新年あけましておめでとうございます。

2014年。Aviciiばかり聴いてる協力隊ラストイヤーのヌリです。

月一更新のブログも四回目です。(残り2回か!?)

 

これまで、川西町でのエピソードをご紹介してきました。

そろそろ、作り話も飽きてきたという方…。

これは真実の物語でございます。

 

物は試しに「地域おこし協力隊」に応募してみてはいかがですか?

川西町も募集している模様です。

https://www.town.kawanishi.yamagata.jp/machidukuri/kyouryokutai.html

(川西町役場 地域おこし協力隊募集リンク)

 

19日にはビッグサイトで説明会もあるようです。

6日から募集開始しているので、元のサイトにも情報を載せた方がいいような…

と、思う僕は元サイトをリンクします。

http://www.iju-join.jp/chiikiokoshi/index.html

(地域おこし協力隊サイト 移住・交流推進機構)

 

僕は気づきました。川西>置賜>山形>東北では、自分の事を「僕」と呼ぶ人は少ないことを…。

 

数々の現場を調査し、分析したヌリリサーチによると、

どうやら、自分の事を「僕」と呼ぶ人は…

「東京のいいとこのおぼっちゃん」に該当するようです。

 

インタビューや取材などでも、自分の事を「僕」と言ってしまいますが、

「わたし」「わたくし」だとカタいし、キャラじゃないかなと思い、キョリ感がちょうどいいのが「僕」のつもりなんですが…。

 

こういう違いがあるにせよ、違いなんてあって当然で、そのほうがおもしろいってもんよ。

 

おっ、きた‼寅さん風な言い方。

突然ながら、こういう東京下町気質と呼ばれる世界観は、置賜ではウケないと勝手に思ってます。

 

そりゃ、場所も違えば、人も違うと言われればそれまでですが、こういうキャラは結構好きなんですよね。

 

「男はつらいよ」「菊次郎とさき」「ニッポン無責任時代」などなど、昔の家族ドラマやコメディーはおもしろいですね。

 

寅さんなんか、大都市東京でひしめきあって生活していて、しょっちゅう隣の家とイザコザを起こしてますが、それでも何かと仲がいいとか。

「下町の近所づきあいとは何だ?」というモデルを映画やドラマで共有できる楽しさがあると思います。

 

まあ、実際、近所に寅さんとか菊次郎がいたら大変なんですが…。でも、あくまでもドラマですからね。特に菊次郎は言葉使いが荒いのですが、それがまた、おもしろいのです。

 

ドラマの中で、菊次郎は泥酔して毎晩帰ってきて、外で声がすると、食事中の家族は「早く食べちゃえ」とか「隠れろ‼」とか言って臨戦態勢に入ります。

そこで、菊次郎がふすまを壊すくらいの勢いで開け「おう!今帰ったぞ!」と言い、家族は無言でいます。

その様子が気に入らない菊次郎は「一家の大黒柱がけえって(帰って)きたっつーのに、あいさつのひとつもねーのか!」なんて言います。

そして、さき(菊次郎の妻)が「たいした稼ぎもないくせに、毎晩飲んで帰ってくる旦那になんか言うこたぁないよ‼少しはまともに…」と言い。

「何だと‼!」と怒る菊次郎。定番のさきとのバトルがはじまります。

家中がめちゃくちゃになり、そこで、仲裁に入るおばあさん(菊次郎の母)。「さきさん、こんなどうしょもない人間で迷惑かけるねえ」と一言。

そして、決め台詞のように菊次郎がおばあさんに言います。「おっ!ババア!まだ生きてやがったか!」これにてシーンが完結します。

 

どうでしょう?笑えないレベルですか?(笑)

最後の菊次郎の台詞なんて、家族団らんの席でテレビを見ていたら、おばあさんが卒倒するかもしれません。

 

僕が川西町で暮らして感じることは、家族観が違うということです。世帯同居は普通ですし、お年寄りを大事にしようとか、地域全体で素直で健康な子供を育てようとか、そういう雰囲気があります。

