○山形のお正月

 

あけましておめでとうございます。

新庄市は例年の期待を裏切らず雪の多いお正月でした。

年越し準備は毎度のことですが

今年は自分が育てた黒五葉(伝承野菜の黒豆)で

黒豆煮を作りました。

自分が育てたものを家族に食べてもらうというのは

何ともいえず気持ちがほっこりしますね。

年末年始休みは家族だけで誰一人欠けることなく

ゆっくり過ごすことができました。

私が引いたおみくじは大吉でした。

子供たちに、ズルイ!って言われました。。

 

今回の冬は何だか秋から冬までが長く感じました。

例年より本格的な積雪が遅かったからかもしれません。

現在はそれを取り戻すように毎日どかどかと降っていますが。

早起きの苦手な夫が、この時期だけは目覚ましで起きて

暗いうちから除雪作業をしています。

きれいに車庫の前の雪を片付けた直後に

除雪車が、もはや氷の塊になった雪をまた置いていく、

そんな光景が風物詩となる季節となりました。

それを片付けた後、さらに屋根から大量の雪が落ちてきたりも日常。

 

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私は県内から嫁ぎましたが

それでもこの雪の量の違いにはびっくりしました。

最初の年、軒下に車を置いておいたら

屋根から落ちてきた雪で車の天井がべっこり凹みました。

次の年、空き家になっていたお隣の家の

雪下ろしをする人がいなくなり

その年のうちに、家はあっさり雪の重みで倒壊しました。

雪に隠れた縁石に車をぶつけたり

はるか雪の下に埋もれた野菜の発掘作業をすることになったり

あげればキリがない。

でも雪が多いからこそ、土地に住む人の雪への対策は半端ではなく。

まず、除雪車が小道まで来てくれます。

地元の山形市では車通りが少ない道には除雪は入らなかったので

雪道は轍のトラップだらけで冬の運転が恐ろしかったです。

新庄市ではどの道も平らなことに感動しました。

市町村の除雪のレベルは雪の多さに比例するようで

さらに豪雪地帯の村などは

除雪あとの道の整然とした佇まいで

観光客が呼べるんじゃないかと思うほどです。

もうひとつ感動するのが、流雪溝。

一般家庭で除雪した雪を捨てる溝があります。

雪を放り込めば水と一緒にどんどん流れます。

地元では雪は捨てるものではなく寄せるもので、

日当たりのいい場所に積み上げたり

子供の頃はやかんにお湯をためて溶かしてみたりしたことも。

あまり効果がない上に、あとで凍結して危険なんですけどね。

でもおもしろかったなぁ。

増えるばかりの雪はイライラを募らせるものでしたが

こちらでは、捨てれば捨てるほど減るので、

きれいになったときは気持ちいいです。またすぐ積もるけど。

山形市の実家では「雪かき」と言い、

新庄の家では「雪投げ」と言い、

(雪合戦するの? とたまに言われます)

雪のあまりない地域では「雪はき」と言ったりするそうです。

はくほどしかないというのは羨ましい。

一般的に、言い方は「雪かき」だと思いますが、

全国的にいろんなバリエーションがあるので、

調べてみるのも面白いと思います。

山形市と新庄市どちらにも住んでみた感想としてあるのが、

山形市は中途半端な雪国で思わぬ不便さを感じたりもするので

どちらが楽とかではないということでした。

新庄ではみんなが雪道運転に慣れているので

道路の渋滞などは、さほどでもないです。その秩序は見事なものです。

 

我が家は家の裏が空き地になっているので

除雪機で雪を飛ばし、家の高さくらいの雪山が毎年できます。

子供たちは大喜びです。

今年も、いったい春までにどれほど積もるのか。。

やっぱり雪は少ないに越したことはないので、

お手柔らかにお願いしたいものです。

 

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景色は白一色に染まっても、その下では生き物たちが

じっと春の準備をしています。

草木をよく観察してみると、すでに若芽や蕾が見えるものたちもいます。

こういうものが目に入るようになったのも

緑に囲まれた現在の生活があってこそですね。

 

○おせち料理

 

