「Uターンしたいけど、どうしよう…」「いつかは戻りたいけど、きっかけが…」
山形へのUターンを考えながらモヤモヤしている人の多くが悩むのは、きっと仕事のことですよね。
「これまで築き上げてきたキャリアを山形で生かせる?」「山形に戻ったら、収入はどうなるの?」など、さまざまな心配や葛藤があると思います。
Uターン・転職で後悔しないため大切なことは何なのでしょうか? モヤモヤした状態から脱出するためにはどうしたらいいのでしょう?
今回は、某大手メーカーで10年以上働いていたエンジニアが、まったく違う職種に転身し、Uターンして自分らしい生き方を見つけるまでの葛藤と道のりを伺いました。
この記事を読めば、Uターン・転職で後悔しないための大事なポイントがわかります。ぜひ、参考にしてみてください。
今回のやまがたで働く人
佐藤寛己(さとう・ひろき)さん プロフィール
1987年酒田市生まれ。酒田工業高校(現酒田光陵高校)卒。首都圏の大手自動車メーカーで研究開発部門のエンジニアとして13年勤務。唎酒師の資格を取得し、「日本酒で山形を盛り上げたい」との想いを胸に、2019年酒田へUターン。合同会社とびしまの一員に。SUSI&SAKE BAR「SHAKE」の店長を経て、現在は北前横丁にある島の炭火焼き居酒屋『炭かへ』に勤務。“唎酒師”ならではの豊富な知識と持ち前のコミュニケーション能力を生かして、日々多くのお客様に山形の地酒の魅力を伝えている。特技はボイスパーカッション。音楽活動も行っている。
――佐藤さんはエンジニアとして働いていたそうですが、高校を卒業して就職するときに山形ではなく首都圏を選んだのはなぜだったのですか?
「単純に都会への憧れと、とにかく親元から離れたいという思いがありました(笑)。それに、当時は酒田や山形では自分のやりたい仕事はできないと思っていたんです。
工業高校だったので、機械やものづくりが好きでロボット開発に興味がありました。首都圏に行ったほうが自分のやりたいことができるような気がしたんですよね。
就職した会社では、おもに自動車の先進技術の開発を担当していたのですが、自分の作ったもので喜んでもらえたり、プロジェクトチームのメンバーから「ありがとう」と言ってもらえることがモチベーションにつながっていたので、それなりにやりがいもありました。」
▲社内イベントにて
――でも、首都圏でずっと働き続けるのではなく、やっぱり山形に戻りたいと?
「そうですね。なんとなくUターンしようかなという思いは頭の片隅にずっとあったのですが、何のために戻るのかが自分の中であやふやで、自問自答をずっと繰り返していました。
Uターンする目的を探すことにフォーカスし始めたのが、29歳〜30歳ぐらいで、Uターンを考え始めてから実際にUターンするまで、結局、3〜4年かかりました。仕事が決まらないと戻れないというのもありましたが、それよりも「戻って何がしたいのか?」が決まらないとUターンできないと思っていました。」
――自動車のエンジニアから“唎酒師”になって日本酒を生業にするというのは、かなり思い切ったキャリアチェンジですよね。
「最初はエンジニアとしての転職も考えていたのですが、山形では無理かなと思って…。僕がやっていた仕事というのは、新しい技術の開発だったので、試作がほとんどで製品化までいかないことのほうが多かったんです。山形の企業では、すぐに製品化するようなスケジュール感や仕事の仕方を求められると思ったので、今まで自分がやってきた仕事のスキルとはうまくマッチしないだろうと感じました。」
――そこは、スパッと割り切れましたか?
「割り切れるまでは、けっこう時間がかかりましたね。Uターンを考え始めた最初の頃は、自分の持っているエンジニアのスキルを軸にして転職先を考えていたので、なかなか転職活動が前に進みませんでした。」
――転職活動中は、誰かに相談したりしましたか?
「Uターンを考え始めたときにキャリアクリエイトさんに登録をしていたので、転職相談をして、キャリアカウンセラーの方にキャリアの棚卸しと自己分析を一緒にやっていただきました。
そこで自分の実力を客観的に見ることができて、その業界で転職が可能かどうかを現実的に判断する材料にもなったと思います。」
――自己分析をしたことで、自分の強みと弱みがわかったわけですね。
「そうですね。自分のレベルや立ち位置も見えましたし、この先、どこに向かっていくのかを考えたときに、自分はエンジニアとしてコミュニケーションや人との繋がりをより意識すれば更に成長できるのではないか?と当時は思いました。一度立ち止まって自分を見つめ直せたのは、すごく良かったと思います。でも、その時点ではまだ「何がしたいのか?」はわかりませんでした。」
――「何がしたいのかわからない」というモヤモヤした状態から脱出するために、どんなことをしましたか?