その中で育つ子供や、お年寄りは、やっぱり和を大切にするんだなと実感します。

だから、わかっちゃいるけど露骨なこういうドタバタは置賜ではウケないと思うのです。

 

もちろんドラマなので、東京下町が実際にこうであるわけではなく、下町気質というか、ただ、素直に表現するのが気恥ずかしく、カッコ悪いと思ってしまうのでしょう。

そこに共感できるのです。

 

僕の記憶が定かなら、菊次郎は母親が亡くなると落ち込んで別人のようになってしまうし、「たけしはさきさんが亡くなった時、テレビの前でわんわん泣いてたんだよ」と、僕の母とおばあさんがリアルに教えてくれました(笑)

 

あれだけ、冗談ばかり言っていた「たけし」が泣いてしまうと聞いて僕は驚きました。そして、こういう出来事を見て、「あゝ、東京ってのも独特な家族観があるもんだなあ」なんて思うわけです。

 

まあ、僕の思い込みではありますが…。川西の人と話して、そんなことを感じてみたりなんかして。

 

で、何の話でしたっけ?

 

ああ、家族の話だ!

 

<任期終了間近にやってくる、あの季節…>

2011年の初夏。僕は埼玉県川口市から山形県川西町に、ある日、突然やってまいりました。

 

川西で最初に住んだ地区である吉島では、近隣の方々が物珍しいからか!?色々と親切にしていただきました。中でも、山形では超メジャーな名字、梅津さんには今でも仲良くしていただいて感謝してます。

 

ホントかウソかは知りませんが、近所の人曰く「この集落に外から人が来たのは20年ぶり」とのことです。

 

「外」って、どこまでが外なんだか?、20年前にいったい何があったんだか?、知りませんが詳細は不明です。

 

田舎暮らしでの人付き合いについて、僕なりの結論を出すとしたら、梅津さんのような人たちと、どれだけフレンドリーにやっていけるかということだと思います。今では小松という中心街(といっても車で10分くらいですが…)に引っ越しましたが、近所のホームセンターで偶然会っても、その日の夕飯に招待してくれることもありました。僕が逆の立場だったら、そういうことできるかなあと考えてしまいました。

 

要するに何が言いたいかというと、「親切」とか「優しさ」とか「思いやり」って、ホントのところどうなの?ということが、この協力隊生活で気になる部分です。

 

僕はこの協力隊生活で「優しさ」って何なんだろうと考えていました。というのも、田舎の人は親切だとか、助け合い文化だとか、シャイだとか色々言われていますが、実際のところどうなんだろという興味があります。

 

1年目は、イマイチ馴染めずに、アウェーを感じたり。(そういうものなんですが…)自分で応募しながら何したらいいかわからないため、気分転換に新潟の海を見に自転車旅行に旅立ったところ、行くなと言わんばかりに山形の小国町トンネル内で転倒して、あやうくトラックに轢かれてお陀仏になるところでした。その後に小国の病院に搬送されて、小国駅まで壊れた自転車と負傷した自分を迎えに来てくれたのは吉島の人で、その後も色々と武勇伝(!?)をネタに招待してくれるのは梅津さんなのです。

 

そういう意味で「優しさ」とか「思いやり」とか、地方や田舎の文化だと打ち出すポスターとか宣伝とか活動には疑問がありまくるのです。自転車事故も自業自得なので、自己責任なのですが、「優しさ」とか「おもいやり」って言うのは簡単だけど、実行するのはなかなか難しいです。

 

しかし、梅津さん、恒例のホームパーティーにてガヤガヤ話していても「(ヌリに)残ってくれたら面白いけど、仕事とか色々考えると、なかなか言えない」と言ってくれました。僕はこれがおもいやりだと感じました。本音っていいもんです。

 

梅津さん、このブログ読んでみて、「おれはそんなこと言ってない‼」というご意見・ご感想がございましたら、クレーム処理担当のハマケツまでよろしくお願いいたします。

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この記事を書いた人

塗 貴旭

埼玉県川口市出身。 中学から大学までを東京で過ごした埼玉都民は、大学院で茨城へ。気合で東京から茨城へ通学するも挫折。都会と地方の交通格差...

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