・学生時代、理科や科学・化学の実験をおもしろいと思ったことがある人
・地域づくり・山辺町を盛り上げることに興味がある人
・誠実な社長がいる会社で働きたいと思っている人
今回は、そんな人にはおすすめの求人・会社です。
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「地域に、なくてはならない仕事にしたい」
そんな想いで事業に取り組む社長がいます。
その社長が取り組む事業は、
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養豚。
養豚は、名前の通り豚を育てて出荷する仕事。
この会社で働くとしたら、一緒に長い時間を過ごすことになるであろう社長が、なぜ養豚をやっているのか、どんな養豚をしていきたいのか、どんな会社にしていきたいのかをお伝えします。
「学生時代、理科や化学の実験をおもしろいと思ったことがある」「地域づくり・山辺町を盛り上げることに興味がある」「誠実な社長がいる会社で働きたい」そんな方は、ぜひ最後までご覧ください。
山辺町で養豚を行う「山形ピッグファーム」の社長・阿部です。
こちらの記事をご覧になっている皆さん、初めまして。
山形ピッグファーム社長の阿部と申します。
山形ピッグファームは、僕の父が始めた「豚や(養豚事業)」です。
山形ピッグファームは年間5万頭の豚を育てて出荷している、自社直営の出荷数としては、実は山形県内では1番の規模を誇る養豚事業者です。
2009年からは、自社ブランド「舞米豚」を育てて年間1万頭出荷しており、山形県内のスーパーをはじめ、県外でも買うことが出来ます。
「豚小屋って臭い」の言葉に劣等感を持っていた少年時代
ーコーディネーター:山形ピッグファームの創業はいつですか?
昭和40年です。父が20歳頃に創業しました。
農業高校を出た親父は、さくらんぼ・米・ホップの栽培もやったそうだけど、収入が不安定だったり年間通して収入ない。
そこでいくと、畜産は1年間の収入があり安定している、というのが養豚を始める決め手だったみたい。
日本の食生活が全体が肉食・欧米化してきた時期というのもあって、時代の波に乗って、出荷頭数を増やしてきました。
事務所がある山辺のこの場所には、僕が10代の頃は、農場もあって仕事が隣にあって、豚さんと一緒に育ちました。(元々この場所で500頭飼っていたが、昭和63年に山辺町の松山地区に移動。)
小さい頃は、わりと豚は好きだった。
ただね、昔の豚舎は結構臭いがあったから(今は比較的臭いは少ない)、「お前のところ臭いね」「豚は臭いから出ていけは」とか言われたりしてね。
家業が否定されたような気持ちになって、劣等感を感じていました。
義務感から使命感へ
ーコーディネーター:阿部さん自身が、この仕事を始めるきっかけは何だったのでしょうか?
僕は、3人兄弟の2番目。
昔って、「家業は長男が継ぐもの」が強かったから、「家業を継ぐのは俺ではないな」と思って、2つ上の兄貴が継ぐものだと思ってたんです。
だけど、高校生の頃に、兄貴が継がないということになり、それで自分に矛先が向いてきた。
親に「お前についで貰わないとダメだ」と言われて、家業を継ぐことを念頭に、大学は農学部の畜産学科に進学しました。
大学4年になって、農学部の畜産学科の同級生はどこに就職するんだろう?と見ると、ほとんど公務員。農業試験場みたいなところが多くて、農水省行く人も多い。継ぐ気はあるものの自分も公務員系に行こうかと考えたけど、父から「帰ってこい」と言われ、とにかく帰ってこないとダメだろうなと思って。大学卒業後、すぐに地元にUターンして家業に入りました。
ー編集部:継ぐのは望んでましたか?望んでませんでしたか?
最初は、義務感だったかもしれない。
山形にUターンして半年後、今度は父に「アメリカに行ってこい」と言われて、アメリカに1年修行に行きました。
アイオワ州のど真ん中に英語の勉強もしないでポンと行った。
準備もしないで行ったから何もわからない。ビザの取り方もわからない。
学生になれば学生ビザが取れるということで、アイオワ州立大学に入学して週に1つの授業だけ受けて通いながら、親父の知り合いの農場や豚の精液を販売する会社で学ばせてもらいました。
ーコーディネーター:お父さんから言われて素直に聞く社長、真面目ですね。
自分で言うのもなんだけど、根が真面目です笑。
アメリカから帰ってきた後は、父の知り合いを頼ってイギリスの養豚場に2ヶ月勉強しに行きました。
(アメリカ修行時代。後列右が阿部さん)
ーコーディネーター:お父さんのネットワークすごいですね。そして阿部社長、イギリスにも行くって積極的に学んでますね!「義務感」だったのに、その積極的な姿勢がなんとなく不思議なんですが…
アメリカに行って『養豚の仕事をしている人が養豚をやってることに誇りを持っている姿』に刺激を受けたんだよね。
アメリカは「ピッグショー」という豚の品評会のようなイベントがあるんだけど、小学校の低学年くらいのちっちゃい子が、「俺のところの豚すごいだろって、こんな豚なかなかいないぞ」って誇らしげで自慢するわけ。
それを見て、彼の『豚を飼っていることへの誇り』を感じてね。
それまで自分は、養豚の世間体・地位は低いと感じていたんだ。
だけど、そんな子供の姿を見て、気づいた。
「俺、豚で生きてきたんだどれ」って。
大学まで出してもらって授業料も豚さんが出してくれた。豚に育ててもらって、食わしてもらって、非常にありがたいことだな、と。
養豚を誇りを思っている彼らを見て、ちょっと恥ずかしい気持ちになった。
それから、なんとなく自分のミッションみたいなものが出てきた。
「豚に恩返ししないといけない」
俺の生まれてきて、果たすべき使命ってなんだろうって思うと、「豚に恩返しすること」だな、と。
だから、養豚を憧れられる職業にしたいんだよね。
ーコーディネーター:使命感、ですね。
養豚を「地域になくてはならない仕事」「憧れられる職業」に
ーコーディネーター:県内で一番規模の大きい養豚業。今後は会社をどうしていきたいですか?
