こんにちは! いつかは山形に戻ろうかと考えているビジネスパーソンの皆さんに、地元で挑戦を続ける山形の企業を紹介させていただいている、(株)キャリアクリエイトの吉田です!

このコラムでは山形の「攻めの会社」の“今”と、そこに至るまでのストーリーをお伝えしていますが、第二回目となる今回は温泉でも有名な上山市にお邪魔してきました。そこで私は、上山市から世界に向けて挑戦を続ける企業の姿を見たのです。

※一回目をお見逃しの方は、過去記事をご覧ください。(山形の「攻めの会社」教えます。vol.1 「革新を続ける老舗企業の姿。」

 

みなさんは、めっきのことをご存知ですか?

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めっきとは、金属やプラスチックなどの表面に、金属の薄膜を覆う表面処理のことをいいます。例えば、酸化しやすい金属を、酸化しにくい金属で覆い保護したり、また、高級感を出すために金や銀などで覆ったり。私たちの日常生活の中でもめっきはいたるところに存在し、車やバイクのパーツ、また、指輪やネックレスなど宝飾品の類によく見られる非常に身近な存在となっています。

 

今回ご紹介する会社は、上山市にあるジャスト株式会社。同社は独自のめっき加工技術を武器に、医療をはじめとする分野への新規参入に挑戦する企業。業界の常識を打ち破るその卓越しためっき加工技術は、世界のさまざまな業界からすでに注目を集めています。

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同社の前身である東亜メッキ工場が山形市宮町で産声をあげたのは昭和25年のこと。戦後間もなくして家庭用ミシンが一世を風靡しましたが、同社はその部品の表面にめっきを加工する事業で急成長を遂げました。

その後、続いての大ヒット商品となったオーディオ機器、スピーカー部品のめっき加工受注にともなって、昭和56年に上山市金谷へと拠点を移すことになりました。現在、代表取締役社長を務める岡崎淳一氏は、自ら営業の先頭に立ち、従来のめっき処理加工分野はもちろん、特殊分野の研究開発による医療など新規分野へ参入を意欲的に行われているようです。

 

サッカー少年からサーファーへ。アクティブに過ごした少年時代。

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—吉田:かなりのスポーツマンだと聞いているのですが。
—岡崎:大学のときから、時間さえあればずっとサーフィンをやっています。先日も宮城の海に行ってきたばかり。また、それ以前の小学校から高校までは、夢中でサッカーをしていました。それこそ「プロにならないか」と誘いを受けたときもありましたよ。高校まではこの会社を経営することになるなんて、微塵にも考えていませんでしたし、自分はサッカーで身を立てていくものと信じていました。

 

というのも実は、会社の創業者は祖母。祖母は一度、東京に嫁ぎましたが、戦時中に空爆で焼け出されて山形へ疎開。子供たちを養うためにめっきの会社を立ち上げたと聞いています。その後は父の兄、つまり叔父が継いでいたので私と会社の間にはまったく関係がなかったのです。

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しかし、諸事情で会社の経営が父に移り、その途端、いつかは会社を引き継ぐ者として大学くらいは出ろという話になったのです。あのときは困りましたね。小学校で出会ったサッカーに夢中になり、高校のときも全国大会に出場。功績が認められ、宮城のプロチームからも声を掛けてもらい、プロとして生きていくという夢が叶いかけていたわけですから…。正直、しばらくはショックから抜け出せないでいました(笑)。

 

それまでは、進学なんて考えていませんでしたし、勉強を頑張っていたなんてお世辞にも言えません。あと数ヶ月で受験という時期になってようやく受験の準備をはじめたと言うか、むしろ入れる大学を探しはじめたのです。そして、ようやく見つけて入学したのが北海道にある大学でした。サーフィンには大学時代にのめり込んで行ったのですが、ひとつの夢が破れ抜け殻のようになっていましたし、ある種突然自分の進路を決められ途方に暮れていたわけですから、あのときサーフィンと出会わなかったら曲がった大人になっていたかも知れませんね。

 

営業時代に得たのは、掛け替えのないのない財産

大学卒業後は、神奈川県にあるコネクターなどの電子部品を扱うメーカーに入社し、商学部卒の私は営業社員として働きはじめました。そうしたところ運がいいというか、父の会社と取引があった工場の方と、勤め先の社長や専務が知り合いだったこともあり気に入っていただき、さまざまな現場を見せてもらったり、大きな仕事を任してもらったりと、とても可愛がっていただけたのです。

