今回のやまがたで働く人
池田俊光さん
WEBディレクター
池田さんは、遊佐町生まれ、18年の東京生活を経て、庄内にUターンしました。
Uターンを考えるようになったきっかけ
東京でインターネットを駆使して、海外と勝負する業務もこなしていく中で、距離的概念をあまり持たなくてよいのではないかと考えました。ITインフラが整いつつある時代、何も東京に固執する必要はないなと。そこで、田舎でも何か生み出せるのではないかと考えるきっかけを持ちました。また、東京でガシガシ働くサラリーマン生活を送りながら、周りの景色が見えなくなり、考える余裕や気持ちの余裕がなくなったときに、「東京は楽しいところではあるけど、暮らしていくには難しいところだな」という考えにたどり着きました。
また、地元の商店街のお店が徐々に減り、夏の帰省のときに寂しくなっていく様子を肌身で感じたことも考える大きなきっかけになりました。街中を歩いている人の数が、少なくなっているなぁと感じ、「このままで良いのか?」と思ったことも理由の一つです。
現在の仕事
地元企業の新規事業に携わっています。主にはアプリ開発、デジタルサイネージ開発、ホームページ制作など。東京でお世話になった企業と、技術的な情報交換やアドバイス、業界のトレンド情報などを教授してもらい、地元での内製化・具現化にこだわっています。東京のお取引会社との打ち合わせには、基本的にはSkypeを使っていますね。
こういう田んぼに囲まれた環境で、なるべくクリエイティブに頭を働かせて地元で仕事をつくっていく。それが現在の仕事です。今のところ、田舎にいることのデメリットは感じてないです。動向や情報を取得できれば、「田舎でもぜったい強い事業が生まれる」と信じて奮闘中です。
仕事以外の活動
仕事のほかに、発信型ポータルサイト「地元びいき」の運営、「全国芋煮同好会」の活動、「遊佐ビジネス大使」としての活動をしています。地元でも自分と同じ志を持っているひとや、面白いひとがたくさんいます。ただ、その人たちが「個」になっていたら、もったいないなと思うんです。個と個がFBなどのSNSを活用して、つながって、縁が生まれていく。積極的に縁を生む活動はすべきだと、自分は思います。
また、山形は狭いです。その分、立ち居振る舞いや、謙虚さなどを少し意識した方がよいかもしれませんね。東京だと結構殺伐としているので、気に入らないと思ったら、それなりの対応をしても二度と会わないってことが多いじゃないですか。でも田舎では、それなりの対応をしちゃった次の日に会っちゃうこともあるんですよね(笑)。回りまわって、どのようにつながるか分からないですし、丁寧な姿勢は意識しています。
Q.地元の現状について
庄内の酒田北港緑地で「Show Naight」という音楽フェスの実行委員を務めています。自分たちの子どもが大人になったときに、「僕たちの街は最高だ!」と思ってもらえるように・・・、この田舎でも夢や希望を持てる気持ちが少しでも生まれるように・・・、「今できることは何だろう」と考えたことが実行委員に参加するきっかけでした。
1年に1回、1日だけのイベントですが、音楽フェスを通じて「僕たちの街は最高だ!」という想いに本気で触れ合えるイベントを目指して開催しています。2014年も非常に盛り上がりました。
「あのアーティストのライブを、こんな近所でみられるなんて!」という感想や、観客の方が目をきらきらさせている写真を見ると、いろいろ大変な部分もありましたが、使命として「これからも継続していきたい」という気持ちにさせられます。これからも頑張りたいですね!
東京と山形とで違うと感じる時間の使い方
東京の場合、24時まで仕事をしていました。終電で帰って帰宅すると、家族は寝ていて、レンジの前にご飯を用意してもらっているような生活でした。朝は7時に家を出るので、子どもはまだ寝ています。22時に仕事を終えても、仕事仲間と飲みに行って帰るので、家族とゆっくり顔を合わせられないような日々でした。東京の方がサラリーはよかったですが、その分支出も無駄に多かったような気がします。
山形に帰ってからは、僕もう4時くらいに目覚めてしまいます。おじいちゃんみたいになっちゃって(笑)。起きて、読書して、新聞読んで、酒田市内をランニングして。この3時間は僕にとってとても大きいです。7時に家を出発して、8時半に始業です。基本的に、残業はほとんどしないようにコントロールしています。18時半か19時には家で夕飯を食べていますね。家族だんらんの時間の後に、妻とコーヒーを飲みながら話す時間も心掛けて過ごしています。環境は大きく変わりましたが、家族との時間がもてるようになったことはすごく大きいです。
あとは、朝通勤途中に湧水を汲んで、会社で飲んだり、炊飯やコーヒーに使ったり。お金じゃないようなところの満足度はすごく高まったと感じます。ただこれは難しいところで、20年前の18歳の自分に今の暮らしの良さを語っても、なかなか伝わらないとは思います。東京のキラキラしているところや、すぐにおもしろいものがある部分、夜中でも飲める部分…。そういうのを、18年間の東京暮らしで全部経験したから今言えることだと思います。
東京出身の奥様の反応は?
