文・まよひが企画 佐藤恒平
山形へIターンして創業した方々に座談会形式でインタビューを行う
蒸し蒸しとも、カラッととも言い難いがたい絶妙さで暑さが漂う山形の8月某日午後。
スリッパの生産量日本一の称号と、東北唯一の無料動物園を有する西村山郡河北町に、ひっそり佇む蔵のカフェ「矢ノ目糀屋・糀屋カフェたんとkitchen」にやって来た。
今日の仕事は山形へIターンして創業した方々に座談会形式でインタビューを行うというものだ。
地方創生が声高らかに宣言されて数年、ここ山形もIターン者による創業が増えている。
かくいう私も、地域おこし協力隊を経て起業をしており、過去に何度か中山間地での起業についてインタビューを受けたことがある。起業に大変さ、どんなビジネスチャンスをこの山形に感じたのか、先に目指すさらなる夢はあるのかなど、比較的明るい質問に正直に答えていったことを記憶している。
今回は立場こそインタビュアーではあるが、創業経験者の座談会ということで、これから山形で創業を目指したい人の意欲を高めるような質問をしていけばいいのだろうとタカをくくっていた。
結論から言うと、その考えは甘かった。
今回の依頼主であるヤマガタ未来ラボ担当者からは、「普通のインタビューはやり尽くしたんで、もう少しつっこんだ感じのやつでおねがいします。やんばいで。」との指令がくだった。
「やんばいで」とは、いい具合でという意味の方言で、端的にいうとクライアントの意図を汲んでちょうどいい感じに頼むよという意味の、わがままリクエストだ。
方言にすると小鳥っぽくてちょっと可愛いが、ある意味で丸投げよりやっかいなやつだ。
でも、結局依頼を受けてしまった。一番の理由は話を聞く3名に興味があったからだ。
とうわけで、今回の座談会でお話をする3名のゲストを紹介する。
座談会メンバー
お話を聞く1人目は新規就農2年目の黒澤剛さん。
大阪生まれの東京育ち。伝承野菜道場の屋号で活動する農家で、その名の通り山形の伝承野菜を少量多品目で生産している。結婚前から農家に憧れていて、結婚を機に妻の実家の方で就農をすることを決意し、就農2年経過。(黒澤さんの移住ストーリーはこちら)
2人目はカフェバー&グランピング開業準備中のGLAMPiC代表・長濱温子さん。
東京都出身。今年2月に移住。山形の特徴的に物件のみを取り扱う不動産紹介サイト「山形R不動産」に掲載されにいた、3000坪の裏山付きコンクリート住宅物件に惹かれ賃貸契約。セルフリノベーションをしながら開業に向けて準備中。一般的なゲストハウスではなく、敷地内にこだわりの内装を施したテントを設置し、お客様にワンランク上のアウトドア体験をしていただく、山形初の「Glamping」(贅沢なキャンプ)というかたちでの宿泊サイトを目指す。(Facebookページはこちら)
今回はパートナーの芳賀くんも同席いただいてのインタビュー。
長濱さんのパートナー、芳賀潮音さん。
一足先に2016年の秋から寒河江市へIターン。寒河江市とともに商店街振興などの活動をするかたわら、彼女の開業をサポートしている。
3人目は会場である矢ノ目糀屋店主、川端徹さん。
東京から妻の実家もある山形に移住。今回の会場でもある糀屋カフェたんとkitchenを2年ほど前から開業し5年前に始めた麹屋と共に運営している。こちらでは主に自家製味噌などを製造、販売している。(お店のFcebookページはこちら)
- 本日はパートナーのゆみさんも同席いただいている。
川端徹さんのパートナー、川端由美さん。
山形県村山市出身。東京で働いていた時、年齢と共に働き方への疑問を感じるようになり、移住を含めた「これから」を考え始めていたところに実家より糀屋廃業の話を聞く。 その日から、「移住」をリアルに考えるようになり、家族で決断し山形へ。
インタビュアーは佐藤恒平。
山形県朝日町の地域起こし協力隊を経て、地域おこしとデザインの会社「まよひが企画」を創業し独立4年目。
それぞれの属性を端的にいうと新規就農、宿泊施設の準備中、カフェ経営。
ロハス系の雑誌を開けば必ずどこかに掲載されていそうな肩書きで紹介される3名であるが、個々の活動には他とはちょっと違う興味深いキーワードが並ぶ。
今回のテーマを、「山形は創業するのに向いているのかどうか?」とさせていただくことを説明し、糀屋カフェたんとkitchenの夏の名物・冷やし甘酒がテーブルに届いたところで談話開始となった。
座談会テーマ「山形は創業するのには向いているのか?」
皆さんの活動は未来ラボのサイトはじめ、いろいろなメディアで紹介されていたりもするので、これまでの経緯などはゲストのプロフィールにまとめさせていただき、いきなり本題の質問にはいってしまいますね。
ずばり、創業する時って大変でしたか?
