「田の神上げ」、「大黒様のお歳夜」をご存じでしょうか?
いずれも11月から12月にかけて山形県庄内地方で行われている年中行事です。 庄内地方では、今も独特の年中行事が各家庭や地域で受け継がれています。

ちなみに庄内では春に山を下った神が「田の神」となり、秋に山にもどり「山の神」となるといわれています。

「田の神上げ」は11月23日に田を守ってくれた神に感謝し田の神が山に帰るのを送る行事です。「大黒様のお歳夜」は、12月9日に大根や黒豆料理を大黒様にお供えして豊作や子孫繁栄などを祈願する行事です。
お盆やお正月もお供えや料理など庄内独特の文化が色濃く残っています。

 今回のやまがたで働く人

塩田紀久代さん

和文化おもてなし研究所

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塩田さんは、古くから行われてきた年中行事を現代の生活に楽しく取り入れた暮らしの提案や、所作の指導などを中心に講師として活躍されています。

待ち合わせの場所でお会いした塩田さんは生成の反幅帯を文庫結びにした薄紫色の着物姿。すっかり肌寒くなり、街路樹など生気をなくした秋の街に瑞々しさが添えられるような可憐さでした。

取材場所のカフェで注文したタルトとコーヒーが目の前に置かれると、帯に袖の袂を軽く挟み、すっとハンカチを膝に置き、そしてゆっくりとタルトにフォークを進めるのでした。 その自然でたおやかな身のこなしに同性ながらうっとりと見とれてしまいました。


接客が苦手でした。仕事にしちゃえば克服できるかなって。

塩田さんは鶴岡に生まれ、高校卒業後、上京し、あこがれていた芸能の世界に飛び込みます。
「舞台制作に興味があって、舞台スタッフのお手伝いを学生時代にしていました。 学校を卒業後、テレビ制作会社に就職し、その後芸能プロダクション個人事務所に入り、スケジュール管理、スタッフ打ち合わせ、タレントの衣装の早替え、生バンドの手配などいろんなことを経験させていただいたんです。学生時代から含めると10年くらい所属していました。

そして、ご縁があってオリエンタルランドの就職試験を受け採用されました。
中2の時に見たディズニーランドのエレクトリカルパレードにあこがれて、ずっとショーの仕事がしたいって思ってたんです。3年ほど舞台監督の仕事をしていました。」

そんな芸能の世界で活躍する塩谷さんに転機が訪れます。 お母様が体調を崩され、亡くなられたのです。
「母の死があって、私と兄は東京にいたので、親戚もなくて、これから一人で生きていくのに教養もなくて大丈夫かなって思ったんです。 日本の教養を身につけたいと思ったし、当時は着物に興味があるころだった。 それに昔は接客が苦手でした。克服したいのもあって、仕事にしちゃえば教養も学べていいと思いました。」

決意するとすぐに接客業の世界に飛び込みます。旅館・ホテル業のフロント・仲居の仕事など、接客のスタッフとして働き始めました。
「最初に働いたところは部屋数が138ある大きなところだったのですが、次に入った修善寺の旅館「菊屋」では40部屋でお客様との距離が濃いところでした。

同僚の中には接客がとてもよくできる人がいる、そんな中で(接客が)分からない毎日だったんですけどご縁なので向き合ってみようと思って、あるお客様には、『言葉ではなく間合い。察して覚えなさい』ということを教えていただきました。

一つ一つ丁寧にできることを積み重ねていくうちに、お手紙をいただいたり、ご指名いただいたりするようになりました。
その方々とは未だに年賀状などやり取りをさせていただいています。私、アナログ人間なので未だに手紙は手書きなんです(笑)。」

少しくらい親のために時間を使いたい。親孝行したいと思ったんです。

忙しく過ごす日々の中で、思いがけず鶴岡への移住を決意することになります。
「母の3回忌があって・・・両親が住んでいた鶴岡の家が空き家だったんですね。兄と相談するうちに母の遺品をどうするの?って思って。

今まで仕事で有給休暇を使うことがあまりなく、時間に追われる生活でした。 少しくらい親のために時間を使いたい。遺品整理をして親孝行したいと思ったんです。 2007年9月に決意して、2008年1月10日過ぎには(仕事を辞めて)鶴岡にいました。」

鶴岡に戻って、家にある大量の思い出の品を整理していったそうです。
「母や父の時代は(物を)揃えて心を満たす時代だったけれど、私達の世代は、ある程度、物がある時代なので使うものだけを手元に残せばよいかなと。それで使わないものは手放していきました。当時もそうでしたが、今年も整理してリサイクルや廃棄処分に出しています。まだもう少しかかりそうです。」

鶴岡に戻ってきて気づいたことがあります。
「戻ってきたときは体の調子が悪かったんです。でもその土地のものを食べていると薬を飲まなくても健康になっていきました。空気、水、食べ物がおいしくて、生まれたところは恵まれていたんだと思います。」

