〇冬の訪れ

 

今年は紅葉を楽しむ余裕がありました。

小雪の前に初雪が降り昨年のようにそのまま根雪になるのかと思っていましたが、それは杞憂に終わり、落ち葉の絨毯があちらこちらに。

最上の冬は、風もなく生き物の声も途絶え、とても静かです。雪が降り積もるとき、しんしんと音はなく。歩く人の足音や痕跡さえも消してしまう。まさに静謐。

日照時間が少なく空がいつも白いので雪に埋もれた平地も白ければ地平線の境界が曖昧で雪の降る中、その中にぽつんと佇んでいると自分がどこにいるのかわからなくなりそうになります。 まもなく、そんな本当の冬がやってきます。

 

〇四世代同居での暮らし

 

今回は私の家族についてちょっと書こうと思います。

結婚したときには夫とたった二人きりだった私ですが現在は10人家族の主婦として生活しています。子供が産まれる以前には全く想像もしていなかった暮らしです。

家族構成は私と夫(30代)義母さんと義父さん(60代)義婆ちゃん(80代)子供たち(5人:0歳~8歳)です。今回はメインに義家族をご紹介しようかと。

義父母、義婆ちゃんともに3人とも生まれながらの最上(もがみ)人。 もちろんバリっと最上なまりなので、嫁に来た当初は会話の中で何度、言葉を聞き返したかわかりません。

たとえば食卓での家族の会話。

「あー、つんけさみなや」(背筋が寒い)
「ゆぎふんながじゅ」(雪降るかもね)
「三女、おとげさごはんつぶついったで」(三女、あごにご飯粒ついてる)
「ほんてだ」(本当だ)

自分の地元の山形弁と似た言葉もあるのでそれでも何とか理解できますが、これが山形以外のところからお嫁に来た人だったりしたら何の呪文かと思う気持ちもすっごくわかります。

でも、いつしか言葉は慣れました。たぶん半年くらいで日常会話は全く問題なくなりました。たまーに、初めて聞く方言が飛び出したりしますけど。最近ではもう、まだ知らない単語を聞くと嬉々として聞き返してしまいます。方言一覧みたいなのが作れたらおもしろそうですね。

また、こちらの地域の人は言い方がキツかったり早口だったりするのですが性格がうんぬんではなく地域性だったりするみたいです。うちは義父さんが、お隣の鮭川村出身なのですが、早口でたまに聞き取れないことがあります。新庄弁とも、また少し違います。

我が家の場合、義婆ちゃんと義母さんは実の親子でこちらが生粋の新庄人です。(義父さんは婿) 義婆ちゃんの子供の頃の話なんかを聞くとおもしろいです。もちろん戦争も経験しています。年配の人と戦争の話をしたりすると地域によってその印象も全く変わります。田舎の方にはそれほど影響がなく淡々と生活するだけだったという話もあり本などで読むような一様に悲惨な時代だったということもないようです。

今では考えられないつらい体験もあったでしょうが、「食べ物には別に困らなかった」そうです。田んぼと畑があるだけでも違いますよね。納得。農がそばにあるのって大事。でも、かぼちゃとお芋はあまり好きではないようです。なぜなら戦時中はそればかり食べていたからだそうで。食べ過ぎて見たくないそうです。なるほど。

義婆ちゃんが元気なうちに昔の話をいっぱい聞いておかないとと常々思っています。私は自分の祖父母がみんな他界しているので昔の話を聞かせてくれる相手はもはや義婆ちゃんくらいなのです。もっと自分の祖父母と話をしておけばよかったなあと今更ながらに後悔してたりします。身内だと、改めて昔話をするのは逆に気恥ずかしかったりするものですけれど。

義婆ちゃんの夫、つまり夫のおじいさんは義母さんが高校生のときに亡くなっています。夫はおじいさんの顔を遺影でしか知らず義母さんは実の父が亡くなった年齢を今ではとっくに超えています。(私には全く未知の心境) 義婆ちゃんと義母さんは母一人、子一人で生活してきているのでその絆は普通の親子の比じゃないです。昔ながらの風習をきっちり守るのもそういう背景があるからなのかなと思ったりします。

