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人気者に、なりたぁぁぁああああい!
人物紹介:アフロりゅうじ
職業 : YouTuber 年齢 : 26歳
今をときめく駆け出しYouTuber。
人気者になるために日々動画を更新中。
▼チャンネルはこちら
アフロりゅうじのYouTubeチャンネル
でも誰に相談したら良いんだろう・・・
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そうだ!あの人がいた!!!
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ここだ・・・
場所紹介:陶美苑
〒994-0014
山形県天童市糠塚1丁目5-17
天童市にある陶磁器の専門店
ギフト・業務用食器・厨房器具の他、「MCGATA」「ミッチーチェン」「どだなだず」などのご当地グッズも販売しいる陶磁器の専門店。
▼情報はここからチェック!
陶美苑HP
すみません・・・
アフロりゅうじくんじゃないですか!
どしたの急に!!
人物紹介:ミッチーチェンさん
伝説の余興師
陶美苑店主
山形県の超人気者。テレビやCM出演などのタレント活動のほか最近では山形なまりのラッパー『MC GATA』としても活躍しているマルチな方。
今回は、ミッチーさんに人気者になる秘訣について聞いていくぞ!
▼【最新MV公開中】
ラーメン伝笑曲「KA・SHE・ROW 〜麺王国やまがた〜」MV公開中!
ミッチーさん、実は、、、
ミッチーさん、僕、人気者になりたいんです!
どうしたら、ミッチーさんみたいに人気者になれますか?
人気者!!!!???
いきなり難しいこと言うねー!!
というより僕より人気者なんていっぱいいるよ?
ミッチーさんに教わりたいんです!
そこをなんとか!お願いします!
うーん、、まぁ仕方ないねぇ。
わかりました!
ここだと話しづらいので、僕のオススメの場所に行きますか!
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こうして、人気者になる秘訣を学ぶ時間が始まった。。。
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〜(本編)伝説の余興師ミッチーチェンさんに聞く!人気者になる秘訣〜
着きました。
舞鶴山という場所です。
天童市は将棋の町で、毎年4月に人間将棋というイベントがここで開催されるんです。
いわば天童のシンボルですね!
そして、僕が”山形なまりでラップ”を『MC GATA』というキャラクターでやってるんですけど、そのミュージックビデオでもここを使わせてもらってます。
なるほど!
じゃあ、ここはミッチーさんにとって思い入れのある場所ということなんですね。
今回は、『人気者になる秘訣』というテーマでお話を伺います!
ミッチーチェンさんの子供時代から現在に至るまでのエピソードを伺いながら、人気者になる秘訣を学ばせていただきます!
今回お聞きする内容!
1,どんな学生時代を過ごしましたか?
2,芸能活動を始めたきっかけは?
3,芸能活動を始めたその後について教えてください!
4,人気者になるにはどんな考えが必要ですか?
5,ミッチーさんの仕事の歴史について教えてください!
1,どんな学生時代を過ごしましたか?
ミッチーさんって、どんな学生時代を過ごしたんですか?
元々、今のような芸能活動をしようと思ってたんですか?
小学生の頃から、人前でパフォーマンスをするということはやってましたね。今考えると。
6年生の時に、「夢で逢えたら」という、ダウンタウンさんとウッチャンナンチャンさんが共演していたテレビ番組があったんですけど、その番組から強烈に影響を受けちゃったんですよね!
だから中学生の頃はお笑いのことにばっかり目が向いてしまって…。高校生になってからは、テープレコーダーに一人コントとか歌ネタを吹き込んで周りの友達に配ったりして、「芸人になる!」ってずっと言ってましたね。
そうなんですね!
じゃあ、小学生の頃から芸能界に憧れがあったんですか?
憧れはありましたね!
やっぱりダウンタウンさんの印象が強烈にあって、面白さと強さを兼ね備えたお二人に憧れていました。
だから、自分も面白くなりたい!っていうのと、強くなりたい!っていう2つの気持ちを持っていましたね。
– 教訓その1 –
ダウンタウンさんは強くて面白い
by ミッチーチェン(小学生時代)
ダウンタウンさんへの憧れが、芸人への道を歩み始めるきっかけになったんですね。
そこから進路はどうされたんですか?