和の文化を通しておもてなしや相手を敬うことを学び、社会を笑顔にしたい。

2年間、鶴岡でホテルマネージャー業を経て、2012年10月和文化おもてなし研究所を作りました。
「ちょうど1年前に和文化おもてなし研究所を作ったんです。ここでは日本文化を今の生活に取り入れやすい環境づくりをしていきたいと思っています。」

カルチャーセンターの講師として、月ごとに年中行事の提案、最近だと十三夜のお月見、七五三のしつらえの提案したり、和歌などにある日本古来の言葉、着物に実際に触れてその文様の意味を伝えたりしています。

「和の文化を通しておもてなしや相手を敬うことを学び、社会を笑顔にしたい。生活にある文化と社会をつなげるイベントをしていきたいと思っています。奥ゆかしい女性を増やしたいですね(笑)。」

大好きな日本文化をもっと身近に感じてもらえるよう企画しています。

「今やりたいと思っているのはお花、お茶、お香などいろんな日本文化を楽しめるスペースを作っていきたい。お花とかお茶は縦のつながりはあるけど横のつながりはあまりないから・・・。 畳にしても都会ではあまりなくなっているし、畳そのものについて職人さんからのお話を聞ける場も作りたいですね。

和文化を知っていただく手段として活字、映像、ジャンルを問わず、発信していきたいです。
「和でつながる人と文化のおもてなし」というメールマガジンをお正月に創刊しようかなと考えています。映画も面白いですね。」91989cde692fe21d850d18788e1256d9-300x225

今年の初め、「おしん」の製作に携わりました。
「映画を通してまちづくりに参加したいと思って。着付けのボランティアスタッフに入れていただいて映画「おしん」の製作にご一緒させていただくことになったんですよ。 主に女中の方の所作レッスンでしたが、他にもおしんの奉公先の材木店と(遊佐町・旧青山本邸にて撮影)加賀屋さん(酒田市・旧鐙屋にて撮影)にて、食事のお膳の出し方やいただき方をその時代にあったものを提案させていただきました。


また下駄の置き方は身分によって異なるので、限られた場面の中で現場のスタッフの方と相談しながら作り上げたりしました。現場は結構張り詰めた雰囲気でしたよ(笑)。」

 「おもてなし」を一次の流行にはしたくない。

「東京オリンピック招致で「おもてなし」が注目されましたが、一次の流行にはしたくないですね。旅館やホテルなど特別な機会がないと「おもてなし」が受けられないという先入観はもってほしくないなと思います。
例えば、暑い日に宅配業者の方にコップ一杯の水を差し出すことも、おもてなしの一つです。身近なものだと感じてほしいですね。」

塩田さんは現在も精力的に地元の年中行事について勉強されています。
「通信の大学、京都造形芸術大学和の伝統文化コースを専攻しています。卒業論文のテーマは民俗学の年中行事です。朝日の倉沢集落で人からお話を聞きまとめています。

お正月に「ノサカケ」というのがあるんです。 藁で編んだ「ノサ」を神木にかけます。家の男性の人数分プラス山の神様の分の数だけ編みます。昔は男性の体が弱かったので健康祈願と五穀豊穣、家族の健康を願って作る昔から変わらない行事です。

民俗学でも常にコミュニケーション力が求められます。人と接することで積み重ねられるものがあると思うの。自分が苦手なものを克服できると度胸もついてくる。 歴史に残る人は限られているけれど、村の人が生きてきた暮らしのことを少しでも残していきたい。足跡を残したい。両親にはできなかったけど、地域にはできるから。」

旅でもなんでも山形の文化に触れていただけたら。

「どんな人でも、今まで経験してきた人生の中で共通するところがある。
ある時、その点がつながっていく瞬間がある。そんな時にさらに自分の人生が広がっていくんです。自分史をたどるとキーワードが見つかる気がします(笑)。

山形に住みながら、あちこちに行って仕事をする。頭で考えたら何もできない。 「できない」じゃなくて自分のやり方にシフトしていくといいなって。
自分の好きなところに住むスタイルが気に入っています。人間らしい生き方ができる。
山形は海があって山があって四季の移り変わりがあって、四季のものを頂ける。
住みながら、仕事をしていけばいい。住んでみないと分からない。
移住を迷われている方はまずは、旅でもなんでも山形の文化に触れていただけたらなと思います。」

「奥ゆかしい」。最近あまり耳にしない言葉なので、調べてみました。
「深みや品があって、心をひかれるさま」だそうです。
まさに塩田さん。興味をもったことに、ひたむきにそして大胆に進まれるところは人間としての深さをなし、所作や佇まいを丁寧に行うことで品をもつものなのかと感じました。

自分とは程遠い言葉だと思っていましたが、塩田さんのお話を伺うと、先人たちが築いてきた和文化を知り、丁寧な暮らしを送ることで、人生をより豊かに送れる気がしました。

Profile

塩田 紀久代 さん

出身 山形県鶴岡市
生年月日(または年齢) 1974年
URL http://ameblo.jp/shiohime25

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この記事を書いた人

明石 智代

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