「山形出身の人たちと話す座談会や、毎年東京で行われていたユアターンサミット、山形三十路式など、とにかく山形つながりの人と出会えるイベントに積極的に参加しました。山形出身の人たちのリアルな声を聞きたかったのと、自分と同じように戻りたいと考えている人と情報交換できたらいいなと思って…。」
▲以前、ヤマガタ未来ラボが運営していたオフ会『スジェールバー』にも参加していた(現在は閉鎖)
――参加したことで変化はありましたか?
「イベントがきっかけで、いろいろな人と情報交換ができましたし、そこからどんどんつながりができていきました。中でも自分にとって大きな経験になったのは、『山形三十路式』です。それまでただの帰省先でしかなかった酒田を、別な角度から見てみたい、そこから新しい発見や気づき、自分にできることが何か見えてくるかもしれないと思って参加しました。
実行委員として運営に関わり、いろいろな人に協力してもらったことで、ローカルな取り組みを頑張っている人たちと出会うことができ、「酒田にも、こんなに頑張っている人たちがいるんだ」ということがすごく刺激になりましたし、それに感化されて自分も何かしたいという気持ちになりました。
その経験を通して、やっぱり酒田って面白いな、いいところだなあと思ったし、自分は地元が好きなんだなということを再確認しましたね。」
▲『山形三十路式』
――地元のどんなところがいいなと思いましたか?
「食や自然ももちろんいいのですが、やっぱり一番は人との関係ですね。気さくに話せる雰囲気だったり、「こういうこと考えてるんだけど」と話すと、年上も年下も関係なく「それだったら協力するよ」とか「応援するよ」と言ってくれる人が多くて…。地元の人たちのあたたかさみたいなものをすごく感じましたね。」
――人との関わりを通して見えた地元の良さですね。
「そうですね。それまでは、帰省しても毎回、同じ仲間と飲んで終わりで、上の世代や下の世代の人と混ざって何かをするということもなく、既存のネットワークや狭いコミュニティの中で楽しく過ごして終わっていました。
でも、そこから一歩踏み出してみると、すごく世界が広がるんだなということを実感しましたね。」
――なるほど。地元は何も変わっていないけれど、自分の関わり方が変わっただけで、見える景色が変わったのですね。三十路式の後、やりたいことは見つかりましたか?
「終わったときはすごく達成感がありましたが、自分のやりたいことは何も定まっていなくて、「さあ、これからどうしよう」という気持ちのほうが大きかったですね。
そんなとき、あるイベントで、「酒田の日本酒をいくつか見繕ってくれませんか?」と頼まれたんです。もともと日本酒が好きだったので、おすすめのお酒のラインナップと紹介の資料を作ったら、それがけっこう評判が良くて…。参加者の方からも喜んでもらえて、その後も日本酒関係の話が舞い込むようになっていったんですよね。
▲都内で開催されたイベント『山形ナイト〜山形の食と酒を楽しむ会』にて
それまでは「ちょっと日本酒に詳しい人」ぐらいのレベルだったのですが、それがきっかけで、きちんとした知識を身につけたいと思うようになりました。ただの酒好きがすすめるよりも、資格や知識を持っている人がすすめるほうが、説得力もあるんじゃないかなと思い、唎酒師の資格をとったんです。
その後、お酒のイベントに呼ばれる機会が増えていくにつれて、これを生業にしたら面白いんじゃないかなと思い始めました。」
――そこから、どうやって合同会社とびしまの仕事にたどり着いたんですか?
「ちょうどその頃、『ふるさと回帰支援センター』で飛島のセミナーがあって、「せっかくだから参加してみるか」と思って、話を聞きに行ったんです。そこで合同会社とびしまの松本さんと知り合ったのがきっかけです。」
――Uターンを躊躇する理由の一つとして、首都圏に比べて収入が下がることに抵抗を感じる人も少なくないのですが、佐藤さんはどうでしたか?
