こんにちは。株式会社キャリアクリエイトです。
「山形の「攻めの会社」教えます」のコーナーでは、働く人を応援する株式会社キャリアクリエイトが、いつかは山形に戻りたいと考えているビジネスパーソンの皆さんに向けて、魅力的な山形の企業の姿を紹介しています。
日本の社会問題の一つである少子高齢化。山形県においても総人口に対する高齢者の割合が大幅に増加しています。特に置賜地域は県内でも少子高齢化が顕著であり、ここ数年で介護施設の利用者は一層増えてきました。今後も介護事業への需要は高まっていく一方です。
今回ご紹介する株式会社三友医療は、米沢市と高畠町にて介護事業所を運営しており、置賜地域の介護業界で幅広く活躍している会社です。小さな薬局から始まった企業が今では多くの介護事業所を抱えるほどに成長しました。
現社長である稲毛葉子さんは3代目の社長。先代であるお父様、お母様が相次いで亡くなられ、26歳という若さで社長に就任されました。8月12日に開催したマッチングイベントにご出展された際、「利用者だけでなく従業員の満足度をあげたい」と真摯にプレゼンテーションされた姿に感銘をうけ、どんな経営をされているのか取材させていただきました。
置賜地域の介護業界を牽引する三友医療
キャリアクリエイト(以下、CCR):三友医療さんというと、置賜地域ではよく目にする猫のキャラクターが印象的ですよね。
稲毛社長:実はこのキャラクターは小学生頃に私が描いたものなんです。祖母の家で飼っていた猫を元に自分のロゴマークのようにあちこち描いていたんですね。そのときにたまたま会社のロゴを父が考えていたときで、私のイラストを見ていた父から、ファミリーレストランのナプキンに「描いてみろ」と言われて描いたものが今のロゴマークの原型なんですよ。
CCR:あのロゴマークはそんな逸話があったんですか!
稲毛社長:今もそのときの紙ナプキンはラミネートして会社の金庫に保管しています(笑)
CCR:ほぼ、そのまんまですね(笑)
26歳で社長就任に至るまで
CCR:最初から会社を継ぐおつもりだったんですか?
稲毛社長:この会社は昭和62年創業で、私が生まれた時にはすでにあり、小さい頃はよく出入りをしていました。直接両親からは継いでほしいと言われたことはなくて、自分の好きなことをやるように言われていました。直接言われなくても、長女だし・・・って考えたときに、ゆくゆくは継がないといけないといった思い込みのような思いはありましたね。
だけど、三友医療の前身である薬局を始める前に父は色々な仕事を経験していて、その経験全てが創業してからも繋がっているように見えて羨ましいなぁという気持ちを持っていました。実家の会社しか知らないよりは父のように色々な会社、仕事を経験してから継いだ方がいいなぁって思いがあって、大学卒業後は宮城県の工務店で営業として就職しました。
まあ営業ではあったんですけど、会社行事の段取りといった総務の仕事や会社ホームページの修正とか何でもやっていましたね。1人前になるまで続けたかったんですが、父が他界して母を一人にしておけないと思い米沢に戻ってきて三友医療で仕事を始めました。最初は総務として勤務していましたが、ゆくゆくは継がなくちゃいけないなって思っていました。
CCR:継ぐ気持ちはあったけれど、こんなに早く社長になるとは思っていらっしゃらなかったんですね。
稲毛社長:そうですね。母と働いていたのも1年もなかったので、社長になるまでの準備という準備は出来なかったです。でも父が会社の基礎をしっかり築いてくれていましたし、父のときから働いている職員の皆さんの支えのおかげで大きな混乱もなかったように思います。
「トップダウン」から「ボトムアップ」の組織を目指したい
CCR:社長に就任されて、どんな組織作りを目指していこうとされているのですか?
稲毛社長:トップダウンの組織からボトムアップの組織体制にしていきたいと思っているんです。現在、米沢市と高畠町に14事業所ありまして各事業所に管理者がいるのですが、管理者はもちろん職員1人1人が考えて色々な提案をしていくようになれば、考えて働く楽しさややりがいを持ってもらえるかなと。やっぱり楽しくないと長く続かないですしね。
トップダウンの体制の組織にも良さはもちろんありますが、これからはボトムアップでいこうと。ただまだビジョンなので、ゆくゆくはそうなっていけたらいいなぁという思いでいます。
CCR:なるほど。ボトムアップの組織作りへ向けて、なにか具体的に進めていることはあるんですか?
稲毛社長:はい。今年の4月から委員会活動を始めました。委員会は環境美化委員会、リスク管理委員会、行事委員会、研修委員会の4つで、なるべく各事業所から1人ずつ選出するように構成しています。委員会を作った狙いは先程のボトムアップにも繋がりますが、1人1人に考える癖をつけてもらうことです。 委員会によって業務内容は様々ですが、実行して反省して次回に活かすという一連の流れを通常業務以外でも経験してほしいと思っています。
CCR:委員会活動を始めてまだ半年ほどということですが、何か効果は?