「吉本にいきたい!」って親父に言ったんですが、びっくりしながらも「お前には向いてねぇぞ」って言われましてね。
でも、親父は「大学が楽しかった!」と、「大学時代にいろんな経験させてもらって、いっぱい遊んだ。」っていうことで、
「大学に勉強しに行くんじゃないんだ。遊びに行くんだお前は!!」って言われたんですよ笑
– 教訓その2 –
大学はとことん遊ぶ場所
by ミッチーチェン父
で、4年間とことん遊ばせてもらって、就職先を探すんですけど、ちょうど就職氷河期を迎えていたんです。
それも重なって、就職先が見つからない時期が5年間ぐらいありましたね。
ちなみに、その5年間はどうやって生計を立ててたんですか?
えーとね、ニートなんだけどお金は稼いでたんですよ。
僕、ファッションがすごい好きで、当時流行っていた”GOODENOUGH”とか”APE”とか、裏原宿系の服のバイヤーみたいなことをして生計を立ててましたね。
だから、バイトとかもあんまり経験がないんです笑
というか、、、
全然芸人の話できてないじゃないですか!!
– 教訓その3 –
本題には早く入った方がいい
(時と場合による)
すみません。。。笑
ミッチーさんがどういう青春時代を過ごしていたのか、すごく興味があったので聞いてしまいました。
続いて、芸人になるまでの話を伺います!!
2,芸能活動を始めたきっかけは?
30歳から芸能活動を始めたそうですが、26歳から30歳までの5年間は何をしていたんですか?
僕、25歳で結婚したんですけど、定職につかないといけないと思って、親父に泣き寝入りして家業を手伝うようになったんです。
でも、劇的に状況が変わったことで、どんどん体の具合が悪くなっていって、最初は、頭痛いなぁくらいだったんですけど、どんどんその痛みが体全体に広がって、最終的にはシャワーを浴びるのも痛くなったんです。
それが25歳くらいから28,9歳にかけてピークになって、ほぼ毎日と言っても過言ではないくらい病院に行ってました。
でも一向に治らなくて、毎日生と死のことしか考えなくなってたんです。
そんな時、mixiというSNSを通じて、当時尾花沢にあった病院の先生から連絡があって、「もしかしたら君の悩んでる病気は、線維筋痛症かもしれない。」と教えてもらったんです。
それで、尾花沢の病院に行ったら、やっぱり「線維筋痛症」という病名をつけられたんです。
でも、その病名をつけられた瞬間、「あー、俺この病気だったのかぁー」って安心感を得て、「よし!この病気を治しにいこう!」と気持ちが切り替わったんです。
それからプラスの情報が入るようになって、呼吸法やヨガストレッチなど東洋医学の良いところを取り入れていったら、そこから1年半ぐらいで完治したんです。
病院の先生も、「君ぐらい驚異的に回復した患者はいなかった」と驚かれてましたね。
で、それが、自分の中ですごい自信につながったんです。
それまでは、何をするにしても自信がなかったんですけど、昔からやりたくてやれなかった世界にトライしてみたいっていう欲が出てきたんですよ!
それが、29歳の時。
難病を乗り越えて、気持ちも体も前向きになっていったんですね。
それで、元々お笑いが好きなこともあって、『R-1ぐらんぷり』にトライしてみようと思って出場したんです。
当日、待ち時間にいろんな芸人さんとお話して、『R-1ぐらんぷり』後も交流するようになったんですが、
東京に芸人って腐るほどいるんですよね!
そして、山形に戻ってきて振り向いたら、後ろに誰もいなかったんですよ笑
なので、山形で最初にフラッグを立てたほうが有利に働くと思ったんです。
でも、芸人と語るにはちょっとおこがましいなって気持ちがどっかにあって、もっと身近な存在で、自分を自己紹介できるキャッチーコピーはなんだろうって考えた結果、「余興師」ってキャッチコピーが生まれて活動が始まったんです。
3,芸能活動を始めたその後について教えてください!
