※この記事は、2015年9月に公開した「山形仕事図鑑#053  Uターンはしても転職はせず!ITエンジニアが最上町でリモートワーク!」に追加インタビュー内容を加え、追記・編集した記事となります。

「山形は好きだから住めたらいいけど、でも仕事あるのかな?」「東京での仕事を辞めるのも捨てがたい」――そう考える人も多いのではないでしょうか?

そんな方へ「会社を辞めないで、拠点だけ移して地方でテレワーク」という働き方はご存じですか?

仕事部屋にて

「テレワーク」とは「ICT(情報通信技術)を活用した、場所や時間にとらわれない柔軟な働き方」のこと(総務省)。山形県最上町在住の赤川健一さんは、渋谷にある株式会社システム計画研究所の社員ですが、2009年の秋から最上町の自宅にてテレワークをしています。

「仙台の大学を卒業して、東京の大学院を出てから、渋谷にある現在の勤務先に就職しました。受託案件のシステム開発を行う他に、社内イントラネットなど社内で使うネットワーク構築なども行っていました。

35歳くらいとか、いつかは山形に帰りたいとぼんやり考えてはいましたね。特に行動していたというわけでもなかったんですが、30歳の時に親が体調を崩したことをきっかけにUターンすることにしました。

現在は、東京の案件を分担して、最上町の自宅で作業しています。東京とのやりとりはスカイプなどで。月に1度は東京本社に出社します。裏庭の景色や庭で遊んでいる子どもたちを近くに感じながら仕事していますよ。」

新緑の5月(裏庭)

 

とはいえ、会社は辞めずに在宅でテレワークってどうやればいいの…?

赤川さんのような「会社を辞めないでテレワーク」という働き方に興味を持っている人は多いと思います。でも「どうやってやればいいの…?」という部分が気になりますよね。

そこで後日、改めて赤川さんに自らの働き方についてインタビューしてきました。

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はじまりは「やれそうであればやってみよっか」

編集部「赤川さん、今日はよろしくお願いします。改めてになりますが、テレワークを始めたきっかけを教えてください。会社とはどんなやり取りがあったのですか?」

赤川さん「はい、よろしくお願いします。テレワークのきっかけは、自社内のネットワークを構築する案件で、VPN(Virtual Private Network:会社の外から安全に社内のネットワークに接続できるような仕組み)を作っていたことです。その案件を担当している前後に実家の親が体調を崩してしまい、ちょうどUターンを検討しているところでした。

当時、Uターンといえば『会社を辞めて帰る』というパターンがほとんどでしたが、VPNの仕組みを活用して実家からテレワークができないかと思い、試しに上司へ相談してみました。すると、それまで社員のテレワークの事例はなかったのですが、会社としても社員の働き方の多様性、人材確保という意味でテレワークの可能性に着目しており、やれそうであればやってみよっかということで承諾してもらった、というのがテレワークをするきっかけとなります。」

15385274_1247760351965035_355788634969893725_o(東京時代は川崎に住んでいた赤川さん、よく多摩川の河川敷へ散歩に行っていたとのことでした)

編集部「東京と最上町をつないだ完全(常時)テレワークという形ということで、始める前に準備期間のようなものはあったのですか?」

赤川さん「東京にいた頃に1年間の準備期間はありましたが、やったこととしては社外(最上町の実家)から東京の会社のネットワークへ安全に接続できることを確認することだけ。特に『1週間お試しで最上町からテレワークをしてみよう』といったようなものはありませんでした。ただ、ちょうどテレワークを始めるタイミングで家の建て替えも行っていたので、直前の準備はかなりバタバタしていましたが…(笑)」

 

テレワークのメリット・デメリット「仕事で忙しいときでも夕食の時間は仕事を抜け家族全員で」

編集部「2009年からテレワークをやってきて、メリットやデメリットはどんなところにあると感じていますか?」

赤川さん「メリットとして一番に感じるのは、やはり会社を辞めずに続けることができているということですかね。Uターン転職に比べて仕事環境での変化が少ないし、東京にいた頃と仕事内容的もそんなに変わらないので、そこはとても助かっています。また、Uターンのきっかけが親の体調不良だったので、親の近くにいながら生活ができるということはメリットとして大きく感じています。

あとは満員電車での通勤がなくなったことですかね。通勤時間が45分からゼロになりました。育児に関しても、現在6人家族で子どもが3人いるのですが、周りの支えもあって東京より育児しやすい環境だなと思います。

だいたいいつも家の中にいるので、仕事中でもちょっと家事で手が足りないときにサポートでき、時間に融通が利くというのも良いですね。時間の融通という点では、仕事で忙しいときでも夕食の時間は仕事を抜け家族全員で食べるようにもしています。