稲毛社長:半年経って感じることは、発言が少なかった職員も委員会の業務確認をしてきたりするようになりましたね。特にそう感じるようになったのは「ヘルパーと行く旅」という行事を行ったときです。なかなか遠出できない利用者さんと、バスで出掛けて気分転換をしていただくことを目的としているんですが、今までは本部が中心となって企画しているのを今回は行事委員会に仕事を割り振って、バスの中での司会や旅の段取りなどをしてもらいました。色々大変なことはありましたが、職員の普段見ることができない一面が見られたことに効果があったと感じました。
CCR:普段は見ることができない職員さんの一面が見られたことは社長にとっても貴重な体験だったんですね。
稲毛社長:イベントを成し遂げた姿をみて、私や役員も「すごいな~」と感心したんですよ。
利用者満足だけでなく、職員の働き方のニーズにも合わせて
ケアマネージャーとして働く長瀬香代子さんと佐藤真樹さんにも一緒にお話を伺いました。
長瀬:私は葉子社長が小学生の頃から働いています。別の会社で働いていた経験もあるのですが、三友医療は米沢市の介護業界では大きい会社なので、様々な仕事があり他社での経験を活かして自分の幅を広げられることが魅力ですね。
佐藤:私は新潟出身なのですが、仕事の専門性を高められて得るものが大きい企業だと感じて三友医療に入社しました。自分の視野を広げられますし、社長の考えが新しく働きやすいところが良いと思いますね。
佐藤大輔:介護業界は世間では離職が多いというイメージがありますが、長く勤められる秘訣はありますか?
長瀬:確かに仕事は大変で離職率が高い業界と言われています。ですが、三友医療は仕事が多種多様にあるので、人それぞれの生活に合わせた働き方で働いてもらうことで長く勤められるようになっています。例えば、女性であれば結婚して妊娠・出産、そして育児が始まって、今まで出来ていた夜勤ができなくなる状況になったら、日勤のみの勤務にしたりと調整をします。 利用者さんのニーズに合わせることはもちろん大事ですが、職員のニーズにも応えていくことも大切に考えていますね。
佐藤:80代の方にも現役で働いてもらっているんですよ。働ける限りは働きたい、という職員の思いと、それに応えられるような仕事もあるんです。
「どう”生ききりたいか”」を支えるドラマチックな仕事
CCR:居宅がなくなった人にとっては、入所先が終の住処となるわけですが・・・
佐藤:利用者さんの尊厳の部分に関わってくることなのですが、現在は”どこで死ぬか”から”どう生ききりたいか”、に考えが変わってきていると思います。利用者さんの尊厳を守るためには、職員が利用者さんの自尊心を保ってあげることが必要になってきます。”看取り(注:死期の時まで寄り添う介護)”というと恐怖心がわきますが、どういう風にその人の気持ちを最期まで保ち続けてあげられるかが私たち介護職員の役目かなと。
CCR:「どう生ききりたいか」・・・深い言葉ですね。
佐藤:介護という仕事は、利用者さんの人生に最後に携われる大切な仕事であること、また利用者さんと関わっていくことでその最期をどうやって作ってあげられるか・・・と、とてもドラマチックな仕事だと思いますね。
長瀬:人間は当たり前ですが、最後は老いて亡くなってしまう。その人が歩んできた長い人生の最期の部分に関われることは、自分の人生をも大きく左右できるぐらいの仕事だと思いますね。
葉子社長:介護業界のマイナスなイメージを変えていきたいと考えていますが、そう簡単にはいかないのが現状です。ですが、まずは現場をみてほしい、体験してほしいですね。
実際に利用者さんと関わってみないとわからない楽しみややりがいがあるので、体感して介護の仕事を理解してもらいたいです。
編集後記
従業員の幸せを考えた組織作りを目指すフレッシュな社長と、それぞれの知識と経験を活かして温かく社長をサポートしながら働いている職員のみなさん。インタビュー中も、アットホームな雰囲気を醸し出していました。
山形県は、介護職の人材不足が続いています。一方で、キツイ、厳しい、忙しいなどといった負のイメージが先行して最初から就職先の選択肢として外してしまっている若い求職者も少なくありません。
そんな中で、若い社長の感性のもと、現場の声を引き上げるボトムアップの体制を築き、働く職員の満足度を向上していこうとする三友医療さんの姿勢は置賜地域だけでなく、山形県の介護業界の未来を明るくしてくれる可能性を秘めていると感じました。
※この記事は、東北経済産業局「平成28年度東北地域中小企業・