ここは山形県東置賜郡川西町。

日本一の「ダリヤ園」と「井上ひさし」の出身地。人口は約1万7千人。米づくりが盛んな町です。

そんな町に移住して、早2年半…。
「あんなこと、こんなこと、あったでしょう」と歌えるエピソードがたくさんあり、もはや、過去の話にしてはならない気がしていました。そんなある日、この「山形未来ラボ」さんからブログのお話が…。月1回の連載ということで、シリーズ化もなんて妄想して、ニヤケながら書いています。

さて、肝心の内容ですが、僕の山形生活徒然日記がメインになります。「あんたの生活日記なんて興味ないよ!」と思った方、そうでしょう、そうでしょう。もう2013年です。ネットでクリック一つで海外から商品が届く時代です。そんな時代に「都会も田舎も大差ないんじゃないの?」というご意見はごもっともでございます。そして、UIターンや新規就農などで都会から田舎へ移住することは珍しくはないと思います。

しかーし‼、さすがアウェイ戦。ここには絶対に負けられない戦いが数多くあるのです。田舎暮らしというのは時にはイエローカードも出ますが、ゴールの喜びを分かち合う瞬間もあり、何とも一言では語れない魅力があります。

そんな、「田舎でのんびり」宣言は実際のところどうなの!?というリアルな情報を経験をもとに発信していきたいと思います。

このブログを読んで、山形に興味を持ってもらえたら幸いです。それではキックオフ‼

VS アンセム

2011年の春、期待と希望を胸に秘め、ここは山形川西町に降り立ちました。
時刻表のシンプルさに不安を抱きながらも、面接のためスーツを着てローカル線に乗ってやってきました。面接時間まで時間が余ったので、駅でレンタルサイクルを借りて町内探検。スーツ姿でチャリをこぐ姿は町内の方にとっては異様な光景だったに違いありません。あたりを見渡せばチャリの人は見かけません。交通ルールも車中心のような…。途中で川を眺めながら心の中で「やっちまったかな…」と思いました。正直、場違いな気がしてなりませんでした。
やはり田舎暮らしというのは経験者じゃないと難しいのかと思って、ますます不安になりました。
よく考えてみたら、この町で地域おこし協力隊に応募したのは史上初なわけで、僕以外、同じ境遇の人はいないことに気づきました。アウェイだ‼‼これがアウェイの洗礼だ‼!今までたいして仲が良くなかった友達も大切にしようと思いました。
面接の時間が近づき役場へ向かう途中、「地域おこしは経験ないのですが、はじめて生活する町で色々な人とかかわって、学んだことを町の方に情報発信していきたい」と言えば、地域活性化ではなく、単なる田舎生活体験したいだけかと思われて不採用になるのではと、良からぬことが頭をよぎり、そのまま面接で言ってみたところ…。
「君は素直でいい‼」ということで即採用となり、その日のうちに事務手続きが完了し、住まいとなる空き家へ移動したのでした。
こうして、僕の川西生活がはじまりました。