当時、SONYさんはじめ、数々の大手メーカーの設計部門を担当させてもらったのですが、営業職の時代に築き上げた人脈が現在、社長業をやっている上で欠かすことのできない財産になっています。

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—吉田:メーカーでの就業経験が、今の仕事にも生きているのですね。
—岡崎:私の仕事は営業先の会社に行って、社で製造しているコネクターなどの部品を製品の設計に組み込んでくれるよう営業するものでした。ところでそのコネクターなどの端子類にはめっきが多く使われていますよね。つまり、メーカーさんの製品生産量が上がれば、必然的にめっき加工の需要も上がるのです。

現在は当時営業先で知り合った方々に、本当に景気は回復しはじめているのか、製品生産量を伸ばす予定はあるのかなどについて、正直なところを教えていただいたりしています。これは、当時の人脈が無ければ得ることができない情報ですので、とても感謝しています。

 

お陰様でとても充実した毎日を送っていましたが、ある日、父から戻ってこいと連絡が入ったのです。その後、4年勤めたメーカーを退社。実家の会社に入るための準備をはじめました。めっきはとても専門的で特殊な分野です。しかし、どこの大学にも専門学科がないのが現状です。めっきに必要な知識としてあげられる電気工学、また化学の学科はありますが、この仕事をしていく上ではその両方の知識が絶対的に必要。

だから、退職後は山形に戻るまでの1年間、昼間はめっきの薬品を扱う会社に勤め、それ以外の時間は高等職業訓練校に通い詰めました。そうすることで、わからないことだらけでしたが、なんとか“めっきとはなんなのか”を頭に叩き込むことができ、翌2002年に地元に帰ってきたのです。

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—吉田:メーカー営業職からめっき加工業へ。戸惑いはありましたか?
—岡崎:まぁ、わからないことだらけではあったのですが、覚悟していたので、扱うものが変わったことについては特に戸惑いはありませんでした。しかしそんなことよりも、会社や工場内が散らかっていたり、また、言葉の遣い方すら知らない社員がいたりと、当時の社会情勢からみても改善されているべきところが全然なっていないことに愕然とした記憶があります。

 

入社後、約1年間はさらにめっきについて学ぶため工場の現場に就きましたが、その後は社風改善を図ろうと5S活動など会社内の整備をはじめました。また、社内に企画室をつくり安全の国際基準であるISO取得も急ぎました。社員教育もISO取得のための書類づくりも、全てひとりで行いましたので結構苦労しましたが、当時は一刻も早くと焦りもあり、なんとかひと通りの変革を推し進めることができました。いま思えば、あのとき苦労してもやって良かったと思っています。というのも、2006年にISO取得が叶ったのですが、同年の後半から父が病に倒れてしまい、私が父の代理として働くようになったのです。仮にもし、会社の環境改善をやれていなかったなら、入社後まだ4年ほどしか勤めていなかった自分が、社長代行をすることは、まず無理だったかと思います。

 

リーマン・ショックが起きた2008年に父は他界し、私が会社の経営を担うことになりましたが、そのときは父にとても感謝しました。なぜなら、晩年父は徐々に発注元を分散させていたからです。そのお陰で、同業他社は軒並み業績を落としていた一方で、我が社の業績は3割程度の落ち込み。そこまでの大打撃にはなりませんでした。以前は大口のお客様から仕事の大半を受注していたのですが、父は亡くなるまでの数年でお客様を分散化していてくれていたので、結果的に営業利益的な損失は、最小限にとどめることができたのです。

 

ただ、リーマン時に思ったのは“(売り上げが)落ちるところまで落ちたので、思い切ったことをするしかない”ということ。一箇所に止まって仕事の受注を待っていてもしょうがないと、月の半分は関東で営業と情報収集を行っていました。そんな中、あるセミナーでリーマン・ショック時に落ち込まなかった業種が紹介されていたのです。なんだと思いますか? それは衣料と食料、そして医療でした。

 