義父さんはクラシックカーマニアで、仕事をリタイアしてからはずーっと、暇さえあれば趣味の車いじりをしています。義父さんはかつて整備工場を立ち上げ現在は夫がそこを受け継いでいます。

家計を支えるのは自営業の夫と自由業(?)の私。夫婦二人で家族10人を、というと相当のお金が必要かとびっくりされるかもしれませんが、都会の人が聞けばきっとびっくりするほどの定収入で家族は生活しています。田舎生活マジック。地価が安いのと食べ物が豊富にあることで、収入が高くなくとも支出をおさえた生活ができるので、そのたりは詳しくきちんとテーマをもうけたときに書きたいと思います。

義父さんの趣味はちゃっかり夫に受け継がれ、雪国にはよくある総二階の住宅なので家の1階部分はほとんど車庫となり車がひしめき合ってます。(さらに古い車庫と、作業場兼の新しい車庫まである)趣味が仕事になっているんだからすごいですけど。

私には二人の間を飛び交う専門用語こそ呪文にしか聞こえません。通常マイカーの維持費はバカにならないので、ガソリンや税金はともかく車にお金がかからないのは助かります。技術職っていうのは強いですよね。

地方で暮らしていると学歴やキャリアなんてのはどうでもよく、何か一つでも”手に技術を持っている”というのがいかに尊いかしみじみ実感することがあります。学歴や資格なんてただの履歴書を埋める文字の羅列。私は運転免許しか持ってませんがそれで十分です。山形は免許と車、これはないと不便かもですね。もちろん、なくとも楽しく生活している人はたくさんいます。

我が家では長女がお菓子作りにハマっていて「将来パティシエになる!」なんてかわいいことを言ってるのですが、基本的に我が家の三姉妹はお料理が好きです。もしそれがいずれ職業でもなるのだったら願ってもないことだと思います。

料理は生きる基本。あまりに生活に密着しすぎていて、それを仕事にするのに逆に難しさが伴うこともあるのでしょうが、私はおいしいものを作れる人を無条件に尊敬してしまいます。

子供たちとの空想話を一つ。家族がそれぞれ別の技術を身につけたら、たとえ無人島でも生活できちゃうよね、と遊び半分で会話したことがあります。

確かそのときに子供の口から出た職業は…。

①大工さん(家をつくる)
②農家さん(食べ物をつくる)
③縫い物をする人(衣服をつくる)
④家電製品を修理する人(文明社会にも対応)
⑤美容師さん(身だしなみも完璧)
⑥お医者さん(それはさすがに無理なんじゃ。。)

①~③で一応、衣食住に対応してますね。

そもそも農家さんとかをひとくくりにするのも乱暴ですが、子供たちの貧困な想像力なのでご容赦を。

家電製品は、100年くらい前ならばないのが当たり前だったかもしれませんが、現代っ子にとっては、それが存在しない生活を想像するのは不可能でしょう。

内容が現実的かどうかはともかく、子供たちとこういう話をしてみるとなかなかおもしろいです。もちろん、こんな話に縛られず、子供たちは自由に未来を描いてほしいです

私自身は特に職業にこだわりはなく、家族の手がまわらないところを補えるような役割を担えればいいかなと思っています。

我が家は夫と義父さんが整備工ということで、各種工具が揃っており簡単な家電修理や大工仕事もやります。義母さんが洋裁を生業としていて、義婆ちゃんが和裁などもできます。生け花やお茶も習得しているとか。どこに行ってもけっこう文化的な生活が送れそうです。(無人島では車はいらなそうだけど、工具や知識はいろんなことに使えそう)

現に、我が家の玄関などは義婆ちゃんの手によって、季節の花々で彩られ、外に出るたびにちょっとほっこりできます。

私は、自分にしかない技術なんて持ってないので、家族にお料理を作って、誰かが疲れたらマッサージでもしてあげるくらいしかなさそうです。世の中にすばらしい職業は数あれど結局はそれが家族の喜ぶことのような気が。

