山形県の庄内地方はその土地柄や歴史的背景から、古くから農村に伝わる笹巻きや栃餅などの田舎菓子、北前舟によって運ばれた雛菓子などの京菓子、江戸から城下町へ伝えられた駄菓子などの文化が複雑に絡み合い、全国的に見ても独特なお菓子文化を築き上げてきました。

また、四季を通して豊かな食材を育む地の利を生かし、菓匠たちは各々の技と工夫を凝らしたお菓子を数多く生み出してきました。今でも町には大小さまざまなお菓子屋さんが存在し、人々の暮らしにささやかな幸せを与えてくれています。

鶴岡市宝田に本社を構える「みのりや(有限会社 達商)」も、そんなお菓子屋さんのひとつです。創業は1985年と比較的若い企業ですが、この土地ならではの食材にこだわった美味しいお菓子をお届けしようと日々研究を重ねています。

 今回のやまがたで働く人

福田幸司さん(29)

みのりや(有限会社 達商)洋菓子工場長

koji fukuda profile 3

現在はみのりや(有限会社 達商)の洋菓子工場長として、鶴岡市内の店舗で販売する洋菓子の製造と、同社が力を入れているお土産菓子の商品開発に奮闘されています。

 

妻の実家がある酒田へ嫁ターン

福田さんは青森県と岩手県の県境に位置する三戸町で生まれ、高校を卒業後、パティシエになることを決意して上京。製菓の専門学校を経て東京のホテルニューオータニへ入社し、約8年間の勤務の後に妻の実家がある酒田市へ移住しました。

cake made by koji fukuda

岩手県との県境に接する青森県の三戸町(さんのへまち)で、家のすぐ傍を川が流れるような豊かな自然環境で育った福田さん。両親はともに学校関係の仕事に就いていましたが、幼い頃から料理をすることがとても好きだったそうです。

「中学を卒業したら高校には進まずに、料理人になりたいと思っていました。それくらい料理が好きで、早くから働きたいと思っていたんですね。でも、高校関係の仕事をしていた両親からさすがに反対されて、それで仕方なく高校へと進学しました。

料理が好きになったのは、父の影響も大きかったと思います。父は何でも自分で作ってみようとする人で、自宅で豆腐をつくったり、蕎麦を打ったりしていました。そんな父の姿を見て、『作る』ということに強い関心が向いていったんだと思います」。

また、祖父が過去に和菓子店を営んでいたことも、少なからず影響していたのだろうと振り返る福田さん。物心がついた頃には既にお店はありませんでしたが、倉庫にしまわれた木枠や型などの祖父が遺した菓子道具を、わくわくしながら触れたり眺めたりした思い出を語ってくださいました。

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倉庫で見つけた、福田さんの祖父が和菓子店を営んでいた頃の古い資料

 

料理人を志していた少年時代から、パティシエへ

そんな福田さんが料理人ではなくパティシエを目指すことになるのには、どんなきっかけがあったのでしょうか。

「料理人になりたいと思っていた自分の目標が変わったのは、高校生の頃でした。ある時、一番の料理人というのは、母親なのではないかと気がついた瞬間がありました。毎日毎日家族のことを思って料理をつくる母、ずっと食べてきた母の味には、自分の料理はきっと敵わないだろうなと思ったんです。

それでパティシエを目指すことになるんですが、料理は素材が作り出す味で素材のウェイトが一番大きいと思うんですが、お菓子は小麦粉や砂糖、卵、クリームなど、材料がほとんど決まっていますよね。決められた素材に技術を加えて様々なお菓子を作り出す、その可能性や幅広さにとても惹かれました」。

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なるほどとても共感してしまいます。小麦粉と砂糖と卵から、こんなに可愛らしくて美味しくて、幸せになれるものができるなんて、まるで魔法のよう — お菓子が好きな女性なら、一度はそう感じたことがあるのではないでしょうか。

こうして福田さんはパティシエになることを決意して、東京にある製菓の専門学校へと進学します。

ホテルニューオータニへ入社し、パティシエとしての修行を重ねる

専門学校で洋菓子を中心に和菓子や製パンなどを学んだ福田さんは、学校を卒業すると日本を代表する老舗ホテル・ホテルニューオータニへと就職します。

最初の2年間は結婚式などの宴会でデザートを盛り付ける仕事を担当し、その後はオーブンでケーキを焼く仕事、クリームなどでケーキを仕上げる仕事など、細かく分けられた部門を約2年ごとに経験し、確実に技術を習得していきます。

cake made by koji fukuda

「一般的にお菓子の専門学校を卒業すると、ホテルへ就職するか、町のお菓子屋さんへ就職するかのどちらかを選択することが多いと思います。自分の場合はホテルを選びましたが、ホテルへ進んで良かったと思っています。技術的な面もそうですが、40名近い先輩や後輩に囲まれての仕事はとても勉強になりました。考え方や価値観の異なる人々がいる中で、人間関係を築きながら仕事を行うことの難しさや大切さを学ぶことができました」。

また、ホテルニューオータニで味の責任者として総料理長を務め、パティシエ界でも名高い中島眞介シェフの下で働いたことも、厳しい環境の中で切磋琢磨する福田さんの支えになりました。もっと技術を身につけたいと先を急いだり、現状に不満を持ったりすることもあったそうですが、大先輩である中島シェフは8年間も洗い場しか担当させてもらえなかった話などを思い出して、目の前のことに精一杯取り組んだと言います。