大変でしたよ。うちは親戚の糀屋を継いで仕事を始めてますが、店舗があったわけじゃないんです(受け継いだのは道具と製法と屋号)。東京に住みながら物件探すのは大変でした。当時(2008年ごろ)は、今のように地方への移住にそれほど一般的ではなかったので、該当しそうな行政の補助金とかはありませんでした。物件探しも不動産屋に断られ続け、親身に相談に乗ってくれたのは1件だけでしたね。その不動産屋のおかげで、このカフェに使ってる蔵付きの物件が見つかったんです
私は、それなりに日本全体の移住の機運が高まっている2015年に東京からのIターンできました。住んでいるのは妻の実家である鶴岡市の農村地ですが、畑はそこから少し離れた地区(合併前の隣町)に借りています。
農地がそこしか借りられなかったってことですか?
いえ、鶴岡への移住を勧めてくれた友人が、農地を貸してくれる人を紹介してくれたんですよ。私は伝承野菜を作りたかったので、それに理解ある貸主っていうのが結構大切な条件だったのです。妻の実家の周辺も農地なので、なんでわざわざ隣町で農業?って近所からは不思議がられてますけどね。
うちも、開業当初は不思議がられましたよ。なんというか結界みたいなのを感じました。駐車場手前の道路から、こっちをじっと見てるけど入ってこないし、声かけたらそそくさと行ってしまうんです。バリアが貼られてるような、まさに結界でしたね。
東京から来た人が新しいお店を作って、それがまさかの糀屋(河北町内にはそこそこの数ある)。見慣れてるはずなのに、真新しくて違和感が半端ないですもんね。長濱さんはそんな結界は感じませんでしたか?
うちは9月オープンを目指して、まだ開業してないからあんまり感じませんね。むしろ、近所に挨拶いったときは開業に向けてかなり歓迎ムードでした。というのも、場所が山形蔵王ICと関沢ICの間にあって、高速道路ができたことでかなり観光のお客様が減ってしまったエリアだったんですよ。若者が始めるお店がお客様を呼んでくるのは嬉しいって感じの反応をもらえています。創業する場所との相性はよかったみたいですね。
同じ山形の中でも、スタートの環境の相性は大切ですよね。うちも土地を貸してくれた人が伝承野菜にも理解ある人なので助かっています。ただ、隣で園地やってる方とは育て方とかがまるっきり違うので(隣はとても王道な農法)、川端さんの言う結界は日頃感じています。
じゃあ、結界が決壊することってあるんですか
(あ、いま自分うまいこと言った)
※( )内は私の心の声です
簡単ではないでしょうね。価値観の違いもあるだろうし、無理やり理解させようとするほうが不自然ですよ。ただ、お店の賑わいが作れれば、少しづつ中を覗いてってくれる人は増えます。うちも、駐車場が車で埋まる様になってから近所の人も見に来てくれるようになりました。その中から理解してくれる人も出てくれるかもしれないくらいの気持ちで、お店を楽しくすることを考えた方がいいですよ。
私からも質問してみたいんですが、長濱さんはなんでグランピングをしようと思ったんですか?山形にはない業態ですよね。
私と彼(芳賀さん)でゲストハウスをやりたいって希望を持っていたんですが、実際見つけた物件というのが例のアレで・・・
3000坪の裏山付きのやつですね。
※最初の自己紹介で長濱さんのリノベーション中の物件が、3000坪の裏山付きであることに、一同かなり食いついていた。
そうです。ここでやるなら裏庭を活かすっきゃないってことで、山形では初のグランピングもできる宿泊施設にしようと決意したんです。ちなみに、本当は私たち海外でゲストハウス起業しようと思ってたんですよ?
