ごあいさつ

皆さんはじめまして、今回からブロガーとして初めて参加させていただきます、安彦栄美と申します。私は「山形で働く場所がない」と高校を卒業後、上京しました。

マスコミ関係の仕事を志望していたこともあり、今ほど映像を個人で簡単に作れる時代では無かったことが大きい。けれど、何しろ地元への愛着というものが特に薄く、“何でもある”“いつでも出来る”東京への憧れは他の誰より強かったに違いない。


その後、地元である山形県新庄市に戻り、どこか田舎の煩わしいと感じるものを持ったまま数年が経ったころ、仕事で最上地域にあるお蕎麦屋さんのホームページを作ることになった。

最上地域にあるお蕎麦屋さんのホームページ作成

以前の仕事の影響か、全く知識のないことをその道のプロにお話を聞くことが何よりも好きになっていた。地域で生業を持つ店主の人柄と、その人の歩んできた歴史に興味がどんどん湧いてくる。

十数軒ある蕎麦屋店主の、一人一人が放つ個性は、その店主が作りあげる蕎麦に凝縮されている。話を聞けば聞くほど、表現されるものは、たった一杯の蕎麦であっても、その人が映るということが本当に面白いと気付かされたのだ。

そば粉の産地へのこだわり、粉の挽きかた、そして蕎麦の打ちのリズム……。もっと言えば、蕎麦の生産に至るまで。店主がどんなことからそば屋を目指す事になったのか。どれもこれも全てが、その蕎麦屋の魅力へとつながるのでした。

それは日本のどこか、当たり前にある日常かもしれないけれど、元々は地元への愛着も無く、ひどく人見知りだった私が、地元のお蕎麦屋さんの話を聞いて面白いと感じ、感動する今がある。

地元で働くとは

昔の私ならば、考えたこともないだろう。地元の人の話に耳を傾けることすらも無かったかもしれない。なぜならここが、つまらない街・何もない街と決め付けていたから。けれど、色んな方の話を聞く仕事をしていて、そんなこの街の状況もここ何年かで変わりつつある。「何もないなら、作ればいい」そんな気持ちや気概が、少なくとも私の周りには感じることが出来る。

 



もしかしたら御先祖様たちは、とっくにそう思っていたかもしれないし、作ってきたものもある。それが当たり前すぎて、見えなかったものがここには沢山あるのだ。だから私は、誰かに話を聞くことで、“昔からあるもの”や“今を作っているもの”などを少しでも伝えることが出来ればと思うのです。

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あなたが知っている新庄・もがみは、本当に今のコトですか?

 

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この記事を書いた人

安彦 栄美

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