「子育てに追われていても、自分らしく働きたい!」

せわしない日々の中、内側にふつふつと湧き上がる情熱を発揮できる場所を探しているあなたへ。

地元・福岡を離れて何も知らない山形に嫁ぎ、新たに始めたのは体に優しいお菓子づくり……。今回の仕事図鑑は、子育てしながら自分らしい仕事を生み出し、“ママたちの働く場づくり”に邁進してきた森谷あかねさん。専業主婦から、事業を立ち上げるようになった道のりを聞きました。

 

今回のやまがたで働く人

企業組合スイーツキッチン 代表 森谷あかねさん

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天童市在住。福岡県久留米市生まれ。山形出身の夫と出会い、26歳で結婚・天童市にIターン。2003年に玄米クッキー・マドレーヌなどを手掛ける玄米おやつ工房mama’s を設立、2014年に企業組合スイーツキッチンとして法人化し、代表理事を務める。

 

「山形ってどこ?」の状態で、天童市のコメ農家に嫁ぐ

天童駅から西へ、車で10分ほど。一面に田畑が広がる天童市蔵増に、企業組合スイーツキッチンの加工場はある。

天童で暮らす主婦たちが働くスイーツキッチンは、山形県産の玄米や野菜・果物をたっぷり使った体に優しいお菓子作りを行っている。「自然の恵みを余すことなく活用し、栄養満点のおやつをたくさんの人に食べてもらいたい」。そんな願いととともに乾燥機に並べられたドライフルーツが、加工場にほのかな甘い匂いを漂わせる。

この場を立ち上げたのは、「自分らしく働きたい」と奮闘した子育て中のお母さんだった。

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スイーツキッチン代表の森谷さんは福岡県出身。彼女が天童に住んでいる理由は”夫がたまたま天童出身だったから”、だ。

山形に来る前は、『山形ってどの辺? 新潟の下くらい?』って感じだった(笑)。嫁ぐまでさくらんぼの産地ってイメージしかなかったし、知り合いも誰もいなかった

新卒で務めた地元・福岡の銀行は、4年ほどで辞めていた。何かに挑戦したいと思いながらアメリカの語学学校に1年留学したり、海外旅行したりしていた時期に、現在の夫と出会う。「私も田舎出身だから都会で暮らすのはそんな好きじゃないし、田舎に行くのもいいかなって」と、遠距離恋愛の末に直感で結婚を決めた。

自分がどんな仕事をするのか、どんな生活が始まるのか、何も知らないまま天童の農家ヘ飛び込んだのが26歳の時だった。

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夫の家業である有限会社ファームインビレッジは家族経営。コメの生産販売・作業受託などを行うライスセンターで、コメを生産するだけでなく、周囲の農家から玄米を買い取って精米し全国に発送する役目も担っている。インターネットでコメの販売を始めたばかりの当時、森谷さんは子育てをしながら受注の対応や販売管理を担当することになった。

少しずつできる仕事が増えていったものの、ネットからの受注はまだまだ少なく、森谷さんの「もっと自分のやりたいことに挑戦したい」精神がうずき始める。

「でも、もっと働きたいと思っても、子どもを見ながらできる仕事はなかなかなくて。子どもはすぐ具合悪くなるわ、保育園からしょっちゅう電話かかってきて呼び出されるわで、フルタイムは厳しい。2−3時間だけでも、余裕があるときだけでも自分の仕事ができたらいいなと思うんだけど、なかなかそんな場所はない。

じゃあ、場所がないならしょうがないので、自分で作ろう!と。私のような『子育て中だけど働きたい』という人が働きやすい会社を作っちゃえばいいなと思ったんです」

いつも自分のやりたいことに向かって突き進む森谷さんは、環境を理由に何かを諦めることはなかった。「ないなら自分で作る」。たまたま嫁いできた農業の町で、やりたいことを実現する計画が動き出した。

STEP1 自分にできることは?▶︎「今ある材料を生かした仕事」「お母さんたちがやりやすい仕事」

子育て中の今の自分に、どんな仕事ができるか。森谷さんがまず思いついたのは「自家産の無農薬玄米の米粉を使った加工品を作る」というもの。当時流行り始めていた「米粉パン」に着想を得てのことだった。

