「なんで、何かを捨ててまで山形へ?」山形に来たら、そう聞かれることが多かった。
今回のやまがたで働く人
郷間 裕さん
宮城興業株式会社 東京出張所長
「靴のサイズ選びは、かかとの部分に指一本入るように」
靴屋で店員さんにそう教えられたから信じていたけど、革靴に関しては、それは迷信らしい。宮城興業(株)の郷間さんに教えてもらった。
JR南陽駅から車で10分。宮城興業(株)は、革靴を製造するメーカーで、主に男性物を主力としている。高級本格靴として一般的な”グッドイヤーウエルテッド”と言う製法の靴が製造できる国内でも数少ないメーカーである。その中でも特にアドバンテージがあるのが、「パターンオーダー」。足の幅を何段階からも選べて、微調整を施し、革の種類を選ぶことが出来る。革靴のメーカーの中でも、国内200の靴販売店舗と提携し、パターンオーダー革靴を提供しているのは、宮城興業だけである。
約8年前、革靴に魅了されて、千葉から山形の南陽にやってきた男性がいた。それが、郷間さん。いわゆるIターン。30歳の決断だった。
郷間さんは、千葉の柏市ということろで生まれ育った。ファッションが大好きで、私服で通える高校に通っていた高校時代。一流と呼ばれる大学の政治学科を卒業し、一部上場企業で営業職として働き始めた。
革靴との出逢いは、社会人になってから。初任給で初めてイタリア製の靴を買う。その履き心地に「ジャストフィットとはこういうことなのか」と景色が明るくなった感じだった。就職活動の時に買った革靴が足に合わなかったから、尚更だ。それからというもの、靴にハマりだした。海外旅行に行けば、3足は革靴を購入してくるようになる。
―いつ頃から、今の仕事への転職を考えるようになったんですか?
「本社が出資しているシステム系のベンチャー企業に出向することとなったんですけど、そこでは、中学・高校時代にいわゆる「オタク」と呼ばれていた人たちが、時代の最先端で活躍している。その姿を見て、「好きなことをやるって、こんなにパワーがあるんだ」とカルチャーショックを受けたんですよ。それからですかね。「30歳ぐらいまでは自分の生き方を考えたいなー」と考えるようになったのは。自分の生き方を漠然と探すようになりました。」
―そして、29歳の頃、革靴好きが高じて、靴作りの教室に、週末ごとに通い始める。
「”自分がいつも買ってるような靴が作れたらなぁ”と思って、プロが主宰する靴作りの教室に、週末ごとに通い始めたんです。ハンドメイドで、手縫いで靴作り。教室に通い始めて3ヶ月が過ぎたころ「1日中靴のことだけ考えて仕事に出来たら、この上ないシアワセだろうなぁ」と段々考えるようになってきた。”今の仕事も100%頑張ってる。だけど、靴のことなら、120%頑張れるんじゃないか。”そう考えるようになってね。」
まもなくして、靴を創る仕事をするために転職活動を始めた。
そして、教室に通い始めてから半年後、
会社に退職届を出す。
ちょうど30歳になる年だった。
そして、宮城興業の門を叩く。
「宮城興業のことは、国内の革靴メーカーとして、以前から知ってました。そして調べてみると宮城興業の「研修生(正社員)募集」という記事を見つけたので、応募。面接では、「一日中靴のことが考えられれば、なんでもします。職種にこだわりはありません。これまでの経験を活かして、営業でもなんでもします」って話しましたね。」
そして、めでたく入社。山形県南陽市にある本社工場勤務となる。修理の靴をバラしたり、革の新色を企画したり、という仕事内容だった。
宮城興業には、研修生という制度がある。研修生は、自分が勉強したいことを、仕事が終わってから夜間に、工場を自由に使って練習することが出来る。約20人の研修生の昼間の職種は様々。デザイナー、パタンナー、革の裁断、縫製。靴底を付ける担当、材料発注、生産管理。イギリスやアメリカのくつ学校を出た帰国子女も、昼間は各自自分の仕事をしながら、夜になると、みんなくつ作りの研修をしているのだそうだ。
―望み通り、昼も夜も、まさしく「1日中」靴の事を考えられる環境へと移った郷間さん。とはいえ、千葉からいきなり山形に来て、生活のギャップはなかったのだろうか?
