1.はじめに(なにを書くか)
地縁血縁のない山形県に越してきて、間もなく半年が経とうとしています。
今は山形のことを知る時期だからと色んなところに顔を出しているのですが、はじめて会った方には、よく「なぜ山形だったの?」という質問をいただきます。
本ブログへの初投稿にあたって自己紹介代わりにそのことを書こうかとも思っていましたが、そちらは追々どこかのタイミングで触れることにして、テーマの「山形初心者が訪ねる、山形農業の匠と担い手のはなし」に添って書かせてもらいます。
と書いたばかりですが、今日ここでご紹介するのは農家さんではありません。
庄内、最上、村山、置賜とそれぞれ農家さんを訪ねてお話ししたり、時には農作業を手伝うこともあるので当然この場で紹介したい方もいます。しかし、初回となる本稿ではあえて農業を生業とされていない方にフォーカスしてみます。
2.はじめのひとり
その方は、置賜地方で町工場などを経営されています。この場ではK氏としましょう。
K氏は農家に生を受けましたが、あえて農業を継がず、事業を興されました。そして会社が軌道に乗ると、取引先などへの贈答などに農産物を使うようになります。「この人は」という農家を見つけると、毎年農産物を買い付け東京などの取引先に贈るのです。
なぜそういうことを続けているのか?
K氏はこういうことを話してくれました。
「東京では手に入らない本当に美味しい山形の旬に取引先の従業員は喜んでくれる。そうするとコミュニケーションも取りやすくなるから仕事もしやすくなる。そして農家も、毎年安定した大量の注文があるから喜んでくれる。」
朝日町で桃やリンゴを栽培している農家さんを、K氏と一緒に訪問したことがあります。その農家さんとK氏は30年来の付き合いなのだそうです。たまたま知り合って、以来30余年桃とリンゴを買い続けているのです。
「値切ったことは一度もないよ」そう言って、その日も桃を買っていかれました。
そして、こんなことも。
「こうやって農家さんとお付き合いできるのも、ちゃんと事業で稼いでいるから。むしろ、毎年農家さんから農産物を買えるように、自分の事業をしている」
そして、そうやって長期間付き合うことで「農家を育てている」とも語ってくれた。安定した売り先があるから農家も安心して栽培のことに専念できる。だから肝心の農産物も美味しくなっていくのだと。
それを聞いて僕は唸ってしまった。CSA(Community Supported Agriculture:グループぐるみで農漁業のつくり手を支える仕組み)という欧米発進の比較的新しい考え方があるけれど、それに通じたことをK氏は単身で40年近く前からされてきたのだから。
CSAのことを紹介したところ「そういう考え方は先進的な人から気づいていくのかもしれない。問題は気づいたことを実践できるかどうかだ」と答えてくれた。力強い、実践してきた者の言葉だ。
彼の気づきや考え方、そして農業へのスタンスとこれまでの取組は、僕にとってはとても新鮮で、何かしらのヒントがあるように思えたのでこの場で紹介させてもらいました。
3.それは僕の山形でのテーマでもあります
ところで、K氏がお付き合いをされている農家さんを何人か紹介してもらい、訪問する機会を頂戴しました。その場では現在の状況などをヒアリングさせてもらったのだが、大きい課題が残されていることにも気づかずにはいられませんでした。
それは、今更かもしれませんが「担い手」のことです。K氏が懇意にしてきた農家さん(職人技で高品質な農産物を生産している方が多い)でも、後継者がいないケースがいくつかあったのです。そして僕が見聞きした限りその課題はどの地域にも普遍的に存在し、しかも残念なことに喫緊のものとなっています。もはや根本的な課題解決を図る前に、暫定措置を執らなければならないような状況に追い込まれているような感もあります。
僕にはその解はありませんが、これからの一手一手はその大きな課題に対するものでなければならないと(改めて)感じています。K氏からいただいたご縁を辿ることで、そんな想いを強くしました。
本稿にて、ブログに掲げたテーマの理由を少しは伝えられたのではないでしょうか。
暮らしたい人が暮らす地域。そうならないとその地域は元気にならないはずです。これはK氏との共通認識だと僕は思っています。
地元に残る人も他所から入る人も、「その地域のことが好きだから」そこに住む。好きな理由は後付けだってイイと思います。そう思えるようなキッカケを見つけて発信していきたいと思っています。(かじむら)