○ごあいさつ

 

ブログでははじめまして!新庄市在住の小嶋です。

出身は山形市で、現在は夫の実家に四世代で暮らしています。同居して7年になります。家族構成は夫、五人の子供たち、義父さん、義母さん、おばあちゃん(義母さんのお母さん)の10人家族。

山形県内でも、山形市での暮らしと新庄市のはずれにある今の住まいとでは生活習慣も風習もまるで違います。同居してからは驚きの連続で、自分の中の常識が何度も何度も上書き保存されていきました。

新しい暮らしや人にふれ、新しい自分を発見する毎日。このブログでは、当時のことや現在の生活を書いていくつもりです。田舎暮らしの楽しみや子育てのことなど。あくまで私目線の日記なので誰かの役に立てるかどうかはわかりません。(でも、田舎暮らしは大変そう、と思っている人に、こんなんでいいんだー、とは思ってもらえるかも?)

月一回程度、のんびり更新していきます。よろしくお願いします!

 

○もがみでの暮らし徒然

 

 

現在の新庄市、山々は秋真っ盛りですが、私の住んでいる平地では紅葉の本番はまだまだこれから。しかし朝晩の冷え込みはすでに冬のもの。かといって昼間は半袖でいいような日もあり、この季節の気候には体がついていきません。

この地域に暮らす人は体感する季節よりも、暦でその時期のお仕事をすることが多いようです。

我が家も例外ではなく、秋がやってくる前に、すでに冬支度。

畑の夏野菜と緑のカーテンを撤去し、庭木の雪囲いが終わりました。
雪囲い、こちらでは「そがき」といいますね。「まだあったかいし、もすこし経ってからやろうか」なんて油断しているとあっという間に初雪など降ってきます。

新庄には「春と秋がなくて夏と冬ばかり」と住んでいる人は言ったりします。みるみる風景がモノトーンになっていき、ちょっと物悲しい気持ちになりますが、いよいよ冬、と身も引き締まります。

今年は、夏の終わりの一時期に秋晴れが続いたかと思えば、台風が連続してやってきたり毎年「今年は異常気象」と聞こえてきます。しかし身近な景色に目を向ければ、だいたい花は去年と同じ時期に咲くし、彼岸を過ぎて井戸水がぬるくなってきたのもいつもと同じ。

ちっとも活躍しないエアコンを掃除し部屋の隅からヒーターが登場。このヒーターは夏の間もしまいません。1年の3分の2はお世話になってます。コタツも茶の間に鎮座し義父さんがいつ見てもそこで昼寝しています。ああ、我が家の冬のいつもの景色。

いよいよ長い長ーい冬ごもりの季節がやってきます。春の遠さを知っているから秋を精一杯楽しもうという気になるのかもしれませんね。

我が家の小学生の娘たちが通学路に使っている田んぼの小道にも、いろんな季節の草花が咲き、木の実がたくさん落ちています。おかげで彼らは道草ばっかりくってなかなか帰ってきませんが、それもまた田舎暮らしの醍醐味なのかな。

 

 

私が秋で一番好きなのが、この野ぶどう。ありとあらゆる階層の青、緑、紫の色を体現してくれます。お散歩などをしているとよく見かけます。山菜や木の実は、実る頃にはめざとい人にあらかた採られてあっという間に姿を消すので、本当の旬には姿形を見ることがない、なんていうことが多い中、あまり食用にされない野ぶどうは、公園や路地でも目に入ります。たまに、どこかの子供たちが摘んでおままごとにしたような跡があったりするのをみると気持ちが和みます。

現在の家に住むようになってから、街中に住んでいたときよりも四季の移ろいには敏感になりました。

そして子供たちにとっては、物心ついたころからずっとこの風景がそばにある。それがここに住んでよかったと思うことのひとつ。

夫の守る家がここにあり、よくも悪くも、この場所から「動かない」選択をしたわけなので、今いる場所の魅力をひとつでも多く見つけることが自然と習慣になりました。

それでも、素敵なものや楽しいことを見つけることにかけては子供たちには全然かないません。

子供と同レベルで「へー! すごい!」ばっかりの毎日です。

 

 

最近は冬に向けて保存食の棚を整理していました。

ここにあるものは、自分で育てたもの、家族と採集したもの、知り合いから買った無農薬のもので
作ったもののみです。

 

 

こちらも同じく庭でとれたものだったり、いただいたものだったりで作った果実酒たち。我が家にも、栗やかりんの木などがあります。昔はどこの家の庭にも植えていたようですね。家でも採れるし、あちこちからおすそわけもいただきます。

これからの季節は柿ですかね。(期待をこめて)

新庄ではとにかく山が近いので、秋の実りもたくさん! 種々の木の実、果物を毎日のようにおすそわけでいただきます。山のものは山分け、とはよく言ったものです。

そうなってくると、買ってきてまで食べる気にはなれないんですよね。

小学生の長女と次女も「ただいまー!!」の声とともに、拾った栗をポケットからいくつも取り出します。(たまにそのまま服を洗濯しちゃったりね。。)

 

 

