「長男だし、いずれは山形の実家を継ぐんだろうな」
でも、それが“いつ”なのかは決めてないし、ただ、ぼんやりと思いながら東京で働くあなた。
Uターン後も、今までのスキルを活かせる会社に転職できたらいいなと思う。
けど、山形では馴染みない業種だから、キビシイだろうな…と、あきらめているあなた。
「東京で働きながら年に数回帰省する、今のスタイルのままでいいか」
『山形』が気になりながらも、行動を起こせない自分にイライラする…、そんなあなたに、アクションを起こすスイッチを入れてくれる男性をご紹介します。
今回のやまがたで働く人
富塚 健(とみつか・たける)さん
1981年山形市生まれ。大学進学を機に上京。2006年、アルバイトを経てエイベックス・グループ・ホールディングス株式会社(現エイベックス株式会社、以下エイベックス)に入社。プロモーターとして、さまざまなアーティストや楽曲の制作・宣伝を手掛ける。2016年10月にUターンし、会社員を経て山形にて芸能プロダクションを立ち上げる。
業界最大手企業で培ったノウハウとコネクション
富塚さんは、空手道に没頭した高校3年間を山形で過ごした後、大学進学のため上京。在学中は、学業と空手道の両立の傍ら、趣味の音楽を活かして、DJのアルバイトを始めます。
その後、アルバイトを通じて知り合った音楽業界の先輩に誘われて、エイベックスの就職試験に挑みます。見事、プロモーターとして採用され、アルバイトから、契約社員を経て正社員に。
10年間、著名アーティストや楽曲のプロモーション戦略を手掛けます。
主に、原盤の2次・3次利用や著作権に関わる交渉・コーディネートを行い、楽曲制作・宣伝に従事。その中には、オリコンアルバム初登場第1位を獲得したものもあるのだそう。
ではここから、山形へのUターンが気になり始めた富塚さんが、どのようなアクションを起こしていったのかをみていきましょう。
“いつか”帰る日のために、山形と繋がるコネクションを築いておく
エイベックスに入社したときから、『いずれは山形に帰る』と決めていたという富塚さん。
「このノウハウやコネクションって、山形には絶対ないものだなって。全国規模のものを持ち帰って、山形のエンタメ業界を発展させたいと思ったんですよね」
その時期が、40歳になるか、60歳になるかはわからない。けれど、Uターン後のことを想定しながら、仕事や同級生などを介して、テレビ・ラジオ局を中心に山形でのコネクションを築いていきました。
また、東京ではレーベルを超えて音楽業界の人が集う山形県人会にも参加していました。
熱く、面白い人たちから、刺激や情報を得たといいます。
入社して10年が経ったとき、キャリアアップのために転職を意識しはじめます。
東京の会社をいくつか周っているうちにふと、『山形の会社ってどうなんだろう?』と、頭をよぎりました。
「調べてみると、応募資格には【18~35歳まで】という年齢制限が!これは急がないと、山形に戻っても、自分のポジションはないかも!?って焦りました」
当時、34歳だった富塚さんは、危機感を覚えます。
あわてて山形にUターンすることを決めました。
夢を発信する。応援してくれる人との出会いを掴みに行く
2016年10月、転職先のあてもなく、山形に帰ってきた富塚さん。しばらく、周りを見ながらゆっくりと過ごすことに。
ゆっくり…と言いながらも、軽いフットワークで、在京中に山形で築いた人脈を次々にたどります。
飲み会に参加したり、収録現場を見学に行ったり。
そこで親友を介して巡ってきたのは、のちに所属タレントとなるミッチーチェンさんとの出会い。
「MC GATAどBANKING」名義でリリースしたセカンドシングル『アガスケのススメ』のカップリング曲の収録に立ち会うことになりました。CDリリースに際して、「ただ“作って売る”だけじゃもったいない!」と、インターネット配信することを提案。配信スケジュールや、著作権管理のコーディネートを行いました。
⇒⇒⇒2NDシングル MC GATA ど BANKING 『アガスケのススメ』 (ミッチーチェン MCGATA 山形弁 ラップ)MV