<一同> え、海外?
カンボジアでゲストハウスやろうと思って、向こうに移住したんですよ。2ヶ月くらいであきらめて帰って来たんですが。
カンボジアは長濱さん・芳賀さんには合わなかったですか?
そうですね。なんか思い描いていた感じと違ってて。現地の人がいい人すぎたり、金銭感覚にけっこう違いがあったりと、それこそカンボジアはエリアとの相性が合わなかった感じです。
カンボジアの次の候補として山形だったのですね。今のところ山形は思い描いた感じを実行できていてよかったです。ちなみに、みなさんはやりたいことを思い描くために、参考にした事例とか人物とかっていますか?
私は山形の伝承野菜をテーマにしたドキュメンタリー映画・よみがえりのレシピと、そこにも登場するイタリアンのシャフ奥田政行さんですね。あの映画に憧れて伝承野菜を作る農家になろうと決意しました。ちなみに、うちの近所に山澤さん(ハーブ研究所スパール)と奥田シェフが共同で作ったお店もあって、そこに私の野菜を卸してもいるんです。
おぉ!それはすごい。でも、映画とかに憧れて農家を始めると、現実とのギャップに苦しんだりしませんか?
現在進行系で苦しんでいますよ。ずばり伝承野菜はづくりはお金にならないんです!!
仕事になってないじゃないですか!(ギャップに苦しむとかいうポップな雰囲気じゃないぞ・・・生活に支障が出るやつだ)
主に原因は僕の技術不足です。なかなか仕入れてもらえるレベルで収穫できるまで育たないんですよ。タネを蒔いたら9割くらいは収穫できると思ったら大間違いでした。こだわって伝承野菜っていうブランドで作ってる分、それなりにお客様を納得させる味にできないと商品にならんのです。
作るのも大変だけど、伝承野菜だと、売り先(販路)探しで困ったりしなかったの?
それはぜんぜんなかったです。私の前職が食関係のNPOだったりしたので、直販で欲しいという方のリクエストは結構あって、逆に来年まで待ってくれってお願いしているくらいです。伝承野菜を扱う組合にも入っているので、販路には恵まれていますね。だからこそ、数を揃えるための技術向上が目下の課題です。
前職が販路に直結しているっていうのは黒澤さんの最高の強みになっているんですね。ただ現実問題、いまお金にならないと食べていけなくないですか?
新規就農者は5年間支援金がいただける制度があるんですよ(現・農業次世代人材投資資金)。なのでこの5年のうちに生産性の向上を目指します。ちなみに、支援金のための相談は各自治体の農林担当課に問い合わせると教えてくれますよ。また借りる農地の相談はこちらも各自治体に設置されている農業委員会に相談できます。
今年で伝承野菜はやめるって話じゃなくてよかったです。新規就農のための補助制度は特に昨今は充実していますよね。川端さんは創業の参考にした事例や人物はいますか?
