こんにちは。山形県西川町地域おこし協力隊の中道達也です。

でも、こういう名乗り方をするのもあとわずかです。というのも、今年3月いっぱいで、のべ3年間の協力隊の任期を終えると同時に西川町も離れることになるからです。

ここで3年間、田舎で暮らしてみて思うことを書いてみたいと思います。

ところで、その前に。あまり「暮らしている」という実感もなかったので、「身を置いてみて」という言葉の方が適切ですね。来た当初、ずっとここで暮らしていこうなんてことはさらさら考えていなかったし、だから居られたのかもしれないとも思っています。だから、そんな僕に対して「お前のやっていることは、田舎暮らし体験の長期間バージョン」にすぎないという意見もあるかもしれませんし、自身のそういう”根なし草”的な立ち位置に対する負い目もずっとありました。

遡れば、僕が田舎に来た理由は、間違いなく幻想だったと思います。人があたたかく、人のつながりが濃い田舎という場所は、きっと素敵な場所にちがいない。僕を丸ごと受け止めてくれるにちがいない…。

でも、間もないうちに現実を突きつけられました。物事には全て二面性があります。人のつながりが濃いのはめんどくささの裏返しでもあるし、もっと言えば、個人主義や自由が横行する世の中だからこそ、その反動で「人のつながり」だったり、「絆」だったりというフレーズに注目が集まっているだけ。一個人の事例で言うと、ずっと家族と暮らしていて、息苦しいから一人暮らしを始めてみたら、すごくさびしくなって、家族が恋しくなっちゃうみたいな感じのことが社会全体の風潮としてあるということだと思うんです。

昔に戻ろう…みたいな動きもきっと同じ。資本主義が行き過ぎた現代社会を憂えるがゆえに、昔を美化して捉えてしまうのも一種の幻想なんだと思うんです。

でも、決して幻想を否定しているわけではなくって、幻想を抱けるから人は生きていけるのでしょうし、今目の前にある苦しい現実が、幻想によって救われることはあると思います。

ただ、幻想は過度な期待とも言い換えられる気もします。失望や落胆があるのは、その前に期待があるからです。そうは言っても、期待はしてしまうもの。そんな時に、「期待はしているけれど、もしかしたらこの期待っていうのは大きすぎるもので、現実になる可能性は極めて低いものだ」というような前提を頭の片隅にでも置いていれば、期待を裏切られた時のダメージは少なくて済むように思ったりもします。

作家の丸山健二氏が著書『田舎暮らしに殺されない法』の中で、”田舎暮らしへの幻想”の危うさをとくとくと説いておられます。そこまで言うかと思うようなところもありますが、確かに著者の主張は的を得ています。

結局、桃源郷と言われるような場所は現実世界には存在していないのかもしれませんね。きっと、ジャニーズだって、二次元の世界のキャラクターだって、手に届かないところにいるからいいのでしょうから。

妄想好きの僕は、ある意味自戒の念もこめて、この文章を書いてみました。

 

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この記事を書いた人

中道 達也

1987年生。高校卒業後、大学進学のため東京へ。大学時代、勉強をやる意義を全く見いだせず、留年。大学生活5年目の秋、旅をしたアジア(インドネ...

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