山形県の海側に位置する鶴岡市三瀬は、八森山、藤倉山から注ぐ3つの川の谷間に集落をなし、約1500人が暮し、その職業は、会社員を中心に漁業者や農業者、職人もいて、地域の住民の力で日々の暮らしがほぼ成り立つコンパクトな町です。

また、あまり知られてはいませんが、春には孟宗、夏には海水浴、夜光虫観察、冬にはスキーと四季折々に楽しめるところです。

 今回のやまがたで働く人

石塚慶さん

鶴岡市三瀬地区自治会の事務局員

石塚さん

石塚さんは三瀬生まれ。 高校卒業後に大阪の大学に進学し、その後東京で就職します。

「興味がないと長続きしないタイプなので、就職の時も、山形の企業を含めて興味ある会社(の就職試験)だけを受けました。トマトジュースが好きだから○○みたいな。おもちゃが好きだからバンダイ。たまたま受かったんです。(笑)」

石塚さんはバンダイでおもちゃの営業を担当し、大手企業を回って企画提案し、商品の売り込みをしていました。

 

いつか戻りたいと思っていた。いろんなタイミングが合って帰ることにした

会社員時代に同じ会社に勤める直子さんと出会い結婚、2児を授かります。帰宅はいつも22時23時になり忙しいながらも充実した日々でした。東京での生活も11年が経ち、転機が訪れます。

「漠然といつか(三瀬に)戻りたいと思っていました。仕事は楽しかったし、特に大きな理由はないんですが、いろんなタイミングが合って帰ることにしたんです。

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今の職に求人があったことや子供の育てる環境に思うところもあったし、30代の若いうちなら三瀬での仕事もなんとかなるんじゃないかという思いがありました。」

奥様の直子さんの反応が気になるところですが・・・

「細かくは聞いてないですけど、漠然と帰りたいと思っていたので、いつかは帰りたいよね的なことは伝わっていたと思います。 まあ(退職後に帰るところを)30年くらい前倒しになったと思ってもらえれば(笑)。」

2011年6月に一家4人で三瀬に戻ってきました。いまでは、週末はモンテディオ山形のサポーターです。

 


自分の育った環境が100点だと思っている

「昔と比べて人口は減ったけど、環境はあまり変わらない。違和感ないですし、僕は居心地がいい。」

いつかは三瀬に戻りたいと思った理由はどこにあるのでしょう。

「小さい頃楽しかったからだと思う。子どもの頃、毎日、海水浴にも釣りにも行きますし、山に自転車で行って、戦うための棒を探して来たり(笑)、田んぼで野球やったりゴルフやったり、雪が降るので、雪で滑り台を作ってもらって遊んだり・・・。

当たり前だと思ってたけど実際は違った。東京では小学生の頃から塾に行く。僕の小さい頃はあまり勉強の記憶がない。僕の思った小学生の頃と東京の暮らしはギャップがあった。

子供が生まれると、考えが変わってくるんです。自分の育った環境が100点だと思っているので、東京は車の量が多いし、変わった人もいっぱいいますし・・・。

こちらだと子どもが何かやっていれば、あそこの子がなんかやってたという情報が常に入ってくるので、いい悪いはあるけど、常に監視されている感じですかね。放任してても村の誰かが見てくれている的な。(笑)安心感があります。

都会の人がこの辺に来たら個人干渉がすごくてお前には関係ないだろうと思うと思いますよ。それがいいところだとも思うんですが・・・。ある程度他人に興味があるというか、お互いに干渉しあって人によっては居心地悪くなるかもしれないけど、居心地が良くなると安全面でも、物理的に物をもらうとかでも暮らしやすいと思う。」

石塚さんは度々安心という言葉を口にします。子供を託せる故郷の自然と人への信頼を強く感じました。

自治会に勤めていることもあって石塚さんは地区の行事に参加する機会も多いようです。

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「4月12日に農の神様を祀る気比神社の例大祭には二年連続で参加しました。

