どうもっし。

2014年3月末で僕の協力隊としての任期が終了します。

川西町はもちろんのこと、置賜、山形県内でもお世話になった方がたくさんいます。

色々とありがとうございました。

 

ということで、これにて一区切りだと思います。

バシッ‼と、この3年間を振り返ります。

 

*毎度のことですが、すべて本当の話です。僕は何か持ってる男です(笑)

 

1.ホントに来てしまった、この町へ

「君はなぜこの町に来たんだ?はるばる都会からなんて変わってるね~」と言われること数十回。変わっているのはお互い様ということで、はるばるやって来た川西町。

 

住んだ地域には20年ぶりに外から人が来たとソワソワ。しかし、このソワソワ感によって、興味を持ってくれて、今でも仲良くしてくださる方多数。

 

変わってるって言われたって、今までの人生で究極に普通な人なんて一人もいなかったんですが…まあ、僕は変わっているのでしょう。ということを強みにして、この川西町で都会的田舎暮らしを実践。

 

が、しかし。人生、そんなに上手くいくわけなく…。

暮らしはじめて3ヶ月で何でここにいるのか意味不明になり、気分転換に旅行をすることに。この行動が、町の人におもしろネタを提供することになるとは。。。。

 

2.新潟の海は最高!?

自転車旅行、出発前日。隣の家で夕飯をごちそうに。

「おまえ、新潟の海はいいぞ~。夕日がきれいで…」と聞いたら見に行くしかない。(新潟!?ほほう、山形は日本海まで行かないと海が見えないんだった)と思い、「そうだ、新潟へ行こう」と決断。

 

ほろ酔い気分で帰宅。

ネットなんて今でも家にないですが(もはや、なくても困らなくなった)、地図を広げてルートを確認。

自転車を整備して荷物を詰める。よ~し。明日は僕の人生の新たな一歩だとティーン並の思考回路で就寝。

 

朝の光を浴びて起床。出だしは好調。モチベーションも上がってきた。時計を見たら12:00。

 

すでに、昼の光だった。モチベーション急降下。

旅に行くのに早起きも出来ないのかと情けなくなり、ビールの飲み過ぎに注意することを学ぶ。

 

「しょうもないなあ~」と独り言をつぶやいて、出発。

しかし、置賜の夏は暑かった。車なら15分くらいの羽前小松駅で、すでに、くたびれた。

 

このあと、イザベラバードという昔の有名人(w他人事w)が歩いたという峠を越えて、飯豊町へ。

 

何でこんなことしてるのかと思い、バイトして車買って、新潟に旅行した方が賢いと思いながらも。ノロノロすすむ。

 

3.暑くてヘンになる

「上を向いて~歩こう~」と歌いながらチャリをこぐ。

上を向いたらまぶしいし、歩いてもいないけど、一人旅のツラい時は自分で慰めるしかないのです。

 

食欲もないけど、何も食べないとハンガーノックになると思ったので、途中の休憩所で「うどん」を注文。

 

そうしたら、店の夫婦が「うどんは茹でられない、そばにしなきゃだめ」とケンカ祭りがはじまった。僕は疲れていたので、そんなことはどーでもよかったので、「そばでいいですよ」と一言。

 

「じゃあ、うどんですね」と返され、店にアンケート用紙が置いてあったら、クレーム書くとこでした。

 

ああ、余計疲れた。けど、「うどん」は美味かった。なんか、悔しい。

 

子どもの頃から色白で、小学生の時には「何でそんなに色白いの?」と女子にねたまれたりして、変えようもないこと言われてメンドくさ~と思ってたんですが、日焼けは痛いから嫌だ!ということで、この蕎麦屋で長袖シャツを着るのでした。

これが、その後の事件のクッションになったのです。

 

4.あ~やっちゃった

僕がどれだけ都会人かご紹介しましょう。

それは、日本の国道というのは、どこも歩道があるもんだと思ってました。

 

が、僕が通ったルートには歩道なんて存在しませんでした。

車社会万歳‼!

そういえば、歩いている人なんて見かけないし(早く気づけ!)、チャリも見かけない。

 

問題はトンネルです。音と車の速度でヘンになります。

まあ、しょうがないということで、ゆっくり進む。

 

が、気づいたらトンネルの中で転倒して車道の真ん中に倒れてました。

危うく2tトラックに轢かれちゃうとこでした。

 

とりあえず、自転車と荷物を道の端に引っ張って、体とか意識あるか自分で確認して(笑)

トンネルの出口まで移動。

 

トンネルを出たら喫茶店が!外には湧水の鉢があって、そこで傷の手当をしていいか聞いてみる。

そうしたら「君はすぐに病院に行った方がいい」と言われる。

よく見たら、かなり血だらけでした(悲)

 

携帯の電波が通じないので、店にいたお客さんが病院まで送ってくれた。

「君はどこから?どこへ行くの?迎えに来てくれる人は?」と聞かれて、テンパってるのに的確に答えた自分に拍手。ただ、迎えに来てくれる人?そんな親しい人はいないんだなこれが。

 

とりあえず、小国病院に搬送。

受付をした時の病院内の見て見ぬふりリアクションと、受付の人のぎこちない感じは一生忘れないでしょう。迷惑かけてしまったんだけど、僕も好きでコケたわけじゃない。

 

待ち順番をちょっと早めてもらい、診察室へ。

「どうしたんですか?」

「自転車で転びました」

「自転車で転んでそんなになるんですか‼!?」

という、やりとりを終え、治療に。

 

5.山形で20年ぶりに泣く

ヌリ再生プロジェクトのメンバーは、看護婦の女性3名。

とにかく、傷口を消毒する。砂とか石とか取り出しながらこすられる。

 

