山形と酒田を結び、西川町を東西に貫く国道112号線。酒田方面に向かう道中、鶴岡市に入る少し手前。寒河江ダムに架かる陸橋を越えてすぐの所を左折し、約4キロ続く蛇行した道を走った先で出逢う民家の姿に、訪れる者は安堵を覚える。

約300人が暮らす大井沢集落の入り口だ。

寒河江川と並行して走る道路沿いに民家は集中し、入り口から突き当りまでの距離は南北約10キロにも及ぶ。昼夜の気温差の激しさは、山あいの地域の特徴的な気候だ。真夏でさえも、肌寒い夜。いとも簡単に水道管を凍らせる冬の夜。だが、同時にそんな気候は農産物に凝縮した甘味を与え、花には濃い色合いを持たせる。  

 

今回のやまがたで働く人

金子農園2代目

金子光弥さん(40)

金子さんは、そんな大井沢で、両親と共に家族経営で農業を営む。スノーボール、啓翁桜、カサブランカなどを栽培する花卉農家だ。約6年間のサラリーマン生活を経て、実家へとUターンしてきたのは1996年のこと。それから、15年以上の歳月が経った今、何を思うのか?

変わってきた僕

親父にだまされてこの仕事を始めたのが、16年前のこと。僕が24歳の時でした。当時働いていた工事屋(山形市内でおじが経営)での仕事が暇になった時、親父に頼まれた僕は、実家に帰ってきて家の仕事を手伝っていたんです。その日の夜、僕の与かり知らぬところで取り決めがあったようで、有無を言わさず次の日からも家で仕事することになったのが、この仕事を始めたきっかけでした。

「朝5時から仕事をして、家に帰ってきても仕事の話ばかり」そんな家族の風景を見て育った僕には、農業をやる気なんて全くなくて。だから、選んだ高校は農業に全く関係のない情報技術関係のところ。高校卒業後も、「農業はやらない」と断固拒否していた僕は、サラリーマンとして働いていました。

あれは僕が小学生か中学生の頃だったかな。当時では珍しく、家の前で大根の直売をやっていたんです。そのせいかけっこうお客さんも来ていて、僕が学校から帰る頃には家の前に行列ができていました。その時、半分出稼ぎのような形で家にいなかった親父の代わりにとアテにされるのが嫌で、おふくろのトラックが見えたら物陰に隠れていましたね。(笑)

家で親と一緒に仕事をするようになっても、この仕事はやりたくなかったんですよ。完全に「やらされている仕事」でしたから。だから、仕事をしたくないがゆえに、他のところに勉強しに行くという口実を作って逃げていました。

だけど、他のところに行って見てきたことを自分なりに解釈して、実践し、それで上手くいくようになると面白くなってきたんです。 基本的に負けず嫌いな僕の性分も、今までやって来られた理由の一つ。「失敗して終わりたくない。辞めるなら成功してから辞めよう」という思いが僕を動かしてきました。辞める口実も見当たらなくなった今では、「ならば成功してやろう」と思っていますね。

僕にとっての農業

正解のない難しさがこの職業にはあります。毎回、毎年、やり方なり色んなことを考えて工夫しているつもりではいるけれど、毎年違いますよね。天候、景気、冬の雪の降り方によって夏の栽培方法も変わってきますし。だから、計画を立てたとしても、全く計画通りいかない時もありますね。

でも面白いですよ、農業は。だけど現時点では、「辛い農業」が先行していて「面白い農業」をPRできていないんです。特に、僕の親世代の人たちには「農家は大変な職業だ」っていう既成概念がありますから。

「給料はあんまりやれないけれども、こういう面白いことがやれますよ~」ということを提示していけば、きっと来る人は来る。「辛いこともあるけれど、面白いところは面白い」そういうことを言い続けていれば、誰か来てくれるんじゃないか。一人来れば、また一人…と続いていくんじゃないか、そんな未来を描いています。その突破口というか、環境づくりになりたいですね。

本当は、僕の家でそういう受け皿になりたいんだけれど、まだそういうところまで余裕がなくて。でも、人を雇って育てる必要は遅かれ早かれ出てくる。自分一人だと到底出来ないですから。

