山形から酒田を結ぶ国道112号線は西川町を東西に貫く通り。商店が所狭しと並び、「都会」とまで称されたという通りだが、現在はそんな面影は薄い。そんな中、戦う一人の男がいる。

今回のやまがたで働く人

後藤武郎さん(44)

山竹商店店主。

店の3代目として、家族を養う父として、果たして今何を思う?

3代目としての葛藤

「ここを継ぐと決めたのは10年近く前。その時にはやりたいこともいっぱいあったんですけど、自分の中に「長男」っていう縛りのようなものがあったんでしょうね。

周りにはこういう小売業で、後を継いでる人はいないんですよね、ほとんど。 親の方も後を継がせようとしないですし。やっぱり、これまでの日本が良すぎたんですよ。自分の親の時代は、考えなくても売れたんですよね、商品が。お店を構えていれば、お客さんが来たんです。

でも、世の中が活気づいていた時代だから、親が汗をかいて仕事をしていたなっていうイメージはありましたね。
1代目のじいちゃんなんかは、戦後裸一貫で店を作ったり、東根から商品をリヤカーにのせて引っ張ってきたり(約25キロ)。考えられないですよね。 そういう親の背中が生活の一部になっていたというのが、継がないといけないっていう気持ちにつながったのかもしれないです。 それに、幸か不幸か、家の商売が嫌いなものではなかったんですよ。

だけど、自分がいずれは店を継ぐんだろうなって思っていることが嫌でしたね、会社勤めをしている時は。親は、僕がもちろん継ぐだろうって思っていたし、「おれはお前を継ぐように育てた」と親父に言われた時はカチンと来た。手ばなしで継ぎたいっていうわけではなかったから、ものすごく葛藤はありましたよね。

 

ちゃんと努力していたら、絶対生き残っていけると思う

「実はこのお店、映画館だったんですよ。全盛は昭和32年で、テレビもなかったような娯楽の少ない時代には、映画の人気はすごかったみたいですよ。国道がまだ出来ていなかった頃、この町には鉱山があったから人口も多く、電車も通っていて、店の前は商店街のメイン通りだったんです。

当時、この店の付近に来れば生活に必要なものは何でもそろうという状態で、河北町出身の母親は嫁に来た時「ずいぶん都会に来た」と思ったらしいですね。でも、それからお客さんの方の生活スタイルがどんどん変わっていく一方で、店が変わらなすぎたんですよね、今まで。

だからといって、僕は今の世の中に対して悲観的に考えているわけではなくて、ちゃんと努力している人は絶対生き残っていけると思うんです、願いも込めて。ダーウィンの進化論でも、生き残るのは大きいのでも強いのでもなく、環境に適応したものだけが生き残るって言いますからね。だから僕も、今一生懸命勉強しないといけないなって思っています。 まだ遅くはないな、と。家族を養っていかないといけないわけですし。」

 

 

付加価値をつけて売る 

「僕は、モノを仕入れて売るっていう小売業をやっているわけだけど、実際お客さんからお金をもらう対価としてのサービスというか感動を提供する必要があるから、1つの商品を売るにしても付加価値をつけて売るようにしているんですね。大手スーパーとかディスカウントストアと同じ土俵の上で戦ってもしょうがないですから。

例えば、山竹のブランドのオリジナルのワインとかお酒なんかも出しているけれど、自分が美味しいとか楽しいとかっていうものが、お客さんにも通じて喜びの声なんかを聞けたりすると、お金以上のものが得られるっていう感覚があるんですよ。そういうふうに、僕はふつうの商品に命を吹き込むというか、ストーリー性という付加価値をつけて売ることを目指しています。

今やりたいのは、一つ一つの商品の簡単な説明を書いたポップ作り。自分のこだわりのある商品を、お客さんに訴えたいですから。例えば、すごく売れているCD屋さんでは店員手書きの独特のポップってあるけど、あれは最高のセールスだと思うんです。店員さんの思いが伝わるんですよね、その場にいなかったとしても。現在、ポップではないけれど、町内の人たち向けのチラシをたまに出しているんですよこれが、けっこう評判良くて。だから、定期的に発行できるようにしていきたいですね。あとは、やっぱり、遊び心がないと。例えば、「コカコーラ早飲みセット」とか、既存の商品を生かせるように面白おかしさを加えて売るんです。そうすることでお客さんとのコミュニケーションも生まれますしね。ABCですね当たり前のことを、馬鹿みたいに、ちゃんとやる(笑)アメリカ人によくいるような、とてつもなくくだらないことを大人が一生懸命やっているっていう感じが好きなんですよね、僕は。」

 

時代に応じて変わってゆく、あるべき店の姿 

「映画が好きだから、ゆくゆくは店の前で映画の上映会なんかもやってみたいなと思っています。著作権の問題とかでけっこう難しそうですけど。都会にあるような、オープンカフェもやりたいですね。そこで、デロンギのコーヒーを売ったりね。水は西川町の特産品の月山自然水を使って。正直、店の最終的な姿っていうのは、描けないというかわからないんですね。でも、時代に応じて変わってきますからね、あるべき店の姿も。」

