山形県鶴岡市、羽黒地区。東北随一の修験の霊場と言われる出羽三山の表玄関として、また、国宝五重塔をはじめ重要文化財や史跡、歴史的文化財が数多く存在する類稀な場所として、広く世間に知られています。

2011年10月には鶴岡市が主体となり、フランス・パリとハンガリー・ブタペストにて「出羽三山の山伏文化と精進料理」を紹介するプロジェクトが行われました。成瀬正憲さんは羽黒町観光協会の一員として、また羽黒の山伏としてこのプロジェクトに参加し、実際に出羽三山の文化を世界へ発信されました。

今回のやまがたで働く人

成瀬正憲さん

1980年生まれ岐阜県出身。高校卒業まで岐阜で暮らし、その後アニメーションを学びにカナダへ留学し、帰国後は東京の大学で哲学や民俗学を専攻し、福井で地域振興の仕事に携わった後、2009年に鶴岡市羽黒町に移住しました。

Masanori Naruse Yamabushi

現在は羽黒町観光協会に籍を置きながら、修験道体験のコーディネーターや出羽三山精進料理プロジェクトをはじめとした多くのプロジェクトに携わり、地域と深く関わりながら独自の「表現」を実現されようとしています。

 

アニメーション、哲学、地域文化、山伏。根底には、「魂」の表現。

高校を卒業後、アニメーションでアニミズムを表現することを志し、海外の芸術系の学校への進学を目指した成瀬さん。

(注:アニミズムとは、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。)

「われわれ人間は人間として、重力を感じて時空間を認識しているけれど、例えばモンシロチョウだったらどういう世界を見ているのか、野山の動物、植物だったらどうかとか、そういった多角的な視点で世界を見たときに、人間が自然界で生きるときに大切なことが見えるんじゃないかと思ったんです。そして、そうした世界をアニメーションを使って表現してみたいと思っていました。」

成瀬さんのご自宅、藁細工たち。

当時、試験科目のひとつだった小論文を書き上げるために、様々な本を読み漁っていた成瀬さん。その時に出逢った一冊の本で、山伏のことを知りました。

「これは面白いなぁと興味を持って読んでいた本に、山伏のことが書いてありました。モントリオールの大学に入学してアニメーションを学びながらも、なんだか気になるなぁと思っていて、日本に帰国してからあれはいったい誰が書いた本だったかを調べたんですね。そしたらそれが中沢新一さんという方の、『哲学の東北』という本だったということを知りました。」

アニメーションを学びに行ったモントリオールでは、様々なところから来た多様なアイデンティティを持つ人々と触れ、自分という存在を見つめ直すきっかけとなったそう。

山伏姿で出羽三山文化と精進料理をPR。フランスにて。

「例えばフランスで生まれ育ってきた人は、幼いころからルーブル美術館だとかに行って教科書に載っているような絵画に触れる機会がたくさんあるわけですよね。そういった人たちと同じ文脈で戦っても、勝てるはずがないと思いました。

そう考えたときに、土俵自体を変える必要があると思いました。それまで自分がどういう土地で生きてきて、どういうものに根ざした感性を培ってきて、さらにはどのようにそれを展開していけば表現者としてやっていけるのか、ということを、考えないといけないな。日本という列島に培われてきた本当に奥のほうにあるものに身を浸してみないと、駄目だなと。」

この気づきから、成瀬さんはアートの世界から哲学の世界、さらには地域文化の世界へと、その表現の場所を移していくことになります。

地域文化に身を浸し、そこから立ち上がる世界観を体感できる―修験道

20歳の頃、山伏の存在を知るきっかけとなった中沢新一氏が当時教授をしていた大学へ入学した成瀬さん。大学在学中には、日本各地で継承されてきた地域のお祭りを見てまわったそうです。

「西は沖縄から東は青森まで、いろんなところへお祭りを見にいきました。お祭りというのは、地域のコミュニティが築きあげてきた世界観の一種の表現だから、その地域が何を大切にしているのかがすごくよくわかります。ただ、僕たちはお祭りに参加している人たちが、見ているものだとか感じていることだとかは、わからないんですよね。あくまでも観客の一人です。そこからもう一歩踏み込んでみたい、という想いがありました。」

そうした考えから舞踏といった身体表現にも興味を持ち、一時期は恐山などを拠点に活動する舞踏家たちの裏方として、群馬や秋田へまわりながら舞踏の勉強もされたそうです。

成瀬さんのご自宅。祭壇。

「でも、どこか違うなぁという気がしました。そこで山伏だったんですね。山伏も、白装束を着て自身を死者ととらえて、山をあの世だとか胎内とかに見立てて、胎児として成長を遂げて生まれ変わって帰ってきますよね。自らが身を投じて、その世界観を体感する。そこにすごく関心がありました。」