VS 隣のばあちゃん

「空き家の一軒家に住む」ということが、この町ではどんな意味があるのかご存知でしょうか?それは、もれなく「自治会+近所づきあい」というオプションが標準装備でもれなく付いてくるということです。
「せっかく、こういうところに来たんだから一軒家の方がいい」と言われ、何がいいんだかわからずに「ここにします」と答えてしまいました。というのも、あたり一面田んぼが広がるこの場所で、アパートなんてないだろうと思っていたし、謙虚な気持ちで地域に入った方が村八分にならなくていいのかと思ってそうしました。あと、環境の変化に色々と混乱しました(笑)。
噂によると、この地域に外から人が来たのは実に20年ぶりとのこと。とても嘘くさいのですが本当の話のようです。そのため、東京の方から若造が一人で来て家に住みはじめたと話題になりました。
とくに印象的なのは隣に住んでいる推定80歳前後の元気なばあちゃんです。この方のおかげで置賜弁の早期習得に成功し、地域独特の人間関係や仕草を学び今に至るのです。
このばあちゃんは僕の川西生活に数々の伝説を作った人です。いくつか面白エピソードをご紹介します。
1.昔の話は超昔
最初の頃、地域の歴史の話をしてくれました。2~3回どころではなく10回以上も同じ話をするので、とても詳しくなりました。ここの地域には豪族出身の城があった。上(かみ)と下(しも)の表記が地図上で逆なのは江戸を拠点としているから。僕の家は昔々、自分の曾おじいさんが所有していた土地を外から来た人に貸してあげた。などなど、ばあちゃんの曾おじいさんというと江戸時代ではないかと思うほど超昔の話を語り続けるのでした。豪族なのに何で城なんだ?とか地図が上下逆なんじゃないかとか気にしてはいけません。Don’t think,Feelです。今思えば、初対面の人との会話で話題に困っていたから、ばあちゃんなりの社交辞令だったのかもしれません。
読者のみなさんは、ここまでの話を読んでみて、ばあちゃんの本当の心理は気づきましたか?。僕はこう分析しています。「僕の住んでいる家は、昔、うちの先祖の土地だったということは、ばあちゃんと僕は何かしらのつながるキッカケがありますよ」ということだと思います。このような前提がないと、20年ぶりに地域にやってきたニューカマーには興味はあるけど話かけづらいのでしょう。これが置賜流コミュニケーション術なのです。仕事帰りの肌寒い時期に、この話を外でずっと聞いていたので、風邪をよくひいたのでした。
2.車よりチャリ
この町では移動は車が多いので、自転車に乗る機会はほとんどありません。しかし、ばあちゃんは車の運転はしないので、すべて自転車です。そんなある日、公民館で健康診断があり、ばあちゃんを見かけたので「帰りは車に自転車を積んで家まで送りますよ」と聞いてみたら大丈夫とのことなので、そのまま家に帰ったら、おばあちゃんは僕より先に帰宅していたのでした。ママチャリなのに、何でこんなに速いのでしょうか!?不思議でしょうがないです。
3.花より団子
ご近所づきあいの特典は「おすそわけ文化」です。自家製の野菜や漬物、偶然入手した川魚などをもらうことができます。ある日、家に帰って食べるものがなくて「あ~腹減った」と思っていたら、「ドンドンドンッ」とドアを叩く音がしました。外に出たところ近所の主婦の方がバッチリメイクをきめて、鮎料理を持ってきてくれました。わざわざ、メイクしてくれたことと、珍しい川魚を持ってきてくれたことに感謝しました。そして、美味い、美味すぎます。このフィーリングをきちんと伝えたところ、次はアスパラ、トウモロコシ、いも煮、丸ナスの漬物などなど続々と届きました。もちろん、すべて調理済みで。その頃には車があるのを見て帰宅したことを確認されていたというのは言うまでもありません。徐々に近所の方が色々持ってきてくれるようになり食に困ることはなくなりました。こうして僕は魚肉ソーセージとバナナの生活を抜け出すことに成功しました。
そして、隣のばあちゃんに「近所の人が色々くれて助かります」と言ったところ、次の日、玄関先に山積みになった枝豆と丸ナスが置いてあったのでした。量としては畑ごとくれたのでした。そして、味が美味い。品質が高すぎました。自分で畑をやっているのであのクオリティを出すのがどれだけ大変なことか、今更ながら実感しています。
いつも仕事が終わって帰宅すると、隣のばあちゃんは畑をウロウロしていたので、話のキッカケを探っているのだと思っていましたが、しっかり畑仕事をしていたのですね。失礼いたしました。