約200キロの神輿を8人の男達で担ぎ、町の中をぐるっと1周する。

最後に神社近くの道を神輿を担いで何度もダッシュする。行ったり来たり10回以上ダッシュ。本当は20代の前半の若い人がやってきたものが、最近は人がいないので30台後半まで参加する。朝の10時から先々でお酒をもらってのダッシュなのでかなりつらかったです。 人口が減っていくので4つの集落に分かれて持ち回りでやってきた祭りがやや崩壊気味。

今までやってきたものを変化せざる終えないと思うと寂しい。」

 

自分の代で終わらせたくない

三瀬の古文書を紐解くと、今から180年程前、旧庄内藩の藩主が420数人を引き連れて領内を巡行し、藩主が昼食をとったとされる坂本屋は、石塚さんの実家にあたります。 石塚さんは現在食材の運搬などの業務を手伝っています。

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「継げと言われたことはないけど、冷静に考えてみると何百年も続いたのに自分の代で終わるのは負け感もあったりして、(戻る際に)旅館の営業とか、後後のために知り合いを増やしておきたいという想いもありました。」

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坂本屋では、三瀬に足を運べないお客様に庄内浜の魅力を伝えたいと庄内浜の季節の料理を真空パックにし「おもてなし膳」として、宅配する取り組みを始めています。

(旅館・宿 坂本屋フェイスブックページ)


自治会のことを少しでも知ってもらえたら

自治会と聞いてどんな仕事なのか想像がつきませんでしたが、自治会の事務局とはどんな仕事なのでしょうか?

「それぞれの自治会によって業務は異なりますが、三瀬地区自治会では、市から委託されて運営される業務と自治会そのものの運営業務の大きく2つからなります。

前者は住民票発行や民生委員の連絡などの行政の連絡業務、コミュニティセンターと呼ばれる建物の管理やそれを利用した生涯学習の運営を行っています。

また後者では市民運動会、敬老会、孟宗祭りの企画運営など住民の楽しみの場の提供や避難訓練の実施などを行っています。

細かいんですけど色々あるんです。除雪をするしないのジャッジもするし、生活面で市がやってそうな全般の業務を自治会が一段階請け負って細かく対応しているイメージですかね。」

 

三瀬地区自治会では、地元の新聞記者を講師に迎えた広報力アップ研修会を企画し、地元はもちろん、他の地域からも参加がありました。地域内だけじゃなく広く交流できる場でありたいとの思いがあります。

その他に、三瀬地区観光協会の主催で行った「眠れる三瀬を起こす会」では、フェイスブックでイベントを立て、地域の人と外の人たちとの交流を深めています。

「今まで内は内。外は外でやってきた。ぶっちゃけ単なる飲み会ですけど、この会は、飲みながら話したら違うだろうって乗りで飲んでます。フェイスブックで呼びかけているので、街づくりに関心のある人が多い気がしますね。」

 

自治会は自立していくべき

三瀬では、高齢者の割合が3割となり、20年前に比べ人口は約800人減少しました。 このままでは町の暮らしの維持ができなくなるとの危機感を石塚さんは持っています。

「実際に来たい人に対して、ここに住めますよ。こういう仕事がありますよ。こういう風に生活すれば生きていけますよ。というような具体的に受け皿を提案できる自治会になるべきですよね。」

「今年から市が運営中止したスキー場の運営を自治会で行うことにしました。このフィールドを利用してお金が得られる企画をやることで人一人を雇えるようになれば、三瀬の人口が一人増えるわけで、そういった事業を市に頼むんじゃなく自治会レベルでやる。

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観光協会でも同じく海水浴場の運営をやっていて、事業がうまくいけば人一人雇えたり。 スキー場を請け負ったのは、将来そういうことをやりたいためのもの。

活動を楽しんでやってくれる人もいるので、人が呼び込めるんじゃないかと。また、三瀬の自治会での活動について知ってもらえるいい機会だと思います。自治会は自立していくべきだと思います。」

Profile

石塚 慶さん

出身 山形県鶴岡市三瀬
生年月日(または年齢) 1978年1月8日
URL https://www.facebook.com/kei.ishizuka.14

三瀬地区自治会HP http://sanze.jp/
坂本屋HP http://www1.ocn.ne.jp/~unasaka/

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この記事を書いた人

明石 智代

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