松田善雄の生活

 

実家で農業を営む松田善雄さん(30)の朝は早い。まだ肌寒さが残る五時半に起床し、その日の夕方出荷する真っ赤に輝くトマトの収穫から松田さんの一日は始まる。簡単な朝食のあと、トマト、キュウリ、キャベツ、ブロッコリーの収穫と水かけなどの手入れ、水田の管理、市場への出荷は、昼休みを挟んで午後七時までほぼ毎日行われる。

「うちの主力商品はトマトとキュウリです。今あるビニールハウスのほとんどがこの二つの畑です。夏の需要期になると今よりもっと忙しくなりますが、忙しければ忙しいほど仕事が終わったあとの充実感は大きいですね。 」
仕事は肉体労働がほとんどだし、長時間働いて大変ではないかと聞いたところ、「慣れですよ、慣れ」と頼もしい言葉が返ってきた。

 

松田さんの畑は十一月から二月まで植え方を縮小する。その間、松田さんはソバの実を刈るアルバイトをしたり、実家近くのスケート場の受付で働いたりしている。今年はスケート場を利用してトリプルアクセルの習得をしたいと意欲を燃やしている。
週一回与えられている休日は、友人とチームを組んでフットサルをしたり、仙台に服を買いに行ったりして過ごしているそうだ。

 

松田さんが思い描く、山形の農業のこれから

山形の特産物といえば、全国的に有名なのがさくらんぼだが、松田さんは山形の農業について、

「じつは山形は野菜や果物のほとんどを育てることができる環境にあるんです。野菜は食卓に並ぶものは大抵作ることができます。果物も甘みのあるぶどうや桃やりんごも作られています。米もはえぬきはもちろん、最近では新種のつや姫も出来ました。山形は農業をするには最適の土地ですよ。」

また松田さんは地元の農協青年部に所属している。その青年部を通じて同世代の若い就農者と情報交換したり相談し合うことで互いにやる気を高めている。

「 将来は作った野菜を市場へ出荷するだけでなく、友人のところにこだわりの商品を届けて見たいですね。また、近所の同世代の仲間達と協力して、互いに作った野菜や果物を持ち寄って直売所を設けたら面白いと思います。」

 

祖父との約束

農家の長男に生まれた松田さんが実家の畑を手伝うまでには、ある一つのドラマがあった。
松田さんは高校卒業後、地元の美容専門学校に入学し美容師を目指した。卒業後は山形市街のショップに勤めることになった。もともと服が好きだったので仕事はとても楽しかった。この時はまだ家業を継ぐという意識はあまりなかった。

転機が訪れたのは二十三歳の時だった。

それは、具合を悪くし入院していた祖父の見舞いに母と祖母と三人で行ったときのことだった。その時、病室で祖父は松田さん一人だけを自分の元に呼んだ。母と祖母の見えないところで、祖父は松田さんの手を握り「家を頼んだぞ」と涙を流しながら言った。

 

祖父が自分の目の前で涙を流したのは初めてだった。家ではろくに口もきかなかった祖父だが、この時の言葉は家を想う気持ちに溢れていた。この時から松田さんの胸中に、家と畑を継ぐ強い自覚が生まれた。そして働いていたショップをやめ、本格的に農業を学ぶ決意をしたのだった。

 

おもしろきこともなき世をおもしろく

現在、松田さんは両親と三人で仕事をこなしている。
「今はまだ親の手伝い感覚。できるだけ早く試行錯誤しながらも、最初から最後まで自分の手で野菜を作ってみたい。」

 

松田さんは自分の人生観について、
「自分は何でも楽しみながらやる。全ては気持ち次第。人生は楽しむべきものだから。」
この態度は、明治維新の立役者である、高杉晋作の辞世の句から影響を受けたそうである。
「これからもこの態度で仕事もプライベートも楽しんでいきますよ。」

 

じつは、筆者は松田さんの家の隣に住んでいる。先日もまるまる肥ったトマトをビニール袋一杯もらった。そのトマトは甘くて美味しかった。取材のあと松田さんにそのことを伝え、「またおすそわけしてくださいね。」と言ったら、「うちのトマトは特別だから一個につき一万円いただこうかな。」とのことだった。もちろん冗談だったけれど。

Profile

松田善雄さん

出身 山形県山形市

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