「喫茶+貸しスペース 万場町 のくらし」オープン

新庄駅から徒歩約20分。

江戸時代・・・宿場町であった新庄市に、万(よろず)の店が建ち並ぶ場所という意味で「万場町(ばんばちょう)」と名付けられた町内があります。

その万場町に2018年5月、「万場町 のくらし」がオープンしました。

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約100年の町屋を地域の皆さんと手作りでリノベーション。

仕立屋さんとして使われていた記憶の継承を心がけながら作業にあたり、材料もできるだけ解体した部分の古材を再利用し、家具も昔使われていたものを活用しているそう。

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店内に入った瞬間「わぁー」と思わず声に出してしまうほど、素敵な空間が広がっていました。

「写真で見るよりずっといい。」これが正直な感想。

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手前にイベントやお仕事で使える開放的なデッキ席、奥に飲食ができる落ち着いた小上がり席が配置され、いつもいらっしゃる代表の吉野さんとの会話も楽しめます。

町屋の特徴である「通り土間」は、ギャラリースペースとして活用されています。

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メニューの1つである「よろず定食」は、おかずを商店街のお店で自ら調達してくる方式

魚屋さんのお惣菜を購入するなど、万(よろず)の町を楽しみながら食事ができそうですね。

 

山形県郷土料理研究家・料理研究家として活動されている三浦友加さんオリジナル「ミウラのユカレー」は、毎週金曜日数量限定で提供されています。本場インド仕込みの、伝承野菜とスパイスで作られた最強薬膳カレーです。三浦友加さん曰く、カレーは漢方のかたまり。

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いただいてみると、それを実証するかのようにうっすら額に汗をかき、大きな窓から入る風がとても心地よく感じられました。

飲み物も、最上地方で活動されている団体や起業家さん達が作ったお茶やジュースが提供されています

 

 

若手が仕掛けたリノベーションプロジェクト

この素敵な空間はいったいどのように誕生したのでしょう。

「万場町 のくらし」を創り上げた、一般社団法人最上のくらし舎代表理事の加藤優一さんと吉野優美さんにお話をお聞きしました。

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加藤優一さん:新庄市生まれ。東北大学博士課程を経て、設計事務所(OpenA/公共R不動産)に勤務。全国でまちづくりや空き家の再生に取り組みながら、個人で銭湯のプロジェクトや、本の出版にも関わっています。現在は、最上のくらし舎を立ち上げ、東京都山形を行き来している。

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吉野優美さん:東京都日野市出身。お父様のご実家が新庄市で、よく家族で新庄まつりへやってきていた。東京で働いていた時から山形と縁が深く、フリーランスとして働きだした事をきっかけに山形での活動も開始。その後、地域おこし協力隊として採用されたことをきっかけに、新庄市へ移住。現在は任期を終え、最上のくらし舎の共同代表理事として活動している。

 

 新庄・最上地域にある豊かな暮らしをみんなで共有し、地域の外にも伝えていきたい

「万場町 のくらし」のはじまりは?

加藤さん:きっかけは2017年5月に開催した勉強会ですね。

建物の再生を専門にする加藤と当時地域おこし協力隊だった吉野が、空き家の活用に興味がある人を呼びかけたところ、 多くの人が集まってくれたんです。6月にはまち歩きを行ったのですが、参加者が所有する空き家を見学した際に「実験的に使ってみよう!」と話が盛り上がり、掃除を進めることになりました。そして新庄まつりの休憩所として開放したのですが、多くの方から継続を願う声がありました。

その期待に応えるべく法人をつくり、空き家再生を事業化することになったんです。

 

築100年の仕立屋さんをリノベーションし、オープンするまでどうのようにすすめていかれたのですか?

加藤さん:地元の職人さんやSNSでの呼びかけに集まってくれた近所の方に改修工事を手伝ってもらったり、はじめの勉強会から参加していた新庄信用金庫さんと日本財団の「わがまち基金」に応募することで事業の基盤を整えたり、多くのご協力をいただきました。

空き家の活動が人と人をつなぎ、みんなが集まることで空間も育ってきた・・・という印象ですね。

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「万場町」と「のくらし」にはあえてスペースをいれてありますが、この「万場町 のくらし」という名前に込めた想いを教えてください。

吉野さん:「万場町のくらし」ではなく、「万場町」「のくらし」は別のキーワードなんです。「のくらし」は、あえて主語・説明がない。

「○○のくらし」の、○○にいろいろな言葉を当てはめていけるようにしたいなと思っています。

例えば、「わたしのくらし」や「子供たちのくらし」。今後予定しているイベントも「夜のくらし」や「天ぷらのくらし」などがありますが、それぞれがつくりたいくらしを実現できる場所になって欲しいと思います。年齢や職業などで来てくださる方を限定したくないという想いも込めました。

 

加藤さん:「私のくらし、あなたのくらしが充実することで、地域のくらしが豊かになる」という想いもありますね。

まずは、地域の方が思い思いに使えて、楽しみが増えるような場所を作る。

そして、その出会いがつながっていき、遠方から訪れた方にも地域を知ってもらえる。そんな場所になって欲しいと思います。

また、「万場町」をつけたのは、このお店があるエリアならではの体験を作りたかったからです。

そういった意味でも「よろず定食」はおすすめです!

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最上地域出身の私はこの地域でこんな素敵な事が現実に起こせるのだなと驚きました。率直に言って「新庄市」についてどういった想いがありますか?

