子供の頃、夏休み、おばあちゃんの家で、畳の上で寝転がって、手持ち無沙汰な時間を過ごす。
畳のにおいがする。
いつの間にか寝てしまって、気がつくと夕方。顔に畳の跡がついていて、台所では夕食作りが始まって、トントントンという包丁の音や、家族の話し声が聞こえて来る。
「あなたにとって畳とは何ですか?」
という質問をされたら、私が思い出すのは、子供の頃の夏の日の記憶です。
あなたは、どうですか?
「あなたにとって畳とは何ですか?」
「小さい頃、お葬式で手持ち無沙汰で見つめていた」
「昔、習い事の時に、触れていた」
改めて考えてみると、「特別意識して何かを感じたり考えたことはないけど、何気ない記憶のどこかにちゃんと存在していた」という人も多いのではないでしょうか?
家に畳はありますか? その畳は、い草の香りがしますか?
「畳」は、1300年以上の歴史を持つ、日本独自の敷物で、「い草(いぐさ)」という植物が材料です。
国産の畳表(い草の茎などと麻糸とで織ったござのことで、畳の表につけるもの)は、その95%以上を熊本県八代市で生産しています。い草を育てるのは農家。い草農家は、畳表を編むところまでを行っています。
(写真:「ほんものたたみ」畳屋道場株式会社より)
天然い草は、ストロー状の筒の中に「燈芯(とうしん)」という白いふわふわしたスポンジ状のものが入っている構造になっており、この「燈芯」の入り具合が、畳表の機能性を決めます。
常に呼吸している畳表は、湿度が高ければ水分を吸い、乾燥していると水分を発散する「湿度調整機能」を持ち、肌触りが良く、部屋がいつも快適です。炭と同様「空気浄化作用」があり、有害な物質を吸着します。
「干草」と「土」の匂いが混ざった畳の独特な香りは、天然素材ならではです。(個人的には「い草の良い香り」が、とっても大好きです)
しかし、このい草で作られる畳文化が、いま失われていく危機にさらされています。
寝る時は、「畳に布団」から「ベッド」へという生活様式の欧米化も1つの要因。
もう1つ、業界の歴史も関係しています。
見るからに美しい織り目に加え、ハリと艶に優れ、使い込むほどに現れるアメ色の輝き。生産者が愛情込めてい草を育て、畳表への織りまで行う、豊かな温もり…。 (中略)
昭和30〜40年代、住宅ブームが到来し、畳が飛ぶように売れた時期がありました。い草は青いダイヤと呼ばれ、日本の農業生産物ベスト3にも入ったほどです。この頃、形成された畳の流注経路は、生産者と畳店の間に市場や問屋が入り、それぞれが利益ばかりを追求。畳表が不足すると、品質の良し悪しなど無関係に外国産を輸入し、結果、低価格競争を巻き起こしてしまいました。(出展:「ほんものたたみ」畳屋道場株式会社)
価格が国産の半額程度の中国産の畳は、国内のシェア8割を占めるようになりましたが、芯がすかすかで劣化や変色も早く、農薬使用なども懸念されます。
畳店が価格競争を巻き起こした結果、そのしわ寄せは、い草農家に行きました。
天然い草を使用した畳表に代わって、価格競争で優位に立つ中国産の畳表やビニール製の畳が台頭した結果、平成元年に8,578件だった、い草農家の数は、約30年で20分の1の483件に(平成29年現在)。い草収穫機械メーカーは、市場から撤退しました。
それは自らの首を占める結果になってしまい、平成元年に15,000店舗あった畳店は、平成29年現在6700店舗と約半分になっています。
畳業界の流通体制は複雑です。
(出展:「ほんものたたみ」畳屋道場株式会社)
中間業者が間にいくつもあり、畳店は生産者と関わる機会がありませんでした。
寒河江市にある1916年創業の老舗畳店「鏡畳店」の4代目で、畳の専門学校を卒業して、家業を継いだ鏡さんも、そういった畳店の1人でした。
せっかく新しく建てた住宅で、価格重視の安価な外国産の畳表が使われていることにずっと違和感を持っていたー。
けれども、何をどう変えればいいかわからなかった、という鏡さん。
