Profile
1972年京都府生まれ。陶芸家。 2006年より、山形県西川町大井沢在住。娘2人の父。 卒業後、一般企業に就職。数年後、働く傍ら陶芸教室に通い始める。1年ほど通った後、陶芸家としての道を歩み始めることを決意し、退職。2000年より、佐賀の唐津にて4年半修業。2006年、妻と娘と共に移住。 2013年4月、かつて自身が勤めていた会社内にて作品展示予定。
20代半ばで選んだ今の道
陶芸家として生きていこうと決めたのは24か25歳の時。大学を出てから就職する気は全然なかったけれど、縁があって、香老舗松栄堂という京都にあるお香を作っている会社に就職しました。 そこで働いているうちに色々考えたり感じたりすることがあって、仕事が休みの日に陶芸教室に通い始めたんです、「ほんとにおれはこれがしたいのか」と自分に問いかけながら。
通い始めてから約1年後、「面白いからこれで生きていこう」と決めたんです。実際、会社をやめる時は覚悟いりましたけどね。「陶芸家になりたい」という幼い頃に抱いた夢を追うのもいいんじゃないか、と思ったのも理由の一つです。 そこからは、レールがどんどん自分の前にひかれていったという感じでしょうか。
焼き物の原点を学びに
佐賀の唐津で修業したのは、日本の焼き物の原点かな、という思いがあったからです。昔は、「西の唐津もの、東の瀬戸もの」と言われていたみたいですしね。例えば、京都の京焼にしても、色んな地方の古い技法が集まってきてできたものですから。京唐津っていう、京都で唐津焼の技法をまねて作ったものもありますし。 それに、今は電気とかガスで焼き物を焼く所がほとんどだけれど、薪で焼いて作るのが本来なんじゃないか、と。その登り窯が残っているというか、登り窯で焼いている窯が多いのが唐津焼なんですね。 そういう意味で、原点を学びに行ったという感じですね、日本の焼き物の。
使い手が成長させていけるという陶器の魅力
陶器の魅力は年月が経てば経つほど変わっていく、成長していくということじゃないでしょうか。特に、陶器はそう。 陶器は土もの、磁器は石ものって言うけれど、磁器はとにかく細かいんですね。全体がガラスに近くて、叩いた時にぴんぴんって音がする。 一方で陶器は、隙間に粗い石粒があって、空気の層もあるから鈍い音になる。だから使っているうちに、その隙間に水気とか脂分とか色んなものがしみ込んでいって味わいが出てくるんですよね。 そうやって愛用して、少ーしずつ変化させて、成長させていく過程を楽しむことが、本来の陶器の楽しみ方だと思っています。
作品≠完成品
「作品は完成品ではない」その思いはおそらく人一倍強いですね。 例えば、お皿の絵付け。かつては作品に絵をいっぱい書いていたんですね。だけどある時、ある人から「ちょっとうるさいね」と言われたんです。 それからしばらく考えて、「お皿とか食器っていうのは料理を盛ってこそ価値のあるものだと。料理が盛られて初めて完成するものかな。」って思うようになったんですね。つまり、それだけだと「ちょっと物足りないかな」という感じ。だけど、物足りないと思わせてはいけない。そこが難しいところですね。 いかに、「最終的に焼きあがって、どういう料理を盛っているか」っていうところまで、どこまで具体的にイメージできるか。それでやっぱり変わってくるんですね、作品の出来が。最後の仕上げは、使う方にして頂くという感じでしょうか。
こだわらないというこだわり
作る上でのこだわりと聞かれたら、こだわらないことですかね。いわば、自分で制約を作らないというか、いかに既成概念にとらわれずにいられるか、ということ。自分の性格上、こだわりだすときりがないんですね。今までの経験上、一生懸命やればやるほど、結果どつぼにはまっていく。だから、そこに至るまで、いい頃合いの時に止めたいんです。
自分の内面と向き合う時間は長いから、どうしてもストイックになってしまう。だから、たまにはじけたくなります。 野球とかもやるんですけど、その理由として、「体と心のバランスを充実させてないと、それがもろに作品の出来に反映されてしまうから」っていうことがありますね。
作品=今の自分
結局、焼き物を作っていて感じるのが、「今の自分以上のものはできない」ってこと。出来上がったものが“今の自分のすがた”なんですよ。だから、見る人が見たら作り手の人となりが見えるんでしょうね。
例えば、お茶会に呼ばれて、そこで自分の作った器を使ってもらう時。皆さんの注目の的になるわけですよね、自分の作品が。そうすると、自分が素っ裸でそこに立っているような感覚になります。 偽れないです。カッコをつけられないですね。だから、普段から偽らないようにしないといけない。良く見せようとして表面的に取り繕ったものが作品に現われると駄目ですから。
お客さんには、第一印象として「すごくぬくもりのある感じ、優しい感じがしますね」ということをよく言われて、恥ずかしい思いをするんですが、その中でも作品を買ってくださったり、気に入ってくださったりするお客さんっていうのは、結局私のことを気に入ってくださる人が多いと感じます。話をしていても楽しいですし。 そういう点でも、作品は自分自身なんだと思います。