加藤さん:私も高校生までは、遊ぶ場所も就職の選択肢も少ない街だと思っていました。でも、一歩踏み込むと全然そんなことはなかった。

空き家の再生を通して気づいたのは、この地域には深い雪の中で培った「みんなで助け合い、自らの手で暮らしを作る力」があることです。

法人名を「最上(もがみ)のくらし舎」にしたのも、新庄・最上地域にある豊かな暮らしをみんなで共有し、地域の外にも伝えていきたいと考えたからです。

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今後の展望を教えてください。

加藤さん:空き家が増加した地域を再生するには、建物単体のリノベーションで終わることなく、1つ2つと、周辺地域にその活動を広げ、エリアの価値を高めることが重要です。

万場町でも、今回のお店の周辺で、宿や畑づくりを行い、地域の魅力を一体的に楽しめるようなエリアをつくっていきたいです。

また今後は、最上地域全体のツーリズムや体験づくり、情報発信なども展開していきたいと考えています。

 

吉野さん:「なにかをはじめたい!」と思っている方に、この「万場町 のくらし」という場所があるということを伝えたいです。

ここに来れば「同じような志を持った仲間」がいて、それを「サポートしたい人」がいる。そして「知りたい人」が待っている。

おじいちゃん・おばあちゃんから、子供まで年齢関係なく集える場所だからこそ、新たな発見もある。「のくらし」はなんでも当てはめられるんです。

これから、「最上のくらし」をつなぎ、育み、伝えていく仲間を「モグラー(最上のくらし舎の賛助会員)」と呼称し、活動していこうかと考えています。

動物の「もぐら」のように、地域の素晴らしいことをどんどん掘り起こしていこう、ということで「モグラー」と名付けてみました。

詳しくはホームページを見てください!

 

「万場町 のくらし」のイベントスペースでは、不定期で様々な勉強会が催されているようです。

そこからまた2人目、3人目の加藤優一さん、吉野優美さんが誕生していくのでしょう。

 

 

あなた「のくらし」にくわえて欲しい場所がここにあります

ここでは人が集うと、騒がしいのではなく安らぎや安心感生まれる。そして、新たな発見をしたような気にさせてくれます。

あなた「のくらし」に懐かしく、またそこのあなた「のくらし」には新しい。そんな相対する思いが味わえる場所でした。

古材の趣、レトロな家具や食器の魅力。聞こえてくるレコードの音色とお客さんの会話。全てが一体となって「万場町 のくらし」なのだと感じました。出向いた人にしか味わえない感覚がそこにはあります。

「やりたい」を始めると、こうやって形になっていくということを、目に見えるもので教えてくれる場所、その1歩が始まる場所になっているのだと思いました。

 

万場町 のくらし

住所:山形県新庄市万場町5番16号

営業案内:10:00〜18:00

定休日:毎週水曜日、日曜日、年末年始

万場町 のくらしHP

最上のくらし舎HP

アクセス方法

公共交通機関でお越しの場合:JR新庄駅より徒歩約20分

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(お車でお越しの場合)

秋田方面からお越しの方
国道13号線「くるまやラーメン」のある交差点を右折、陸橋を越えて次の信号を左折。

山形方面からお越しの方
国道13号線「くるまやラーメン」のある交差点を左折、陸橋を越えて次の信号を左折。

または、東北中央自動車道終点を右折、「ガソリンスタンド(昭和シェル)」のある交差点を右折。

※駐車場は建物の裏にあります

 

新庄市について、おさらい

新庄市は、山形県北東の内陸部にあり最上地域の中心都市。

新庄市の位置は、顔の形をした山形県のちょうど「こめかみ」あたり。

最上地域の南部から西部にかけて最上川が貫流し、小国川、鮭川、銅山川等の中小河川が合流しています。その扇状地に新庄盆地、向町(むかいまち)盆地などの平地が形成され、そこに農地や集落が散在しています。

江戸時代、俳人・松尾芭蕉は門人の曽良を伴い『おくの細道』の旅に出ました。現在の国道13号線の原型をなす羽州街道を通り、芭蕉が新庄を訪れたのは元禄2年(1689年)、夏の暑い日のことでした。新庄では、城下きっての富商・渋谷甚兵衛(風流)の風流亭に2泊。甚兵衛の本家・渋谷九郎兵衛(盛信)ら地元の俳人6名と、歌仙1巻36句を巻いています。

現在も東京・新庄間で山形新幹線が走り、在来線では、陸羽西線、陸羽東線と日本海と太平洋を結ぶ鉄路が敷かれ新庄で交わります。道路も国道13号と国道47号が交差することから「東北の十字路」と呼ばれ交通の要とも言われています。新庄市は古くから「人とモノが行き交うまち」として栄え続けてきました。

そして、外せないキーワード「新庄まつり」。
新庄まつりは、藩政時代の宝暦6年(1756年)藩主戸沢正諶(とざわまさのぶ)が、前年の大凶作でうちひしがれている領民に活気と希望を持たせ、豊作を祈願するために、戸沢氏の氏神である城内天満宮の「新祭」を領民あげて行ったのが起源とされています。

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それから毎年8月24日・25日・26日の3日間に開催されるこのまつりは、長い時の流れの中で少しずつ変貌を遂げながら260年以上も脈々と受け継がれ、ユネスコ無形文化遺産登録されました。宵(よい)まつり・本まつりに絢爛豪華を競う山車(やたい)行列、古式ゆかしい神輿渡御行列(みこしとぎょぎょうれつ)、新庄城址で踊られる風雅な萩野鹿子踊(はぎのししおどり)・仁田山鹿子踊(にたやまししおどり)・・・。藩政時代を偲ばせる歴史絵巻が繰り広げられる新庄まつり。勇壮にして華麗な3日間、「チェレンコヤッサー」のかけ声と囃子の音色がまちを包み込み、まつりの興奮と熱気があふれます。

 

 

(ライター:長南茉幸)

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