自己紹介

皆さん、はじめまして! 山形にUターンを考えているけど、果たして山形は、思いっきり仕事ができる環境なのだろうか? と二の足を踏んでいるビジネスパーソンに向けて、山形で挑戦している企業をご紹介させていただくことになりました、(株)キャリアクリエイトの吉田です!

一体だれ?とお思いの方ばかりだと思います。

私が所属している株式会社キャリアクリエイトは、山形県を本拠地に、人材を求める企業と、仕事を求める転職希望者の方をマッチングする人材紹介や人材育成事業を行っている会社です。

 

私たちの会社には、毎月数十名にも及ぶUターン希望者の方からご相談をいただきます。多くの方が、ご家庭の事情などでUターンを検討されていらっしゃいますが、最近では、「漠然と山形にUターンしたいなぁ」と考えていらっしゃる方からのご相談も多くいただくようになりました。

都会で思いっきり仕事をしている働き盛りの20~40代の方とお話しさせていただくと、山形で働くことにイメージを持つことができなかったり、山形の企業に対して、ある種「田舎は時間が止まっている」というような、非常に牧歌的なイメージをお持ちの方が多いと感じます。

しかし、山形にも挑戦している企業はあります。

大手企業、都会の企業にも負けない強みと心意気を持って未来に向かっている企業が、山形にもあるんです!

「山形で働くことのイメージがつかめない」というビジネスパーソンなあなたに、そんな“今”の山形の会社を是非知って欲しい。そんな想いから、この企画はスタートしました。

山形の「攻めの会社」の“今”と、そこに至るまでのストーリーをお伝えします!

 

さっそく、山形の「攻めの会社」をご紹介します!

記念すべき初回は、「味マルジュウ」でお馴染みの株式会社丸十大屋さん。同社は天保15年に紅花商として創業し、京都や大阪との交易を行う廻船問屋として栄華をきわめました。明治の中頃から、みそ、そしてしょうゆ醸造業への段階的な移行をはかり、今では山形県を代表する醸造メーカーとなっています。

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山形県民なら知らない人はいないほど、親しみのある調味料となった「味マルジュウ」のほか、近年も毎年新商品を生み出すなど、老舗の暖簾に甘えることのないその姿勢は、同社の8代目である佐藤知彰氏が社長に就任してからさらに加速。同業他社に先駆け食の安全基準分野のISO認証を、そして最近ではイスラム教義に則ったハラール認証を取得しています。

私、吉田は、佐藤氏がどのように考え、どのような目標を持ち会社経営を進めてきたのかを知るために、同社の門戸を叩きました。

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—吉田:佐藤社長はどんな青年だったのですか。

—佐藤:会社の所在地である十日町は、歴史のある企業が軒を連ねている場所で、私も代々続く老舗醸造会社に生まれました。小さいころ、会社のことをどう考えていたかは忘れてしまいましたが、両親からは頭ごなしに進路などのことを言われていましたね。その反動か、親の言うなりになるのが嫌で、大学入学を機に上京し、卒業後は東京で西武百貨店に就職しました。

—吉田:反対されたりしませんでしたか?

—佐藤:いろいろ言われましたよ。でも、東京でくらすことって大変でしょう? だから、2年も経たないうちに私が根をあげて山形に戻ると高をくくっていたようでした。一方、私は仕事が楽しくてしょうがないわけだから、2年経っても3年経っても帰ってこない。少しは焦ったんじゃないかな。

確かに、初任給は13万くらいでしたし、初の配属先が輸入缶詰とかを扱っている部署。毎日のように深夜まで缶詰のラベル貼りしていたときは、さすがに「世の中おかしいよなぁ。こんなんでいいのかなぁ」って、悩んだときはありましたよ。その頃、月の残業時間が120時間を超えていましたね。

だけど、2年目から転属した部署の仕事が、楽しくてしょうがなかった。その仕事というのは、日本全国から地方の隠れた産品を探してきて百貨店で売る、いわゆるバイヤーでした。商品企画や管理、流通を、自分の足を使ってばりばりこなしました。時代はバブルまっただ中でしたから、仕事はいつも攻めの姿勢。月の半分くらいは全国を出張で回り産品をどんどん持ってきて、それがいいものだったら、飛ぶように売れるの。自分の仕事が売り上げの数字でどーんと返ってくるから、本当にやりがいのある仕事でした。そのまま、ずっと百貨店の仕事を続けていこうって考えていました。