「ギャー‼!」と言いながら、痛くて泣く。

だんだん、暴れ出したら、足を押さえる看護婦1名。力強っ!!!。

 

こういう時、女性は容赦ないです。

「痛いよね。。。もう少しだから我慢してね」と甘いささやきをしながら、羽交い絞めにして、傷口グリグリしてますから。

 

治療後、とりあえず包帯だらけ(笑)。次は置賜の総合病院で検査してくれとのこと。痛み止めの薬を飲んで、小国駅に行くと、帰宅途中の高校生が「コイツはやばい」とみんな避けてくれた。時刻表を見ても、電車では行けなそうだった。埼京線なら5分で来るのにと、いらん想像をして。

 

骨折はしてないから歩けるけど、正直、痛かった。

もう、自転車も大破したから、帰るしかない。誰かに電話しなきゃなあ。とまちぼうけ。

 

自分はホント迷惑な奴だと思いながら、川西の隣の家の人に電話してみた。

そうしたら、仕事を早退してまで小国まで来てくれた。川西から1時間くらいだと思う。

 

その日は大嵐で雷がドカドカ落ちて、電車も運休だった。

もうこれ以上最悪な環境はないでしょう。勝手ながら、来て3ヶ月の山形の印象は超悪いもんでした(笑)

 

迎えの車が来るまで、駅の停車駅の名前を覚えたりして遊んでました。

「左沢」?「ヒダリサワ」?「えっ!?」「アテラザワ」「読めん‼」とか言いながら(笑)

 

帰りの車で気持ちが落ち着いてしまったのか、傷がドンドン痛くなって、発熱し、その後、数週間、その家のおばあちゃんと暮らして、置賜弁を勉強するのでした。

 

6.それから3年たちました

こんなストーリーを話し出したら本を書けるんですが、一つ言えることは、僕は山形に来てから、なるべく人とかかわろうとしました。

 

そもそも、その人がどんな人かは、話してみないとわからないし、世の中、色んな人がいるもんだと知りたくなりました。

 

なんで、あの時、見捨てられなかったのか?

自転車事故なんて自業自得です。

多くの人が車で通るという選択をするのに、あえて危険な自転車で通るんですから。

どんな結末が待ってようと本人の責任なのに、何で助けてくれるんだろう?

 

協力隊の活動を通じて、失敗してもやり直せばいいし、またチャンスがあると思えたし、そうであっても惨めじゃないし、それらをこうしてブログで書くためらいもなくなり、ギャグにできるほどになりました。自分は自分の事、意外と何も知らないんだなあ。

 

こうして、日常生活ではあまり話さないことを、ブログや発表会、メディアで公開することにしました。こういうネタとか、普段言いたくても言えないこととか、色々と公開すると結構笑ってくれるし、明るくなると思って。それが、僕のこの3年間です。

 

自分がどんな人間か知ってもらうことは重要で、そういう機会は人生そんなにあるもんじゃないと思います。そうなると、相手にあの人はこういう人だと決めつけられて人生終わってしまうのです。

 

人付き合いは体力がいります。相思相愛、親友といったカテゴリーの人々は存在しますが、その人たちは高いレベルでシンクロする人付き合いの度合いを知っています。気が合わないから嫌いとか、価値観が違うから合わないとか、当たり前の話で、そういう人とも付き合っていくしかない環境だったら、自分のコミュニケーションスキルを磨くしかない気がします。あの人はこういうところがいいとか、こういう分野では意見が合うとか。

 

都会では街に出れば知らない人が多いわけだから、誰がいるなんて気にしませんが、川西でも置賜でも知り合いに会うことはよくあることで、同じ仕事をしていれば、何だかんだで山形県内に知り合いがいたなんてことはよくあります。

 

だから、こういう、小さいコミュニティでの人付き合いに興味があったんだと思います。個人として集団にどう存在しているんだろうかと。人間関係が近いって何だろう?ってな具合に。結果、自分なりに色々学びました。

 

7.なぜ川西に!?

「なぜ、わざわざ川西に!?」とよく聞かれ、「子供の頃、米沢と蔵王に来て…」と多くの人に言ってきました。

 

それは、理由の一つとしてあると思いますが、ホントのところはボランティア感覚で来たというのが本当のとこです。でも、今までそんなヒーロー気どりなこと言えなかったのです。

 

2010年の夏に東京から仙台まで1週間、海沿いを自転車旅行して、東京、埼玉、茨城、福島、宮城を通りました。途中、色々な景色や人と話して、田舎っておもしろいなあと思っていたら、3.11がありました。

 

実家の川口もかなり揺れて、家にいたので、これはヤバいなあと感じてしまったのです。

旅先の人とか思い出すと気の毒に思えて、震災ボランティアに参加しようと調べてみたのですが、そんな経験ないので自分は役立たないだろうと思いました。

 

そんな中、協力隊の募集を発見して、「まちづくり」とかまったく興味なかったのですが(笑スイマセン。。。)東北ということもあるし、何となく人の役に立ちそうだし、自分も何かしら貢献できるかなあと思って川西に来たのでした。

 

まあ、そう決めて川西来ているわけだから、あれがないこれがない、あれが嫌だこれも嫌だと文句は言わないで頑張ろうと思ったのです。

そこで、来た時の初心を忘れるべからずということで、再度挑戦した山形自転車旅行で事後ですからね。ホント自分はカスだと思いました(笑)

 

ということで、こういうことです(どんなこと!?)

実際、僕とかかわりあった人には、何となくわかってもらえるはず、ということで。

 

次回、また投稿するかは、気分しだい~

さよなら!

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この記事を書いた人

塗 貴旭

埼玉県川口市出身。 中学から大学までを東京で過ごした埼玉都民は、大学院で茨城へ。気合で東京から茨城へ通学するも挫折。都会と地方の交通格差...

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