そもそもUターンしてみての感想は、各人によって意見の異なるところ。
フラットな考えに身を置きながら、経験者の話に耳を傾けると、非常にいろんな声が聞こえてくるものです。
ある人は、良かったと。ある人は、するべきではなかったと。自分の経験則に従いながら、自分の意見を話してくれる。
“経済的なものさしで言えば、首都や大都市と比べ、山形は見劣りする。”
“お金では変えられない、住みやすさ、安心があるかなぁ”
“山形の良さはわかるけど、なにかひとつ割り切れない”
いろんな気持ちを持ちながら、皆それぞれ暮らしている。
左:高橋直記さん。右:大場俊幸さん。
今回は、そんなモンモンする気持ちを払拭すべく、ピタットハウス山形店にてUターン経験者ふたりで対談を行いました。
お呼びしたのは、山形市役所職員の大場俊幸さんと、日本アルカディアネットワーク株式会社勤務の高橋直記さん。
おふたりのプロフィール
大場俊幸さんは2004年に山形へUターン。山形市役所へ入庁し、昨年度からは雇用創出課へ所属し、起業支援やUIターン就職を担当。
また、プライベートでは山形LOVEな人達がつながり、オープンかつフラットに交流するための社交の場『山形LOVE飲みッ!!』や、トークイベント『やまがた語らナイト』を企画運営。
地元をつなげ、UIターン者をつなげようと公私ともに活動を続けている。
奥様、息子さんふたり、ご両親と祖父の6人4世代同居。山形市在住。
高橋直記さんは2003年に山形へUターン。
企画屋としてキャリアアップを続けながら、現在は長井市にある日本アルカディアネットワーク(株)/Janにてプロデューサーを務める。
さまざまな業務を行う傍、長井市の観光プロモートにも深く関わっている(やまがた長井観光局)。
奥様、娘さん2人と山形市在住。
気がつけば、会場は進行役を務めた(株)キャリアクリエイトの佐藤広一、カメラマンを含め、皆Uターン者ばかり。
対談はいつしか座談会のように、楽しくもシビアに繰り広げられました。
それぞれのUターン。
キャリアクリエイト佐藤(以下:佐藤):おふたりが戻ってきた理由を聞かせてください。
大場俊幸(以下:大場):もともと山形に戻るとは思ってなかったし、昔は公務員が嫌いで、「絶対、ならないぞ」って思っていたくらい。
だから、東京に出て、いろんな経験をし、そのまま働いて残るものだと思っていました。
でも、僕は生まれたときから四世代同居していましたから、曾祖母や祖父達と最期まで一緒にいたいって気持ちも強かったかも。
佐藤:その気持ちがUターンのきっかけに?
大場:とても大きい部分ではありますが、市役所に入った先輩の言葉が直接のきっかけだったと感じています。
先輩は「(市役所の仕事)すっごく面白いぞ」って、本当に楽しそうに話してくれたんです。自分の考えが市の政策になるんだと。
その言葉を聞くまでは、大した動機もないのに司法試験を目指していましたが、むしろ、自分の山形好きを生かして仕事ができるならばと、市役所を受験することにしたんです。
確かに、東京で働きたいという思いは、今でも少しありますけど、私の場合は山形に戻ってきて正解だったと感じています。
高橋直記(以下:高橋):僕は一旦山形で銀行に就職しましたが、若者が一度が思う“首都に一度は出なければ”って気持ちに背中を押された感じで20代の内に退職。
心機一転、東京のデジタルハリウッドというコンピューターグラフィックの専門学校に行きました。
その後は都内の広告プロダクションに就職して働いていましたが、ある日、親が倒れたって知らせが届いて。
僕の場合は、それがUターンを考えるきっかけになったんです。
人生って、歳を重ねるごとにプライオリティが変化するもの。二十代の頃の価値観で生きていたつもりでしたが、それは年齢やパートナー、子供や親などの外部環境でだいぶ違ってくる。盲点でしたね。
親の知らせを聞いて、「帰ろう」って即決でした。
佐藤:おふたりは、若い頃から山形が好きだったのですか?
大場:好きでしたが、ぶっちゃけ若い頃はマイナスイメージの方が強かったりしませんでしたか?