「運転免許取る時に、寒河江の自動車学校に合宿してたんで、”田舎の風景”のイメージはありましたけど、それくらいですかね。特に最初は”休みの日何しようか”なんて考える余裕もなかったんですけど。でも、田舎に行ったら、田舎らしい生活をしようって思ってたましたかね。だって刺激が少ないとか、東京と比較してたらキリがないですもん。積極的に楽しまないと!って思って、畑をやってましたよ。ほうれん草に白菜、とうもろこし、なんばん、なすとか作ってね。」
田舎暮らしを楽しみながら、念願の靴作りの仕事を続けてきて7年。
郷間さんに転機が訪れる。
攻めの営業体制へと変換するために、東京事務所を開設することとなり、東京営業所長として、戻ってくることになったのだ。
現在は、「山形では出来ない事を」ということで、プレス業務・企画・営業、などを行っている。
―東京で営業してみて、どうですか?
「日本のものづくりが認められつつある、というのを感じますね。というのもこんなエピソードがあって。弊社の革靴を販売するショップに、そのショップの常連さんが、北海道みやげを2つ持ってきたんだそうです。「1つはこのお店に。1つは宮城興業の工場の人に」って。これって、お店が生産背景を伝えてくれている証拠なんですよ。ファッション業界というと、生産背景を隠したがるものだけど。名もない工場が認められつつあるということだと思うんですよ。作っている人たちの世界観が認められつつあるのを感じます。」
初任給で購入したイタリアの靴に魅了され、”革靴フェチ”になった千葉生まれの人が、山形の老舗靴メーカーの全国展開を考える人になっている。そして、目指すは世界。
「会社としてはmade in yamagataを全国へ、そして海外へ。アメリカ、カナダ、シンガポールなどでは既に取引が始まっています。いま挙げた「海外」って”オーダーメイド”って言うと、フルオーダーメイドしかないんですよ。例えば、アメリカでは、スーツの仕立て屋でパターンオーダーの宮城興業の靴サービスを行っているんですけど、「オーダーメイドなのに安い」とびっくりさせる。通常オーダーメイドの革靴は30万円とかするんですけど、弊社のパターンオーダーだと2ケタはいきません。ここに、マーケット開拓の可能性を感じます。
とはいえ、マーケットが未熟だからこそ、”靴をオーダーメイドする”という文化を根付かせる啓蒙作業が必要とも感じています。初めて革靴の文化が伝わった明治時代と同じ状態かなと思います。
ここから先は恩返しモード。お世話になった会社や工場のみんなに、”いっぱい仕事とってきたよー”って言えるようになりたい。自分の身近から幸せにしていくしかないです」
―最後に、これから”一歩踏み出す”、踏み出したい人たちにメッセージをお願いします。
「自分も、山形に来た時に、なんで何かを捨ててまで山形に来たの?っていろんな人に聞かれました。だけど、ちょっとした貯金とか、会社での肩書とか、それって本当に大事なものだっけ?ともう一度考えてみて欲しい。僕も、”一流の大学出て、大手企業を出て…なのに”みたなこと言われますけど、 大学名なんてクソくらえです(笑)
それに、実際辞めましたけど、自分の人生に何の影響もありませんよ。」
お金、肩書き、ステータス、…世の中的に「良いもの」としているものって、自分にとっては「良いもの」なのか?
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
正解はありません。
Profile
郷間裕さん
出身 千葉県柏市
生年月日 1974年5月8日
URL http://www.miyagikogyo.co.jp/