今年のお正月、何ともなしにテレビを眺めていた。そこに現れたのは、名曲「タッチ」を山形弁で歌う女の子。

サビの「タッチ」を「ちょす(※山形内陸の方言で”触れる”)」と歌っている 姿に、画面の角に小さく映る審査員の芸能人も、入り込んでくる観客の声も「笑っている」。それを見て私がちょっぴり恥ずかしくなったのは、「笑われている」と思い込んでいたからだろうか。

しかし、歌い終わってみると、審査員からの評判は上々。山形弁の評価は高かった。「「あの名曲を方言で熱唱!新春 全日本なまりうたトーナメント」(日本の歌謡曲を各地方の方言で替え歌して歌うというトーナメント制の番組)」で、彼女はどんどん勝ち抜いていった。

 今回のやまがたで働く人

朝倉さやさん

シンガーソングライター

彼女がtvに出るきっかけになったのは、やはり替え歌だった。

「残酷な天使のテーゼ」や「創聖のアクエリオン」などの歌に、三味線や山形弁を取り入れ、民謡調のアレンジで歌った歌を、動画サイトとかにアップしたら、すごく反応が良かったんです。」と本人は話す。

まだデビュー前の歌手にも関わらず、その動画を見た冒頭の「なまりうたトーナメント」の番組関係者が見つけて、番組へのオファーがあったのだ。

「音楽番組の方たちが、デビュー前に、声を掛けて下さるというのは、前例がないかもしれない。きっとすごい事なんだろうな。と思います。(Solaya Label 夏海さん談)」

実は民謡日本一の歌唱力を持つ。小学2年生から民謡を習い始め、全国大会で2度優勝経験がある。

「歌が上手い歌手はいっぱいいるから、私にしかないものってなんだろう?そう考えると、私には「民謡」と「山形弁」があると思ったんです。だけど、残念ながら民謡はメジャーじゃない。でも、ポップスを民謡調にアレンジしたらおもしろいんじゃないかと考えて、歌ってみたんですよね。」

2013年4月に、ファーストシングル「東京」でデビュー。

山形県内では、今や、様々な媒体でデビュー曲が使用されるのはもちろん、地元のCDショップでは週間売上1位に輝くなど、一躍有名人となっている。

「 昔から歌手になるのが夢でした。山形にずっといては叶わない夢。だから、高校を卒業したら、東京にいこうと。だけど、上京の日は大変で。夜行バスに乗る直前に40度以上の高熱を出してしまって、もう行きたくないとさえ思いました。だけど、ここで行かなかったら、このまま山形にいちゃう気がする…。いや、決めたから絶対に行く!今行かないと。後悔はしない。大泣きでバスに乗りました。東京では、サービス業に就職したんですよ。同僚には東北出身の子が多くって、東北弁は忘れないようにすっべねなんて言ってました(笑)」

働きながら、歌手になるための方法を模索していた時に、いまの事務所が主催するSolaya Music Schoolの「シンガーソングライターコース」に入学。働きながら学んだ。初めての作曲に試行錯誤。そこから実力が認められ、学費の要らない特待生になった。昨年6月に所属事務所の専属アーティストになり、そして今年4月のデビュー。

彼女の夢は、まだまだ始まったばかりだ。

デビュー曲「東京」にも、山形弁バージョンが入っていますが、これからもやっぱり民謡&山形弁押しですか?

「民謡調や山形弁の歌は、あくまでも知られるきっかけです。シンガーソングライターとして、オリジナルソングをつくって行きたい。あと、ライブもやりたいですね! 聞いてくれた人に背中押してもらったとか、感動したと感じてもらったり、沢山の人に喜んでもらえる全国区の歌手になりたいです。」

朝倉さんと同じように、山形の県外で頑張っている人たちにメッセージをお願いします。

「歌手になりたいと思いつつも、社会人になってからは、悶々としていた時期もあったんですけど、ふと「自分の人生っていうのは、自分の意思で全てが決まるんだな」と、思った瞬間があったんです。なんというか、『自分次第だな』と思った。だからこそ、自分の生きたいように生きよう。夢を信じることが大事だと思ったんです。そのためには、私はどんな苦労なども厭わないし、目標までのプロセスは頑張る。

だから皆さんも、やりたいと思った事とやればいいと想うし、自分の夢を大事にしていけばいいんじゃないかと思います。きっと、山形の人は頑張れって言ってくれるだろうから、負担に思わないで、頑張って欲しいですね。」

自分の人生を生きようとする人はよく「自分次第」という言葉を口にする。

私たちの「これから」は「自分次第」である。

Profile

朝倉さやさん

出身 山形市
生年月日 1992年6月29日
URL http://asakurasaya.com/

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