デメリットはやっぱりコミュニケーションですかね。仕事中、仲間にちょっと声をかけたいというような場面でも、メールや電話、チャットを介さなければなりません。ただ、これは私が思っている以上に東京側の仲間に負担をかけていることだと思うので、なるべく相手の負担にならないように気を付けるようにしています。」

編集部「具体的にはどんなところに気を付けているのですか?」

赤川さん「小さなことですが、コミュニケーションの必要があるときは自らアクションを起こすこと。仕事が順調に進んでいるときは一日中会社の人とコミュニケーションをとらない日もあるのですが、順調ではないときなどはどうしてもお互いコミュニケーションしづらい雰囲気になってしまいます。作業の遅れや問題が発生した場合は、自分ひとりだけでなんとかしようとせず、なるべく早く共有するように心がけています。あと、やっぱりチームの一体感を保つにはFace to Faceのコミュニケーションが必要なので、東京へ行く回数を増やすことも検討しています。」

 

労働時間・1日のスケジュール

編集部「労働時間についてはどうなっているのですか?」

赤川さん「労働時間に関しては東京にいたころとほぼ同じで、10:00~15:00がコアタイムのフレックスタイム制です。仕事内容的には顧客の前に立つ機会は減ってしまいましたが、開発のスタイルは変わっていません。チーム内で案件を分担し納期に沿ったスケジュールのもと案件を進めています。東京で働いていたときに比べて顧客との接点がかなり減ったため、顧客に対する意識が薄れ、仕事における『質』や『スピード感』という点で甘えが生じてしまうこともあったので、そこは繰り返し自分に言い聞かせるようにしています。」

 

また、その流れで1日のスケジュールも教えてもらいました。

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赤川さんの1日は朝食の支度から始まります。ここ3年は家族全員分の朝食を作ることが赤川さんの日課のひとつになっています。また、「夕飯前にきちんと仕事を終えられればベストなのですが、、、なかなかそうはいかず、夕飯後に仕事に戻ることも多いです。。」と仕事の大変さを覗かせる一方、家族との時間を大切にするため時間の使い方を工夫されている姿がとても印象的でした。

 

薪ストーブからできた繋がり

編集部「1日のスケジュールで『薪割り』とありますが…?」

赤川さん「ああ、それは薪ストーブ用の薪割りです。家の周りは山ばっかりだったので、実家を建て替えるとき、薪ストーブを入れたら面白いんじゃないかなと。軽い気持ちで(笑) 使わなくなったらオブジェ的な存在にでもしておこうと思っていたのですが、7年間、意外とフル稼働しています(笑)

この薪ストーブがきっかけで『やまがた自然エネルギーネットワーク』というコミュニティとの関わりができました。現在はボランティアとして活動しています。薪ストーブを含め自然エネルギーも将来的に仕事へ繋がればいいなとは思っているのですが、まずは自身の身の回りで活用していこうと思っています。」

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編集部「自分たちで作れるものは作っていこう、と。」

赤川さん「最上町でもバイオマスの活用に力を入れており、2015年に『バイオマス産業都市構想』に認定されています。町全体で自然エネルギー関連の動きが盛んなこともあり、同じ2015年の冬、いろんな人と協力しながら『もがみ地産地消エネルギー』という任意団体を立ち上げました。そこでは『木の駅』という、間伐材を利用して地域通貨を発行する活動を行っています。山から遠ざかってしまっていた山主さんや地域の住民が、もう一度山に目を向け、ローカルな経済を考えるきっかけになればと思っています。」

編集部「このような活動をすることで、暮らしに変化はありましたか?」

赤川さん「仕事はデスクワークが中心なので、薪を割ったり焼べたりする作業は、良い気分転換になりますし、なによりとても楽しいです。自然エネルギー関係の活動をしていると、心が豊かになるのはもちろん、これまで見えてこなかった地元の良さに気づき、最上町の景色が変わったように思います。」

15369964_1247760355298368_6574255045408155420_o(「山形食べる通信」(※)を購読しており、そこで送られてくる食材の調理も赤川さん担当に)

 

※「山形食べる通信」:つくる人と食べる人の想いをつなぐ会員制サービス。2か月に一度、山形のめぐみに満ちた食材と、食材つくる人の物語や、食材を使った郷土料理や創作レシピが載った情報誌が届きます。(「山形食べる通信」HPより)

 

最上町の良さ「作る自由・楽しさ」

インタビューの中では、赤川さんの故郷であり現在の拠点・最上町の良さについての話も出てきました。

赤川さん「地方は自然が豊かというのはよく聞く話ですが、最上町にUターンして四季をより強く感じることができているなと思います。子どもも、好きな季節を聞くと『春は花、夏は川遊び、秋は紅葉があってきのこが採れて、冬は雪遊びができて、、全部いい!』と言っていたので(笑) 東京では全く感じなかったというわけではないのですが、最上町に来てよりはっきりと感じるようになりましたね。