4.ロックンロール人生
このような濃密な近所づきあいも半年ほどで終了しました。それは、僕が引越しをしたためです。近所づきあいが嫌になったわけではなく、家が古すぎて住みづらかったからです。天井は雨漏りがしたり、冬は寒すぎるし、7部屋も必要ないから、と理由はそれなりにあるのです。しかし、隣のばあちゃんや地区の人からは「人付き合いが濃くて嫌になった」と思われるだろうなあと覚悟してました。でもそれは僕の思い込みが強かったようです。実際、近所の人々は、もっとグローバルな考え方でした。「田舎のしがらみ」というのは人によるものだと思いました。
近所の人に挨拶をして引越しをした日、隣のばあちゃんが出てきて一言。「いらねえもんとか、ゴミとか全部、おらんとこさ、なげとっとごえ」。つまり、いらないもんは全部、ばあちゃんの畑に捨てていいよということです。畑というのはゴミを捨てられる機能もあるのかと感心しながらも、常識的に考えると、引越しの際のゴミを隣の家に捨てていくというのは人としてどうかと思われるので、レッドカードです。でも、ばあちゃんは遠慮することねえと言うのです。大量のゴミをゴミ処理センターまで運んでくれるのかと思ったら違いました。もっとROCKな方法で処理します。すべて燃やすのです。地球の環境問題が話題になろうが燃やすのです。「ダイオキシンが…」とか言っても燃やすのです。ばあちゃんに限らず、町をドライブしていると家庭ゴミは燃やす人が多いことに気づきます。このように、田舎の農村では地球環境には厳しいですが、人には優しいのです。幸い、引越し時にはゴミを出さずに済み、燃やすこともありませんでした。しかし、そんな畑でつくった枝豆が美味いというのも皮肉な話ですね。ゴミを捨てていいと言ったのは、ばあちゃんなりに何か手伝いたかったのでしょう。
別れ際に挨拶すると、いつでもお茶を飲みに来てくれと言ってくれました。「寂しくなるなあ」と目が潤んでいたらドラマ的な展開になったのですが、そんなこともなく、逆に引越し先のことを色々と聞かれたので、お茶のみにいきなり来られても困ると思い「駅のほう」とだけ教えました(笑)。さんざん世話になったので、お茶のみなんて容易い御用なんですが、その地域に住んでいなければ交流がないことを知っていたので、僕のほうからお茶のみに行くつもりでいました。
川西町の町報には最終ページに「お誕生、ご結婚、おくやみ」欄という町民が欠かさず見るページがあります。これを見て「誰々さん家の息子だべ」「誰々さんの旦那だべ」という話をするのです。そして、つい先日、その欄に見慣れた苗字を発見し、その地区の人に聞いてみたところ、世話になった隣のばあちゃんの旦那さん、つまり、おじいちゃんが亡くなったことを知りました。さぞかし悲しんでいるだろうと思い様子を聞いてみたところ、まったくもって元気だそうです。どこまでも、ロックンロールな人です。
まだまだ色々なエピソードがあるのですが、キリがないので、また機会があれば書きたいと思います。実は今回紹介した「ばあちゃん」は川西生活の初期メンバーですが、その他、たくさんの人との交流がありました。今でも家に招待していただいたりすることも、近所のスーパーで会うこともあります。そして、また違う地区の人々との交流が始まるのです。つまり、町の規模が小さいので知り合いが多いのです。
このように、一言で田舎暮らしを想い描いても、実際は人とのかかわり方でイメージが変わるかもしれません。「俺はこういう生き方をするぞ!!」という気合は大切ですが、腹が減ったときに食べ物をくれたり、色々と気にかけてくれる人がいると感情移入してしまうものではないでしょうか?
豪雪地帯のこの町で、冬にいも煮の差し入れをするとは・・・
ズルイ!!温かさに感謝してついつい食べてしまうわけです。30にもなって食べ物を恵んでもらうなんて情けないですが、仕方がないですね、山形のPRポイントが「食」なので。
次回は置賜の生活が伝わるエピソードをご紹介しようと思います。
それでは!

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この記事を書いた人

塗 貴旭

埼玉県川口市出身。 中学から大学までを東京で過ごした埼玉都民は、大学院で茨城へ。気合で東京から茨城へ通学するも挫折。都会と地方の交通格差...

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