私たちの場合は、親戚でもある先代の糀屋さんなんですが、その理由を説明するにはまず味噌難民の話からしなくてはいけません。
へー、味噌難民ってなんですか?(「難民」という単語に味噌を合わせることで、腹ペコ感が際立つなぁ)
私は親戚が作ってくれる味噌を東京に住んでからもずっと使い続けてたんですよ。でも、その方が店をたたむって話が飛び込んで来て、私らの味噌ってこれからどうするの?って話になったんです。
しかも、この河北町内にも何人かお気に入り味噌の消失に怯える人「味噌難民」が出たそうです。
ご親戚の味噌のヘビーユーザーにとっては耐え難い事態だったわけですね。それが、この糀屋を継いで、新しい業態でスタートしようと思ったきっかけですか。
そうです。ただし先代の業態をそのまま真似ることはできませんでした。先代は糀屋だけで食べてはいけないからと、農業と兼業でやっていたんです。でも私たちは黒澤さんのように農業を1から始めるのはちょっとハードルが高すぎました。そこで夫婦の趣味だったカフェ巡りで培った知識を活かして、糀屋とカフェの兼業形態で運営することにしたんです。
味噌難民問題は解決しましたか?
先代の製法・道具を引き継いでいますので、先代の味に近づいてるって思っています。町内にいた味噌難民さんも時々買いに来てくれたりするんですよ。
(平和的に難民問題が解決されてよかった)長澤さんたちはどうですか?参考にしたゲストハウスとかはあります?
彼と付き合い始めた当時から旅行は大好きで、様々なゲストハウスは見て回ったりしているものの、ここを参考にというのは特別にはないですね。というのもやはり物件の特殊性にあわせて事業の形態を考えているので、他を真似たからとうまくいくものではないんです。あとは自分や仲間たちの持ってる技術と相談しながら手探りで形にしていっていますね。
リノベーション(改修作業)はDIYでやってるんですよね。大変じゃないですか?
大変ですが、費用はだいぶ安くあがりますよ。僕は、本業の傍ら彼女を手伝っているのですが、元々内装工事の現場監督をしていたので、ある程度はDIYでできるんです。例えば屋上の防水工事なんて10分の1位の費用で収まりましたよ。お金が無い分は自分らの体力でカバーしています。
体力って大切だよね。創業のスタート時ってとにかく体力いるから。
私たちも、定年後カフェやろうかなんて話していた時期もあったけど、40代で初めて本当によかったと思ってるよ。だって、今ですら創業の時の大変さを乗り越えられる体力ないもん。20代で始めた長濱さんと芳賀さんは正解だと思うよ。
事業プランは絶対なきゃいけないけど、お金の部分は少ないなりに工夫でなんとかなったりしますもんね。
しかし、体力はそうはいかない・・・歳を追うごとに失っていくのよね。
計画・資金・体力この3つがどれも必要ではあるけれど、歳と共に失われやすい「体力」のことを気にかけると、若いうちの創業が望ましいってことですね。
あとは、まだ山形にグランピングを扱う会社がなかったっていうのも、私の創業を後押ししましたね。近々、宮城県の方で大手のグランピングの会社が進出してくるようなので、そこにくるお客様が山形にも目を向けてくれるチャンスになるかもって感じています。
その未来展望は大事だね。適度な距離感に同業種が出てくれれば、お客様をシェアできる可能性は十分あるしね。あまり近いところに出店しあって潰しあってしまうことには注意が必要だけど。
確かに、流行にのって似たような創業が同エリアにあるのはちょっと危険ですね。
ならばこそ聞きたい質問なのですが、もし皆さんのお店の周りで創業したいっていうUIターンの人がいたとして、こんなお店・仕事を作ってほしいっていうのはありますか?
