今回のやまがたで働く人

佐藤優人さん

有限会社米シスト庄内(庄内町)で農業

 

 

サブカルにハマり、一番好きなカルチャー「食文化」の道へ

佐藤さんは鶴岡南高校を卒業し、早稲田大学に進学した。

東京を満喫するためには資金が必要。佐藤さんはすぐにアルバイトを始め、「憧れのトーキョー」を味わうべく、お金を貯め始めた。名画座を巡っての映画鑑賞や神保町の古書街、中野での「レア盤収集」と、いわゆる「サブカル」にそのお金は消え、どっぷり「文化」にハマっていったそうだ。

「東京に出たばかりでテンションが高かったのもあったんですが、狂ったようにいろんな物を集めまくりました。CD・漫画・古雑誌・家具・映画…。山形に住んでる時ってもうテレビの情報がメインだったというか。昔からそういった中でマイナーなバンドや映画を引きずり出して友達と盛り上がるみたいなのが好きだったんですが、東京出たらもうキリなくて。こんな面白いモノが東京には隠れてるんだってことに、ただひたすら感動していました。」

決してメインを張ることはできないけど、それでご飯を食べている人達が大勢いる。そういう人達の影響は、佐藤さんの考えの中に深く浸透しているように思えた。

「どんだけご飯を食べるのがきつくても、自分はアイドルとして生きていくという矜持を持った地下アイドルや、テレビに全く映らない劇場のお笑い芸人。プロレスラーも、バンドマンもそうです。それって社会的に見たらお金もなくて、生活も不安定で、自分に娘がいたら『そんな奴とは結婚させられん!』とか言うのかもしれないですけど(笑)、地区予選2回戦で負けたのにドラフト前日に必死で素振りしてる野球部員のような、そういった人にしかチャンスは決して巡ってこないことに、東京の文化なるものを見て気付いたんです。だから僕は必死な人や、熱い人が好きだし、夢を持っている人よりも、夢を諦めない人が大好きなんです。」

東京を中心に全国を巡り、様々な文化や人に出会う一方、佐藤さんは大学のサークルで様々な有名人に企画書を送り、トークライブを制作・運営していた。メディアが切り取らない芸能人の「裏面」を切り下げるこのイベントは一定の評判を獲得し、大隈講堂を満席にすることもあったという。

そんな佐藤さんの最も大好きなカルチャー、それは「日本の食文化」だった。「美味の前には人みな平等」という言葉が好きだという。うどんを食べに香川へ、ラーメンを食べに新潟へ、一軒のカフェのために栃木へと、色々な所へ足を運んだ。

「震災後に風評被害なんていう言葉が流行りだして。風評被害の何がマズイかって言うと、国産品の信頼が低下して、ご飯食べる時にいちいち神妙になる人が増えることで、本当に美味しい物を食べた瞬間だけ訪れる、絶対的な赦しや幸福、どんな人生だろうとコレ食ってる間だけは全て忘れて夢中になれるっていうお気軽な逃避や啓蒙から遠ざかってしまうことだと思ったんです。」

 

農家らしくない農家

そこで佐藤さんは、大学を中退し、食産業について本格的に考え始める。過度な収集癖が幸いし、全国から隠れた調味料や加工品を発掘し出したのもこの時期だ。そして一年後、山形にUターン。実家である米シスト庄内に就職する。100haに及ぶ圃場での作業に従事する一方で、学生時代に培った営業力やデザイン力を活かして、商品企画やHPの運営、全国を飛び回っての営業を行う、いわば「農家らしくない農家」だ。そんな佐藤さんが大学時代に出会った友人、國本さんと一緒になって開発した商品、それが「かりんと百米」である。かりんと百米は、今や庄内の新しい名物として、全国各地の売り場に並べられている。

「百米は、これからの未来に向かう農家の挑戦なんです。」と佐藤さんは言う。

 

「最近は6次産業なんて言葉が出てきて、農家が加工して販売することが求められています。でも振り返ってみれば平田牧場さんも元は畜産農家だったし、大手の酒造さんも元を辿ればコメ農家で、趣味が転じた結果、酒蔵になってるなんてことは良くあります。6次産業は、数十年前からあったんです。だけど多くの農家はそれをやれなかった。最近になって、色んな農家が加工を始めています。だけどどれだけ良い物を作っても、パッケージや品質管理が甘いと東京の市場には流れません。農家の手作りだからこそ、デザインに凝って、完璧なプレゼンをして、良い物を作り続ければ、絶対に評価されると思ったんです。」

 

かりんと百米の開発にあたり、佐藤さんは200人以上の知人にサンプルの試食を依頼。その結果を元に、農家が自社製造しているとは思えない高いクオリティの米菓を作り上げた。

 

「最初は散々叩かれました。『マズイ!』と書かれたアンケートが沢山帰って来て、頭を抱えました。でも、國本と二人、試行錯誤を続けて、最初は『かりんと試作1』だったのが、いよいよ『百米320』とかになって来た。その頃には評価も最初とは違っていました。味も今は5種類ですけど、実は40種類くらい良い物があって。その中で今後百米ブランドをどう育てていくか、毎日悩んでいます。」

佐藤さんの話を聞いて、こんなに面白い、バイタリティ溢れる若者が農業をやっていることに私ははっきりと希望を感じた。この先、どれだけ農家が減っても、ひょっとしたら大丈夫かもしれない。そう感じさせる何かを、佐藤さんは見せてくれた。私の心に一番残った、彼の今後の意気込みを紹介し、最後としたい。

 

「庄内は農家と似ている気がします。東京に初めて行ったとき、コンビニ店員の接客に感動しました。どんな仕事でも、置かれる環境と向上心が整えば、バイトだってこんなに本気でやるんだと震えた覚えがあります。庄内だからこんなもんで良いだろうということはないし、農家だからこんな営業できれば上等だろうということはない。ストイックに自分を高めて、色んなアンテナを張って、庄内だからこそ、農家だからこそ、自分の中で絶対納得できる仕事を続けることで、良い物が沢山生み出せる。ギャップがある分だけ手に入る評価は大きい。そんなチャンスの中にいるんだと思っています。」

 

庄内町が誇る面白若手農家の挑戦は、まだ始まったばかりだ。

Profile

佐藤優人さん

出身 庄内町
生年月日 1988年12月1日
URL http://www.beisist.co.jp/

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