『ずっと都会で暮らしたい、とは思ってないなあ』
『いつか山形に帰るのかな、帰ってもいいな』
そんな風にぼんやり考えているアナタ。
でも、山形にこんなイメージ持ってませんか?
「なんとなく、つまらなそう」
「働く場所がなさそう」
「閉塞感がありそう」
山形県で生まれ育ち大学進学と共に県外に出て、そのまま県外で就職した筆者も実はそう思っていました。
山形県のイメージは、高校のときに見えた世界で終わっている感じです。
しかし、結婚し夫の転勤で偶然山形へUターンすることになり、約15年ぶりに帰ってきて山形で暮らしてみると、これまで知っていた、イメージしていた山形とはちょっと違うのです。
高校の時に見えた山形と、大人になって見えた山形は違っていました。
山形の美味しいものを食べることや作ることができる環境が昔よりかなり整っていて、なんか山形で暮らす良さ、ありがたさも感じれる気がする…。
地元で山形を盛り上げようと働く、こんな同世代がいることも知りませんでした。
『氷』にこだわり尽くして勝つって決めったんだ!
まだ寒い山形の3月。
道路脇に雪が残る山形県天童市、舞鶴山の麓。
その地に、今回取材させていただいた株式会社赤塚製氷(※以下、赤塚製氷)があります。
赤塚製氷は、明治41年に創業し110年以上も続く老舗。
先代は、この地域での冬の間の雇用増進を目指して田んぼでの氷製造業を始めました。
その老舗企業でここ数年旋風を巻き起こしているのが、現在の5代目の専務取締役 赤塚弘行氏 32歳(※以下、専務)です。
現在、赤塚製氷では、氷やドライアイスの製造・販売やアイスクリームなどの卸売業に留まらず、アイスクリームの自社商品開発から販売、氷の彫刻を使ったブライダル演出、カフェ事業”Ice cafe 弘水”の運営などにも力を入れています。
カフェ事業”Ice cafe 弘水”は、5年前に専務が発案し、天童駅前にてプレハブでの販売からスタートしたかき氷中心のカフェ。
その2年後には、本社の隣に実店舗をオープンしました。
夏になれば、毎日1000人以上の方が来店し長蛇の列ができ、真冬でも客足が途絶えることはありません。
それに加え、自社商品であるオリジナルアイス『やまがた くだものアイス』も山形の原材料にこだわり商品開発から販売まで手掛けています。
カフェのメニューやオリジナルアイスの商品は、専務と社員がアイディアを出し合い、山形らしく美味しい新たな味を日々開発しています。
ブライダル演出での氷の彫刻も外注ではありません。
ブライダル事業担当の社員と専務が彫り師に習い、現在は自ら手掛けているそうです。そのため、細かなデザインの希望にも応え、お客様の一生の想いをより鮮明にし、ブライダル演出に彩りを添えています。
『氷で勝つ!』と決めた専務の“氷”による快進撃はこれからも続きそうです。
山形から全国さ、打って出でっから
現在はネット社会。
山形での事業も、全国・全世界へ発信できる! そんな時代です。
赤塚製氷でも、もちろん山形だけでなく、広く情報を伝えることに注力しています。
東京のテレビ局からの氷の注文や、県外各地、遠いところでは横浜から『SNSを見て”Ice cafe 弘水”へかき氷を食べにきたよ』と直接、声をかけてくれるお客様もいるそうです。
また、東京などへのイベント出店も積極的に行っています。
山形に居ながらにして、全国や全世界に情報を発信し、お客様と繋がるとこができるのです。
東京にいてどれだけ親密に自分のことを話す機会がありますか?
直接の人と人とのつながりを求めているなら、やはり山形なのではないでしょうか。
山形の魅力、知ってだ!?