でも、しばらくしてバブルは崩壊し、景気も低迷しはじめたんだよね。財布から出て行くお金は変わらなくても、収入はがくんと減ったわけですから。さすがに食っていけないと、6年勤めた百貨店を後にして、山形に戻ることを決意したのです。

 

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—吉田:実家の会社は、どうでしたか。

—佐藤:入社して最初に就いたのは、工場での生産現場の仕事でした。まず初日から感じたのは違和感。実家であっても生産工程に携わるのは初めてなのでわからないことだらけ。だから従業員の方に色々と質問したんです。そうしたら、なかなか答えが返ってこない。返ってきたとしても「あれ、前聞いたことと違うなぁ」って。百貨店勤めしていたときは、産品探して全国のいろんな工場を回ったわけ。そこでは何を誰に質問しても、的確な答えが返ってきた。情報の共有がきちんとなされていたのですね。比べて家の工場では、自分の持ち場のことしかわからないような感じでした。そして、今の社員数は40名ほどですが、当時は60人以上いて、どう考えても仕事量に対して社員数が多すぎるとも感じました。

高校を卒業するまで当たり前と感じていたことが、12年経っていざ山形に戻ってきたら違和感でしかなかった。私が山形に戻ったのは平成3年でしたが、当時の山形は、私が子供だった頃とそんな変わっていない印象を受けました。ビジネスをやる上で、当時当たり前に求められていたことが、まったくなされていなかった。こりゃぁ、まずいなって、愕然としましたね。

—吉田:生産現場から改善に着手したのですね。

—佐藤:社内のガイドラインをつくったり、業務の効率化をはかるために機械を導入するなどしました。しかし、内部だけの問題ではありませんでした。流通のシステムなど外部環境も旧態依然としていました。製造元ばかりがリスクを負うような、遅れた商習慣も残っていたのです。リスクを軽減すべく生産品目を絞ろうと、まずはみその製造量を減らし、また、味マルジュウをはじめとしたしょうゆ加工品の製造比率をぐんとあげたのです。そして、新商品の開発にも、積極的に取り組むようにしました。

 

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—吉田:時代に合わせて変革をはかった?

—佐藤:しかし、私が山形に戻ってからすでに四半世紀経ちますと、まただいぶ外部環境が変わってきました。現実として、日本のしょうゆの総出荷量は、その半分が大手5社によるものです。そして、1/4が準大手の30社で、残りを我々のような中小のメーカー1,200社で生産している。つまり、消費者というパイの取り合いをしているのですね。それなのに、これから人口が減少するなんて話になっている。

また、今は“料理は家でつくるもの”という時代ではなく、お惣菜がどんどん売れる時代です。それが私たちの業界にどんな影響を与えるのか。例をあげると、お味噌汁などインスタント食品が増え、その一方でみその出荷量は大きく減ったのです。しょうゆはというと、お惣菜屋さんが使ってくれるので、微量ながら増えていますし、また、めんつゆや、たれなどしょうゆ加工品となると、どんどん伸びている。時代が変わり、食文化も変わったのです。その変化した消費者ニーズに合わせた商品開発が、とても重要になっているのですね。

現在、商品の企画は私が中心となり、開発専任の社員とともに毎年新しいものを手がけ、量こそ大手に敵わないですが、そうめんのつゆ、芋煮のたれなど、今のユーザー目線でつくったしょうゆ加工品などを販売しています。

 

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—吉田:時代とともに消費者の嗜好も変わるのですね。

—佐藤:例えば、味マルジュウひとつとっても、昭和39年の発売当初と今の味は違いますよ。時代とともに味は変わるのです。また、近年では食の安全性が強く求められるようになりました。我が社では、まだ日本に有機JASの認証がなかった頃から安全性を確保すべく、業界に先駆けてISO9001の認証と、その後も継続的にISO22000の認証も取得しました。それぞれ食品管理、食品安全管理の国際規格となっています。お客様は安全を買ってくれている。だからこそ、口に入れるものが安全か否か。一番大切にすべき基本がそこにあります。

しかし、今後日本の人口は確実に減少していきます。私たちの業界は消費者のパイの取り合いをしているのですから、いかに安全な食品だからといって、マーケット自体が小さくなっていくなら、必然的に海外に販路を求めなければなりません。