転機が訪れたのは、2006年、いぐさの産地、熊本県八代市を訪れたことでした。
熊本県八代市のい草産地を訪ねてみると、危惧していた以上に、そこは深刻な状況にありました。私たちは初めてい草農家の方々と情報を交換し、本音で話し合いました。い草の栽培から畳表を織り上げるまでの、高い技術とこだわり、そして情熱。重労働に据えに生まれる、高品質の畳の素晴らしさ…。(出展:「ほんものたたみ」畳屋道場株式会社)
畳の原材料となる天然い草&畳表の生産現場を初めて知り、衝撃を受けた鏡さん。
「このままでは、天然い草の畳文化が無くなってしまう」
危機感から、「国産畳表を守る」という使命を持って、2006年、「畳屋道場」という組織を立ち上げました。
私たち畳屋は、ずっとお客さんの方を向いてこなかった、まずこれが一番の反省点です。畳の良し悪しや産地について畳屋自身が知らな過ぎましたし、消費者に伝えることもできずにいました。い草や畳表のことは全部問屋任せ。畳製造業でありながら、い草の産地に出向くこともなければ生産者と出会うこともないまま「需要が減った」「価格競争が激しくて儲からない」と嘆いてばかりいた。気がついたら畳表の8割が中国さんに取って代わられ、い草農家も激減していました。「このままでは国産のい草を使った高品質な畳が作れなくなる」という危機感を抱き、畳屋とい草農家が連携して、国産にこだわった品質の高い畳をお客様にお届けしようと思ったのが「畳屋道場」設立の動機でした。(出展:「ほんものたたみ」畳屋道場株式会社)
畳店が「畳を見る目」を養い、生産者が見える安心・信頼の製品をお客様に届ける
「畳屋道場」は、畳店と生産者とを直接つなぐネットワークです。
このネットワークには、畳屋道場の理念に共感し畳店が「入門」し、夏と冬に2泊3日のホームステイをしながら、”い草の収穫”や”い草の田植え”を手伝い、生産現場を体感。畳の良し悪しがわからないまま価格競争に巻き込まれていた畳店自らが国産畳表の生産現場を体感して、その価値を正確に判断できる目を養います。現在は、全国14の畳店がネットワークに参加しています。
(出展:「ほんものたたみ」畳屋道場株式会社)
い草産地では、畳屋道場との連携を進めた2011年に、生産販売機能を持つ「和たたみの里 八代生産販売組合」が組織されました。かつては市場に出荷すると、その後の流通は不明だったものが、畳屋道場に参加している畳屋と直接取引を行うことにより、全国に広がる納品先の様子まで確認できるようになりました。
畳屋道場が新しく作った新たな流通システムでは、関わるすべての人々の顔が見えるようになったのです。
この流通改革により、商品の品質は上がり、い草生産者はモチベーションが高まっているそうです。
(い草がどのように生産されるか、こちらからご覧いただけます。)
仲間となる存在との出会いにより、「国産畳を守る」動きは加速
鏡さんが、国産畳の文化を守るために着々と動きを進める中、ある出会いがあります。
当時、東北芸術工科大学プロダクトデザイン学科の学生だった尾形航さん(下写真右)は、「伝統工芸品などの需要減の悩みを、デザインの力で現状を変えられないか。」という想いを持っていました。
インターネットで情報収集していたところ、鏡畳店のWEBサイトを見つけます。
「畳屋さんって、ホームページを持ってるイメージなかったし、代表が面白そうだと思ったんです。鏡さんに連絡を取って話を聞きに行き、畳という素材がおもしろいと感じて、卒業制作のテーマを「畳」にすることにしました。」という尾形さん。
畳を、「デザインアウトプットが敷物だけでもったいない」と感じた尾形さんは、熊本を2回訪問して、い草産地を自分の目で確認し、鏡畳店に何度も足を運んで相談を行い、下の写真の椅子を、卒業制作として作りました。
卒業後、一度は違う会社に就職したものの、畳業界への可能性を感じていた尾形さんは、「やっぱり畳がやりたい。自分の畳ストーリーは卒業制作では終わらない」と、大学の先生や親の反対を押し切り、鏡畳店への入社を志願しました。
