日本海沿岸にある庄内地方は、名峰 鳥海山、月山のふもとに広大な庄内平野が広がり、独特の伝統文化、食文化が息づいた地域です。

 今回のやまがたで働く人

中原浩子さん

ホテルリッチ&ガーデン

中原さんは、美しい景色やそこで暮らす人々に魅かれて2010年に庄内地方に移り住んできました。

「小さい頃からジプシーにあこがれていて、ずっと住むところを探していた気がするの。東京ではみんなが同じでプラスチックのような顔をしていた。でも庄内の人は人間くさくてあったかい。庄内は四季、稲作、伝統文化、すべてがあって人が人らしくあるところ。こんな自分の住みたいところで暮らせるのは幸せ。」

 

映画「おくりびと」に導かれ、庄内に通いつめ。

中原さんは広島県で生まれ、大学時代と会社員時代を東京で過ごします。ブラジルへ5年過ごして、千葉に移り住み、塾を開きます。

そこは20-30代の若い世代とその子供たちが住む新興住宅地で、学校の成績だけが子供たちのすべてのような世界だったそうです。

そんな世界に息苦しさを感じた中原さんは塾を通して、子供たちに学校の成績だけがすべてではないと教えたくて、映画館に連れ出して感想文を書かせたり、普段強制されることが多い子供たちに寝そべったり、立ったり自由な姿勢で塾の授業を受けられるようにしました。

子供の目線で教え語る姿勢が認められ、近隣の人から愛される塾となりました。

17時から21時までほぼ休みなく一人で授業を担当する中原さんの体を心配して、コーヒーやパンの差し入れを持ってくる生徒さんもいたほどです。

忙しい日々の中、 映画「おくりびと」の世界に導かれて庄内に通い詰めました。その回数は20回にも及びます。

「月光川河川敷で空を眺めて雲が流れて、鳥が鳴き、山があって・・・秋にはサケが遡上する。産卵を終え傷ついたサケが川にいるのを見て、『これは川を掃除するんですか』って聞くと『全部きれいになるんだ』といわれました。それを聞いて、命がつながっているっていってるんだなぁって思ったんですよねぇ」

その時の情景が目に浮かぶように、一語一語に情感をこめて中原さんはお話を続けます。

「庄内はね、人が人に出会えるところ。人が人にかえれるところ。」

周囲の人たちに『庄内で暮らすことが夢』と口にして1年3か月後には、本当に庄内で暮らすことを決意し、行動したのです。

庄内の魅力を教えてください。と尋ねると、「3時間くらい話しちゃうことになるけど大丈夫かしら?」と返ってきました。暮らしている今でも、庄内への感動は色あせないみたいです。

 

槙島ほうきとの出会い

庄内に移り住んだ当初、は「何もしたくない」と思い、ひと月は何もせず川や山、海を眺めて過ごしていました。

「でも、働かないと食べていけないでしょ?」

生活の術がないことに思い当たり、求人で庄内町観光協会観光専門員の職を見つけ、筆記試験・面接等を経て採用されました。2010年5月10日の始業にあたり、採用の連絡があったのはGW前。始業までに庄内町を車で走り、どんな町なのか見て回りました。そこで出会ったのが槙島(まぎしま)ほうきで。

槙島(まぎしま)ほうきとは、材料となるわらを種から育てて作る、庄内町で今も作り続けられている道具。

「種から自分の道具を作るなんてすごいでしょ?私が出会った頃、ほうきの作り手は2人しかいなくて、この素晴らしい技が途絶えてしまうなんてもったいないと思ったの。槙島ほうきは20年から30年も使い続けることができる。

最初は客間からはじまり、普通の部屋、台所、玄関、最後には蔵の米集めのほうきとして使い、場所をかえて20年。物を大切に使い続ける「日本」の暮らしが今も息づいている。84年間も使い続けているほうきもあるのよ。道具にこだわるって素敵だなって。」

中原さんは槙島ほうきを作る人々の活動のお手伝いができればと考えます。

「価値があるものをお金に換えることも大事だと思うから。槙島ほうきのストーリーを考えたの。『2008年秋スクリーンを食い入るように見つめる女がいた。「おくりびと」に魅かれて移住した女が、はじめて出会ったのは槙島ほうきだった・・・。』(槙島ほうきとの出会いや思いを)ストーリー仕立てにして、種をまいてほうきを作るというプランを考えて、今までに名刺もらった人全員にチラシを送ったんですよ。」

企画は大成功。

「槙島ほうきのおじさん(農家さん)たちがすっごい喜んでくれて、よかったー。」

「次の年は手が足りなくなっていたので、応援隊プロジェクト『わがことプロジェクト』ひとごとじゃなくてわがこととしてやりましょう。って、応援隊を募集したんです。

そしたら今度は、ビームスで槙島ほうきを販売するってお話があって、おじさんたちにすっごく大変になるけどどうするって聞いてみると「やらねばの」って(笑)」

みんなで楽しむがモットーで、プロジェクトにもより多くの人が楽しく活動できるよう思いを巡らせています。中原さんと地元の農家さんの熱意から年々成長をとげる槙島ほうきの活動。

「だって同じことやったって楽しくないじゃない。どんどん新しいことに挑戦してみたいの」

今年は、畳屋道場さんとコラボしてイグサで作るベッドの埃を払うためのほうきを作ります。そして、若い人にもかかわってほしいと地元の高校でも槙島ほうき作りがはじまります。

中原さんが企画で一番大事にしているのは、「誰に喜んでほしいのか」、「毎年新しいことをする」こと。槙島ほうきは、中原さんの信念と地元の方たちに支えられて一歩一歩飛躍を遂げています。

 

庄内は人が人にかえれるところ。庄内を見せてあげたい。

現在はホテルリッチ&ガーデンで庄内大好きプロデュース室 室長を務める中原さんは、ホテルと温泉施設の提携や地元中国地方への庄内アピールなど業務は多岐に渡ります。

庄内で苦労したのは、「言葉

「電話での応対が大変なの、庄内の住所がききとれなくて、平仮名で書いて、あとで地元の方に漢字を書きなおしてもらったの。左沢(あてらざわ)とかね(笑)」

オフの日は、「好きな場所は、温泉、鳥海山。宝谷そば・・・たくさんあるけど、観光を仕事にしていてちょっと寂しいのは、どこに行っても仕事を考えてしまうことですね。」

庄内が大好きでいろんな人にその魅力を伝えたいと奮闘されている中原さんに今後の目標をお聞きすると意外なお答えが返ってきました。

「もともとボーっとしたくて庄内に来たの。でも働かないと食っていけないからね(笑)」

活動的な中原さんは、時間ができてもぼーっとできない性分のような気がしますが・・・。

夢は?

「庄内は人が人に帰れる場所。千葉に住んでいたころ、学校の成績がすべてで悩んでいる小中学生に庄内を見せてあげれたらな」

中原さんはこの夢も着実に実現させていくことができる気がしました。

 

取材を終えて・・・

庄内で広島県出身だとお話しすると、一様に驚かれます。そして何人かの方から中原さんと一緒の出身だ。まずは会ってみろと誘われました。

中原さんは庄内で有名な広島県人です(笑)一度お会いしてみたいとずっと思っていた方にお会いでき、ときめきました。発する言葉にとても力を感じる方でした。

Profile

中原浩子さん

出身 広島県広島市
生年月日 1964年6月10日
URL http://hiropidiary.n-da.jp/

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この記事を書いた人

明石 智代

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