拾うのは楽しいけど、皮を剥くのが大変なんだこりゃ。。

田舎はとにかくもらいもの天国でして。こちらに来て上手になったのは、というか必要に迫られたのは、一度にたくさん採れる食べ物のいろんな調理法、保存方法を覚えること。食べたい、飲みたいから、ということはもちろんありますけど、いかに保存しておくか、がきっかけでした。誰かがやらなければ朽ちてなくなってしまうだけ。最初はただ、それがもったいないと思っただけだったんです。もらったものを無駄にしたくない一心でとにかく覚えました。

でもそのうち、あんまり余るものは(特に夏のきゅうりなど)もらう段階でいさぎよく「いっぱいあるから気持ちだけもらうね」と断るか、「畑に食べさせとこう」状態になるんですけどね。畑にお供え?した野菜や穀物は、鳥や動物が食べたり、次の年の肥やしになったり。それもまた自然なことなのだと土に触れるうちに学んでいきましたが。。

それと同時に、旬のものは旬で食べるようになりました。スーパーでは年中売っているけれど冬にナスやピーマンを食べなくなり、夏に白菜などを買わなくなりました。そもそも野菜は育てる他にももらうので、あまり買わずとも生活できてしまいます。我が家は農家ではありませんが、身の回りには農家さんが多いので自然と野菜が集まってきます。私はそのほかに子供たちと一緒に、自分たちの口に入るものは少しばかりですが育てています。

もちろん、野菜や果物を買うこともあります。本当にいいものを食べたいとき。知り合いの心遣いを食べたいときなど。

農家さんとふれあうことが多いので、今年はこれが豊作だとか不作とか身近なところで聞こえてきます。それぞれの作物に、数年単位の実りのサイクルというのがあるのか、その年のちょっとした気候変動なのか。人間には察知できないスイッチみたいなものが植物には備わっているんだろうなと考えて感心していたり。関係ないけれど、竹の花が数十年に一度、一斉に咲く話をきいたときには鳥肌がたちました。環境が全然違うのに一斉に咲く。一人の人間の生きている間には1、2度しか見るチャンスはない。それが同じ年に咲く。遺伝子に刻み込まれた何かがあるのでしょう。

ともあれ今年も秋の実りフィーバーがちょうどきていて、我が家の冷蔵庫はパンパンです。

このあたりの家は一階部分を車庫や物置にしている家が多く、貯蔵する野菜などは全て物置にあります。農家さんでは加工用の素材を入れておく大型冷凍庫などを完備している家も。我が家にもあります。これで冬も心配なし。

うちの義母さんと義婆ちゃんは一年単位でちゃんと食材を管理しています。秋の山栗を正月の栗きんとんのために。地かぶを春彼岸の味噌かぶのために。そのほかにも急なお葬式のお手伝いのときに持っていく煮物の山菜を貯蔵していたり。農家さんでは普通なのかもしれませんが、私は山形市出身なので、そこまできっちりやっている家はあんまりきいたことがありませんでした。私はまだ管理せずにすんでいますが、今のうちから覚えておかないと大変なことになりそう。

ここに住みはじめた頃は、何のためにストックしてあるかわからず、片っ端から料理に使ってしまったこともあります。私はモノが多いのが苦手な性分だったのですが、郷に入りては郷に従え。特に震災以後は家に備蓄があるのは安心とも思うようになりました。特にメモして覚えたわけではありませんが長く住んでいると自然に、何のときに使うものなのかわかってきます。

いざ雪が降れば野菜は雪の中に貯蔵です。新庄の雪の量はとんでもないので野菜を埋めていた目印ごと埋もれることもしばしばで、私がそれを掘りに行くと、勢いよくスコップを振り下ろした先でアタリがはずれてキャベツがまっぷたつになってたりします。

 

遊びも秋らしく。。

三女は現在四歳ですが、現在は双子と一緒に家で過ごしているのでよく一緒に外に遊びにいきます。

家の近くには遊具のある公園などはないので遊びも自然と身近にあるものを工夫して、となります。

夏は畑で走り回っていましたね。

 

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今回、このブログのお話をいただいたので、自分にとって新庄最上ってどんなところかなと改めて考えてました。

住み始めたころの新鮮な驚きとかを今でも鮮明に思い出します。雪の多さにはやはりびっくりしました。

 

↑長女がこんなに小さい頃に新庄にやってきました。

2007年の4月上旬です。 (今見てびっくり! 雪がない!この年は雪が少なかったようです)

 

↑同じ時期の次女。

この子が2ヶ月の頃に引っ越してきたので、私の新庄暦は次女の年齢とともにあるような感じですね。

 

↑↑今年の雪。これで4月下旬です。。この雪山は根雪の時期には高さが二倍くらいあり、そり滑りするのに最高の築山になっていました。

雪の量は年々多くなっている気がします。82歳のおばあちゃんも去年の積雪に「こんた見だごどね」(こんなの見たことない)でした。

新庄に住み始めた2007年当時は身近に知り合いもおらず、二歳になったばかりの長女、年子の次女を両脇に抱えて家族七人の炊事、買い物で一日が終わっていました。

ネット環境も今ほど整備されていない頃で、家の中で手に入る地域の情報は市報の内容くらいのものでした。

そこに載っている講座などに参加してみても同年代の人には会えずいつも私は最年少。でも、赤ちゃん連れで行くといつもいっぱいかわいがってもらってよそ者の私に対しても温かく接してくれる人たちばかりでした。