まあ、家事そのものも365日ちゃんとやってるわけでもありませんし、私の場合、現在は双子の夜泣きで朝の準備がズレこんだりすれば、夫に助けてもらうことも多々あります。家族の役割は臨機応変に。

地方には、生活に直結したお仕事が多いのだと思います。そもそも大企業が少ないということもありますが、身近に何かモノがあったら、それを作った人の顔が見えることが多い。農産物も工芸品も。

仕事は生きる術であるので、夫みたいに趣味が仕事になる例は珍しいのかもしれません。家を継がねばとその家の長男はたいてい思っていて、親が働くその姿をみて、憧れを抱ける人は幸運です。

その重圧に堪えかねて家を出るなんていうのもよくある話。

私もいずれ夫の仕事を手伝うことになりそうですが、過疎の進む地域で、現在のお得意さんたちであるお年寄りの人たちが車を手放したらこの商売どうなっちゃうのと夫と今から話したりもします。少子高齢化はけっこう身近な問題です。

でも、仕事は楽しくやりたいものですね。家族みんなが笑っていられれば、低収入でもいいや。

私は収入が多いことより家族の時間が多いことを選びます。子供が5人もいるのでホントはそれではイカンような気もしますが…。(子供が進学する頃にお金がなくて泣いてるかもしれません)

現代の「生きる」というレベルがどの程度の文明的な生活をいうのか、個々の価値観によって大きく違います。

先にあげたような衣食住の技術を家族の誰かが習得していれば、それが同じ生計をともにする家族なら、もうそれだけでサイクルが生まれ、生活が成り立ってしまいますね。

暮らしの豊かさの基準をときどき家族と再確認してみるのもよいかと。自分にも言い聞かせながら生活しています。

これを読んでいる「山形に住みたい」と考えている人は山形のどんな生活をイメージしているでしょうか。

昔の田舎のような生活に憧れて山形に移住したいと考える人がこれを読んだとして、我が家の生活は参考になるかはわかりませんが、もしそこで骨を埋めるまで住みたいと思うのなら、どういう生活をしたいのか常に具体的に家族と話すといいと思います。(一人なら自由に描けるから、わくわくしかないかもしれませんね。うーん、いいですねえ!)

我が家のように子育てがメインになってきたり、介護が現実的になってきたりすると、いろいろと軌道修正も必要になってきます。

私も古民家ライフのような暮らしに憧れたし、昔の百姓のようになりたいと、これはずっと思っていますが、全てが家族との兼ね合いなので、どれが正解という答えは持てないでいます。

住居ひとつをとってみても、念願の古民家を購入したとして、たとえば汲み取り式のトイレだったりするとけっこう大変ですよね。

自分は全然オッケー!と思っても、家族に足腰の弱くなっていくお年寄りがいるとしたら和式トイレはだんだんつらくなっていくでしょうし、オムツがとれたての子供を一人でトイレにいかせたら、落ちるんじゃないかと気が気じゃありません。自分自身が幼少期に住んでいた家は汲取式のトイレでした。自分は落ちませんけど、ポケットのものを落としたりということはあります。同じ世代の人とはそういう話を共有できるかも。

これから古民家を手に入れたい人も、そこらへんは現代住宅のいいとこ取りをできると実際に長く暮らしていけると思います。

我が家は四世代同居なので自分や夫の理想だけで暮らしを完結させるわけにはいきません。

私の場合は嫁の何たるかにもピンときていない10年前に結婚と同時に家を建て、ローンがスタートし、しかもその後子供が5人も生まれるとは思わなかったので、今後、長女あたりが「自分の部屋がほしい」なんて言い出したらどうしようと今から頭を悩ませるハメになっています。言いますよね、いずれ必ず。

どんな場所に暮らしたとしても思い通りにいくことなんてまずないので、何事も、そのときがきたら考えるくらいでいいのでしょうね。

なので、とにかく楽しさや想い優先で、あとは私たちのように実際に暮らしてきた人の話を聞けばいい。ネガティブな意見も参考になることが多いので、今回はわりと慎重な話題が多かったかも。次はもっと楽しいこと書こう。

