魅力溢れるお店や事務所が集まっている山形市七日町“とんがりビル”。

その3階の一室にロルフィング®️とA-Yogaのスタジオ『ロルフィングハウスフェスタ』があります。

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ロルフィングとは、身体の歪みの原因となる筋膜に徒手でアプローチし、重力によって崩れた身体のバランスを整える、アメリカの生化学者アイダ・ロルフ博士によって開発されたボディワークのこと。

 

日本でロルフィングの資格を持っている人は約120人。

東北にわずか3人しかいないロルファー™️の中のひとり、大友勇太さんは山形で唯一のロルファーです。

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蔵王の山並に心を惹かれ、4年前奥さんの地元である山形市へJターンしました。

 

「ロルフィングでは、治療という言葉の代わりに、セッションという言葉が多く使われます。音楽のJAZZなどでは、楽譜なしにその場の雰囲気に合わせ即興で演奏することを『セッション(掛け合い)する』という風に言ったりしますが、ロルフィングでもその時その時の身体の声を聞きながら、それに合わせていくことを大切にしています。

施術自体は痛くなく、指先を使ってすーっと奥の方に深くはいっていくタッチもあれば、手のひらを使って優しく触れるだけのセッションもあります。身体と対話しながらその人その人に合ったセッションを行っています」。

日本ではまだまだ知られていない『ロルフィング』を、山形から発信している大友さんに、山形での働き方について話を聞いてきました。

 

プロフィール

大友勇太さん

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1984年生まれ。秋田県大仙市(旧大曲市)出身。中京大学体育学部卒業後、神戸市の整形外科でトレーナーとして3年勤務。2010年アメリカへ渡りロルフィングを学び始め、翌年ブラジルでロルファーの認定資格を取得。帰国後2012年神戸市にて『ロルフィングハウスフェスタ』を開業。4年前に奥さんの地元である山形市へ移住する。

 

 

勘違いから始まった大学生活でトレーナーを目指す

根っからの野球少年だった勇太さん。高校のときに肘のケガに見舞われ、選手として野球を続けることを断念。選手が無理ならトレーナーとして野球に携わっていきたいという思いから、トレーナーを目指します。

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「トレーナーの勉強をしたくて筑波大学を受験しました。高校は進学校でもあったので、かなり自信があったのですが、まさかの受験失敗で落ちてしまいました。そして、たまたまその時期に、センター試験の結果を郵送するだけで応募できた中京大学に滑り込みで受かりました。

 

実は、中京大学が東京にある大学だと勘違いしていて、合格通知が実家に届いた時に、そこでようやく大学のことをきちんと調べたら、愛知県にある大学ということを初めて知りました(笑)しかも、 体育の先生になりたい人が集まる大学なので、トレーナーになるカリキュラムは一切ありませんでした

 

そんな勘違いから始まった大学生活でしたが、トレーナーを目指す人が集まったサークルに入り、自分の進むべき道を模索することになります。

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「最初はトレーナーの花形でもある、ケガのリハビリやケアをする治療系のトレーナーを目指したのですが、世の中には自分より手先が器用な人が大勢いることに気づくことになります。目指すなら1番と思っていたので、今度はトレーニング系のトレーナーを目指しました。そこでも、同じようなトレーニングをしても人によっては筋肉の付き方が2倍3倍と違うことに気づきます。ここでは勝負にならないと思い、行き着いたのが、選手の動きを見て指導するタイプのトレーナーでした」

 

選手のトレーニングプログラムを考えて、量よりも質を大切にして、トレーニングの動きの精度を高めていきます。トレーニングによって筋肉を大きくするのではなく、動き自体を洗練させていくタイプのトレーナーでした。これなら勝負できるという分野をようやく見つけ、自分が目指すトレーナーの道を進み始めます。

 

 

人生を変えたロルフィングとの出会い

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大学時代にヨガやピラティスの資格も取り、メジャーリーグの“ワシントンナショナルズ”というチームのマイナーリーグでインターンも経験しました。大学卒業後は、兵庫県神戸市にあるスポーツ整形外科に就職。常勤のトレーナーとして朝から晩まで忙しく働いていた頃。

 