若い人とは出会えなくても(笑)一日中、子供たちと一緒にいろんなものを作って遊んでいるうちに田舎の手仕事に興味を持ったり畑で野菜を作るようになったりと、私の中で価値観が変化していきました。

2009年に三女が生まれ、今年は男の子の双子が加わりあっという間に十人家族に。田舎の家はたいてい大きいですが、最近ではとても狭く感じます。

普段、子供たちが遊んでいる部屋よりも年に五回も使わない客間の方が広かったりするのも
田舎の旧家にありがちなことの一つ。

たった七年の生活でも田舎生活あるあるみたいな小ネタは書ききれないほどたくさんあります。それもいずれご紹介したいな。

ご近所さんとの距離が近いので人の出入りも多く、お隣のおばあちゃんともほぼ毎日顔を合わせます。野菜をたくさんくれます。朝六時前とかに来ます。この隣のおばあちゃんは親戚です。我が家のおばあちゃんの実家だったり。

このあたりの同じ苗字はほぼ親戚です。親戚がつながりすぎてて未だにほとんど名前と顔が一致していません。

私の旧姓は日本で三番目くらいに多い苗字なので最初はそれも新鮮でしたね。

しかも周りの人が名前より屋号で話すので予備知識のない私には全くちんぷんかんぷんです。

最近では覚えるのを諦めました。わからなければその場できいてます。それかあとで家族にきく。親戚くらい全部覚えなければと戦々恐々としていた時期が嘘みたいです。同居生活は適当がいい塩梅ですね。

家の電話も六時台から普通に鳴ります。山形市にいた頃は宅電が早朝か深夜に鳴るのは悪い知らせと相場が決まっていたので今でもたまにドキっとしますが、受話器をとればのんきなご近所さんの声。

そのほかにも一面識もないご近所さんの結婚式におよばれしたり、世帯数が少ないために学校や町内の役員はやるのが当たり前だったり。

今年も雪がちらつく頃にはきっと軽トラいっぱいの白菜がやってくるでしょう。毎日鍋をしても煮物にしても漬物にしても食べても食べてもなくならない白菜と冬の間中、格闘しているのが、ありありと想像できる。それを見込んで自分の畑では白菜を植えない私もどうかと思いますが。

一階部分が雪で埋まった家の中でクックパッドで「白菜」を検索しながら、双子の世話におわれたいと思います。

市外から嫁いできた私が新庄の人に何度も言われてきた言葉。

「雪以外は何もないところに、よくござったねぇ」

これがもう本当に何度も言われるのです。しみじみ、情感こめて。こりゃあとんでもないところに嫁いできてしまったかと当時は思いました。

かし、いざその土地に慣れてしまえば楽しみはどこにでも転がっているものです。むしろ外から来た人間の方がそれを見つけるのは上手かもしれません。見るもの全てが新鮮だから。ずっとそこに住んでいた夫や義家族には何がそんなに楽しいのかよくわからないようです。

私が、未経験ながら、興味があるからと農業関係の仕事をしたときも、物好きな…という顔をされました。身近に農家さんがたくさんいて、生業としてそれをする大変さを知っているから素人が容易に手を出してはいけないというような気持ちでいるようでした。

それから何年もたち、私が飽きずに相も変わらず畑や手仕事を見よう見まねでやっていて義母さんや義婆ちゃんにあれこれ質問をしていると、だんだん私の仕事などを認めてくれるようになってきました。
(言葉ではないですけど、なんとなーく、態度で。たぶん)

昔ながらの技術や風習を「大変だけど守っていかなければいけないもの」と息も絶えだえに繋いでいくのか。「こんなに素敵なものが失われたらもったいない」と前向きに受け止めて学んでいくのか…。私は後者でありたいです。

今では、自分を知る人から「地元の人よりも新庄を楽しんでるよね」と言われるくらいです。

自分の好奇心を満たすのにここは最高の場所。この数年そう思えるまでになってきました。大変なことも今思えば全て必要な経験だったと思います。

今回はまず前置きとして想いなどをつらつら書いてみましたが、次回からはテーマごとに書いていければいいなと思います。山形に暮らそうとする人、暮らし始めた人の、私の記事は主に最上に暮らしはじめた人の、ひとつの道標になれればいいのですが。

書くに耐えない失敗エピソードなんかもあるのでこれを読む人は私と同じ轍を踏まれないように…(笑)

次回は私の家族のことなどをご紹介したいと思います♪

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この記事を書いた人

小嶋 可那子

平成19年に夫の故郷の新庄市での暮らしをスタートさせました。四世代同居で10人家族です。 最上伝承野菜のPRや、染め物を生業としながら、ときど...

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