伝説の余興師として活動をするようになって、仕事は順調だったんですか?
伝説の余興師っていうキャッチコピーだけでお仕事をいただけたりしてたんですが、4年目くらいに仕事がなくなっていくことを如実に感じました。
歌やモノマネを武器として活動していたんですけど、ちょうどその頃に朝倉さやちゃんっていう本物の実力者が出てきてすごい焦りましてね!
とんでもないバケモン出てきた−!って言ってました笑
(笑)
それまでは、ミッチーさんしか山形県では芸能活動やってなかったんですか?
だと思いますね!
そんなこんなしているうちに3月11日の震災が起きたんですけど、たまたまご縁があって、コロッケさんをはじめ、名だたる芸人さん達を那須塩原から石巻まで送り届けることになったんです。
コロッケさんの名前にちなんで、コロッケ200個を調達して、石巻で芋煮を作って炊き出ししましたね。
コロッケさんたちは「モノマネで盛り上げたい!」ということだったんですが、電気も使えない劣悪な環境だったんです。
僕は「この環境でどうやって盛り上げるんだろう?」と見てたんですが、拡声器でモノマネを始めて、それがものすごい盛り上がりだったんです。
それを見た時に、「すげぇーなー!」っていう感動と、「なんか俺、無理かも…」っていう壁を感じたんです。
「やめようかなぁ…」なんて事も考えたんですけど、そんなタイミングでYBCさんから「今までにない番組を作ってくれませんか?」ってオファーがあったんです。
当時は、「コント番組」が無かったので、「4時バケ」という日曜日4時に僕が化けてゲスト出演するっていうコンセプトのラジオ番組を作ったんです。
なるほど。。
4時バケは、そうやって始まったんですね。
そして、4時バケから誕生したのが、山形なまりのラッパー『MC GATA』なんです。
ラジオの中でヘタウマなラップをしてたんですが、音楽フェスがあった時にオーディエンスから「MC GATAやれ−!」っていう声が上がったんです。
その時、「求められてる声に応えたい」と思って、FROZEN CAKE BARというバンドに相談して曲を作ってもらったんです。
それが2014年リリースの「帰郷〜これが俺の生きGATA〜」という曲です。
「MC GATA」って4時バケから生まれたキャラクターだったんですね!
それまでは誰かのモノマネをしていたんですけど、自分の生み出したオリジナルキャラクターが皆さんから支持していただけることにすごい喜びを感じて、2作目、3作目をリリースしていったという感じですね。
令和元年5月1日に、ラーメン伝笑曲「KA・SHE・ROW 〜麺王国やまがた〜」という曲をリリースさせていただきました!
▼【最新MV公開中】
ラーメン伝笑曲「KA・SHE・ROW 〜麺王国やまがた〜」MV公開中!
やっぱり、MC GATAの”GATA”は、山形(YAMA”GATA”)から取っているので、山形のエッセンスを入れたいと思っているんです。
今回は、山形の食文化にフォーカスを当てて、“麺の消費量日本一”というところをピックアップした曲になってます!
僕も車の中で聞いているのですが、定休日〜のところが好きです笑
ありがとうございます!
定休日ってお客様にとってはストレスだと思うんですけど、やっぱり定休日があるからこそ美味しいラーメンが食べられるって事も知ってもらいたくて。
あとは、働き方改革とかいろいろ言われている世の中なので、そういった時代の流れのことも取り入れて作ってるんです。裏側を話すと笑
4,人気者になるにはどんな考えが必要ですか?
ミッチーさんの人生についていろいろ話を聞いてきたのですが、人気者になる秘訣について教えてください!
僕もそうだったんですけど、やり始めの頃って、「あなたは何をしたいの?」って、すっっっっっごい言われるんですよ。
人って、人を見たときに型にはめたくなるというか、得体の知れない何をしてるかわからないものに対して批判をしがちなのかな?って感じる時があるんですよね。
ですよね!笑
何かをやる人の宿命だと思うんですけど、たぶんそういう時って、自分の中でいろんなことをやりたいって考えてると思うんです。
そして、いろんなことをやるとそれなりに自分がやっていることを客観視できてくる思うんですよね。こういうことをやるとお客さんが喜ぶ。みたいな。
今、アフロりゅうじくんは“種まき”の段階だと思うんですけど、必ず何か見えてくるときがくると思うんで、視聴者が喜ぶことを俊敏に捉えてそこに歩み寄っていくことをやるといいかなと思います。
あと、人から好かれるには、自分が自分を好きにならないとダメだと思うんですよね。
ありがとうございます!
