「焼き物作りを生業にしようと思ったきっかけは?」

お母さんが調理師だったという寛美さん。
「母が作った料理を、器に乗せたいと思ったのが最初のきっかけだったかもしれない」

東北芸術工科大学を卒業すると同時に青森の師匠に弟子入りし、修行を始めた。

2年後に帰郷し、現在は舟形町の若鮎温泉そばに窯をもち、制作活動に没頭する傍ら講師としても活躍し、地域活動も積極的に行っている。

 

「一つの器に一つの物語」

寛美さんの作る器には、それぞれストーリーがある。
器の大きさも、形も色も、そこに乗せるもののイメージから出発する。

 

例えば「ひっぱりうどんを食べるための器」。

女性ならではの、料理が盛り付けられたときの絵を思い浮かべながらの制作。

 

「祈り」

「これは祈(いのる)ちゃんだよ」

もとから寛美さんと顔見知りの筆者が窯を最初に訪れたときにお買い上げした手乗りサイズのかわいい人形たち。

東日本大震災の直後は、制作活動が出来なかった時期もあったとのこと。

被災地は目と鼻の先にありながら、当時はガソリンの供給も出来ず、支援もままならないことに心を痛める。

祈りは作品にこめる。

女性が焼き物で生活していくのは大変、と師匠の奥様にも言われたことがあったという。

しかし、どんな波があっても必ず焼き物に戻ってくる。

「作らないことがストレスになる」という。

街づくりなどにも関わり、子育て中の一主婦でもある。多忙な日々の疲れも土に返すのだ、と。

「やっぱり焼き物が好き」ときっぱり。

 

「縄文時代に思いを馳せる」

舟形町で20年前に出土された縄文の女神が近頃、巷を賑わせている。

それに関わるイベントの多くに関わり、「舟形に”ドキ☆土器ロード”を作りたいんだ」と笑う。

地域の子供達のために役立ててくれるのなら、とミニチュアの縄文の女神の型を譲り受け、制作会を開催したりする。

縄目模様をつけた土器を製作し、縄文当時の生活を思い浮かべる。

「縄文時代には文字も、言葉すらもなかった」
家族はどうやってコミュニケーションをとっていたのだろう?
「ご飯だよ~! と、土笛を吹いたりしていたのかな」
それを想像するのが楽しくてしょうがないのだという。

女性らしい視点を持ちながら、
「作品だけで生きてやる!」と芯の強さも見せてくれる。

今後の活躍も期待大。

Profile

金寛美さん

出身 山形県新庄市
生年月日 1977年3月3日
URL http://www.facebook.com/hiromi.kon

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この記事を書いた人

小嶋 可那子

平成19年に夫の故郷の新庄市での暮らしをスタートさせました。四世代同居で10人家族です。 最上伝承野菜のPRや、染め物を生業としながら、ときど...

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