僕は同業種の人大歓迎です。伝承野菜を作ってくれる人にぜひ増えて欲しい。そしてもし私と組んでくれるなら、作る品種を分担して、お互い手伝いながらやれれば、生産性は驚くほど向上するはずです。私のように0からスタートする新米農家の方と一緒にできたら、気持ちの面でも嬉しいなって思います。
同業者だけど、補完しあえるような関係性でより伝承野菜業界を盛り上げていける人に来て欲しいってことですね。
そうなんです。あとは、農家はやはり一番「収穫」に力入れたいのですが、旬の時期は農家の収穫能力を、作物が上回る時があって、もったいないながらも捨てざるをえないものがたくさんでます。その収穫をお手伝いしながら上手に流通に乗せてくれる人材がいれば、コレってひとつのビジネスになるんじゃないかなって感じます
私はなんといっても、裏山を活かしてくれる仲間が欲しいですね。例えばなんですが、アスレチックを自作して子供が楽しめるプレイパークを作ってくれるような会社ができたら一緒にコラボしたいです。うちの山は、持ち主の方が一度山頂まで道を通したことがあるので、比較的開拓しやすいはずです。
この場所はもっとこうできるかも?っていう、アイデアの議論に私いま飢えてますので、現場を見ながらいっぱいおしゃべりがしたいです。(ボランティア募集中のページはこちら)
彼女が借りている裏山も含め山形は資源が豊富なんですが、2人で活かせる資源にはやはり限界があります。私たちが見落としてる宝もあるかもしれないので、ぜひ気軽に鋭意製作中の現場を見に来ていただけたら嬉しいです。
パン屋さん・・・あとは芸術家とか職人さんとかに来て欲しいかな。うちとぜんぜん違う業態の人と、この町や山形のこれから可能性をいろいろ話しながらアイデアをふくらませたい。
私も夫と一緒で、特にこれっていう職業ではなく、こだわりある異業種の方なら誰でも来て欲しい。どうしても同業種だとお客の取り合いになってしまう可能性があるから、お客様を共有しながら増やせる関係が作れるお店が出店してくれたらいいなって思う。
そういう意味では、今日の座談会のように、異なった業種で意見交換ができるのって本当に理想的。ぜひ、河北町で創業したらこのカフェでいっぱいおはなしましょう。
ありがとうございます。IターンやUターンによる創業者が増えている今だからこそ、山形のこれからに可能性を感じる、共感しあえる価値観を持った人に会える可能性が増えていますよね。語り合いたい新しい創業者たちがいる、それが山形で新しく仕事をはじめるときの魅力と安心に繋がるんじゃないかなって感じました。
以上で座談会は終了ですが、ぜひまた創業したみなさんで集まり語りましょう。次回はグランピングじながらとかもいいですね。
座談会を終えて
座談会終了後も、30分以上も残ってみなさんと話をしていた。インタビュー役で話せなかった私のやりたい事などを聞いたいただき、みななさんもそれにあわせて様々なアイデアを出し合う時間だった。
しばし、やりたいことや未来展望を話すと、「すごいね」や「頑張って」なんていう言葉をもらえるが、そこで話が終わってしまことがしばしばある。しかしこの日は、私だったらこうしたいという「アイデアの上をいく反応」が返ってくることが楽しくて、時間を忘れて話し込んでしまった。
山形は創業するのに向いている場所なのか?
その答えはまだ明確には言えないが、創業したい人が孤独に戦い続けるのではなく、価値観に共感し声をかけ会える環境は確かに作り上げられていいる。語れる仲間がいることが、山形でこれから創業したい人のやる気をあと推ししてくれるのだと実感した座談会だった。
座談会の続き、東京で開催するので先輩たちと話しませんか?
「この町や山形のこれから可能性をいろいろ話しながらアイデアをふくらませたい」とおっしゃっていた、今回の座談会会場となったカフェのオーナー川端さん夫妻もやって来る座談会が、9月2日(土)に東京で開催されます。
こんな感じの雰囲気で、”山形×自分”のこと、いろいろ話しませんか?
お茶しましょう。
川端さん夫妻ら、山形で自分らしい暮らしを送っている先輩、山形にUターンIターンした先輩たちと話すイベント9/2 ステップ1「”やまがた×じぶん”のことを先輩と話してみる座談会」はこちら