「老若男女さまざまな患者さんを見ていくうちに、身体の奥深さをもっと追求していくには、動作を見極める目を向上させるだけでは不十分だなと感じるようになりました。そこで、初めて手技を学びたいと思ったのです。だけど、それまで手技の勉強はしてきませんでした。
そんなとき、アメリカのアメフトチームで専属トレーナーを務めている有名な方が日本でセミナーをするというので参加する機会がありました。セミナー後にその人と話したときに、『日本に帰ってきてロルフィングをやるんだよ』と教えてくれました。ロルフィングを初めて聞いたときには、みなさんと同じようにロルフィングって何? と思いました」

 

ロルフィングに興味を持ち、早速セッションを受けに行った勇太さん。セッション後の自分自身の身体の変化に驚き、「これは学びたい!」と直感して、半年後には仕事を辞めてアメリカのロルフィングの学校へ通い始めていました。

 

「ロルフィングの学校で資格を取得するには、ユニット1・2・3とあって、それぞれが6~10週間程度の長さです。ロルフィングを学べる場所は世界各地にあって、自分の好きな場所で学ぶことができます。本部はアメリカのコロラド州ボルダーにあって、あまり知られていませんが山形市の姉妹都市なのです。ぼくは、ユニット1・2はアメリカのボルダーで学び、ユニット3はブラジルで学びました」

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ロハス発祥の地でもあるボルダーは、健康意識が高い人たちが住む街。そんなボルダーの住民に受け入れられているのがロルフィングなのです。

 

アメリカで東日本大震災を経験、腕を磨いて東北へ帰ることを決意

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渡米した翌年2011年、東日本大震災をアメリカで経験した大友さん。ロルフィングの資格取得後はアメリカで働きたいと思っていた矢先の震災でした。

 

「自分が生まれ育った東北があんなことになって、喪失感と自分は海外で何をしてるんだろう? と自分のアイデンティティを揺るがされる出来事でした。そこで気づきました。自分にとって大切なところだったんだなと、東北が。

 

日本から遠く離れた地、アメリカで震災の情報を目にし、見栄を張っていた自分に気づかされたというか、そこで日本に帰って開業しよう、そしていつかは東北の地に帰ろうと思いました」

 

ブラジルに渡りユニット3を終え、2011年11月に帰国。同じA-Yogaの資格を持っていた奥さんの亮子さんと結婚し、翌年1月、神戸市岡本で、勇太さんがロルフィング、亮子さんがA-Yogaを提供する『ロルフィングハウスフェスタ』を開業しました。

 

「ロルファーとしてまだまだ駆け出しで、正直、保守的な土地柄の東北で、ロルフィングをするといって開業しても見向きもしてもらえないだろうと思いました。他にも東京も候補に考えましたが、東京にはロルファーがたくさんいましたし、一から新規開拓するのは大変です。
その点、神戸にいるロルファーはその当時1人だけで、3年間整形外科で働いていて知り合いもたくさんいましたし、新しいものを受け入れてもらいやすい文化がある。開業するなら神戸しかないと思いました」

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それから3年、ロルファーとしての腕も付いてきた頃。子どもは東北で育てたいという夫婦共通の意見があったことから、亮子さんの出産を機に奥さんの地元山形市へ活動拠点を移しました。

 

 

「山形でやっていくにはどうすればいいか」を模索

「まだまだロルフィングは知られていないのが現状です。山形ではロルフィングのことを説明しようとしても、聞き慣れないロルフィングという言葉と、保険診療ではないということで、多くの人が興味のシャッターを早々に下ろしてしまいます。

それでも、これからの時代はお医者さんに頼りっきり、任せっきりの「受け身」で健康になるのではなく、『自分で考えて、自分で行動して、自分で健康になる』という人が多くなってくると考えていて、そういう人たちのお手伝いができればと思っています」

山形に来て、地方で新しいことを受け入れてもらう難しさを感じることに。ロルフィングを広めたいと思う反面、安売りしたり偏った知識で広めたりしたくないというもどかしさも感じています。

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「知名度がないものを地方でやるのはなかなか壁が高いと思っています。それでも、その壁を低く感じさせてくれたり、その壁に扉を開けてくれるのがデザインの力かなと思ったのです。デザイナーさんなどのクリエイティブな人たちとつながることで、そこからさまざまな可能性が広がっていく。

 

分かりづらいモノでもデザインの力が働くと、すっと入ってきやすくなると思います。HP制作をお願いした山形市のデザイン事務所akaoniさんの代表が、とんがりビルの立ち上げメンバーだったこともあり、声をかけてもらったのがきっかけでとんがりビルに入って、そこでロルフィングをしていくことにしました」

 