庭で遊ぶ娘達

あとは自分たちで作ればいくらでも楽しめる環境もいいなあと。『木の駅』などの活動はもちろんですが、子どもと外で遊ぶときも家の敷地内にいろんなものを作り、のびのびと遊ぶことができています。東京と比べて『地方は何もない』と言う人もいますが、地方には東京に比べて『作る自由・楽しさ』があると思うんですよね。東京には東京の楽しみ方があるし、地方では地方の楽しみ方があるんだなと、Uターンして改めて感じました。

そうそう。これは少しずれるかもしれないんですが、最上町は雪が多いことでも有名なので、雪を最上町の良さとして活用できないかなとも思っています。多くの大人は雪が多いことをマイナスに考えますが、子どもにとっては冬だけの特別な遊び道具。子どもの遊びに限らず、何か雪を使った面白いことができないかなと考えています。」

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「少しずつ、最上町と仕事をむすび付けたら」

編集部「赤川さんのこれからについて教えてください。」

赤川さん「仕事に関しては、まずはしっかりと会社に貢献すること。また、現在は会社として東京での案件が中心になっているんですが、事業分野を拡大し地方にもアプローチしていこうという流れがあるので、私がその橋渡しというか、地方にいるからこそできることで会社に貢献していきたいですと思っています。少しずつ、最上町と仕事をむすびつけていけたらなと。こっちで仕事を作って東京のメンバーと仕事をするとなったら最高ですね。

自然エネルギー関連については、本業でやっているわけではないのでどうしても活動に制限が出てきてしまいます。ただ、だからこそいろんな人を巻き込みながら続けていきたいです。これを見て少しでも興味がある方がいらっしゃれば、ぜひご連絡いただけると嬉しいです。」

 

テレワークに興味のある方へ「まずは一歩、踏み出してみること」

編集部「最後に、テレワークに興味のある方へメッセージをお願いします。」

赤川さん「まずは一歩、踏み出してみることをおすすめします。私が6~7年前に検討し始めたころよりは『テレワーク』の認知度や労働環境は整ってきていると感じています。また、『起業』はもちろん、今ではランサーズクラウドワークスなどクラウドソーシングの動きも活発なので『フリーランス』という働き方も広まっていますし、『なりわい』や『半農半X』のような、自分が得意なことをビジネスに取り入れる働き方など、会社に属した『テレワーク』以外にも多くの働き方を選ぶことができる時代だと思います。まずは一歩踏み出し、そこで小さな仕事を見つけ、いろいろな組み合わせを試してみてはいかがでしょうか。」

 

編集後記:「ないものを作る」ことから生まれる豊かさと、「一歩、踏み出す」こと

東京で勤めていた会社を辞めずに地元・最上町にUターンし、テレワークをしている赤川さん。「テレワークをして7年経ちますが、東京で働いている仲間に比べればまだまだ…」と、決して自身の仕事のパフォーマンスに満足していない様子でしたが、インタビューに受け答えする姿はいきいきとしており、とても魅力的に映りました。

それはきっと、Uターン前にテレワークの環境をゼロから作ったということ、そしてUターン後は子どもが遊ぶ環境や自然エネルギーにまつわる活動などで、日々私たちが消費し続けるもの・ことを作ってきたということ、そういった「ないものを作る」という赤川さんの変わらない意識が生んだ「豊かさ」がにじみ出ているからなんじゃないかなと、今、編集後記を書きながら感じています。

いわゆる「転職」だけがUIターンの手段ではありません。赤川さんがおっしゃっていたように、現代はテレワークをはじめ様々な働き方を選ぶことができる時代です。赤川さんも上司へ試しに相談してみたことから始まりました。

何かで迷っているあなたも、自分らしい豊かな生活を送るため「まずは一歩、踏み出して」みてはいかがでしょうか。

14184307_1135803953160676_3215031486440869761_n(自宅の庭に張ったスラックラインで「一歩、踏み出す」瞬間の赤川さん)

Profile

赤川 健一さん

1978年生まれ。最上町出身。大学時代を仙台で過ごし、大学院進学で上京。卒業後は東京・渋谷のIT企業でシステムエンジニアとして働き、2009年11月より最上町にUターン。最上町では東京で働いていた会社を辞めずテレワークで働いている。2015年12月に「もがみ地産地消エネルギー」を立ち上げ、地産地消をモットーにお金では換算できないローカルな経済の普及を目指す。

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この記事を書いた人

伊原 貴義

1992年山形県酒田市生まれ。2012年よりヤマガタ未来Lab.に参画。紆余曲折があり4年制大学に5年間通い、現在はIT業界に従事。酒田のラーメンと蒙古...

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