sponsored by 出羽屋
山は、人間のいとなみと地球が交差する場所。
「山のおかず」から「山菜料理」へ
月山の麓にある西川町は、貧しい地域だった。
1年の半分が雪でおおわれるこの地域は食糧確保に苦労した。
海からは離れ、米作りに適した平地も少ない。
何もないから、ふきのとう・わらび・木の芽・きのこ・小魚・獣肉などの「山の恵」を食べた。
その中で先人たちは工夫してきた。
どのように下処理したらベストな状態で食べていけるのか、どう活かしていけるのかを考えた。
たんぱく不足を補うために、ごまやくるみ、みそを加える。
旬を楽しみ、残りは次の冬に向けて塩漬け、乾燥、味噌漬けなどして保存食をこしらえる。
それが、この地域の日常食だった。
ある時、西川町の青年が、日本中の食材を食べ歩いたことがあった。
海沿いの町で、港の市場では売り物にならない、はじかれる小魚が感動的な美味しさだった。
ふと気づいた。
「自分たちが当たり前に食べているものが、よその人にとっては価値があって贅沢品になる」ということに。
青年は考えた。
西川町で営みを行う自分だからこそ出来るものは何かー。
そう考えて、青年は、貧しさから出発し日常食だった「山のおかず」を、「山菜料理」として昇華させた。
昔から月山筍やぜんまいは市場価格が高いが「こごみ」は値段がつかない。
木の芽とかになってくると名前も知られていない。
しかし、天然の野菜、山水で育てた人参とかは、香りがいい、余韻もながい、ほろ苦さもある。色んな要素が食材の中に詰まっている。
それを食べたことがない人が食べると感動する。
完全に肉食で野菜を食べなかったが、無農薬・無肥料・月山の伏流水で作られ糖度が高かったりえぐみがない野菜を食べて、「野菜ってこんなに美味しかったんだ」となり、野菜を食べるようになった人もいる。
山菜料理というカテゴリーは日本にはなかった。
山のおかずである山菜=春の緑の葉っぱだけというイメージは、スーパーなどのマーケティングの中で定着していったもの。
春の木の芽、夏の川魚、秋のきのこ、冬のジビエも含めて「山菜」だ。
自然を借りた営みと自然を循環し、次の世代に引き継ぐ
「山の恵み全てが山菜、という考え方が、この5、6年で伝わってきた。」
山菜料理のお宿・出羽屋の代表・佐藤治樹さんはそう話す。
山のおかずを山菜料理として昇華させた青年というのは、治樹さんのおじいさんだ。
治樹さんは、6年前に家業である出羽屋に入り、現在は社長になって経営している。
若女将の悠美さんは、起業し女性向け雑誌の出版・編集をしていたが、治樹さんと結婚し現在は出羽屋の仕事をメインとしている。
最初は、受け継いだものを続けるだけで精一杯だったが、模索する中で、自分たちがこれだと思う方向性が徐々に明確になってきた。
ひとたび人間が手を加えた山や森は永続的に手入れをしなければ荒れてしまう。
自然のものを頂いて、お客様に届け、お客様に喜んでもらいながら、自然や生態系を守る。
これから先もずっと生態系を崩さず、次世代に自然をいい状態で引き継いでいく。
10年後・30年後・50年後の世界を見据え、地球にも人間にも動植物たちにも優しいサスティナブルな取り組みと経営をしていきたい。
数年前、欧米・北欧のお客様を受け入れた際に、「ペットボトルを使っているのがダサい。日本はこんなにイケてないの?」と言われたことをきっかけに、表面的なエコはやめようと決意した。
治樹さんは、オーガニックコットンから出来たTシャツ、バックは山葡萄のつるで編んだカバンなど、身に付けるものを変えた。
月山の水を活かして野菜を育てる、コーヒーを淹れる。
生ごみはコンポストに出して堆肥(土の栄養)に変えて、また野菜作りに活かす。
受付脇にある、じんわり暖かい囲炉裏で出た灰はアク抜きに利用する。
干し柿・干し大根・和えものなどの昔ながらの味などて仕事で紡ぐ部分は残し、効率化すべきところは効率化する。
客室のランチョンマットは、国産の楮に捨てていた食材の破材を練り込んで作っている。これを説明をお客様にすると、持ち帰ってブックカバーやキャンドルホルダーにしてくれる。ワインや日本酒の作り手は、エチケット(ラベル)にしたいと言っていた。
出羽屋が提供しているのは「食べること」だけではない。
畑をやり、料理を作り、獣肉を自分たちで解体することを通して、お客様に「自然・山と共に生き、いとなみを循環させる」というメッセージを伝えている。
SDGsの潮流があるから、そうするのではない。
「生きていく・生活する・営みをする上で、本質というものを追求してきた。偽物は絶対に出したくない、嘘はつきたくない。なんでもいい食材を出しているわけではなく、ひとつの循環、サイクルを回すためにやっている。」と、若女将は話す。
(シェフズテーブル)
出羽屋の営業は、ランチタイムのお食事処での山菜そばの提供、御座敷で山菜懐石料理の提供、蔵でお客様の目の前で調理をするシェフズテーブル、そして宿泊。
お祝いや儀礼などのハレの日に来てくれたところからスタートし、最近では距離が近くなったお客さんも増えた。
SNSで直接「よそで食べるものと出羽屋のものとでは、なぜ違うのか?」という質問を受けたり、定期的に送ってほしいものなどのやり取りもしている。