今、専業農家としてとりあえず飯は食えているから、これからのテーマはいかに儲けるかですね。

大井沢の可能性

人を雇えるようになるためにも、1年間を通じてコンスタントにお金を稼げるような方法を編み出さないといけない。だけど、大井沢では難しい。やっぱり、雪が多すぎるから。

僕たちは、冬にも啓翁桜とスノーボール(もともとは輸入物。4、5年ほど前から栽培を開始)を栽培して出荷しています。ただ、ビニールハウスのある場所は大井沢ではないですからね。町内の、雪の少ない所(吉川)にあります。

だけど、大井沢でも6次産業化をうまく実行できれば十分やっていけるはずなんです。例えば、大井沢でとれた秘伝豆から作った味噌を売るとか。僕たちは、現時点では花に特化して農家をやっているけど、ずっとこのままでいくかどうかは正直わからないんですよ。可能性を感じるものがあれば、取り入れていきたいですね。

それ以外の課題としては、売り方でしょうか。実際、「大井沢で作られたものを買いたいけれど、どこで買えるのかがわからない」という声をお客さんからよく聞くんです。売ろうと思えば売れる商材がいっぱいあるのに、消費者まで届いていないという現状はありますね。

厳しい世界

花は見栄えがすべて。「見栄えが悪くても、中身とか味は…」っていうのが通用しない。ちょっと葉っぱが垂れていたりするともう駄目ですから。厳しい世界ですよね。かといって加工に走れない。例えば、加工して花束にするにしても「そのために何種類の花を同時に作らないといけないか」って考えると無理な話で。そういうところが花の難しいところですよね。「そのもの」自体に自信がないと勝負できないですから

6次産業化は難しいから、とりあえずの目標は自分で売ること。現時点での売り先は、市場とか大きな販売店が多いんです。品物が一気に出るうちにとっては、一気にさばいてもらえるという点ではメリットとして大きい。安くても全量買ってもらえますから。一方で、自分で値段を決められないのは大きなデメリット。もし、個人のお客さん相手に全量売ることができるならば、その方がいいし、そうならなければならない。自分の作ったものを自分で売っていけないとこれからは生き残れないでしょうね。

今、市場においてお客さんは生産者を知ることができる。だから、「おまえの栽培した花がいい」と選んでくださるお客さんもいます。そういう風に差別化できるようになっていかないといけない。要は、自分のファンになってくださるお客さんを増やしていかないといけないんです。

やっぱり品質が良ければ売れますから。ただ、そうなるまで長いですけどね。

嬉しい時

そんな風に厳しい世界だからか、上手く作れた上に、それが時期にも合い、他の店から「うちで出してくれないか」と注文を受けた時の満足感はもう最高。自信にもなりますね。 最近、うちで作ったスノーボールを扱ってくれている花屋さんがFacebookでPRしていた「これから告白する人のために作った花束」の中にスノーボールが入っていて。それは、えらい嬉しかったですね。

あとは、いろんな声となって還ってくる時。自分の満足いくものが他の人に評価してもらえた時は、やっぱり一番うれしい。年に何回あるかどうかのものですけどね。

僕の目標

僕にとっての大きな目標は、人の目標になること。「あの人にもできたんだから、俺にもできるはず」って思わせるような人になりたい。

そのためにはまず、儲けること。大井沢での成功例を作ることができれば、きっと後に続いてくる。僕はまだその段階には至っていないけれど、僕が儲けたことによって「俺もやってみようかな」っていう人が一人でも増えてくれたらうれしい。同志ができるといいですね。

そのためにも「面白い」ってことを、はっきりと言っていかなければならない。堂々と「面白い」って言えるようになりたいです。まぁ、難しいんですけどね。

 

<編集後記>
数えるほどしかいない、大井沢に住む30代の1人である金子さん。Uターン組と限定すれば、その数はさらに少なくなる。その意欲的な姿は、大井沢、そして西川町の未来をほのかに照らしている。
聞き手・編集:中道達也

Profile

金子光弥さん

出身 山形県西川町大井沢
生年月日 1972,04,15
URL http://www.facebook.com/profile.php?id=100002888476931

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中道達也

ライター情報

中道 達也

1987年生。高校卒業後、大学進学のため東京へ。大学時代、勉強をやる意義を全く見いだせず、留年。大学生活5年目の秋、旅をしたアジア(インドネ...