晴れて鏡畳店の仲間となり、入社後は、社内で協力して新商品「いぐさピロー」や「いぐさロール」を開発。
以前、当サイトでご紹介しましたが、”畳表を作るには長さが足りない、今まで捨てられていたい草”を活用した商品「いぐさロール」では、月刊ソトコトがプロデュースする第11回ロハスデザイン大賞2016のモノ部門の大賞を受賞しました。
2016年には、資生堂の”様々な人が関わって、これからの美を探る展覧会”「リンクオブライフ エイジングは未来だ展」で、デザイナーとコラボレーションしています。
このコラボレーションの始まりは、展覧会のデザイナーのネット検索がきっかけ。コンセプト・キーワードから「畳」を連想し、ネット検索して、パートナー候補を探していたところ、いぐさロールでロハスデザイン大賞受賞していた鏡畳店を見つけ、連絡したそう。資生堂から電話が来た時には、「なぜ、資生堂から電話が?」と、鏡さんはびっくりしたそうです。
後の打ち合わせで、デザイナーが「こんなものを作りたいんです」と、サンプルとして鏡さんに見せた画像は、なんと先ほどの尾形さんの卒業制作作品!
ここでも驚くこととなりました。
世界は畳を待っている
2017年2月下旬には、資生堂本社ビルで「『世界は畳を待っている』TATAMI TOMORROW」トークイベントを資生堂と共同で開催。
モデレーターのCMディレクター今村直樹さん(東北芸術工科大学映像学科教授)が、「畳をブランド化していくには、もっとクリエイティブが必要です。今日はいわば決起集会。応援団が集まって、畳の未来について考える会です。」と説明したこのイベントでは、CMディレクター、プロダクトデザイン、写真家など他分野の専門家と共に、畳に何が可能か?ということを話し合いました。(イベントの詳しい様子はこちらから)
第一線で活躍するクリエイターたちが、畳の未来に語った内容は、どれも示唆に富むもので、実現への道のりは簡単なものではないだろうけど、そこに向かっていけば、新しい方向性や新しい文化が生まれそうと感じる場の空気。
イベントの終盤で鏡さんは「畳屋という職業の再定義をしたい。”サーカス”を再定義をしたシルクドソレイユがお手本。」と話します。
最後は新ブランド「TATAMI-TO」を発表し、イベントは幕を閉じました。
『TATAMI-TO』
「畳と・・・」
「・・・」には何でも当てはめることができる。永遠に終わらることなく、繋がりを作り続けるというメッセージの込められたネーミング。「Tatami to ~」このように、英語で説明する場合にも、英語圏の人に繋がりをイメージさせることができるため、グローバルな展開も視野に入れたもの。(名付け親はブランディング戦略家の関橋英作さん。)4月よりTATAMI-TOのブランド名を旗印に、新しくプロジェクトを本格始動予定。
TATMI-TOのfacebookページ
https://www.facebook.com/TATAMITOMORROW/
「国産畳の文化を守る」ために、仲間を増やし続けている、寒河江市の鏡畳店。
これからも目が話せません。
編集後記
山形・寒河江から、日本の畳文化を守る挑戦。
山形にもいるんです。こんなイノベーターが。
いきなり大きなことをしなくても、小さなことを積み重ねていけば、何もしないよりは状況は良くなるはず。
そう信じて、個人が一歩踏み出し、行動を変化することで、世の中はちょっとずつ良くなって行くのではないでしょうか。自分の人生は、良い方向に向かっていくのではないでしょうか。
「こんなこと出来るのは、その人が特別だからだよ」と、思ってしまいがちですが、1人1人が特別な想い・ストーリーを持っています。
※この記事は、東北経済産業局「平成28年度東北地域中小企業・小規模事業者人材確保支援等事業((2)事業)」の一環で制作しました。