「正直、首都圏にいた頃に比べて収入は減りました(笑)。でも、それは覚悟の上なので、そんなに気にしていません。
一番大事なのは「Uターンして、何をしたいのか?」だと思います。ただ漠然と「仕事が辛いから田舎に戻ろう」とか、「田舎暮らししたい」というだけでは、うまくいかないのではないでしょうか。」
――「今の生活が嫌だからUターンしよう」では、目的のないただの逃げになってしまうということですよね。
「そうですね。戻ったら収入が減るかもしれないけど、それでもコレがやりたいんだ!という強い思いがあるかないかで、Uターン後の生活も変わると思います。自分のやりたいことがあれば精神的に満たされるし、お金ではない豊かさを得られると思います。」
――Uターンしたいけどやりたいことが見つからないという人は、どうすればいいでしょうか?
「いろいろな人と話をして情報を集めたり、自分を見つめ直すというプロセスがすごく大事だと思います。僕もUターンするまで時間がかかりましたが、悩んでいる間は誰かに相談したり、人と会って情報交換したりしていました。」
――ただやみくもに行動するのではなく、『自分を見つめ直す』というプロセスが大事なのですね。以前とはまったく違う仕事と生活環境になりましたが、Uターンして良かったですか?
「あらためて思うのは、田舎の自然の中でこそ学べることって大きいなということですね。もちろん都会には都会の良さもあります。ただ、自然に触れることで育まれる価値観や、自分の頭で考えて楽しみをつくりだす能力というのは、娯楽がたくさんある都会よりも田舎のほうが身につけられるんじゃないかなと思います。
与えられる選択肢が多ければ多いほど、何をすればいいかわからなくなる気がするんです。それよりも田舎の限られた条件の中で自分なりの楽しみ方を見つけることが、きっと人生に役立つんじゃないかと僕は思ってるんですけどね(笑)。」
――それは、一度、都会に出たからこそ感じたことでしょうか?
「そうですね。就職するときは「絶対、酒田になんか戻らねえぞ!」っていう勢いで出ていったんですけど(笑)。一度、山形を出たからこそ地元の良さにも気づけましたし、逆に都会と酒田の差がこんなにあるんだということもわかりました。
首都圏で働いていた頃は、土日も仕事を持ち帰ってパソコンで作業していたので、その当時を知っている地元の友人からは「今のほうがイキイキしてる」と言われます。戻ってきて本当によかったなと思いますね。」
――Uターンして、生活はどんな風に変わりましたか?
「今は自分の好きな日本酒を仕事にして、休日も好きなことをできているので、満足しています。お客様と他愛もない話で盛り上がったり、面白い発見があったり、コミュニケーションをとる中で喜びを実感できますし、毎日楽しいですね。
地元の酒蔵さんとも仲良くなって、一緒に何か仕掛けていきましょうという話もしているので、刺激し会える仲間ができたのも嬉しいです。
プライベートでよくお酒を買いに行く酒屋さんでは、「最近、何かいいお酒見つけた?」「このお酒は、こういう飲み方するといいかもね」など、つい立ち話で話し込んでしまいます(笑)。」
――佐藤さんのこれからの夢は何ですか?
「日本酒で地元を盛り上げたい」というのが一番です。そのために、僕はUターンして日本酒を生業にしていこうと決めました。
地元の人と接する中で、地元のお酒を知らない人が多いなと感じるので、それがすごくもったいないなと思うんです。たとえば県外の人が山形を訪れたときに「◯◯って、山形のお酒ですよね」と聞いて、地元の人が「え?知りません」って答えたら、残念ですよね。「地域のことを、地域の人が知らない」という状況を変えたい。だから、僕が山形の日本酒の魅力を伝えていくことで、そのギャップを埋めたり、地域をつないでいくことができたらいいなと思っています。」
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佐藤さん、ありがとうございました。
「おいしい日本酒を知りたい!」「山形の地酒を楽しみたい!」方、そして「Uターンしようか悩んでいる」という方は、ぜひ佐藤さんに会いに行ってみてくださいね。きっと日本酒と山形の奥深い魅力を熱く語ってくれるはずです。
■島の炭火焼き居酒屋『炭かへ』
【住所】:山形県酒田市中町2丁目6−1 酒田柳小路屋台村北前横丁
【TEL】:090-7070-1075
【営業時間】[日・月・火・木] 17:00~23:00 (L.O 22:30)、[金・土] 17:00~01:00 (L.O 00:30)
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