食べ物が美味しい、住みやすい、人と人の付き合いに温かさがある…。
特に、誰もが大きく頷くのは食べ物の美味しさではないでしょうか。
赤塚製氷の主力商品であるかき氷シロップは、材料がほとんど山形県産のものです。
山形と言えばのサクランボやラフランス、だだちゃ豆などはもちろん、イチゴやトマト、ブドウ、キウイなど、カフェの店先に常時30種類弱のかき氷シロップが用意されています。
ほとんどが山形の提携契約している農家から仕入れた原料で作られたシロップで、ときには自家菜園で専務のおばあちゃんが作ったかぼちゃなどを原料にしたシロップなどがメニューに載ることもあるそうです。
だからこそ、季節ごとにシロップの種類は変わり、それがお客様を飽きさせることなく、リピーターへ繋がっています。
氷やの跡継いだのは、洗脳だがもな
専務はお姉さんが二人いる3姉弟の3番目。つまりは老舗の長男です。
小さい頃から当然跡を継ぐものだという空気がありました。
『跡を継ぎたいのか?継ぎたくないのか?』
そんな話ではなく、『当然、継ぐよね』という空気。
さらには、学校の友達だけでなく、先生にも、『氷やの息子』と呼ばれ、当時はそれが一番嫌でした。
それでも、なぜ跡を継いだのでしょうか。
「洗脳だよね」と冗談をいう専務。
専務の小さい頃の想い出といえば、母親が運転する車の助手席にのってよく配達にお共していたこと。
大変そうに重い荷物を運ぶ母親を見ては、将来は楽をさせてあげたいなと子どもながらに思っていたそうです。
家業を本格的に手伝い始めたのは高校生のとき。
家業を手伝い始めてから、その仕事の大変さはもちろん、山形にある様々な企業の事業の役に立ち沢山のお客様を満足させていることを知り、人づきあいの温かさも感じ始めたのが、この頃です。
そんな高校生活を送り、仙台の大学へ進学。
仙台市に住んでいましたが、夏の時期は、家業を手伝うため、実家から大学へ通っていました。
だから、山形とのつながりが全くなくなることは一度もなかった上に、仙台と山形県内での暮らしの便利さに大きな差は感じることはありませんでした。
むしろ、夜は仙台の方が何となく寂しさを感じたとか。
そうやってずっと山形とつながっていると山形に必要なものと必要ないものが見え始め、『ないものであれば自分で一から作ることができる』『自分でやりたいことの舵取りができそう』『家業を活かして新しい事業ができそう』と山形で事業を展開していくことに面白みを感じ始めたそうです。
『大学生というちょっと大人の一歩手前。行動範囲が広がり、山形の良さも見えてくる頃に、山形とつながりを持って過ごしたかどうか。その違いで、大学卒業後に山形に戻ってくるかどうかの差が生まれる。この社会に出る一歩手前で山形の良さを知ることは大切だと思う。』
『それに都会の何が魅力?夜中まで飲み屋が開いていること?それは本当にやりたいこと?』
と話してくれた専務。
確かに、山形を離れて生活している多くの方は、大学生という社会へ踏み出す一歩前、社会の良さも悪さもわかり始める前に山形の地を離れ、社会人となって何となくの便利さの中で生活しているのではないでしょうか。
俺たち30代の息子・娘世代が頑張ってっから
みなさん、イメージで、山形の企業の多くが年配の社長が代替わりすることなく、会社経営を続けていると思っていませんか?
でも、赤塚製氷の話を聞いてみると、専務が中心になり新事業を進めていることがわかります。
それに専務の周りには、専務と同じ世代で、本気で山形を盛り上げようとする同世代の仲間がたくさんいます。
老舗の企業も多くありますが、ほとんどが息子・娘世代に代替わりし、新しい事業を展開しはじめています。
そんな仲間とコミュニケーションをとりながら、日々、自分で考えてこれまで山形になかったものを作り出すことが面白いと、専務が熱く語ってくれました。
▲山形のご当地タレント「ミッチーチェン」こと「MC GATA」さんとも、一緒に山形・天童を盛り上げています。
もう帰ってこいず、戻ってきて一緒におもしゃいごとやっぺ!
『山形の良さば、知らねで出てったんだべ』。
今回、赤塚製氷の専務にお話を伺って、一番心に刺さったのは、この言葉でした。
社内外の様々なコミュニティーに積極的に参加し、山形を盛り上げようと新しいチャレンジを続ける赤塚製氷の専務。
県外に住む『いつか山形に帰りたいな、帰ってもいいな』『ずっと都会で暮らしたいとは思ってないなあ』という人に向けてのメッセージを伺うと、
『もう帰ってこいず、戻ってきて一緒におもしゃいごとやっぺ!』
と、言ってくれました。
職を決める基準は、「どこで働くかよりも、何を目指して誰と働くかだ」とも言われます。
赤塚製氷で働きながら、一緒に山形に盛り上げていくのも楽しいのではないでしょうか。
山形を盛り上げている方たちは、山形に気持ちが向き始めているあなたを待っていますよ。
まずは、帰省した際には、かき氷を食べながら、専務に会いにきてください。
※この記事は、平成29年度「東北地域中小企業・小規模事業者人材確保・定着支援等事業」として作成しました。