養豚は、人気業種ではありません。
力仕事だし、汚れるし、昔よりマシにはなったけど多少臭いもあるし、誰もがやりたい仕事ではないと思います。
人が住むエリアに豚舎があった頃には「出てってくれ」と言われたこともあるし、どちらかと言うと人が生活する街場にはいらない産業。もしかしたら、地域になくても良い産業だったかもしれない…。
そういった経験があるからでしょうか、「地域になくてはならない産業になりたい」「地域に根差した認められる企業にしたい」という想いがあります。
『山辺まるごとフェスティバル』というイベントで開催される、地元の高校生が地元食材を使ったメニューを開発する「アイディア料理フェスタ」で、山形学院高校の調理科や山辺高校の食物科の学生と10年に渡ってコラボしてきたというのも、そういうところから来てるかもなぁ。
若者が『養豚に就職したい』ってなるような、養豚を憧れられる仕事にしたいね。
将来的には、養豚だけにとどまらず、山辺にこういう会社あってよかったなって言われる会社になりたい。
養豚業者の中には、堆肥を欲しい人に販売し、堆肥を使ってキャベツ作ってる人もいる。
そんな風に、キャベツを作れたら、うちの舞米豚でトンカツ作って『山辺に来たら、とんかつでしょ!』ってなるのも良いよね。アスパラを作ったら、アスパラベーコンも出来るね笑。
山辺でワインをやってくれる人がいたら、うちは生ハムをやるよ笑
埼玉に「サイボク」という、6次産業化をしている養豚業者があるんだけど、ああいうのいいね。
そんな想いは沢山あるけど、まだマンパワーがない。
一緒に考えてくれるような人がいれば、新しい方面にも力を注げるようになるかなと思ってるよ。
(豚のふんをサラサラなペレット状の堆肥として販売もしている。写真は発酵の様子。臭いもほとんどありません。)
自社ブランド「舞米豚」を一般消費者が購入できたり直営店で食べられたりすることは、社員が「自分が生産に携わった豚肉は喜ばれている」と実感できて社員の誇り・やりがいになるから、そういったことはやらなければならないなと思っているよ。
ただ、父は30年前に仙台にしゃぶしゃぶと豚ステーキのお店を出店して失敗し撤退している過去があって、その経験から父は「6次産業化には手を出すな。生産現場にはお金が落ちてるから、そこをもっと掘れ」とずっと言っていたんだよね。
「舞米豚が食べれる直営店」は、父もやり続けたかったことだとは思うけど。
6次産業化には手を出すなと言われ続けたけど、今は父の時代とは違う。時代が変わってきた。
踏み込まなきゃいけないんだろうな、とは思いつつ、父の時代のブレーキが僕の中に残っているのもあるね。
(本社では、味噌漬け、フランクフルト、うま煮などの加工品を常時販売している)
「豚を科学する」社長の右腕となる仕事
ーコーディネーター:新しく入る人には、どんな仕事をして欲しいですか?
養豚を地域になくてはならない仕事にして、社員が誇りを持てるようになるために、6次産業化の可能性も視野に入れいてるわけだけど、社長の僕は、まだまだ農場にいなきゃいけない状態。
だから、『社長がずっと農場にいなきゃいけない状況』を脱したいと思っている。
生産現場と、事務所の部分をつなげる人、パイプ役となる、社長の右腕となってくれるような人を求めている。
(農場はこんな感じです)
ーコーディネーター:生産現場と事務所をつなげる。具体的にはどんな仕事ですか?