今までは春秋だけだったのが、1年に4回、中には月1回ペースで来てくれるようになったお客さんもいる。
たぶん「食べること”だけではない”もの」を求めて来てくれているのではないか、と思う。
最近は、ディープな旅を求めて、自分で調べるお客さんが増えていると感じるそうだ。
求められる価値が少しずつ形になってきて、お客さんもついて来てくれている。
もっと前に進めたい。
だから、自分たちも発信しなければいけないと考えている。
日本中のゲストをもてなしたい。
だから、いろんな人の力を借りたい。
2人とも、朝から晩まで、仕事のこと、山のこと、地域のこと、食材のことを考えている。
山のことを伝えていかないといけない。
だけど、なかなか外に伝えられていなかったり、日々の業務がある中で、アイディアが整理しきれずにいる。
だから、2人それぞれの右腕となって、アイディアを一緒に形にしたり、考えていることを汲み取って外部へのメッセージとして伝えることを担ってくれる仲間と出会いたいと思っている。
出羽屋での仕事
若女将・悠美さんの右腕は、「接客・サービス」を真ん中に置くオールラウンドプレイヤーな仕事。
お客様は、料理を提供するときに、素材・こだわりなどを説明することで満足して下さることが多いので、出羽屋での接客・サービスは食文化を伝える伝道師とも言える。
加えて、これから出会っていくであろうお客様や外部の関係者に向けて「山菜料理」や「出羽屋」の価値を伝えていく広報のような業務も担って欲しいと考えている。
配膳や調理の補助もするし、春・夏に取れた山菜の塩漬けにする作業なども行うので、おばあちゃんの知恵みたいな暮らしの知恵・生きる力を、働きながら身に付けられる側面もあるだろう。
代表・治樹さんの右腕は、調理の仕事。
春の木の芽、夏の川魚、秋のきのこ、冬のジビエも含めた「山菜」を調理する。
例えば、上の写真で捌いているのは、鴨肉。
一般的に、「青首」と呼ばれる価値が高いとされている鴨はオスだが、写真の「茶色・メス」鴨の方が身の質が良く脂が乗っていて、食べればはっきりとわかるほど、味わい的にはこちらの方が良いそうだ。
それは、食材を触ってなきゃわからないこと。
取材後、お昼で食べた山菜そばは、コンロにかけた山菜汁をそばにかけて食べるスタイルだった。
最初に口に入れた時には『あれ、つゆの味が薄いかな?』と正直思った(個人の感想です)。
でも、食べ進めるうちに、段々と素材の味の輪郭が感じられるようになってきて、食べ終わる頃には、自分の味覚が、複雑な味を感知できるように性能がアップしたような気持ちになった。
且つ、「自然・山と共に生き、いとなみを循環させる」という出羽屋で大事にしている姿勢を聞いた後だったので、食材1つ1つをよーく見て、じっくり味わい、山形の自然に、想いを馳せた。
「たぶん食べることだけではないものを求めて来てくれているのではないか」という来店頻度が多くなったお客様の気持ちはこういうことなのかな、と想像する。
どちらの仕事も、宿泊のお客様の希望があれば一緒に山に入って山菜採りをすることも可能だ。
山菜採りのプロと一緒に山に入り、「今年は熊が少ないらしい」とか「来年はくるみやブナが豊富で熊が降りてこないので獣肉が少ないかも。だから来年はこういう発信をしていこう、今年のうちにある程度ストックしておこう」というような話もする。
働く本人が希望すれば、畑で野菜を育てることにも携わることも出来る。
出羽屋にある食材を、働いている人が自宅用に購入していくこともあるそうだ。
名付けて「出羽屋スーパー」。
そのお家のお子さんは、天然食材に興味津々になっている。
実は、出羽屋には、2代目が出版した本がある。
出版から40年後に、何も知らない状態で入社した若女将がこれを読んで勉強しお客様に説明出来るようになったそう。
「研修ツール」はきちんとあるので、山について知らない人も安心して欲しい。
出羽屋の人々
出羽屋で働く人は15人。
近くに住む人が多い。ベトナムから出稼ぎに来ている人もいる。
この他に5人の役員。
大女将は、いつも囲炉裏の前に座っていて、見かけないと常連さんから「今日いないの?」と言われるマスコット的存在。
3代目の女将は、孫育てを楽しみながら若女将とともに宿の経営をしたり女将としての心構えを伝えている。
若旦那や若女将は生活と仕事がほぼ一致している。
『だけど、それをこれから働く人などスタッフの皆には求めません』と言っていた。
出羽屋のこれから
役員の会長、社長、大女将、女将、若女将は全員「佐藤」姓で、家族経営。
大企業のように、「意識が高い人が集まり論理的にものごとが決まる」感じではない点は否めない。
だが現在、合理的な判断がされる「家族経営からの脱却」を目指し、奮闘している真っ只中だ。
「あるものでやるしかない」と社長の治樹さんは言うが、ないものは作ろう、という構想もある。
出羽屋がある西川町には商店が少ないので、自分たちが欲しいものを集めた『出羽屋村』みたいなものをを作れたら良いなと考えている。
カフェ・bar・アウトドア・花屋・パン屋。
実は、イメージのイラストだけはもうある。
具体的な事業化はまだだが、「やりたい」という人がいたら、話はグッと進展するだろう。