常に勉強
自分の作品をできるだけ客観的に見たいけれど、どうしても自分の好みの中でしか判断できない。 だから、色んなものの見方ができるように、常にいろんなものを見て感じる感性を磨。常に自分を高めていきたいですね。
そういうのも、きっと「常に勉強」という姿勢を家庭の中で教え込まれてきたからでしょうね。 例えば、子供の頃。家族で料理屋さんに行ったとしても、「ただ単に、おいしいものを食べに行った」っていうだけじゃなくて、そこで出される器とか、しつらえや内装、そして料理の盛り方や産地、季節の事も頻繁に話題に上がっていたんです。 両親は常に「お茶」というものを念頭に置きながら、日常的に周囲に対してアンテナを張っている人たちだったんですよね。
これからの課題、目標
たくさん売れるのはうれしいことだけれど、万人受けすることはまずありえないから、私を気に入ってくれる人といかにして出会っていくか、がこれからの課題ですね。 だとすれば、情報発信だったり、いろんな場所で展示をしたりするっていうことが必要なのかな、と。ここでじっと作品を作っているだけだとだめだな、営業もしないといけないな、と。
でも、何というか、ビジネスっていう感じにはしたくないんですね、いやらしい世界になるから。そこから目を背けるっていうのもきれいごとになるのかもしれないですけど。そのあたりは難しいですよね。 「わかっている人に評価してもらって、そういう人に買ってもらう」「自分で作品の値段はつけにくいから、買う人につけてもらう」ことが理想でしょうか。
それから、もう一回京都と山形をダイレクトにつなぎたいですね、かつて北前船があった頃のように。2013年4月に、京都で昔勤めていた会社の多目的スペース内(香老舗松栄堂 京都本店松吟ルーム)で、大井沢で趣味として写真を撮っている渋谷くんの写真と一緒に展示する予定です。自分の作品と渋谷くんの写真とを通じて、来て頂いたお客さんに京都と山形がつながっている事を感じてもらえるとうれしいですね。
京都では初めての展示になるから不安だけど、いつかは通らないといけない道ですからね。 ・・・最終的には、お茶で通用するようなもの、お茶の雰囲気に合うものを作っていけないと意味がないと思っています。そこは、憧れであり目標でもあるんです。 というのも、両親ともお茶が好きな人で、(父親は茶入袋師、母親はお茶を教えていた経験あり)お茶の道具を作ってきた家に生まれ育ったからこそ、お茶の感覚っていうのはどこまでいっても忘れたくないんですよね。(具体的に説明するのは難しいんですが…)
父親の背中
振り返ってみて、やっぱり、自分の考え方とか生き方っていうのは、父親の影響を大きく受けている気がします。 例えば、「遊び」という点で言うならば、子どもの頃、父親に「遊び」の雰囲気は教えてもらっていたんですね。父親が僕に、「祇園町で、芸妓さんや舞妓さんと一緒に飲んできた」っていう話をすることがわりと普通にあったんですよ。もちろん、キャッチボールとかもしてもらっていましたけど。
「遊び」も一つの文化だと思っています。というのも、例えば舞妓さん一人にしても、すごい数の職人さんが携わるわけですよね。着物から、髪飾り、履物まで様々。そういうものがなくなるってことは、同時に技術が衰退するっていうことだと思うんです。実際、そういう「粋」なものがどんどん失われてきていますし。そういう意味では、「遊び」はある意味文化を担うんですよ、きっと。 お茶の世界にしても、精神修行的な場であると同時に、「遊び」でもあると思うんです。例えば、「茶味、茶心がある」という表現に、それが表れている気がします。遊び心というか、普通とは違うけれど、決して嫌味な感じではなく、粋な感じがするとか、色っぽさがあるとか。そういう部分だと思うんですよね、「遊び」って。
・・・改めて思うのは、「親父がかっこいいな」ってこと。親父と離れて暮らしてみて、父親の何気ない言葉を聞きたいとも思いますし。妙好人っていう言葉があるけれど、父親がまさにそれだと思いますから。
父親となった自分の背中
娘二人はのびのび育ってくれていますね。純真無垢というか、素直だなと。やっぱり、環境が大きいと思います。周りの人がちゃんと見てくれるし、声もかけてくれますしね。そういうところがここ(大井沢)の良さですよね。彼女たちなりに自然の移り変わり、冬の厳しさなんかも感じているでしょうしね。そんな風に、子育ての環境として中途半端でないところも、ここで生活するという選択をした理由の一つなんです。
娘たちには、誰に何を言われようと、物事を自分自身で判断できるようになってもらいたいです。自分で未来を選択していけるような子どもに育ってほしいですね。そういうのも、結局、親次第かなと思っていますから。
[編集後記]
「人間として本来あるべき姿とはどういうものか?」その答えを探しているという土田さん。 土田さんの作品は、そんな問いから生まれたメッセージなのかもしれない。
Profile
土田健さん
出身 京都府
生年月日 1972年7月5日
URL http://chousetsugama.wordpress.com/