豚は、約1.4キロで生まれて、6〜7ヶ月で120キロになって出荷されます。
顧客は、山形県の食肉公社・県内外の食品メーカー・スーパー・卸業者などで、売り上げは『豚そのもの』がほとんど。
豚を育てることに関わるコストのうち、約半分を占めるのが餌。
豚は、体重の約3倍・約360キロの穀物を食べるのだけど、300キロ餌で同じ位の大きさにする人もいる。
1頭あたり60キロ×1万頭ともなると、餌にかかるコスト全体の金額がものすごく違ってくるよね。
養豚の醍醐味は、『餌の効率を高めて、できるだけコストをかけずに付加価値を高めていくこと』。
餌の量だけでなく、どんな餌を与えるのか。
温度湿度はどうするのか。
いろいろな病気と闘わない仕組み作り、ワクチンはどうするのか。
仮説を立てて考え、様々なことにチャレンジし、現場で起こっている問題を改善する。
豚を科学していき、取り組んだ成果は6ヶ月で出る。
そしてまた、仮説検証を繰り返していく。
そうやって「豚を科学していく」ことを、面白いと捉えられると、きっとこの仕事に向いていると思います。
豚がどうやって付加価値をつけていくか、どこで利益が上がってくるのか、『豚を科学』しながら利益構造も把握できるようになって来ると、生産だけではなく経営的なことにも取り掛かれるようになって来ます。
入社してすぐに結果を出せとかは無いよ。
経験が無くても全然良いから、ゆっくりと育ってくれたら良いし、そんな人を育てていきたいと考えています。
僕の考えに共感してくれて、同じ船に乗ってくれる人に出会いたいね。
入社してすぐ担当する仕事は、”豚が快適に成長できる環境をつくる”こと。
豚舎の清掃・洗浄・消毒はもちろん、温度管理、換気、給餌の管理が日常の仕事かな。
出産の回数は年間約2.5回。1回のお産で10~15頭生まれます。生まれたばかりの子豚の授乳から出荷直前の肉豚まで、それぞれの発育段階に合わせた種類の餌を与えながら健康をチェックします。
「農場をもっとこうした方が良いのではないか」とか改善案を、コストも含めて提案してくれたりすると嬉しいね。
農場で働く先輩たち、機械が壊れるとすぐ捨てる傾向にあるから、「修理すればまだ直せますよ!」って先輩たちに言う役割して欲しいな笑。
募集要項
募集職種 | 現場の農場と事務所をつなぐパイプ役&社長の右腕として、『豚を科学』していってください。 |
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業務内容 | (入社してすぐ) まずは、農場で養豚の現場を経験して頂きます。 1番大切な仕事は、"豚が快適に成長できる環境をつくる"こと。その為に、豚舎の清掃・洗浄・消毒はもちろん、温度管理、換気、給餌の管理を行います。生まれたばかりの子豚の授乳から出荷直前の肉豚まで、それぞれの発育段階に合わせた種類の餌を与えながら健康をチェックします。 慣れてきたら、 ・豚の付加価値を高める飼育方法を仮説を立て施策を実行(豚を科学する) ・農場の飼育環境の改善 ・6次産業化の企画 ・補助金申請書の作成 ・SNSや自社ブログを使った情報発信 ・現場の実情と経営計画の数字をつなげることを社長と一緒に取り組む などがありますが、もちろん全部が出来なくて大丈夫。 入社される方の特性・持ち味・経験・興味に合わせて出来るところから始めて頂き、ゆっくりと育っていって頂ければと考えています。 |
雇用形態 | 正社員 |
勤務時間 | 平日08:00~17:00(7h) 土・休日08:00~15:00(5.5h) (お昼休憩1時間30分) |
給与 | 月額185,000円~ 年収250〜400万円程度(経験など考慮) |
休日 | 第2土曜日 日 祝日 年末年始 夏季休暇 他会社のカレンダーで定める休日 (いずれもシフト制による) 誕生日休暇(半日) |
福利厚生 | 社会保険完備(雇用保険・健康保険・厚生年金・労災) 健康診断 インフルエンザ予防接種の助成 慶弔見舞金制度 永年勤続制度 再雇用制度 退職金制度 社員販売(定期的) アワード受賞者表彰(年1回) 精肉配布(年2回)、 誕生日ケーキ進呈 昇給年1回 賞与年2回 通勤手当 残業手当 役職手当 報奨金制度 |
勤務地 | 事務所(山形県東村山郡山辺町大字根際249) 農場(山辺町松山農場 ・山辺町松山第2農場) のいずれか、または両方 |
対象となる方 | ◯必須となる経験・スキル◯ ・普通自動車運転免許 ◯歓迎する経験・スキル◯ ・養豚・酪農・養鶏など、動物飼育の職務経験 ・獣医師免許 ・農業の経験 ◯求める人物像◯ ・豚の飼育に真摯に向き合える方 ・挨拶など基本的なコミュニケーションが出来る方 |
入社予定日 | 随時 |
応募方法 | (学生の方) ヤマガタ仕事ラボからエントリーしてください。 (社会人の方) 下記のフォームよりお問い合わせ・ご応募ください。 |
選考プロセス | 工場見学・会社見学→面接→内定。 |
お問い合わせ | 023-664-5280 |
HP | http://www.pigfarm.co.jp/ |