今回のやまがたで働く人

大江健さん

coohem(コーヘン)ディレクター、米富繊維株式会社取締役商品部長

 

2010年4月からスタートし、4シーズン目を迎えたニットブランド「coohem」。一番最初は数社だった取引先が一気に広がったきっかけ。それは4行しか書いてない英語のエントリーシート。

 

 「本当にこのままでいいのか?」

銀座三越が直接運営するセレクトショップ。言わずと知れた東京屈指の高級な街の百貨店で、山形でデザインされ、職人の手によって創られたニットが販売されている。ブランド名は、coohem(コーヘン)。

そのブランドがそこにある理由。それは、有名ブランドにニット素材を提案し続けてきた技術力と、自社ブランドへの夢、そして、ブランドディレクターの初めてづくしの挑戦。

自らに問いかけ、そして行動する。それを世の中では、「ターニングポイント」と呼ぶのかもしれない。
専門学校でマーケティングやデザインを学んだ後、大手アパレルブランドの吉祥寺の路面でメンズのスーツを販売していた大江氏。販売員として5年半働いた頃、それはやってきた。

「販売員としての仕事に、特に不満があったわけではないんですよね。それなりに仕事は楽しかったし。当時働いていた店の店頭に、実家で作ってるOEMの製品が並んだりすることがたまにあったんですけど、それを出張で東京にやってきた父親が、製品を手に取りながら「これは俺が作ったものだ」とか言うんですね。ちょうどその頃、30歳になって、娘が生まれたんですけど、なんとなく、俺ずっとこの仕事やってくのかなー?って思うようになって。本当にこのままでいいのかな、と。」

考えた結果、父親が経営するニットメーカー米富繊維株式会社に入社する。

 

あと半分仕上げれば、自社ブランド

江戸時代から繊維産業が盛んだった山辺町。現在も県内のシェア4割を占めている。
今年60周年を迎える米富繊維株式会社は、レディースのニット製品を中心に有名ブランドを数多く手掛けている。大江氏は、そんな「山辺ニット」を家業とする家に生まれた。と、聞くと”物心ついた頃から、ニットに触れ、製品を作る機械の音が子守唄代わりでした”というようなフレーズがすんなりと出てくるのをイメージするのだが…

「それが、小さい時から工場に行ったことがなかったんですよ。そうゆう教育方針だったんでしょうね。だから、「ものづくり」というものが初めて触れた感じでしたね。それに加えて、同じアパレルでもレディースも初ですよ。入社して2年半は、OEM製品(※)の企画営業として働いてました。ただ、昔から「自社ブランドの立ち上げ」というのは社長が言い続けてきたことで、私も入社時から自社ブランドの事業化の構想はありました。」

OEM…ある会社の商品の製作・製造依頼されたモノ をその会社に変わって作る事

ー自社ブランドで勝負しようと思ったポイントは何だったのでしょうか?

「当社は、ブランドのOEM製品を作るのが本業なわけですが、そのOEM製品の生産というのは、ただ各ブランドに言われた通りに製品を作る、という生産スタイルじゃないんですね。自分のとこでニットのテキスタイル(編地)を、沢山の柄・パターンを作り、ブランドに提案するというスタイル。30年前から、「編地研究室」というニットのテキスタイルを開発する専属の人間がいるんです。それに、当時からの過去のテキスタイルの資料もある。そうやって、日々トレンドを分析して、編地を開発して、仕上げの手前の状態まで製品を作ってきたわけです。何十年も。じゃ、あと残り半分のボタンをつける等の仕上げ作業をやれば、自社ブランドが出来るじゃないかと」

ーなるほど、技術やノウハウは社内に蓄積されている。
自社ブランド立ち上げへの道は、明るそうであるが。

「でも、ブランドを作るのに、人がいなかったんですよね。まずデザイナーがいなかった。新規事業でイチから全部作りだす作業だから、まっさらな人材をということで、新卒を採用することになりました。採用基準は「洋服が好きな子を採用しよう」ということ。好きは、モチベーションの源泉になりますからね。東京の服飾専門学校に求人を出して、結局、2人の女性が来てくれることになりました。有名ブランドを展開する大手企業も受けていたらしいんですけど。厳しい就職環境というのも背景にありますが、横浜や埼玉出身の子が、山形の田舎に来てくれたっていうのは本当にありがたいことです。それでも、ブランドが育つのに必要なプレスとか、そうゆう人たちを採用するのも難しいので、自社ブランドチームを作って、1人何役もこなしてします」

 