一昨年のはじめにバングラディッシュの知人から、イスラム圏で使用できるしょうゆはつくれないかとの問い合わせがあり、それから着手して14年5月にハラール認証を取得するに至りました。同年の9月には東京オリンピックの開催も決まったので、とてもよいタイミングだったかと思っています。ご存知の通り、イスラムの教えはとても厳格なものです。認証を受けたということは、その厳しい戒律にも則った商品と認めてもらったということ。消毒用アルコールでさえ規律違反とされますので、取得には大変苦労しましたが、今後はイスラム圏でのしょうゆの販売も可能となりました。

しかし、現実的にハラール認証を得るのはとても難しいこと。認証団体は日本にふたつしかありませんし、またハラール認証に則った食品や施設をつくるには、費用も労力もかかりすぎてしまうのです。そのような事情を踏まえ、我が社が認証を得た厳格なものでなく、今後はムスリムフレンドリー(※1)という簡易なイスラム向けの対応が日本ではメジャーになるのかも知れません。

 

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—吉田:国内ではそうなるかも知れませんが、イスラム圏での販売を考えると商圏として巨大なのでは?

—佐藤:日本料理はユネスコ無形文化遺産に登録されましたし、海外でも以前から人気です。ただ、海外の人たちが日本食を食べるという感覚は、ある種のファッションに近いもの。外国人12万人を対象としたアンケートでは、寿司や刺身が上位にランクインするのは当然として、2位はラーメンなのです。日本で食べられている料理には違いないですが、カレーやお好み焼きも日本食というくくり。また、レストランで食べるものであって、家庭で食べるものではない。では、しょうゆをイスラム圏へ持って行ったとして、現地人宅の冷蔵庫にたどり着くまで、どれくらいの時間がかかるのでしょうね。キッコーマンさんは、アメリカで40年かかりました。なので、すぐに売れるか分かりません。しかしながら、私が山形に戻ってきてからの25年間で、世の中は驚くほど変わりました。そう考えるならば、思いの外すぐに受け入れられるなんてこともあるかも知れませんね。

なんにせよ、今はいろんなことを試行錯誤しながら前に進むことが必要です。ダメだったら、すぐに頭を切り替えて、次のことに着手する。繰り返し挑戦していれば、いつか成功と呼べるものに出会えるのだと思います。

 

—吉田:ありがとうございます。最後に若い人に向けて、メッセージをいただけますか?

—佐藤:今の若い人たちは、勤めても3年くらいでやめてしまう人が多いと聞きます。しかし一旦、ひとつの仕事に就いたなら、できるだけ長く働かないと。若い頃の私も、仕事を楽しむことができたから、ある程度続けられた。仕事を自分の好きな方向に持っていく努力も必要ですし、そこで学ぶものはたくさんあるはず。

私もやりたくない仕事をしていた時期もありましたが、同時に自分のいる業種の範疇で、やりたい仕事を見つけようとしていました。一生懸命にやっていれば、周りだって、この人はどんな仕事が得意なのかと見ているから、いい仕事を振ってくれると思います。ただ、働くだけではもったいない。自分自身で自分を育ててあげないとね。

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編集後記として

—吉田:山形で丸十大屋と聞けば、私もふくめ、誰もが安定した経営を続ける「老舗」とイメージするのではないでしょうか。しかし、実際は外部環境の変化に柔軟に対応しながら、常に新しいことへの挑戦をやり続けているのです。特に昨年のハラール認証所得については、これから先を見据えた壮大な戦略が感じられます。

今回のインタビューを通し、丸十大屋さんの本質を垣間見たように思います。今後も、山形を代表する企業として、新しい価値を生み出し、躍進し続けていかれることを期待しています!

 

※1ムスリムフレンドリー:厳格なハラール認証とは異なり、「豚やアルコールを使ったメニューではない」、「メニューに成分表示をし、豚などの入っていないもなどを選んでもらえるようにする」など、ムスリムに対し友好的な姿勢を示す。

 

 

 

Profile

佐藤知彰さん

株式会社 丸十大屋
代表取締役

同社8代目として、会社経営に勤しむ傍ら、積極的に自社商品の企画や開発に取り組む。また、ISO9001(品質マネジメントシステム)認証やIS022000(食品安全マネジメントシステム認証)、有機JAS、JAS-A認定を取得。近年では、同業他社を先駆け業界初となるハラール認証の取得を果たす。

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