4年次のゼミ合宿で、中沢新一氏と古いつきあいのある羽黒の宿坊・大聖坊の山伏、星野文紘氏の導きのもと、初めて修験道を体験したそうです。翌年には羽黒修験の最も重要な修行とされている「秋の峰入り」に入り、山伏となりました。その後はゼミ合宿の一環としてだけではなく、一般の人が参加できるような修験道体験を企画・運営していくようになります。

「文化に触れることは出来ても、実際に文化に身を浸したり、そこから立ち上がってくるものを体感できる場というのはそうは無いから続ける必要がある。そう思い修験道体験の企画を続けていました。」

その地域の人々がきっと何百年も昔から見てきた景色を見て、そこで行われてきたことを体感する。それは地域に伝わる文化の根源に存在する魂の数々に、出逢うことでもあるのでしょう。

地域で何かを具体的に動かしていくという「表現」。

大学院を卒業し、これまでの活動を事業体にできないかと考えていた27歳のとき、福井県で環境教育や地域づくりに携わる会社を紹介され、そこで2年間、地域づくりの修行をしたと語る成瀬さん。その間も1ヶ月に一度のペースで羽黒を訪ね、地域の人々との会話を重ねていきます。

出羽三山や宿坊が置かれている現状は厳しく、このままでは大切な文化が立ち行かなくなるという危機感を共有し、宿坊や出羽三山神社、荒澤寺、都市から集めた有識者で「10年後の出羽三山を考える会」というシンポジウムも開催しました。

成瀬さんが近所で採種した薬草たち。

 

「そうした取り組みを進めていく中で、表現として何かをすると考えたときに、絵画や音楽、舞踏といったものではなくて、地域で何かを具体的に動かしていくことが、自分にとって今一番やらなきゃいけない表現なんじゃないかなと思いました。町おこしというのはひとつの表現活動として捉えることもできるんですよね。

今の時代というのは、ある種の共同性というか、都市と地方の格差だとか、自然と人間との共存だとか、そういったものが問題になっていますよね。それを解決に向けて取り組んでいくということは、そのこと自体が表現といえるだろうと思います。」

現実が動くということが、「表現」であること。単に芸術だけがアートではない、いえ、地域が変わっていくことそのものも、一種のアートだというこということを意味するのでしょう。成瀬さんのお話を聞きながら、心の底から納得してしまいました。

 

 

地域で暮らす人たちが、その地域らしく暮らすことに意味がある

出羽三山を中心とするこの地域には、貴重な文化がたくさん残っているといいます。この地域ならではの独特な形状をした蓑(みの)、オエという素材で編む草履、ぶどうの木の皮で作られるかごといった手仕事の文化。季節折々で楽しむ山菜やきのこなどの山の幸、薬草などの野の幸、海藻など海の幸を、その命を頂きながら共存するための食文化。そこには今もなお受け継がれる技術があり、蓄積されてきた知識があるといいます。

成瀬さんはそういった文化の継承者のもとを訪ね、実際に作業を体験しながら彼らの話の聞き書きをする活動もしています。後継者のいない伝統文化を、いかに継承させていくか。金銭的な問題をいかに解決していくかということも、成瀬さんのテーマのひとつです。

「出羽三山が育んでいる自然の資源というのは、本当に素晴らしいものがあるんです。本来その土地の人たちは、その土地のもので生きていけることが理想だと思うのですが、そう簡単にはいかない現状があります。でもそれを、知恵を絞ってなんとか打開していきたいと思うんです。そして自分は、その橋渡しをしたい。」

あくまで主体は地域の人たち。地域の人の声を聞き、想いを同調させて場づくりを行い、少しづつ丁寧に、現実を動かしていきます。

今年6月に発足した「出羽三山精進料理プロジェクト」では、地域のつながりや協働が生まれたりと、既に様々な変化がありました。この10月には、山形市や東京でも出羽三山の精進料理イベントが実施されます。山形発ドキュメンタリー映画『よみがえりのレシピ』とのコラボレーションイベントも予定されています。

地域が変わってゆくさまを、大きく描きながらまずは近いところからゆっくりとじっくりと、形にしていこうと心と体を尽くす表現者。東北随一の霊場、出羽三山。この土地はまた、素晴らしいアーティストを惹き付けたものだと、私は始終心打たれておりました。

Profile

成瀬正憲さん

出身 岐阜県
生年月日 1980年
URL http://www.facebook.com/masanori.naruse.9

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