話すことが大好きな大友さんは、人と話すことでコミュニティーの場を広げ、人と人とのつながりも大事にしています。まだまだ山形だけでやっていくのは難しいこともあり、東京や神戸へ出張することも。「山形ではやっていけない」ではなく「山形でやっていくにはどうすればいいか」を模索しています。

 

 

自分の『好き』があればどんな場所でも楽しく暮らせる

「山形に来た理由はさまざまありますが、そのひとつに、蔵王の山に惹かれたというのがあります。生まれ育った秋田も山に囲まれていましたし、ロルフィングを学んだボルダーにもフラットアイロンという山がありました。山を見ると自然と落ち着きます。

 

山形には、自然もあるし、ご飯も美味しいです。美味しいパン、美味しいコーヒーもあります。ぼくの中で、これさえあれば幸せに暮らしていけるというものが山形には揃っています。 自分の本当に好きなものを知っていて、それがその場所にがあれば、山形という地方でも何も不足なく楽しく暮らしていけると思います。

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ぼくは人生の中で、ロルフィング(仕事)と先に結婚したと思っています。それがあるから、自分を支えてくれる、自分に必要な奥さんにも出会うことができたし、どんなに時間がかかっても山形でロルフィングを続けていこうと思えます。自分が何をしたいのかまだ分からない人、自分磨きをしたい人なら都会の方がたくさん仕事やチャンスはあると思いますし、山形に来てもすぐに飽きてしまうかもしれません。
ぼくの場合、時間がかかりましたが、トレーナーとしていろいろな人たちと関わらせてもらって、ロルフィングの勉強でいろいろな国、場所に行くことができたので、自分が何が本当に好きで、それ以外はなくても不自由しないと気づくことができました。自分の好きなことに気づけたので、山形でとても楽しく幸せに生活しています

 

山形で暮らしていくには、何年たっても変わらない自分の『好き』に気づくこと。それは、趣味でも仕事でも同じだと言います。「山形には何もない」から「好きなものがここにはある」と思えるためにも、自分の中の「好き」を見つけることが、山形で楽しく暮らせるキーワードになるのかもしれません。

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キャリアデザイン的 編集後記

『期待していた通りの出来事(合格・結婚・子供など)が起こる』ことがあれば、『予測していなかった出来事(病気・事故・離婚)が起こってしまった』り、『期待していたことが起こらないことがある(受験失敗・失恋など)』のも人生。

これらは、『転機』と呼ばれます。

大友さんの転機は、「大学入学時(期待していた勉強が出来なかった)」「大学卒後ロルフィングとの出会い(予測していなかった出来事)」「震災(予期しない出来事)」と、大きな転機は3つありそうですが、彼は変化を客観的に捉え、自分自身ができることをよく考えて、周囲の手助けを得ながら、一歩ずつ進もうとしていらっしゃるように見受けられました。

 

転機(予期したもの、予期しなかったもの)が起きた時には、4つのS(situation/状況、self/自己、support/支援、strategy/戦略)を検討することによって、上手に乗り切っていくことができるという理論がキャリアカウンセリングにはあります。

皆さんもぜひ活用してみてください(詳細・具体的な方法はこちら)。(キャリアコンサルタント佐藤大輔@キャリアカウンセリングサービスも受け付けてます

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「自分の好きを見つける・はっきりさせたところで、それで私の仕事人生がどう良くなるの?」と思う方もいるかもしれませんね。「好きを仕事になんて甘いこと言ってるんじゃないよ」なんて言葉も聞こえて来そうです。でも、果たして本当にそうでしょうか?高度成長期は、自分を殺して我慢してもそれに見合う”お返し”が手に入りましたが、今やもうありません。

他人・世間がよしとする評価の中で生き抜くのがしんどいのであれば、自分が満足する環境を自ら作っていかなければなりません。

そこでこちらをオススメします。

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会社を辞めずに業務の中でもいいし、プライベートな時間で副業・パラレルキャリアでも趣味でもいいから、まずは好きなことからやってみては?(参考記事:【会社員+αで活動する】副業・パラレルキャリアのチャンスとリスク山形県でパラレルキャリアしている人の記事

山形で楽しくやっていける状態に近づけるかもしれません。(田中麻衣子・ヤマガタ未来ラボ編集長)

 

ロルフィングハウスフェスタ(HP)

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三浦麻耶

ライター情報

三浦 麻耶

1986年福島県生まれ。カナダ、宮城、長野と放浪生活の後、東日本大震災を機に山形へ。縁あって2014年からライターの仕事を始める。知って「伝える...