2015.07.03追記 ぱん処げたやさんは移転されました。こちら

今回ご紹介するのは、真室川町駅近くの商店街で、家族で「ぱん処げたや」というパン屋さんを営む
佐藤友紀(ゆき)さんです。

お洒落な手ぬぐいで髪を包み、いつも柔らかい笑顔が印象的な2児のお母さん。

お店に入ると正面のショーケースにパンが並んでいます。個性的なパンの名前に惹かれていろいろ質問すると、こだわりの素材や味を丁寧に説明してくれます。最近はイベントにも夫婦で積極的に参加しほぼ午前中のうちに売り切れの人気ぶりです。

「”ぱん処げたや” 名前の由来」

みんな気になるところの”げたや”という名前の由来。お店に入るとすぐにわかります。ここは「佐藤はきもの店」。まさに”下駄屋”さんなんですね。 この場所は友紀さんのご実家。


お店のレジは一つ。店頭に立つ友紀さんとお母さんはパンも履物も販売します。

ひいおばあちゃんの代から続く履物店なのだそうです。時代の流れで着物が洋服になり下駄を履く人もめっきり減ってしまったけれど、「あなただから買う」と言ってくれるお客さんのためにお店を続けているのです。
履物の方のお話も歴史があっておもしろかったですよ。 お店に行かれる方はぜひ聞いてみてください。

パン屋の方はそろそろ開店2周年。開店当初は「げたやがパンを焼き始めたみたいだぞ」と地元の人たちも興味津々だったとか。”げたや”は屋号。

筆者の地元にもありますが屋号は田舎でいう「家のあだ名」みたいなもの。当時は家業はほぼ世襲制ですので、職業の名前だったりお店の名前だったりします。強烈な人物がいたりすると、その人の名前が代々受け継がれたりします(笑)。

小さな町ではみんなが顔見知りで家というものの意味は大きいですから、お店の名前が「げたや」になるのは自然なことだったのだな、と妙に納得。

友紀さんにとって真室川の商店街は小さな頃からの遊び場ですから、町のことを聞いてみるのもおもしろいですよ。

 

「パン屋を始めるきっかけ」

友紀さん、意外にも社会人になってからはずっと県外で働いていました。

旦那さまとはその時期に出会い、結婚。お二人ともずっと調理関係の職に就いており、なるほどパンにも精通しているわけです。

ご実家に戻ってこられたのは当時、お父さんの体調不良が理由だったとのこと。長女りこちゃんも産まれて少し経ったころ。家族で真室川町に移り住む決意を固めたそうです。

おりしも町の人口が1万人を切ろうかというところ。どんな村や町も商店街から人が離れ多くの人が悩んでいた時期。

”戻って何が出来る?”を話し合って、”とにかく自分達がやれることをやるしかない!”と、すぐに準備を始め、ぱん処げたやがオープンします。

とくに宣伝はしなかったとのことですが口コミでお客さんは少しずつ増えます。 次女のえなちゃんも産まれ、子育てに追われながらお店に立つ日々だそうです。

「旦那さまの存在」

友紀さんの話を聞いていると、本日のパンを焼き終わった旦那さま(一也さん)がえなちゃんと外で遊ぶ姿が見えました。

家族でパン屋さんを営む佐藤家ですが、パン作りの全工程はなんと一也さん一人でするのだそうです。

ずっと調理に携わってきた友紀さんでさえ作業をしているときには手を出せないほど全ての段取りがよいとか!(作業しているところ、見てみたくなりますね)午後には全ての片付けも終わり、 子供たちと遊び、ときには家事もこなし、土日はイベントにも出るスーパーお父さん。話を聞いていると、友紀さん、一也さんを相当尊敬してます!

妥協のないパンと、手作り感溢れる雰囲気は、この夫婦だから絶妙なのでしょうね。店内のレイアウトも夫婦の共同作業。手作りが得意な友紀さんの工夫もあちこちに見られます。

 

「子育てについて」

佐藤家にはかわいい娘さんが二人。次女のえなちゃんはいつも家にいて、長女のりこちゃんは幼稚園に通っています。このときりこちゃんはショーケースを拭くお手伝い。食品を扱う場所だから、と両親が目を光らせているのを子供達もちゃんと理解しているんですね。

両親がいつもそばにいて働く姿を見ることができると、何かを教えられるでもなく子供が自分でいろいろ感じたり
学んだりできるので、子育てには最高の環境だなと筆者は思います。

パンは日々、新しい商品を提案中。

みなさんも”ぱん処げたや”、ぜひ訪れてみてください。

Profile

佐藤友紀さん

出身 山形県真室川町
生年月日 1977年8月9日
URL http://www.facebook.com/yuki.satou.73

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