私の住んでいる家では、年越しにまつわるいろいろを

わりとしっかりやる方だと思います。

義母さんは12月に入るとまめにあちこち掃除をしていますし、

年末休みに入ると、おせちの材料もほとんど揃っています。

一番背の高い夫が神棚の掃除をし、

30日には餅をついて鏡餅を大量生産、

大晦日の午後にはすべての料理を作り終え、花を飾り、

鏡餅を各所に置きます。

鏡餅は台所や車、机など、普段使う場所にも置きます。

床の間と神棚と仏壇にお膳とお神酒をあげ、

家族全員でお参りをします。

一連の作業は忙しいしわずらわしいこともありますが、

みんなでやっていると連帯感みたいなものが出てきます。

ナチュラルハイになってきます。

我が家のように「大変で来年はもうやりたくない」といいつつも

毎年ちゃんとお節を作るような家の人は、結局楽しんでると思います。

義母さんも義婆ちゃんも、

めんどくせなあ、これで最後だぁ、と言いながら

来年も絶対にちゃんとやるんです。

家族が健康でいつものお正月を迎えられるのが

ひそかに一番贅沢なことなのでしょうね。

 

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我が家のおせち料理は、お重に色とりどり詰めるようなものではなく

色も地味な昔ながらのものばかりです。

仏壇には生臭ものをあげない(でも神棚にはよい)など

ルールがあります。

宗教的な習わしからくるものもありますが、

単に昔からずっとそうだったから、というだけ。

お義婆ちゃんにさえ理由のわからない風習も多々あるようです。

いわれのあることにはきっとワケがあって、

本当はその理由も知りたいけれど、それがかなわないのなら

せめてその風習を守りたいなあと最近は思います。

同居した当初はわずらわしく思ったこともありますよ。

でも私たちの代が繋いでいかなければ

永遠になくなってしまうだなんて、もったいなさすぎる!

一度失ったら、決して取り戻すことはできないんです。

その損失の方がずっと大きい。

なので、可能な限り風習は守っていきたいです。

我が子たちがそれを受け継ぐかどうかは別問題。

彼らのうち誰かの琴線に触れることがあれば、各自で守っていけばいい。

さて。ここまで整ったらあとは食べるだけです。

この地域が全部そうではないですが、

我が家では大晦日のうちからおせち料理を食べます。

夕方になったら作ったものをずらりと並べて

酒盛りしながら家族だけでのんびりします。

締めのような感じで年越しそばが出てきます。

紅白歌合戦が始まるころに食べ終わり、片づけができれば完璧。

この年は段取りよくできたなあ、と義母さんたちと笑います。

来客があったりして、終わらない年もあります。臨機応変です。

あとはいったんお開きにして、まだ食べたい人は

つまみながらコタツでごろごろテレビを見たりして過ごします。

年明けはおせちを小出しに食べていき、

早々に飽きた人は各自食べたいものを食べる、と。

子供たちは、待ちに待ったお年玉をもらったりして狂喜乱舞です。

つい最近まで自分ももらう側だった気がしますが、

もらえなくなった期間のほうが長くなりつつあり

月日がたつのが早すぎることに愕然としたりします(笑)

結婚してすぐ自分がお年玉をあげる側になったわけですが

今思うと20代前半だった自分が

お隣の中学生の子にお年玉をあげていたなんて

よく考えると小生意気だったよなあと思ってみたり。

でも田舎の人はけっこうそういうやりとりを大切にしてますね。

会うからやりとりをする、ではなく、やりとりをするから会うわけで。

そうやって縁が深まっていくんですね。

最初からウマがあって親友のようになれる関係も魅力的ですけど、

とりあえずクラスメイトで顔見知りで別に興味なかったけど

話してみたら案外面白かった、みたいな繋がりが

今の暮らしには多い気がします。

 

まただらだらと長文になりそうなのでこのへんで。

先月までは、季節の移ろいが早くて

次の記事までに時事ネタがたくさんあったのですが

冬はペースが緩やかです。何を書こうかなあ。

ではまた次回!

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この記事を書いた人

小嶋 可那子

平成19年に夫の故郷の新庄市での暮らしをスタートさせました。四世代同居で10人家族です。 最上伝承野菜のPRや、染め物を生業としながら、ときど...

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