地域貢献という使命

「ただ単純に店にいて商品を売るっていうだけじゃなくて、近所のじいちゃんばあちゃん宅に、豆腐一丁でも配達するっていうのも仕事の一つです。灯油とか生ビールの配達もやっているから、一人だと大変ですけどね。うちは基本的に、総合商社なんですよ。(笑)でも、そういった、地元を支えるやりがいとか使命っていうのもあります。地域コミュニティや防犯、交流人口の増加とか、そういう貢献の仕方をしていきたいです。」

情報発信 

FacebookやTwitter、ブログを生かしながら情報発信をしています。実際、それで買いに来てくれるお客さんもいますから。僕はトライアスロンが趣味で、そういう話題もブログに書いているんですけど、ブログを見たお客さんの中には山辺から走ってきてくれる人たち(約25キロ)なんかもいますね、ほんとに。(笑)ここがその人たちにとって終点なんですよ。ここで休んで、帰りは奥さんの乗って来た車に乗って帰るんです。自転車で来た人も、月山方面に行く途中の休憩地点として寄ってくれたりします。去年は、ブログで近くのトラヤワインさんのぶどう畑の様子を追ってレポートしていたんです。ワインができるまで、というような形で。今年は、実際に自分も作業を手伝ってみようかなと思っていますね。」

生活・仕事・遊びのバランス 

トライアスロンは、始めてから20年以上になるんです。もう生活の一部ですね。20歳ぐらいの時から始めたんですけど、最初の動機は「かっこいいから」でした。ハワイのアイアンマンレースっていうのが発祥なんですけど、かっこいいし、精神的にも深いところがあるんですよ。

年の初めとかに、その年のレースに向けて、食事とか練習を順序立てて計画することが楽しいし、わくわくする。年やレースの内容によっても違うし、そういうことを一生懸命考えることが楽しいんでしょうね、僕は。まして、トライアスロンは3種目あるから、なおさら。ハードなスポーツだから、にわかじゃできない。だから、ヨガでケアをして備える。大切なのはバランスですよね。バランスを大事にしながら課題をこなしていく楽しさがトライアスロンにはあります。それは生活面、仕事面においても同じことだと思います。

自分を自然の中の一部として位置づけたいのかもしれない 

山育ちのくせに、山が苦手なんですよ、僕。(笑)海とか島が好きですね。だから、店内の内装も海っぽくしていますよね。店っていうのも、店主の個性ですから。

こうやって、店内にサーフボードを飾っていますけど、サーフィンも好きなんですよ。サーフィンをやっていると、地球のエネルギーをものすごく感じるんです。人間って自然の一部だな、っていう感覚を受ける。僕はなんちゃってサーファーなんですけどね。(笑)

トライアスロンも、自然を体感できる遊びの一つですしね。道具は唯一自転車を使うけれど、自分の動力を活用して走ることによって、風とか季節を感じたりできますから。海ともつながっていますしね。そういう遊びが好きなのは、自分を自然の中の一部として位置づけたいという気持ちがあるからかもしれないですね。理屈じゃないのかもしれないですし。

遊びは仕事への活力 

サラリーマンをやっていたからわかるんですけど、こういう商売っていうのはオフがないんですよね。仕事と遊びのオンオフのスイッチの切り替えを素早くできるようにしないといけない。その遊びの部分は仕事への活力になりますね。自分が元気にならないと、人にも元気を与えられないですから。自分が満たされていると、お客さんに対しても笑顔で接することができますしね。

いくつになっても衰えない好奇心とか探究心を持ち続けたい 

オーストラリアに行ってモーターバイクで1ヶ月半くらい1人旅をしたんです、大学を卒業する前に。基本的に知らないところに行くっていうのが好きなんですよ。でも、昔はほんとに弱虫小僧だったから、すぐ近くにある保育園にも行けずに泣いて帰ってきていたみたいです。だから、親が一番びっくりしていますよね。それは、同級生90人の中学校から800人の高校に行って、多様な価値観に触れて変わったというか、いろんな刺激を与えてもらったのが大きかったかもしれないですね。

周りに恵まれたんですよね。それから、色んなことに興味を持って物おじせずに首突っ込むことによって、自分自身を変えられてきたんですよね。だから、いくつになっても衰えない好奇心とか探究心を持ち続けたいですよね。

自分の信じた道を行く 

振り返ってみて、世間の大きな流れに対して反発したいっていう気持ちはあったんですけど、「右向け右」だったんでしょうね。今は、せめて少しでも反発してみようかな、っていう気持ちはありますし、自分の娘にもそう伝えていますね。

自分が信じた道を行けというように。人間って必ず最後は一人になりますからね。そうなると、自分が今まで生きてきた過去を信じるしかないですから。

Profile

後藤武郎さん

出身 山形県西川町
生年月日 1967年9月28日
URL http://ameblo.jp/yamatake1218/

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この記事を書いた人

中道 達也

1987年生。高校卒業後、大学進学のため東京へ。大学時代、勉強をやる意義を全く見いだせず、留年。大学生活5年目の秋、旅をしたアジア(インドネ...

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