場(ワークショップのようなもの)を設けてやったりもしていましたね。

最初の3年間っていうのは、個人の趣味の延長のような形でやっていて採算を考えなくて良かったから、そんな自分のこだわりを貫くことができた。だけど、法人化して採算を考えると、お客さんが集まりやすい日帰りのツアーなんかも組む必要が出てきて、こだわりを貫くことは難しくなってしまう。今抱えているのは、そんなジレンマです。

やっぱりストーリーがありますから、2泊3日のツアーには。その中で、参加者の方々に色々感じ取ってもらえるように導くのがこちらの仕事です。伝える必要はあるんだけれど、答えを直接的に伝えたり、変なテクニックや小細工を使ったりして伝えるのは違うと思うし、そうならないように相手に伝えるのが難しいんですよね。実際のところ、2泊3日でも早急すぎるから、それを何回もやって何年か後に理解してもらえればいいかな、という思いでやっていましたけど。

何にしても、この2泊3日を貫いた3年間は、エコプロの土台になっていますね。

 

僕たちの役割

2002年に法人化したエコプロでいま提供している自然体験プログラムにおいて目指していることは、参加者の方が自然に触れ、親しむという行為を通して何か持ち帰ってもらうこと。自然に触れて、森の仕組みや役割・自然の大切さをまず理解してもらうこと。問題解決のステップまで到達するのは難しいけれど、その基礎となる部分を伝えていくことが必要だし、僕たちはそういう役割を担っているんだと思っています。

 

自分の生き方を通して伝えたかったこと

周りからはよく言われましたけどね。 「そんなことをしても食っていけないから、まともに就職しろ」と。でも、仕事も回ってきていたし手応えはそれなりにあった。それ相応の覚悟をして飛び込んだつもりでもありましたし。
だから独立してすぐの頃は、自分のやりたいことをして生活していくこと、自分の思い描いていた理想が実現していくこと自体に満足するという時期はありましたね。「反対は受けるけれど、自分のような生き方も選択肢としてアリなんじゃないか。田舎で暮らすことの面白さに気づいて、新しい生き方やライフスタイルを作っていける人はもっといるんじゃないか。そういう価値観を持つ人たちが増えれば、日本のライフスタイルも少しずつ変わっていくんじゃないか、過疎が進行している西川町のような場所でも生活していける方法があるんじゃないか。」自分の生き方を通して、そんなことを周りに伝えたかったのかもしれません。

 

僕たちのこれから

今、自分自身やエコプロの最終的な姿は探っている段階です。「自然に触れる生き方をどうやってアピールしていくか。その手段としてどういう方法を用いれば良いか。」 悩んでいるのはそこです。

切り口は色々あっていいと思うんです。ただ、どういう形でやるにせよ、行為を楽しむだけで終わりたくはない。目指すのは、その先にある自然に対する思いや考え方を持ち帰ってもらうこと。

結局のところ同じなんですよね、僕たちの伝えていきたいことは。

 

編集後記

心地よい距離感の下、さりげなく色んなことを伝えてくれる白田さんのガイドは僕に、内面に向かう時間をくれた。

「環境教育」。その洗練された言葉の響きは、言葉の本質を覆い隠してしまう。言葉は、難しい。

 

Profile

白田孝人さん

出身 西川町
生年月日 1966年
URL http://www.ne.jp/asahi/gassan/ecopro/

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この記事を書いた人

中道 達也

1987年生。高校卒業後、大学進学のため東京へ。大学時代、勉強をやる意義を全く見いだせず、留年。大学生活5年目の秋、旅をしたアジア(インドネ...

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