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一方で私生活では、専門学生時代に出会った同じくパティシエの奥さんと21歳の時に結婚。2年後にはお子さんを授かるなど、順調に温かな家庭を築いていきます。

 

 

妻の実家がある酒田市へ移住し、パティシエとして第二のステップへと進む

そんな福田さんに転機が訪れたのは、ホテルへの勤務から約8年が経過した頃でした。近い将来に九州へ転勤となる可能性が浮上したことから、妻の実家のある山形県酒田市へ移住することを検討するようになります。

「早くに子供ができてしまって、妻にはパティシエとしての仕事を辞めて育児に専念してもらわざるを得なかったこともあり、ずっと申し訳なく思っていました。さらに転勤の話が出た頃、妻のお腹に2人目の命を授かっていたこともあり、彼女の親元で両親の助けを借りながら、子育てと仕事を両立した暮らし方を考えるようになりました」。

そして2011年の秋、福田さんは家族とともに酒田市へと移住します。これまで東京でパティシエとして働いてきた経歴が生きて、就職先もすぐに見つかりました。そして移住から1年が立った頃に、運命的な出逢いがあります。

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「事情があって転職を考えていた頃、みのりやで洋菓子のできる人材を探しているから会ってみてほしいというお話を頂きました。色々と考えていたこともあったので、お断りをするつもりでみのりやを経営する(有)達商の阿達社長を訪ねました。そのはずだったのに、帰る頃には絶対にこの会社で働こうと思っていたんですよ(笑)。

社長のお話を聞いて、社長の人柄に惚れ込んでしまっていたんですね。良いお菓子をつくって、みんなに食べさせたいという純粋な思いが伝わってきました。社長は菓子職人ではないのですが、職人の気持ちを持っている人だと感じました」。

福田さんの心を動かした、阿達社長との出逢い。この出逢いに導かれるように2012年9月、福田さんはみのりやへと仕事の場を移しました。

 

夢はみのりやの看板洋菓子を生み出すことと、妻と二人でお店を持つこと

現在はみのりやの洋菓子工場長を務め、鶴岡市内に3店舗あるお店で販売する生菓子の製造や、お土産菓子の商品開発に奮闘する福田さん。専門学校を卒業したばかりの若いスタッフも多い職場なので、後輩のパティシエを育てることも大事な仕事です。その仕事は予想していたとおりとても幅広く、毎日が勉強だと言います。

minoriya shop

「今までずっとホテル畑を歩んできたので、環境の異なるみのりやでの仕事は困難なことも多いだろうという心構えはありました。

ホテルでの仕事では、決められたお菓子を正確かつ完璧に仕上げることが求められていました。しかしここでは、鶴岡市内の店舗で販売する生ケーキを作る他に、観光地用のお土産菓子を開発することも重要な仕事です。お客様はどんな商品を求めているのかを考えたり、アイディアを出して創作したりというのはこれまでにない仕事でした。お土産菓子では生のものが使えないなど材料に制約があったり、持ち運びや保存が効くような配慮も必要です。これまでの経験を活かしながら、新しい技や知識を身につけて挑戦している最中です」。

だだちゃ豆やつや姫の米粉など、地元の素材にこだわったお菓子作りをしているみのりやさん。素材にも手を抜かず、例えば卵は抗生物質などを与えず広大な敷地で育てられた「わんぱく農場(鶴岡市羽黒町)」のものを使用するなど徹底しています。夏の時期の店舗には、庄内砂丘のメロンや松ヶ岡の桃などを使用した、目にも鮮やかなケーキがずらりと並んでいました。

最後に、福田さんの夢をお聞きしました。

「これまでみのりやでは、和菓子では厚生労働大臣賞を受賞した『うす皮だだちゃ豆饅頭』や、『だだちゃ豆福』などの人気商品を世に送り出していますが、洋菓子ではまだ大きなヒット商品を生み出せていません。自分の専門である洋菓子の分野で、みのりやの看板となるような商品を開発することが目標です。

そしてさらに将来的には、パティシエでもある妻と一緒にお店を構えたいと考えています。まだ先のことで具体的なイメージはこれからですが、庄内は食材がとても豊かなところなのでそれを活かしたお店にできたらいいなぁと構想しています」。

 

目下、主婦の店・PAL店(鶴岡市美咲町3-13)の中にある店舗の改装オープンに向けて大忙しの福田さん。

LaPatisserie Minoriya

お店は10月5日改装オープン予定。洋菓子に力を入れた新しいみのりや「La Patisserie Minoriya(ラ パティスリー ミノリヤ)」を訪れて、福田さんとスタッフたちが作った輝くようなお菓子たちに、是非触れてみてください。

Profile

福田幸司さん

出身 青森県三戸郡三戸町
生年月日 1984年2月12日

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この記事を書いた人

佐野 陽子

1983年生まれ神奈川県出身。 早稲田大学商学部を卒業後、大手損害保険会社に勤務し丸の内OLを経験。 山形の在来作物とそこに関わる人々を描いた一...

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