佐藤:そうですよね、僕はとにかく出て行きたかった(笑)。
でも、県外に出てふと振り返ったら、なにひとつ知らないのに、山形を決めつけて離れていた自分に気づいて。
結果、戻ってきましたね。
高橋:若いときって刺激がほしくて、一旦は出たくなるものかも。
僕は東京にいたとき、自分の価値感覚が変わっていることに気付かぬままいることに、もやもや感を感じていましたね。
自分は長男でしたし、長男は家を継いでしかるべきという世代でした。だから“長男である”という言葉も、僕にとってもやもや感の原因になっていたりして。
佐藤:確かに、長男という言葉にちょっと力があった時代でした。私達の年代だと、都会から山形に戻ることに「都落ち」的なイメージもついてきてましたし。
長男という言葉は、そこから身を守るための大義名分としても機能していたかも。
高橋:ありますね。今考えれば本当にちいさなことだったのだけど、20年そこそこしか人生経験がなかった僕らにとっては大事だった(笑)。
大場:理由がないと〜というのはありましたね。都会の大企業で働くってイメージが先行していました。
でも、いま思えば、それは当時の自分の勝手な“ものさし”。
思い込みでしかなかったりするんですよね。
ものさしは、自分で作る
カメラマン:でも、実際のところ“ギャップ”は感じませんでしたか?
私もUターン組ですが、自分が戻ってきた10数年前はいろんな面で差を感じました。
高橋:一番は経済的なギャップでした。0が一個違う。やっている仕事は同じなのにね。
それと、例えば喫茶店が少なかった。でも、それは車通勤が主だから必要ないものなのだと変に納得していたかも。
大場:僕もそう、山形に戻ったら「ザ・田舎」って思ってました。
でも、最近になってUターン、Iターンの人が増えてきて、10数年前のエリア的なコミュニティから、共通の興味関心で集まるテーマコミュニティが増えてきたこともあり、だいぶ世の中が変わってきたと感じています。
時代に合わせて変わらないといけなくなったからでしょうが、最近はこんなに変わったのかと“逆ギャップ”も感じています。
それに僕はこちらで働きはじめてから、山形好きな人、高いアンテナ張っている人が予想以上に多いことに気づくことができました。
かつ、サラリーも働きようによっては、都会に負けない人だっているし。
要は、以前の僕がいかに情報不足だったかと反省。
なんにも見えていなかったのだなと、素直に思えるようになりました。
カメラマン:となると、都会と山形。どっちがいいのか分からなくなりますね。
経済的な、また楽しさ的なものさしは、自分で決めるものなのかも。
いや、決めるというよりも決められる時代になったのかもと、おふたりの話を聞いて思います。
お墓や家など、他の心配ごとはありましたか?
佐藤:ほかに心配事はありましたか? 例えばお墓や、家、家業など?
大場:僕の場合、長男だし、専業ではないけれど畑や山があります。しかし、それを心配要素と捉えたことはありません。
むしろ当時、この先ライフステージが変化して子どもを授かったら、それらがある環境は子育てする上でいいなって思っていました。
畑に行って、トマトをもぎ取って食べるとか、そんな環境。
現在、子ども達が実際にそうしている姿を見ると「この生活いいな」って実感します。
高橋:原体験ってやつですね? いいと思います。
大場:そうです。東京とかにいたらできないし、子ども達は今は気づいていないけど、大きくなったらすごく価値のあることだったって気づいてくれると思う。
大場さんが主催する「山形アウトドア部」活動の様子より
高橋:確かに。SNSで大場さんを見る限り、かなり満喫していますからね。
大場:勝手に「山形アウトドア部」みたいなものをつくって、BBQとか川遊びとかいろんなイベントを提案しているのですが、WEBを見た人がすぐに集まってくれる。
それが若い世代のときではなく、子育て世代になってからってのがいいなって思っています。
僕ら大人だけでなく、子ども達も一緒に、親子で繋がれるのですから。
高橋:継ぐものの心配よりも、来てみたらもっと積極的に楽しいことがあったりするものですよね。
僕も子育ての面で、帰ってきて圧倒的に良かったと感じています。互いの両親が近くに住んでいるから、妻とふたりでは大変なときは協力してもらえる。
今は娘がふたりいますが、妻のお腹の中には3人目がいます。もし都会にいたら、ヘルパーさんにでも頼まない限りは、ひとりが限度だったろうなって。
大場:そうそう。それに、仕事でUターンやIターンについて調べる機会が多いのですが、平均的に都会と大きく違うところは、給料だったり情報だったりします。
だから、それにこじつけて“子どもに良い教育もしてあげられない”と思う人が多いようなのですが、探せばあるのですよね。
確かに、有名な私立の教育機関や塾はないかも知れないけれど、割と先端をいっているような施設はある。
若干、費用がかかったりしますけどね。
