山形県と聞いて、イメージするものは何ですか―。

そう聞かれて多くの方は、さくらんぼと答えるのではないでしょうか。実際のところ、山形県が生産するさくらんぼの量は全国の生産量の約7割をしめており、名実ともにさくらんぼの王国となっています。

さくらんぼの生産地として県内でも有名なのは、東根市や寒河江市、天童市などの内陸の地域です。しかし、海に面するここ庄内でも、旧櫛引町を中心にさくらんぼがつくられており、生産量は県全体の1.3%とわずかですが、高い糖度にほどよい酸味のある濃厚な味わいが特徴的です。

 

今回のやまがたで働く人

宮城妙(旧姓:鈴木)さん

山形の代表的な果物・さくらんぼの農家に生まれたデザイナー

1979年鶴岡市旧櫛引町にある鈴木さくらんぼ園の二人姉妹の姉として生まれ、地元の鶴岡南高校を卒業後、武蔵野美術大学(東京都小平市)へ進学して工芸工業デザイン・木工コースを専攻します。大学を卒業後は東京でデザイン系の会社へ就職し、10年ほどインテリアなどのデザインやプロモーションの仕事に打ち込み、その間に学生時代に出逢ったご主人・宮城良太さんと結婚。その後会社を退職し、フリーのデザイナーとして約2年の活動を経て、2012年5月に鶴岡へUターンしました。

 

デザインにめざめ、その道を突き進んだ学生時代

さくらんぼ農家に生まれた妙さんが、美術やデザインに興味を持ったきっかけは、どんなところにあったのでしょうか。

「幼い頃から、絵を書いたり工作をしたりすることが好きでした。水彩画や版画などに親しんでいた父の影響もあったと思うのですが、高校へ入る頃にはデザインや立体造形などにも興味を持つようになりました。担任の先生が美術の先生だったこともあって、美術系の大学への進学を意識するようになり、デッサンや受験に必要なことは全て教えてもらいました。」

そして高校を卒業後、上京することになった妙さん。大学では家具や家電製品、室内空間など身の回りのデザインを総合的に学ぶ、工芸工業デザインを専攻します。

「私は木工コースを選択したのですが、ただデザインをするだけでなく、設計図を引き、素材となる木を選び、カンナやノミをつかって木を削り、実際に組み立てて、椅子やテーブルを創作するということをやっていました。」

その他にも、木によって異なる特性を理解して機能性や使い勝手を考えたり、どんな人につかってもらいたいかとマーケットを考えたりと、一連のプロダクトデザインを勉強したそうです。

ちなみにどんな木が好きですかと訊ねたところ、少し悩んだ後に、呼吸をしている感じのする木が好きです、と答えた妙さん。木の呼吸を感じることができる感性は、きっと幼少の頃に地元で育まれたものではないでしょうか。

 

東京を舞台に、インテリア関係のデザイナーとして活躍

2001年に大学を卒業し、東京のデザイン系の会社でバリバリと仕事をこなしていた妙さん。朝から晩まで商品のデザインやプロモーションなどの仕事にどっぷり浸かり、忙しい毎日を送ります。こうしてデザイナーとしての道を突き進んでいく中で、徐々に違和感を感じるようになったといいます。

「好きなデザインに没頭し、充実した毎日を送っている中で、だんだんと自分の中に違和感を感じるようになりました。例えば山形に行けば農園があって、父が持っている技術があるのに、それを引き渡す相手がいない現実を考えたときに、自分がそれを受け取ることが、ごく自然なことなんじゃないかと思ったり。

そんなことを考えていた頃、半農半Xという言葉に出会い、すごくしっくりきました。私は農業をしながら、自分ができることをやっていったらいいんじゃないか、そんな考えを持つようになりました。」

半農半Xとは、「持続可能な農ある小さな暮らしをしつつ、天の才(個性や能力、特技など)を社会のために生かし、天職(X)を行う生き方、暮らし方」と、提唱者である塩見直紀さんは定義づけています。

農業だけをするのでもなく、デザインだけをするのでもない、新しい生活のスタイルを考えるようになったころ、同じ大学で内装のデザインを専門に学び、同じく東京でデザイナーとして活躍していた宮城良太さんと結婚します。2007年の5月のことでした。

 

Uターンを後押ししてくれた、夫の存在

そうした違和感を感じるようになり、デザインの仕事にのめりこんで約10年がたったころ、自分の中でも一区切りがついたように感じたときがあったそうです。それから地元鶴岡にUターンをすることになりますが、どのような動機があったのでしょうか。

「実家にUターンするきっかけはいくつかあったのですが、そのひとつがあの東日本大震災でした。夫の実家が宮城県の南三陸にあったのですが、ご存知のとおり津波で流されるなど、大きく被災しました。幸い家族は全員無事だったのですが、こうした時のためにも東北に拠点を置いて、家族の近くで協力し合って暮らしたいという風に思うようになりました。」