特殊技術開発と新規分野参入への挑戦

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それならばと、自社の商品でどうやって医療に参入できるかを考えはじめました。いろいろと独学で勉強しながら営業していると、医療系の展示会に自社の製品を出していただけることになったのです。いやぁ、あのときは勉強になりました。ピンセットにめっきでダイヤをつけたものを出品したのですが、一番最初に投げかけられたのは「医療の基礎的なところをもっと勉強しなさい」という言葉でした。用語も専門知識も知らないで挑戦するなんて無茶だったのですね。その後はひたすら勉強です。

そうしたら少しずつ、医療分野の方とまともな会話も成り立つようになっていき…。めっき業界では同じような試みをしている人はいなかったので、とんとん拍子に医療分野への参入を進められました。そして、また一方では、地元の工業技術センターと進めていた新技術の開発にも成功したのです。

 

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ー吉田:その技術というのは?
ー岡崎:ダイヤモンドを物質の表面にめっきで固着するダイヤモンド電着技術と、その強度や熱排出性、耐摩耗性を飛躍的に向上させるウルティメイト・ダイヤモンド・カーボンナノチューブ(以下:UDC)という特殊技術です。言うほど簡単なことではないのですが、要はダイヤをめっきで金属の表面に固着させる技術と、そのめっきの溶液にカーボンナノチューブを配合し、それを金属などの表面を覆うことを指します。

 

お陰様でダイヤの電着技術は、フジテレビ系列の「ほこ×たて」対決にて出演し、多大な反響を得ることができました。そしてUDCは耐久性だけをあげても、非加工品の10倍にまで高めることができるほか、 例えば手術用ピンセットやはさみの先端に施すことで、加工品の寿命を伸ばし、また、強いグリップ力を持たせることが可能となります。今ではその高い安全性とともに、医療業界から高い評価をいただけるようになりました。

 

現在めっき業界は、低価格での大量生産が求められ、人件費が安価な海外に工場を設けるなどして時代にあわせる企業が増えています。しかし、ダイヤモンド電着、そしてUDCは、ともに他にない技術。この技術のお陰で需要に対して供給する、言わば商売の原点といえるカタチを取れるようになりました。つまりは、何も海外に拠点を作らなくてもいい。この上山から世界に向けて、勝負ができる可能性を生み出すことができたのです。今後もこれらの特殊技術を武器に、医療機器分野はもちろんのこと、自動車、スマートフォン、印刷機など、精密加工が求められる分野へ参入していければと考えています。

 

 ジャパンクオリティで世界を目指す

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ー吉田:医療器具以外、すでに開発は進んでいるのでしょうか。
ー岡崎:はい、現在は一般の方向けのオリジナル商品の開発をしています。というのも私たちの業種は対企業でなりたっているので、一般消費者の方に向けてPRできる機会がほとんどありません。仮に、消費者の方に「私たちのめっきは〜」と謳っても、ほとんど反応は無いでしょう。第一めっき加工された製品を見たところで、これがどこの会社のめっきかなんて分かりませんから。だからこそ、このジャストという会社を知ってもらうためにも、我々の技術を使った一般消費者向けのオリジナルの商品の開発を急いでいるのです。

 

現在、予定されているのはアイスクリームスプーン。UDC技術を施し、その熱伝導率により、アイスクリームはすいすいとすくえるようになるでしょう。そして、グリップ部分にダイヤモンドを固着させることで、加える力もさほどいらなくなるはず。デザイン性はもちろん、各家庭で使うもので、扱い易く、長持ちする。そういった商品を開発することで皆さんに我々のことを知ってもらいたい。上山から世界に挑戦しようという企業があるんだって知ってもらえれば最高です。

日本の品質は、世界的に見ても信頼が厚い。めっきという技術を最大限に活かし、これからもジャパンクオリティで世界に乗り出していきたいですね。

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編集後記として

—吉田:薄利多売が主流となりつつあるめっき加工という分野において、特殊技術の開発によりその真逆をいかんとする。高い技術力で世界に挑戦するその姿は、同じ山形人としてとても誇らしく感じます。

また、同社は新社屋を建築中ですが、将来的にはそこにめっき技術を学び、資格取得ができる施設も設置されるとのこと。技術の後継者育成とともに、今後のめっき業界の発展のために尽力する同社のこれからに、期待せずにはいられません。

 

 

Profile

岡崎淳一さん

ジャスト株式会社
代表取締役社長 

会社経営に勤しむ傍ら、自ら率先して営業や新規事業開発に取り組む同社3代目社長。時間を見つけては海へ向かうという、サーファーとしての一面も持つ。

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