んっ、となると給料って大切だなぁ(笑)。
でも、山形に戻る前から悩むよりも、来ていろいろなことを実践している人を探せばいい。そしたら、子育てに良い環境や教育先なんていくらでも見つかると思うのです。
高橋:身も蓋もない言い方ですが、『来たら、なんとかなるよ』ってところ。そのひと言に集約されていたりしますね(笑)。
都会にいるときは、そんな言葉なんて信用できないのですが、ある種真実。
最短の手段は、一個一個経験して、解決してきた人に聞くこと。
すると、問題視していたことが簡単にクリアできたり、もしくはそもそも問題でもなかったなんてことありますから。
ポジティブに見る、山形で働く・活動すること
カメラマン:最後におふたりの仕事含めて活動面で、山形ならではの楽しさなどあれば、これから戻ろうと考えている人のためにもアドバイスが欲しいです。
大場:仕事もそうですが、人とのつながりというものが、すごく生きる土壌が山形にはあると感じています。
それって、簡単に考えれば大都会よりも格段に人口の母数が少ないからなのでしょうが、アクションを起こすと良かれ悪しかれ、必ず反応を感じられる。
都会だと埋もれてしまうようなことでも、山形ならちょっとするとすぐに目立つ。
だから僕は、なにか山形の未来に対する動きが作れるなら、“お山の大将”であっていいと思うのですよ。
僕が舵取りをして、以前から定期的に開催している『山形LOVE飲み』とかも、プレスリリースすると結構取材に来てもらえたり。
コミュニティが小規模ゆえに、逆に小さなことでも大きくなるというか、逆説的なスケールメリットがあるのかも。
高橋:選挙でいうところの“ひとり当たりの一票の価値”的なものかも。
仕事でいえば、むしろひとりでやらなきゃいけないことの幅が広いですよね。
だからこそ、職場でも社員ひとりひとりの価値が良くも悪くも貴重。
僕は転職を繰り返して今があるのですが、何が自分のキャリアに役だったかと考えると、スキルよりも人脈でした。
一時期は手に職を求めて頑張っていたけど、振り返ってみると以外と違っていた。
最終的にはスキルよりも、人脈が大事だったような気がするんですよね。
人脈っていうと浅いけど、信用というか。都会でも同じかもしれないけど、地方だとより人脈・信用の価値は高いのかも知れないと感じます。
佐藤:山形では、人のつながりを“仮面性がない”といったり“柵(しがらみ)” と感じたりしているひとも多いかも知れませんね。それはその通りの場面もありますが、もしかしたら考えている以上にオープンなコミュニティもあるのかも。
高橋:確かに。経済的な指標で測ると、それはちょっとということもあるけど、企業や仕事、人生の価値を測る上で、別のものさしがあってもいいんじゃないかって思います。
大場:散々、こんな年収じゃ生活できないって話を聞きますが、その年収で生活できていますし、むしろ不幸かって聞かれればそうではない。
それと、山形で困窮しているから県外に出たいといっているひとは、聞いたことないです(笑)。
なにか現実とは異なった、ねじれたイメージがひとり歩きがしている。
カメラマン:もしかしたら、“おしん”的なステレオタイプなイメージが払拭できていなかったり。
大場:山形でなら、価値観を変えていけるくらいの発信力を持つことが可能かも知れないのにね。
僕はその路線で、公私ともに活動していきたいです。
高橋:僕は外貨を稼ぎたい。
都会の人や海外の人が素敵だなと思える価値を、地方でつくりたい。
これからの時代には、その可能性が秘められているし、きっとそうなっていくと感じます。
だから、生き方のひとつとして生まれた場所に戻って暮らすという選択肢が、もっと選ばれていってもいいんじゃないかって思います。
ふたりの対談を終えて
今回の対談(座談会?)を終えて、少なくともおふたりが充実した日々を山形で送っているということ。
また、山形でもほか大都市でも、暮らすための素晴らしい要素がたくさんあるということ。
当たり前のことですが、そんなことを再度確認しました。
ただ、その上で思うことがあります。
人は年齢を重ねるほどに、ライフステージが確実に変化していきます。
20代で、30代で、40代で、それとも老後。
それぞれのステージに自分が立ったとき、あなたは(私なら)どこに住んでいたい?
そんなことを自問すれば、筆者である私としては、今山形にいて良かったと思えるのです。
生きている限り人間は、どこにいたとしても素晴らしい人生を目指して歩みます。
この記事が読者の皆さんの、今後を考えるきっかけになれたら幸いです。
対談(座談会?)の続き、東京で開催するので先輩たちと話しませんか?
高橋さんもやって来る座談会が、9月2日(土)に東京で開催されます。
こんな感じの雰囲気で、”山形×自分”のこと、いろいろ話しませんか?
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