どんなにすごい人でも、みんな「はじめの一歩、二歩目、三歩目」があった。

 

新しいことって、どんな風に始めるの?

チャレンジしている人の0→1の軌跡を深堀りする企画「はじめの三歩」。

 

このコーナーでは、起業から新しい趣味まで大小のモノ・コトを問わず様々な分野のチャレンジャーにお話を聞き、新しいことを始める時に、いっちばん最初は何をしたのか。腰が重くなるような時には、どうやって足を踏み出したのか、失敗、考え方、行動の起こし方をじっくり伝えていきます。

 

 

伝統を継ぐ働き方に興味があります。

初めまして!菅野智佐(すげの ちさ)と申します。

福島県出身。山形大学を卒業し、東京に就職した社会人1年目。山形大学への進学を機に、山形の魅力に惹かれ、学生時代は情報発信を主に活動。都会でくすぶっている人へ、地域で働く選択肢を提案したいと山形を飛び出しました。

私は、将来は、大好きな山形に恩返しがしたいと、伝統を継ぐ働き方に興味を持っています。

しかし、伝統芸能には経験がない人も関われる分野なのか、と不安もあります。

そこで今回は、『伝統の継承を仕事にするには、どんな風に始めていけば良いのか』をお話を聞いてきました!

 

 

 

今回のはじめた人

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阿部太彦(あべ たかひこ)さん

東京都出身。20代前半に、山形へ移住。「花泉凧」の四代目継承者でありながら、フルート奏者としての経歴を生かし、コンサートや音楽教室を主催。さらに山形の「雅楽」再興にも尽力しています。

 

 

納戸で埃を被っていた「花泉凧」との出会い

Q、迫力のある凧が沢山飾られていますね!「花泉凧」とは、どのようなものですか?

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山形市の八日町で代々畳業を営んでいた、祖父の阿部花泉が考案した凧です。特徴は、「花泉の赤」と言われる鮮やかな赤色。また、内陸の穏やかな風でも揚がるようにと、骨の数は少なく、軽い作りになっています。

 

Q、阿部さんのお祖父様が考案されたのですね!ということは、阿部さんは花泉凧の後を継ぐために山形に来られたのですか?

いいえ、実は山形に来るまで「花泉凧」の存在は知りませんでした。知ったきっかけは、ある日山形市八日町の家の納戸から、埃まみれの凧の版木や下絵、彩色道具を見つけたことです。父の実家で代々作られていたけれど、3代目だった伯父が病気になってから後継ぎがいなかったと教えられました。

そして、幼いころ東京で凧揚げの名人だと言われるほど、夢中で遊んでいた凧が「花泉凧」だったのだと気づいたんです。

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▲納戸で見つけた花泉凧の「版画」。桜の木に画が彫られており、上から塗られた炭が防腐剤の役目を果たすことで、100年以上使い続けることができるのだそう。

 

Q、それは驚きの出会いですね!では、どうして後を継ごうと決めたのですか?

眠っていた凧作りの道具たちが、私には宝物に見えたからです。同時に、このままでは確実に廃れてしまうと思ったんです。「継いでも生計は立てられないぞ」と、周りからは反対されましたが、伝統を後世に残したいと4代目になることを決めました。

3代目の伯父は病気で体が動かせない状態だったので、口頭で指導を受けながら技術を一通り学びました。

 

Q、私のような、絵の勉強をしたことのない人でも、凧作りに関わることはできますか?

専門技術は必須でないと思います。花泉凧は基本的に、版画でラインを作って、色を手塗りしていきます。実は、勉強が必要なのは竹を割いて使う骨づくりの部分です。

凧の絵を描くことは、自分のイメージで好きに表現をする漫画を描くような面白さがあったり、願いを天に掲げるような意味合いもあるので、自由度もあると思いますよ。

 

格式にこだわらずに、仲間と楽しめる「雅楽」を

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Q、阿部さんのお宅には、凧と同じくらいの数の楽器があるのですが、音楽に関する活動もされているんですね!

音楽には凧作りより前から関わっています。高校時代の部活動でフルートを始め、卒業後は東京で室内楽団に所属していました。山形に来てからも音楽教室を構えて、フルートを教えていたところ、「雅楽」に関わらないか?と地域の方から話を持ち掛けられました。

 

Q、「雅楽」・・・ですか!?今まで触れていたクラシックとは全く違う分野ですよね?