もう少し深くお話を伺いたいんですが、良いでしょうか!?
5,ミッチーさんの仕事の歴史について教えてください!
てか、なんで滑り台のところにきて話をしなければならないの?笑
やっぱり好み変わってますね笑
ここはわくわくランドといって、広い会場もあってイベントなんかもできるようになってるんですよね。
ご説明まで、ありがとうございます!
先程の舞鶴山で、ミッチーさんの子供時代から芸能活動を始めるまでの秘話など伺ったのですが、もう少し深いお話をお聞きしたいと思います!
僕の中でミッチーさんのイメージは、白スーツにおかっぱ頭の格好が強いんですが、あのキャラクターはR-1ぐらんぷりのときからだったんですか?
いや、違いますねー!
R-1ぐらんぷりの時はお坊さんのネタやってました。笑
袈裟みたいなのを着て、木魚を持ってやってたんですけど、下ネタに走っちゃいましたね笑
そうだったんですね!
ネタの情報だと、モノマネのイメージが強いんですけど、そのネタをやり始めたのはなんでだったんですか?
本当は、漫談とか一人コントをやりたかったんですよ。
でも、漫談や一人コントって結構難しくて…。昔から歌とモノマネが得意だったので、それを武器にして活動をしようと思ったんです。
そして、マイケル・ジャクソンのWE AER THE WORLDの歌マネをして動画を作ったんですが、その動画がYouTubeで100万回再生したんですよ!
えー!すげー!!
100万回再生ってすごいですね!!!!
でも結局、著作権に引っかかって消されちゃったんですよね笑
ただ、それでお仕事いただける時期とかもあって、これは鉄板ネタにしていこうと思って一時期それしかしない時期もありましたね。
でも、イベント会場でWE ARE THE WORLDをやっても知らないって言う人も多かったんです。
誰のモノマネをしてるのかわかんないから、似てるかどうかもわかんない。みたいな。
だから、「もうちょっと皆さんご存知っていう人のモノマネしなきゃいけないなぁ。」というところから、松山千春さんとか、井上陽水さんとかのモノマネもしていくようになったんです。
なるほど。。。
客層とそのネタが合ってないと、反応も得られないんですね。
例えば、結婚式の余興をする時に、乾杯の後はとてつもないカリスマ性を持った人でしかあの空気感は変えられないんですよ。
なので、会場を暗転させてスポットライトをあててもらって、音楽をかけて注目してもらう。みたいな。
注目を集めたらこっちのもんなんだけど、集められない間にやらざるを得ない時は大体滑りますね。笑
なるほど。。。
空気感、、、注目を集めるためにはどうしたら良いのかを細かく考えたほうが良いんですね!
ほんのちょっとでも注目が欠けたらウケないんで、一言一言、一秒一秒、しゃべることに注目してもらいたいんですよね。
なので、空間を作り上げるっていう難しさはあると思いますね。
– 教訓その7 –
まず、注目を集める。
そのための空間づくりが大事。
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インタビュー終了!
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ミッチーさん、ありがとうございました!
いろいろ深いお話を聞くことができて、本当に楽しかったです!
いえいえ!
今後も、YouTubeの動画をいいペースで、いい内容を配信することを期待してます!
これからも活動頑張れそうです!!!
本当にありがとうございました!
ラーメン伝笑曲「KA・SHE・ROW 〜麺王国やまがた〜」MV公開中!
令和元年5月1日にリリースされた、3rdシングル『MC GATA ど BANKING ラーメン伝笑曲「KA・SHE・ROW 〜麺王国やまがた〜」。
最新MVも公開中!YouTubeから要チェック!
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