そして、自社ブランド「Coohem」が立ち上がる。

「Coohem」とは、ニットの世界で云う「交編」に由来する造語。交編とは、素材や色の異なる糸を用いて織物のように仕上げる技術。写真のように、異なる色や素材を組み合わせることで、オリジナルでデザイン性の高いニットが出来る。
糸の選定から色、柄の組み合わせが全てオリジナルで開発され、素材の企画開発から商品の生産まで自社工場で作られている。特徴は、ファンシーな柄や鮮やかなカラーリング。

 

 

「よさそうなことは、全部やってみる」

「業界全体で見ても、この交編技術を使って、製品を作るのは珍しいです。真似しようと思っても、機械の使い方とか、作る上での工夫するポイントのノウハウがないと同じように作るのは難しい。それにまず、やりたがらないと思う。異素材との組み合わせは、すごく大変ですから。組み合わせ考えるのも、ひと苦労。機械がいう事を聞いてくれない、なんてしょっちゅうある。僕も、職人さんたちに、無理難題を言って、よく怒られる(笑)でも、ニット工場だから、セーターだけ作れって誰も言ってませんし、春夏はヒマだからしょうがないって開き直っちゃダメだと思うんですよ。」

ーカタログには、セーターの他にも、ノーカラーのジャケットやショートパンツなども並ぶ。自社ブランドcoohemのスタートはどうだったのか。

「まず、カタログを作りました。僕は何もわからなかったんですけど、知り合いとかに作った方がいいと強く言われまして。で、それと一緒に展示会をお知らせするDMを送付しました。DMを発送しても、展示会に来てくれるのは1割位しかいません。数日間開催してる間に、1人も来ない日とかもありました。あとは、地道に営業活動。営業経験もなかったんですけど、地方の専門店(山形で言うと七日町の虹の街みたいなところ)にアポ取って、実際に商談に行って。一番最初は、卸先が数社からのスタートでしたね。やってよさそうなことは、いろいろと全部やってみてるといった感じです。この前は、Coohemの素材で試しにクッションカバーを作ってみたんですよ。職人さんには「そんなの絶対売れない」って散々言われましたけど(笑)でも、展示会に出してみたら、それを手に取ったままジーーーーっと見てる人がいて。ずっと持ったまま立ってるんです。で、話を伺ったら都内では結構有名なインテリアショップのバイヤーの方。試しで作ったものが、そのお店の商品としていきなり決まりました。」

初めてのものづくり。しかも、新規事業。いきなり自社ブランド。未経験のレディース分野。 1年後、転機が訪れる。

 

「英語は、あいさつ程度しか出来ません」

「業界新聞の企画で、パリで展示会を行うブランドを紙面で募集していていました。英語でエントリーシートを書いて送るのが応募条件だったんですけど、僕、英語なんて挨拶くらいしかできませんよ。エントリーシートも、すごく簡単にしか書いてなかった。4行くらいしか書いてなかった。でも受かりました。幸運なことに。輸出に関してノウハウがあるわけでも全然ないし、行ってどうなるという保証もないし、周囲には、「パリで展示会?」と訝しがる人もいました。だけど、「日本人に注目されるためには、行くしかない!」ってその時は思って、1人で行ったんです。こうゆうのって普通は一人で行かないと思うんですけど。現地で通訳してもらって、ブランドの説明をしました。当然、うちのブランドなんて誰も知らなかったです。」

しかし、日本に帰ってきたら風向きが変わりつつあった。

「パリの展示会に出たら、日本人にも注目されるようになったんです。それ以後、卸先が一気に増えました。結果的にそうなったから良かったですけど、数十万円の渡航費をかけてパリに行って、それ以前と何も変化がなかったら、と思うと、正直ゾッっとしますね(笑)」

今後は、銀座三越での期間限定ショップを展開したり、お客様にトータルライフライフスタイルを提案する自社ブランドを創って行きたいと語る大江氏。逆にこれからの課題を伺うと、「いいモノづくりをするだけでなく、その商品の価値をいかに理解してもらうか」だと語っていた。ブランドが更にファンに愛されるために、大江氏の挑戦が続く。

 

最後に、一歩踏み出したい人へメッセージを。

「固定観念に縛られないで欲しいですね。あと、県外に出ている人は、環境を変え一人で生活し、人にもまれながら外から山形を見たという経験は、山形の変化の原動力になると思います。」

私たちは、経験したことのない事象にぶち当たると、止まってしまう。
どうなるかわからないから。失敗が怖いから。
人間だれしもそうだと思う。行動しない。という選択肢を選ぶことも自由だ。
しかし、誰しもが、「初めて」を経験して成長していくというのも、
これもまた真実。

Profile

大江健さん

出身 山辺町
生年月日 1977年6月15日
URL http://coohem.oc-x.jp/items/

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