はじめは嫌がっていましたよ~(笑)。でも良いとこばかりも見せていられないので、夏の素晴らしい風景、反対に冬の吹雪で大変な部分、全部見てもらいました。見てもらってから、彼女自身が「東京で多忙に働いて、余裕の無い姿を見ているくらいなら、もっと伸び伸びした姿を見ていた方がいい」と言って、一緒に来てくれました。…ですが、来てくれたものの「なにもない!」「スタバもない!」と(笑)(注:現在、酒田市内にはスタバで出来ました)。そのため、今はたまに仙台へ行ったり、東京へ遊びに行ったりしています。
東京に住んでいたときは、いつでも行けるから行かないということも多かったと思いますが、田舎に来てからは、「東京のすぐにどこにでも何でもあることが、こんなにもありがたかったことだったのか」と言っているので、根っからの東京人だと思います。でも花火大会では、「あのスケールの花火をあの近さでみられるというのはすごい」と楽しんでくれました。今年で引っ越して2年目、生活のバランスを保とうとしている感じがありますし、自分も居心地良い環境を創ってあげたいと考え、心掛けています。
Q.東京に住んでいた頃、山形の人とのつながりはありましたか?
同級生とのつながりはありましたが、それ以外はなかったですね。東京に出た人は出た人、こっちに残った人は残った人というヘンな色眼鏡を、自分自身持っていたのかもしれません。
でも帰ってきてからは、「こんなに地元を想う人っているんだなぁ」という縁でたくさんつながりました。ヤマガタ未来ラボの影響がいちばん大きかったです。なので、東京時代はつながりがほとんどなかったですね。帰ってきてから、イベントや活動を通してどんどん広がっていった感じです。
Q.Uターンを決めたときに、優先順位の変化はありましたか?
「東京のギスギス感」という言葉をキーワードとして何度か出しましたが、自分で「自分らしく無くなったこと」に気づいたときにハッとしました。例えば、人への気遣いや優しさが出し難くなったり、余裕無くいつも慌てていたり。自分が窮屈になって、普段だったら言わないような過度な感情の起伏が出たときに、「これはいけない」と思いましたね。「自分らしくいられるための環境かどうか」、ここの比重がとても大きかったです。環境を選ぶのであれば多少サラリーが減っても仕方ないと感じて、「自分らしくいられるための環境」VS「現状のサラリー」、その二つを天秤にかけたのが大きいですね。こっちに帰ってきてサラリーが減ったのは事実ですが、充実感でいったら、「やっぱりUターンを選んでよかったな」と思います。
Uターンを考えている方へ
「東京だから」とか、「山形だから」というのは、ほとんど関係ないと思います。自分たちでやれるものがあれば、実現できる可能性を秘めているのが田舎だと思います。煮詰まったときには、山や田んぼ、空とか景色をひとりでぼーっと見て、好きな音楽を聴いて。仕事の問題は結構大きいので、慎重に考えましょう。僕が帰るまでに4、5年かかったのは、その部分を時間掛けて悩んだことが大きいです。しっかり自分の中で納得いく答えを導き出し、家族の応援のもと踏み出すのがベストだと考えます。
Uターンしてみて感じたことは、僕たちも地元で待っている身として帰省時期が待ち遠しいです。帰省する山形県人に「おかえりなさい」と言いたいし、もし僕の話が聞きたいって人がいれば気軽にお話しに行きますし。東京で働いている方、東京に住居を構えているのでUターンが難しいという方、いつか戻りたいと考えている方・・・いろいろな状況の方がいると思います。そのような色々な方々と帰省の時期などに、一緒になってお酒を飲んで語り合うことが地元で出来たら、すごく楽しいと思います。僕は、Uターンを経験者として、地元愛を持って、もっともっと山形をおもしろくしていきたいと思いますし、していく気持ちでいます。不安な点や心配な点、聞いてみたいことは、地元に住んでいる僕たちに気軽に聞いてくださいね!
Profile
池田俊光さん
酒田市出身。WEBディレクター。18年の東京生活を経て、地元庄内へUターン。経験を活かしFavolにて『庄内観光アプリ』の開発、WEB制作ディレクター業など継続中。地元応援サイト『地元びいき』、庄内の音楽『Show Naight』の運営に関わる。