「米粉を使うものだったら、自宅がライスセンターであることを存分に生かせる。栄養価が高くて人気があった玄米もちょうど倉庫にたくさん保管されてて、有効活用できるなと。

それからお母さんたちが働くっていう意味でも、販売店員みたいに働く時間に制約がある仕事ではなくて、加工業だったら割と自由に時間を使えそうだなと思ったんです。自分たちの子どもにも、自分で作った栄養満点の安心なお菓子を届けられるしね」

そんなアイデアを言葉にしていくうちに、「フルタイムの勤務は無理だけど、何か仕事がしたい」という同じ悩みを持つ料理好きなママ友とも意気投合。仲間を増やしながら、本格的に加工品作りに取り組み始めることになった。

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この頃一緒に活動を始めたメンバーの中には、今でも共に菓子製造に取り組む仲間がいる。

今、スイーツキッチンで働いているのは森谷さん以外に6人。勤務はフレックス制で、子どもを朝幼稚園に送り届けてから余裕を持って出勤でき、子どもが体調を崩したらすぐに迎えに行ったり、仕事を休んだりすることも可能だ。同じ“母親”という立場だからこそ、互いに気遣えることや共有できる働き方の悩みもあるのだろう。

周りを巻き込んで仲間を集める行動力がすばらしいですね、と問いかけると、森谷さんはこう話した。

仲間を集めたっていうわけでもなくて、いかに働き方に困ってる人がいっぱいいたかってことなんです。自分がそんな境遇だったからこそ、同じような人のためにと思って立ち上げられたんだと思う」

 

STEP 2 「できること」を「仕事」にするには?▶︎売れる商品を徹底的に研究

アイデアが少しずつ具体化する中、商品作りの研究が始まった。

「流行っていた米粉パンを見ながら、うちでも何か加工品ができないかなと思って製粉しながらやってみた。でも、米粉って膨らまないという性質があって、パンを作るにはグルテンとか添加物を入れなきゃいけないんだよね。

でも、クッキーなら膨らませなくてもいいんじゃない?すぐに作れるんじゃない?って、米粉クッキーを作ったのが一番最初です」

しかし実は森谷さん、「お菓子なんて作ったこともなかった」そう

地域でよく作られる米粉のお菓子といえば、くじらもちなどの和菓子。洋菓子の作り方を教えてくれる相手がいるわけでもなく、森谷さんは本やインターネットを使っていくつもレシピを調べ、ひたすら手を動かし、独学でお菓子作りを学んでいったという。森谷さんが勤務する作業所には、レシピ本が何冊も並んでいる。

「小さい子どもを寝かせて、夜12時くらいからひたすらクッキー作ってたの。もともと材料がコメだから梅干しとか和系の食材も合うかなと思って入れたんだけど、不評だったね……。一回納豆クッキー作ったときは”超やばい匂い”がして(笑)。もう二度と作るなって言われちゃった」

お菓子作りの研究とともに、全く使い方を知らなかったというワードやエクセル、メールも勉強を重ねた。

「もともと何も知らなかったけど、クッキー研究は楽しかったから、大変だとかきついとかあんまり関係なかったんだよね。時間忘れてやってた。

自分でアイデアを出してそれが製品になって、外に売り出されていくっていうことが、儲かる儲からないは別にしてすごく面白かった

ある程度試作品が作れるようになると、家の外の評判も伺うようになった。まずは、近所の人たちに。そして、お米を購入してくれるお客さんにも。

「お客さんに、『感想を聞かせてください』ってプレゼントしていたの。そうしたら、しだいに『これ売ってくれませんか?』って言われるようになって。そうか、売れるものなのか!と思ったね」

着実に売れるという実感を積み重ねながら、2003年、子どもに優しいスイーツを作る団体「玄米おやつ工房mama’s」をママ仲間と共に立ち上げた。

 

STEP 3 活動を続けるには?▶︎時機を待ち、事業を拡大

仲間とともにスイーツの製造を進めていた森谷さん。ただ、つねに自由に自分の時間を使えたわけではなかった。二人の子の親として子育てにかかりきりという時期もあったという。

