全国で注目を集めだした朝日町のりんご

山形県内では「朝日町のりんごがおいしい」という声を良く聞きますが、全国的にはりんごが有名なのは青森県と長野県。

そんな、「山形県内では知られているものの全国的には無名に近い」朝日町のりんごが、全国放送で「山形県朝日町においしいりんごがある」と取り上げられ、注目を集めています。

○ツコさんデラックスなあの方も朝日町りんごを試食、りんご蜜の甘さに驚かれていました。

しかし、初めに触れた通り、全国的に有名なりんご産地は青森県や長野県で、朝日町は全国で出回っているりんごの1%ほどしか生産しておりません。

さくらんぼやラフランスの栽培が目立つ山形県で、「日本一うまい」と言われるりんごを作り続けてきた朝日町。なぜ、りんごづくりなのか、なぜそんなにうまいのか、紐解いていきたいと思います。

120年以上前に始まったりんごづくり

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朝日町のりんごづくりは明治20年、和合地区に住んでいた菅井喜兵衛さんと鈴木庄太郎さんが釜山開墾地(現在の和合平地区付近)にりんご園を設けたのが始まりです。

山形に果樹試験場ができ、東京から技術者を招いて栽培方法の習得に努めましたが、虫の被害が激しく廃園に追い込まれたりと40年あまり悪戦苦闘が続きました。

最初に植えた紅玉の黒点病に加え、他のりんごも異臭がしたり見栄えが悪かったりで儲からず、栽培を諦める人が多い中、大正14年、りんご栽培に長けた菅井勝治郎さんという方が、和合平のりんご園を借り受けりんご作りに情熱を傾けました。

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無袋ふじ発祥の地

勝治郎さんの試行錯誤、必死の手入れの結果、見事なりんごが採れるようになり「初代和合のりんご屋」と言われるまでになりました。

その後昭和40年代には「安定の有袋栽培から、未知の無袋栽培へ」をテーマに、全国で最も早くふじの無袋栽培に取り組む有志63名による無袋ふじ研究会が生まれ、試行錯誤を重ねた結果、朝日町は日本で最初に未知の世界、無謀とも言われた無袋ふじの技術を確立させ、青果市場関係者から「本物のりんごは朝日町にあり」といわしめるようになりました。

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▲現在、朝日町では当たり前のように見られる無袋ふじ

かつて「ふじ」の栽培は袋をかけるのが当たり前でした。しかし1つ1つ袋をかけるのは、手間がかかり過ぎる。袋が外れて育ったりんごを見ていて、無袋栽培もいけそうだと思った生産者たちは剪定や摘果方法など技術的な面を見直し、地道な研究を進め、着々と実行に移しました。

こうしてできた無袋ふじは、糖度が2度ほど上がり酸味も増え、これまでになかった美味しさとなったのです。

 

情熱と美味しさが詰まったりんごは国内外へ

現在、「味にかけては日本一、東京の市場関係者の評価も一致しています」と関係者が口を揃える朝日町りんご。

無袋ふじ栽培や、新品種の栽培など日々進化を遂げ、平成16年からは海外でのブランド確率と輸出による生産者の所得向上を目指し、りんごの海外輸出プロジェクトがスタートしています。

10439▲台湾での朝日町りんごセールスの様子

小さな田舎町が単独で輸出を行うなど夢のような話で、最初は各大使館に手紙を書いたり、フランス大使館に直接りんごを持ち込み輸出をお願いしたりと今となっては笑い話のようなこともありましたが、平成16年、国内の商社を通じ台湾への輸出に成功し、夢の第一歩を踏み出しました。

しかし、海外では青森県のブランドが圧倒的で朝日町のりんごは買い叩かれます。改めて海外でのブランド戦略の必要性を認識した朝日町は、高級百貨店での贈答品の販売を紹介され試験的に輸出を行いました。その結果、こだわり抜いた最高級の品質の朝日町りんごは高い評価を得たのです。

この台湾でのブランド確立を契機に、タイ、シンガポール、香港、フィリピンなど輸出国も拡大され、品種もふじだけでなく、シナノスイート、王林、 シナノゴールドさらにはラフランスまで輸出するようになりました。