そうですね、山形市八日町にある六椹(むつくぬぎ)八幡宮の雅楽隊を復活させたいと宮司さんから相談されたことがきっかけです。雅楽に関わることに抵抗はなくて、話を聞いて興味が湧いたので引き受けました。

23年が経ち、今では複数の神社の雅楽隊に関わるようになりました。「雅楽」は1000年以上の歴史のある宮廷音楽ですが、あまり格式にこだわりすぎないようにしています。元旦祭や節分祭など主要なイベントではきちっと演奏をして、それ以外は仲間やお客さんと一緒に楽しもうと。例えば、桜の下でお花見をしながら、月見をしながら、山やお寺でも演奏してきました。

 

Q、でも、経験のない人にとって「雅楽」はハードルが高そうですが・・・

メンバーは音楽初心者がほとんどです。測量士、幼稚園の先生から学生まで幅広い層がいます。その中で私は、雅楽を始めるハードルを下げ、多くの人に関わってもらう取り組みに力を入れています。
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▲メンバーの皆さんが雅楽の練習をする楽器は阿部さんの手作りです。材料は、古くなった楽器や剣道の竹刀など工夫がたくさん。「楽器を購入することが雅楽を始めるハードルにならないように」という思いが込められています。ハードルを下げながらもレベルを維持するために、本物の楽器を演奏している感覚で常に練習ができる環境を整えているそう。

 

私も阿部さんとお会いしたことで、「凧」や「雅楽」との距離がグッと縮まった気がします。伝統と関わる働き方をより現実的にするために、どのように一歩一歩を踏んでいけばよいか、教えてください!

 

 

阿部さんのはじめの三歩

◯1歩目:出会いを大切にし、自分の引き出しを増やす

山形に来たばかりの20代の頃は、音楽教室を開こうとしても生徒は集まらず、途方に暮れていました。そんな時、通りかかった小学校で剣道の練習をしている音が聞こえました。私自身、中学校まで剣道に打ち込んでいた懐かしさから、「何かお手伝いできませんか?」と声をかけてみたところ、スポーツ少年団でコーチのお手伝いができることになったのです。

この出来事がきっかけとなって、私が開催したコンサートにたくさんの子どもたちや親御さんが足を運んでくれたり、フルートを習わせたいと声をかけてくれたりして、本来やりたかった山形での音楽活動が実現しました。

 

「花泉凧」の存在を知った時も、「雅楽」に誘われた時も同じです。これは何かの縁だと思って、まずチャレンジしてみたことが私自身の引き出しを増やし、結果的に地域との接点になっていきました。

 

 

◯2歩目:自分の居場所を開拓し、仲間を増やしていく 

自分の引き出しを増やしながら、生かせる場所も開拓していきました。12年前から住んでいる天童市では、地域づくり委員会の事務局長や教育コーディネーターなど様々な役職を引き受けています。

はじめは、頼まれた環境保全活動に一生懸命取り組んだことで、新聞に取り上げられ、自分の存在を知ってもらうことができました。信用を少しずつ積み重ねたことで、自分の引き出しを生かし、地元の小学校で凧作り教室や雅楽教室を始めることができたのです。今では当時の地域づくり委員会のメンバーが、雅楽隊の一員となっていたりもするんですよ。

 

◯3歩目:楽しみながら、伝統を受け継いでいく

凧との関わり方として、販売用に制作するだけではなく、凧作り教室を開催しています。「自然と格闘する遊びの文化」を復活させる意味も含めて、継承していくこともこれから必要だと考えているからです。

小学校での雅楽教室も、伝統を楽しんでもらうために続けています。本来なら雅楽は、音楽の教科書を通して1時間しか学ぶ機会がないけれど、間近で聴かせることで、本物を体感してもらっています。

嬉しかったのは、昨年高校生が6年生の時に私たちの演奏を聴いたことがきっかけで、雅楽をやってみたくなったと会いに来てくれたことですね。

長い目で見た時に、子どもの頃に伝統に触れる経験をすることは大人になったときの選択肢になり得ると考えて、地域の子どもと関わることを意識しています。

 

 

「伝統」を生きた形で残していくために

Q、これからの「花泉凧」にはどんな可能性あると考えていますか?

これまでの花泉凧は、継承することで文化を守り、凧作り教室を通して伝統を身近に感じてもらってきました。今後も、「凧=正月飾り」として後世に伝えるだけではなくて、自然を相手に遊び、学びを得るという文化を盛り上げ、残していきたいです。そのためにも、実際に凧を作ってその場で揚げてもらう機会を大切にしていきます。

 

さらに凧は、国際交流の手段にもなりうると思っています。海外にも、釣りの道具や吉凶を占うために発達した凧の文化があります。交流することで新しい凧の可能性も考えていけるかもしれません。

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Q、では、音楽とは、これからどのように関わっていきたいですか?

音楽を楽しむ心を持った人を増やしていきたいです。そのために、まずは音楽をかみ砕いて提供していきます。その場にある空き瓶や缶を使って、音を一緒に作り出すことで音楽を身近に感じてもらいながらも、人脈を生かしてプロの音楽家にも来てもらい、本物に触れる機会を作る。

それらが両立できる文化的な場所を山形に作っていきたいです。

 

 

取材を終えて

阿部さんからお話を聞く前は、格式が高いと感じていた「伝統を継承する働き方」ですが、関わるうえで大切なのは、技術だけでなく、楽しみながら地域と向き合う姿勢だと気づくことができました。

「凧」一つとっても、山形の伝統を知る学びの機会を創出し、コミュニケーションや国際交流の手段になり得るなど様々な可能性があります。

伝統を今の時代に合わせて残していくという視点では、私も関わる可能性を感じ、更に新たな未来が描けるかもしれない・・・とわくわくしました!

 

(ライター:菅野智佐)

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