その手腕を買われ、ミッチーチェンさんからマネージメントをやってみないかと打診されます。
このことを起点に、『山形のエンターテインメントをもっと発展させたい』という富塚さんの夢に共感する人たちとの繋がりが派生しました。
Uターンからわずか半年後の2017年4月、ある企業の新規事業として、芸能プロダクションをスタート。その後、独立しました。
今は、セルフプロデュースの時代。
SNSを使えば、どこに住んでいようと、自分自身を発信する力を磨くことができます。
「ブレずに発信し続けていれば、キーマンとなる人のアンテナにひっかかるチャンスに巡りあえます。失敗して落ち込めるうちは、まだ余裕があるということですよ」と富塚さん。
不安を超える“楽しさ”を見出す
事業内容は、所属タレントのマネジメント、取材や収録など現場の立ち合い、リリーススケジュールや著作権管理など、多岐にわたります。
しかし、東京で培ってきた経験やスキルが活きているので、仕事の中身への不安やストレスは、ないと言い切ります。
山形と東京の違いとして、最も大きく感じるのは、金銭面。扱う金額が絶対的に違うということ。それでも、会社としてどのくらい利益を生まなくてはいけないか、ということは、常に抱えなくてはいけない不安。
それを超えるモチベーションは、『楽しさ』でしかないといいます。
「今を楽しんで稼がないと意味がない。嫌々働くんじゃなくて楽しんでいれば、お金はあとから必然的についてくるものだと思ってます」と富塚さん。
▲所属タレントのMC GATAことミッチーチェンさんと、クルーメンバー。
家族ぐるみでわきあいあいと。
「10代の若い世代に、『〇〇さんみたいな芸能人になりたい!』っていうような夢を見させてあげたい。
例えば、テレビ番組やCM制作の舞台裏がどうなっているのか、制作スタッフの仕事ぶり、それに対するタレント側の立ち振る舞い方を体験できる場を提供する。
それによって、“表舞台に立つ”という夢を実現する道筋を示せると思うんですよね。
将来、ここで経験した子どもたちが、全国を舞台に活躍できるようにアシストしたい」
次はどんなワクワクの種を仕掛けるか、日々、構想しています。
山形で果たすべき使命を見つける
山形の業界内において目新しい点は、これまで、タレント本人がクライアントと行っていたギャラや出演の交渉を、両者の間に入って行っていること。
また、楽曲配信などに際しては、エイベックスを後ろ盾に著作権の管理やプロモーション戦略を綿密に立てているということ。
「異色なことをやってると、思われていると思う。
だけど、山形とか、東京とか関係なく、タレントさんの権利を守ってあげること、ベストな方向へ導いてあげることが、業界としての責任だと思っています。
ひとりで活動してきたタレントさんを、あらゆる方向からフォローできる体制が、組織として必要。それを提唱していくのが、僕のミッションです」と富塚さん。
人生はナマモノだ! 頭で考えるな、心で動け!
「Uターンするかどうか悩むんなら、『山形を根本から変えてやる!』っていうくらいの気概を持って、帰ってきてもらいたい。僕も、そういう気持ちでやってます。
“山形”っていう思い込みとか、しがらみにとらわれずに、自分の自由な発想で、それを実現化してもらいたい」と富塚さん。
「頭で考えるんじゃない。どっちが楽しいか、心に聞いてみる。それで明確に、答えは出ると思います。
安定を求めて情報収集するのも大切だけど、それはすでに、頭で考えている状態。
人の根本を突き動かすものは、心、行動力。失敗は、必ず糧になります。後悔しても、しょうがないでしょ」
あなたの心が“楽しそう”と感じるものは、どこにありますか?
新しいことへの挑戦は、ときに批判や嫉妬の対象になってしまうこともあります。
でも、「それを乗り越えて、山形をもっと発展させたい!」という富塚さんの力強いまなざしに、“きっと、山形はもっと面白くなる”。そう直感しました。
どうやら、モヤモヤ悩んでいる暇は、なさそうです。
さぁ。あなたは、どうしますか?