B3u1PIKCIAA2Qco.jpg large▲特に海外で高い評価を得た蜜入りりんご

朝日町のりんごづくりのいま

そんな朝日町りんごの歴史を120年間見守ってきたりんごの木(紅玉)は今でも、勝治郎さんのお孫さん、三代目園主の菅井敏一さんのりんご畑で沢山の実をつけています。

11441▲町のりんごの歴史を見守ってきた紅玉の古木

朝日町りんごの美味しさの秘密

この道40年以上、三代目園主菅井敏一さんは言います。

「ここはかつて白鷹山が噴火した時の火山灰が降り積もった土地で、それによって強い酸性土壌になっている。また朝日町は独特の五百川峡谷の地形により平野部に比べて寒暖の差が大きく、水はけも良いので、気候条件が良く、おいしいりんごができるんだよ。」

11427▲5月頃、りんごの花摘みを行っていた菅井さん、この段階で既に実の選別が始まっています。

りんごの味(甘味・酸味)、土壌づくり、剪定方法、雪対策などを科学的に分析され、更にりんご道を極める菅井さんや朝日町のりんご農家の方々。ここに2013年から新たにりんごづくりの仲間に加わった青年がいます。

「りんご栽培がしたい」と移住する若者も

「世界一のりんごづくりをしたい」という意欲を持って朝日町に移住した若者がいます。朝日町八ツ沼地区でりんごづくりに取り組む古田晋さんは、2011年4月、9年勤めた埼玉県庁を退職し、山形へ移住しました。

「元々木が好きだったので木と一緒に暮らしたかった。木とともに暮らしながら生活していける仕事を考えた時に、果樹農家を思いつきました。りんごを選んだの理由は、単純にりんごが好きだったから。」と古田さんは振り返ります。

古田さんは、退職前に参加した就農相談会で、新農業人ネットワーク山形の会長さんと知り合ったのをきっかけに何度か現地へ赴き、剪定講習などを受け、退職後、寒河江市の果樹園で新規就農のための研修を受け始めました。

12241312_10154609696993849_4149858323189542326_n▲新規就農した古田晋さん(1978年、埼玉県出身)

「山形でりんごといえば、朝日町。独立を考えて、研修中に朝日町の農業委員会で相談した所、現在住んでいる八ツ沼地区に空いているりんご畑があり、貸してもらえることになりました。同地区の区長さんが家探しを手伝ってくれて、無事家も安価で借りることが出来ました。」

0815 331▲移住先の地区の祭りにも参加しました。

地域もよそ者を受け入れてくれていて祭りにも呼んでくれるし、何か集まりなどがあると声をかけてくれる。縁もゆかりもなく来た自分みたいな人にとってはありがたいと古田さんはいいます。

そして、今年2015年4月、古田さんは舟形町で昨年まで地域おこし協力隊として活躍していた雅子(旧姓:飯田)さんとご結婚され、今年からは二人でりんごづくりに励んでいます。

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奥さんの雅子さんは、朝日町に来て8カ月。地域のビアガーデンで区長さんから紹介されたり、地域の人たちが気にかけて野菜をくれたり、受け入れようとしてくれていて暮らしやすいと笑顔で語りました。

古田さんは「青年就農給付金」の給付を受けながら、マルシェなどで直売もしつつ、「世界一おいしいりんごづくり」に取り組んでいます。

東京近辺で果樹園 木楽のりんごを食べられるor買えるお店はこちら

>>東京朝市アースデイマーケット

>>坂の途中soilヨヨギgarage

>>カフェスロー

>>フロマエcafe&ギャラリー

>>ころいち(埼玉県所沢市)

※在庫が無い場合があります。ご了承ください。

編集後記

明治時代からの歴史に、新しい就農者の熱意も加わりますます盛り上がる朝日町のりんご栽培。その朝日町りんごが11月末頃から最盛期を迎えています。

14645▲冬~春にかけてもりんごを楽しんでもらえるようにとりんごの雪中保存も行っている朝日町

寒くなればなるほど、糖度があがり甘くおいしくなる朝日町の無袋ふじ、ちなみに少しでも収穫時期を遅らせるためか本日(2015年12月10日現在)でも収穫待ちのりんごの木をいくつも見かけます。悠久の営みが刻まれた大地に、長い時間をかけ先人たちが育んできた豊かな知識と卓越した技が脈々と受け継がれている朝日町りんご。その味が確かめられるのはこの冬の間だけ。

是非、一度朝日町りんごをほうばってみてはいかがですか。

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この記事を書いた人

橋本 蕗

埼玉県出身、小学5年生の頃に1年間、秋田県旧合川町で山村留学を体験したのをきっかけに学生時代から地方への移住を企み、2013年7年越しの念願叶...

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