まず家をどーんと建てて満を持して移住してくる人の話も聞きますが、これはかなり勇気がいる決断だと思います。まず住んでみないとわからないことが多すぎて。地域によって千差万別すぎて、山形だからこう、といった法則みたいなものがあるわけでもありません。Uターンのおためし期間みたいな機会を持てるならそういうのを利用してみるのがきっと一番ですね。この未来Labのサイトにもうってつけの新しいサービスが登場したようです。

ワーキングホリデープログラム
https://mirailab.info/archives/workingholiday/

結婚前なら利用してみたかった(笑)

とまあ、いざ住んでみる前にはいろんな心配をするけれど、結局のところ何とかなるというか、なるようにしかならないというか。

この家で生まれ育った子供たちなどは、生粋の新庄人として、日々すくすく育っています。

 

↑年の差80歳!

写真は5月のものです。笹まきを作る義婆ちゃんの様子を見つめる三女。お手伝い(邪魔ともいう)をするのが大好き。

義婆ちゃんは40年くらい前には、実の娘である義母さんとたった二人でこの場所に暮らしていたわけですが、その後、義父さんが婿に入り、夫とそのお姉ちゃんが生まれ暮らし、その後に新しい家がたち、私、子供たちと家族が増え…。

単純に2人が10人に増えただけではなく、暮らしのルーツがそこにあるというのはなんともいえない安心感があります。来し方、行く末が明確で足元がしっかりしている。

うちは農家や職人ではないけれど、自分が何代目、ということを誇りにするような人の心境が最近わかるようになってきました。

私は最初からこの家を守りたいと思って同居したわけじゃないし、田舎の味を守りたいと思って普段から料理してるわけじゃありません。しかし子供がだんだん大きくなってきてその家の中での存在感が大きくなってくると、自分の存在意義も自然と何となくできてくるような気がします。子供を介して自分もパズルのピースの一つになっているような。私は繋ぐ役目なんですよね。

義母さんや義婆ちゃんが作る料理をそのまま作るのも地域の作物の旬などに見事に合致しているからだし(まさに生活の知恵)だと調味料なども必要以上に揃えなくていいからシンプルで楽だし理にかなってるなーと思うんですよね。

私も大黒柱となれば仕事の比重が大きくなるし、家事に手が回らなくなることも出てくるかも。そのときに子供たちがおばあちゃんの料理大好きだと助かるし(笑)

繋ぐ役っていうとあまり光の当たらないつまらない役に見えるかもしれませんが、それがなければ何も産まれることはなかった重要な役割。

仏壇の義爺さんの遺影と私の長男が何となく似ていて、かたや義父さんと次男(長男とは二卵性の双子)が似ていたりして。双子といえどルーツの違いを感じます。

義爺ちゃんは確か40代でこの世を去り、(遺影ではフサフサです)義父さんは、てっぺんが照り返して早30年。。我が家の双子は、さあどうなるでしょうか。

義父さんは気難しいところがあるのですが(The・昔かたぎの頑固者)5人の子供たちは少々邪険にされても全く気後れすることありません。

お風呂から着替えもせずに飛び出してくるのを怒鳴られてもぎゃははーと笑って逃げていきます。

長女や次女は小学生になっても義父さんの膝に乗ってお絵かきしたりしています。生まれたときから一緒だと本当に距離が近い。怒られてもめげない、笑うときはとことん笑う。他人として入ってきた私には、最初からはなかなかできなかったことです。

次女は週末は義母さんと寝ます。仕事で三女を預けたりすると義婆ちゃんとお昼寝したりするようです。

これだけ世代がバラバラだと一日の中で家族が一堂に会すのはお風呂のあとくらいしかありませんが、突然、子供たちが義父さんのキラキラした頭をなでたりすると後ろを向いて笑いをこらえるしかないです。そういうこと、不意にやるんですよねぇ、子供って。

私もいろいろ頑張れそう、と思えます。先のことはわからないのはどんな生活をしていても同じですが、「今」に向き合って生活しているという実感が持てるのです。

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この記事を書いた人

小嶋 可那子

平成19年に夫の故郷の新庄市での暮らしをスタートさせました。四世代同居で10人家族です。 最上伝承野菜のPRや、染め物を生業としながら、ときど...

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