「仕事のことも、家庭のこともほぼ自分でやっていて。どうにもならないときは、同居していた祖母に子どもを見てもらったこともありました。

子どもが小学校に入るとスポ少(スポーツ少年団)でまた忙しくなって、仕事できる余裕はどんどん減っていってた。でも忙しいときは新しいことをやらないで、できることを細く長くやろうと思ってました。10年ぐらいひっそりひっそり温めていて、二人の子どもが中学・高校に入るタイミングでやっと、団体を法人化したんです

無理なく仕事を継続するためには、業務量を減らすことや子育てを優先することも時には必要なのかもしれない。余裕ができるタイミングを待って、森谷さんは2014年に『企業組合スイーツキッチン』を設立。同年には新加工場を建てて作業環境を整え、その後山形や天童に実店舗を持つなど事業を拡大してきた。

活動の幅を広げながら近年特に力を入れているのは、食べられるのに廃棄処分になってしまう果物の加工。

天童市ではラ・フランス(洋梨)、さくらんぼを始めとして果物の生産が盛んだが、商品として売るための基準は厳しく、少し傷がついただけで廃棄になってしまう。

スイーツキッチン4▲商品にならない傷の付いたリンゴ。加工すればおいしく味わうことができる

まだ食べられそうな果物が畑に転がってたり、捨てられていたり。果物を余るほど生産しているこの辺りの農家さんにとっては当たり前の光景なのかもしれないけれど、私なんか福岡から来たから、山形の人はぜいたくだ、もったいない!ってずっと思ってて(笑)。でも、農家の人たちは生産するだけで精一杯で、果物を使って何かを作る時間はないんですよね」

たとえ廃棄することを「もったいない」と感じていても、農家自身は果樹の生産で忙しく、農閑期の加工作業のためだけに数百万の加工設備を整えることもできない。加工受託を行う作業場はジュースを生産する会社があるくらいで、周囲にほとんどなかった。

ここでもまた、森谷さんの「自分がやるしかない!」精神に火が付く。

「それ捨てるんですよね?もらえますか?」と聞いて回り、捨てられそうな果物を集め、ジャムやスイーツへの加工に挑戦。少々傷がついていてももちろん味のよさは変わらず、加工することで”売れる商品”に蘇らせた。

IMG_9379見た目にも美しいドライフルーツイチジク、リンゴ、カキなどを丁寧に袋詰め。

これらの商品は、森谷さんの姉が運営する福岡県久留米市のカフェ「玄米工房sweetsある」でも販売している。山形の農家が生み出したおいしさが、点と点を線で結びながら、遠く離れた九州にも広がっているのだ。

今後はさらに加工品を販売する場所を広げようと、イベントなどでキッチンカーでの販売に取り組んでいるという。

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子育てもそろそろ一段落。森谷さんのチャレンジは続く

今では森谷さんの農産物加工の噂を聞きつけてか、売り物にならない果物が作業所の前にどさっと置かれていることもしばしば。

「知らないうちに農家さんが置いてくんだよね。それを、加工品にして返してあげるとすごく喜ばれるんです。

私には農業をすることはできないから、できるところは農家さんと販売をつなぐところなんだろうなと思う。消費者の立場も農家さんの立場も分かっている私が間に立って、農産物を商品に変えることで、みんなに喜んでもらえる。誰かの役に立っているっていうのが、すごく嬉しい

働く喜びを感じながら、充実した毎日を送る森谷さん。温めている事業のアイデアはまだまだたくさんあり、とどまるところを知らない。

「子ども二人もそろそろ巣立つので寂しくなる。でも、仕事はまだまだこれからだね。

加工の仕事は70歳、80歳になってもできるから、朝早くからお茶飲みがてらみんなでやろうかなって話してるの。なんだかもう終活に入ってるかもしれないね(笑)」

自分のやってみたい!楽しい!という気持ちを大切にしながら、一歩一歩着実に歩みを進めてきた森谷さん。きっとその過程には大変なこともつらいこともあったはずですが、森谷さんの口から出てきたのはポジティブな言葉ばかりでした。
専門知識ゼロからでも、仕事を作り上げることはできる。誰にも負けない特技がなくても、自分の興味や、ふと思い浮かんだ違和感や疑問を前向きに深掘りしていくことが、自分らしく働くことにつながるのかもしれません。

 

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