他にも、妙さん自身が過労で体調を崩したことも影響したそうです。少しゆっくりしたいという気持ちもあり、10年ほど勤めた会社をやめて、フリーのデザイナーとしてゆったり活動していました。

「あとは、夫の決断によるところが大きかったと思います。もともとすごくポジティブな人なのですが、知り合いが全くいない、知らない土地である私の地元に行くことに対して全く心配せず、どこに行っても暮らせるよ、と言ってくれたことは心強かったです。私の実家の農園に対しても関心をもってくれて、農家の経営だったり、自分たちが身につけてきたデザインの力を生かしたりと、色々なことができると思ってくれたんだと思います。」

たくましくて理解のある素敵な旦那さんを連れて、2012年5月、妙さんは鶴岡市へUターンします。

 

半さくらんぼ園と半デザイナー、農ある暮らしと天職を行う生き方を実践

現在は、実家のさくらんぼ農園を手伝いながら、鶴岡駅近くの花屋で勤務している妙さん。ご主人とデザイン会社を経営していますが、今はそこまで打ち込まず、デザインの仕事から少し離れてここでのやり方を探している最中だそうです。

「デザインはクライアントとの仕事が大半でしたが、お客様と直接やり取りして喜ぶ顔が見られるのが本当に楽しい。お花はデザインに対する瞬発力も鍛えられます。原点に戻ってではありませんが、実際にお花に触れたりしながら、色々な手法や方法から自分の創作やデザインとの関わり方を考えているところです。

これまでは、デザインやモノがたくさんあふれている都市部でも勝負できるようなデザインを目標としてきました。そうではなくて、ローカルに特化したといいますか、地方の暮らしに添うデザインをしてみたいと思っています。

それはモノのデザインかもしれないし、コトのデザインなのかもしれません。自分の中でも答えを探している途中ですが、もしかしたらコトなのかもしれません。場づくりだったり、暮らしそのものだったり。」

具体的なことはまだ未定だそうですが、妙さんの話を聞いて、地方に合った地方らしい暮らしをデザインすることを思い浮かべました。田舎で暮らす人が都会のような暮らしに憧れて真似をするのではなく、田舎に昔からあるような自然と寄り添った暮らしを、現代風にアレンジして楽しむこと。

実は地方では昔から、農業だけでなく手仕事や季節労働をして暮らすという生活様式が一般的でしたが、現代になって企業や団体に定年まで勤めるというスタイルが定着し、結果として地域の技術や行事の一部が失われつつあります。

地方の暮らしや文化が崩れてきてしまっている今、半農半Xという生き方やフリーランスでの働き方を実践し、田舎での暮らし方を試行錯誤している方もいますが、そうした中でもデザインの力は非常に重要だと感じています。

「高校生くらいの頃は、田舎暮らしや、何もないところに窮屈さに感じていました。人間関係の密度が高いと言いますか、よく言えば口コミ力と言えると思うのですが、些細なことがすぐに広まってしまったりとか。

今、帰ってきてみて改めて地域を見ると、何もないように見えるこの町にこんなにも色んなものがある、と感じます。山菜とか、地域のお祭りとか、おじいちゃんおばあちゃんの手仕事とか、地域のつながりとか。面白い人もいっぱいいて。何年も暮らしていたところなのに、何を見ても新鮮に感じます。

そうした新鮮さの一方で、父や母の世代へ受け継がれていないことの多さに危機感を覚えます。せっかくいいものがあるのに、このまま消えてしまってはもったいない。自分たちの世代が受け継いでいかなくてはと思います。」

こう語る妙さんの言葉に、共感する方は少なくないでしょう。

最後に、県外で暮らす若い世代の方々へ特に伝えたいことはありますか、とお聞きしました。

「同じように、婿取りのような立場の女性が、旦那さんを連れてUターンするケースが増えるといいなと思っています。地元に帰ってきて思うのは、若い夫婦が本当に少なくて、珍しいということ。ゆくゆくは帰ってこようと思っている方も多いと思いますが、ばりばり農業ができる体力があるうちに帰って、両親や地域から色々なものを引き継ぐという選択もあっていいと思います。そうしてUターンをした人も繋がって、地域を盛り上げていけたらいいなぁと思います。」

Uターンをしてからやっと1年。まだまだ色々な人と出逢いたいし、地域の素敵なことも発見したい。ゆっくりと焦らずに、自分の力の生かし方を探したいと語る妙さん。そんな妙さんの生き方に多くの方が共感し、多くの若者が勇気づけられることと思います。

仕事のパートナーでもある旦那さんと共に庄内でどのような暮らしをされていかれるか、今後もとても楽しみです。

Profile

宮城妙さん

旧姓 鈴木
出身 山形県鶴岡市
生年月日 1979年
URL http://sakuranbouya.com/

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この記事を書いた人

佐野 陽子

1983年生まれ神奈川県出身。 早稲田大学商学部を卒業後、大手損害保険会社に勤務し丸の内OLを経験。 山形の在来作物とそこに関わる人々を描いた一...

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