日本で名前が通るようになってから、新庄に戻ってきたり、新庄に影響が与えられるような存在になりたい。
大津辰也さん(22)
インダストリアルデザイナーの卵
東京の専門学校でデザインを学ぶ大津さん。これから就職するという彼に、「今」の「一歩踏み出す」を聞いてみる。
「自分の兄ちゃんが、新庄で店やってたんです。結構デザインも凝ってて。そこでパントンチェアっていうイスがあって、そのを見てものづくりに興味を持ち出して、イス作ろう!って思うようになったんです。デザインの専門学校に行くために、仙台に出ることも考えたけど、やっぱり刺激があるのは東京かなと思って、上京してきました。」
どんなことを学んでいるの?
「工業製品のデザインです。例えば、イスだったり、電話だったり、ドライヤーだったり。今の専門学校は実は2校目なんですけど、最初に行った専門学校はどちらかというと実技中心の学校でした。そこでもデザインの勉強をしていたんですけど、外部コンペで賞をもらったことがあって。それでものづくりの楽しさを知ったんです。それで、もっと学びたい、実技だけじゃなくて、「知識」とか「考え方」を吸収したいと思って、卒業後、今の専門学校に入学したんです。」
そして今年卒業を迎える。これからの仕事や、人生の展望は?
「就職先は決まったんですが、もしかしたら、仕事でジャカルタに行くかもしれません。いま、一生懸命英語聞いて勉強してます(笑) 単純な「デザイン」ていうのは、今後なくなるではないか?と思います。だから、きちんと考えて、必要なものを作る人になりたいですね。自分が一人前になって、新庄を盛り上げるようにしたい。
というのも、スウェーデンは「雪が多いから、冬は家の中にいる時間が多い。だから家具をオシャレなものにしよう」という考え方で。だから北欧家具とかおしゃれなんですよ。状況としては、スウェーデンと新庄は同じ。なので、新庄もそんな感じにしたいんです。新庄の杉を使って家具を作りたい。なんとなくですけど、家具のカルチャースクールを新庄に作りたいなーって思ってるんです。新庄が「家具」の街ってなるのもおもしろいかなって。」
昨年末、山形クリエイターズパーティ(通称クリバ)なる会に参加した大津さん。山形で活動的に動いている人が多く参加する会で、「山形にもこうゆうおもしろい人いるんだ!」と驚いたという。
刺激を受けた大津さん。
数日後、同級生との飲み会で、「山形ばもりあげってよにゃ!」と話したところ、数人が反応した。
石川さん(右)もその一人。彼の話はまた後日、、、。
大津さんから、一歩踏み出したい人へのメッセージはありますか?
「震災のボランティアで、石巻に行きました。そこで、”自分はやれる環境にいるのに、やらないのはもったいない”って思ったんです。だから、やりたいことを全力でやって欲しいです。やらないことはもったいないです。僕も、いろいろ動いたからいろんな出会いがあった。空回りしたことも何回もあるけど」
22歳。将来の新庄は「家具の街」かもしれない。
Profile
大津辰也さん
出身 新庄市
生年月日 1989年12月26日
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